005:アザリアにて
――アザリアはブラームス領の北側、ハイペルスという貴族家の所領内にある。
治安が悪く街道沿いともなれば山賊が出没し、かといって町の中であればスリ・強盗・殺人・人攫いが横行するといった世紀末感漂うブラームス領――この辺りの事は聞いているだけで実際に行ったことが無い。12歳の少年は屋敷から出ることを禁止されていたからだ――とは違って治安がそこそこに良く、盗賊なり人攫いなりといった犯罪も全く無いとまではいかなくとも古巣とは明らかに違うと言い切れるくらいに良さそうだ。
と、これはマリーのお付きの者としてアザリアに侵入した俺の実感だった。
「それでお前んチは何処なんだ?」
「この先」
大通りを二人並んで歩く。
マリーは上等そうな衣服を泥だらけにしたまま、俺に至ってはドス黒く変色したシャツとズボン姿でかつ荷物の詰め込まれたリュックを背負っているものだから目立ってしょうがない。
行き交う人々から寄せられる痛々しい視線を意識しないよう美少女然とした横顔を注視する。
「私の顔に何か付いてる?」
「ああ、目と鼻と口が」
「つまらない冗談を聞いてられるほど余裕無いの」
「そいつはすまんかった」
町の出入り口で衛兵の詰め所に突撃したマリーは、道行く中で山賊に出くわし両親が殺された事を告げた。
この情報はすぐさま領主のところへと伝えられ、段取りに支障がなければ本日中に捜索部隊が編成され出発するだろうと衛兵のおっちゃんから言われたが、実際にどうなるのかなんて分かるはずも無く、ってな感じだ。
森には野犬の群が住み着いていて、死体は然したる時間も無く食い荒らされる。
なので捜索するにしたって早くしないと遺品の一つも回収できずに帰投する羽目になる。
その辺りを踏まえて、出発は可能な限り早くしないといけないだろうとは素人でも分かる理屈だった。
一方でマリーは俺に関しては逃げ惑っている最中に助けてくれた恩人ということで、謝礼込みでお金を渡して雇い入れたと説明した。
衛兵のおっちゃん達は俺を胡散臭そうに見つめていた――そりゃ血の臭いをプンプンさせてりゃ怪しんで当然なんだろうけど――が、俺が12歳の少年で、家を追い出されてから武者修行と称してダンジョンに潜っていたと説明したら渋々ながら納得してくれた。
いや本音じゃあ納得なんて欠片もできない様相だってのは俺にも分かるんだけど、無理矢理にでも納得して貰わなきゃ話が進まんのよ。
なのでマリーに雇われたって所を強調して押し切った。というのが今に至る経緯だ。
「ああ、その荷物の中身なのだけれど、貴方が望むならこちらで買い取らせて貰うわ」
「そいつはどうも」
それで俺の背負うリュックの中身、山賊どもから収奪した品々の中には、マリーの両親が運んでいた商材も多く含まれていて、それらは商会に返還するといった流れになる。
彼女が買い取ると申し出ているのは他の収奪品に関してだ。
俺としても自分で使うでもなく価値も分からない物を持ち歩いても邪魔にしかならないから別に構いやしないのだが。
マリーの両親が経営していたのは“ミューエル商会”といって十数名の従業員を抱えるそこそこ大きなお店だったらしい。
扱っている商品は農作物が主になるが、小麦と豆、それから最近だとチーズも扱うようになったのだとか。
商会が行っているのは近距離の三点間交易で、農作物を山積みした荷馬車で次の町に赴き荷物を売れるだけ売って、同時に貴金属、アクセサリーなどあまり嵩張らない物を仕入れて次の町へ。ここで商品を放出したら拠点で売れそうな物を見繕って帰ってくる。そんなサイクルで利益を上げていたと彼女は道すがら語った。
「お酒の売買にも手を伸ばそうとしていたみたいだけど、あの辺は利権が絡んでくるからね、特に香辛料ともなると儲けどころか敵を作って潰されちゃう。商売の世界はワリとエゲツないものよ」
訳知り顔で講釈垂れる10歳の女の子。
ちょっとイラッとする俺だがここは大人の対応で苦笑を浮かべるばかり。
「私は本音を言えば商人が嫌いなの。商人はお金が全てとしか考えないから。友情も、愛情も、義理も、忠節も、全部を平然とお金に換えてしまうから。ヘタな宗教よりもタチが悪い。……いいえ、彼らこそが“お金教”の信奉者なのかも知れないけれどね」
マリーが自嘲気味に笑んだ。
彼女の両親というのはマリーを拾って養子として迎えてくれた、つまり養父母で、だから彼女は両親の仇討ちがしたいからと俺を雇ったのだ。
ここまで聞いていて、ふと思った。
俺はマリーが親となった夫妻への恩返しとして仇討ちを目論んだものと解釈していた。
推し量れないほどの愛情で包まれ幸せな日々を過ごせたから、その感謝と義理によるものだと。
でも、本当にそうなのか?
彼女の目が一瞬だけ薄ら笑う。
まるで両親の死を悦んでいるかのように。
いや、俺の目にそう映っているだけなのかも知れないが……。
「お前も色々と大変なんだな」
「ええ、と~っても大変よ?」
きっと俺などには推し量れない複雑な事情とかあるに違いない。
そう、無理にでも思い込むことにした。
だって今以上の面倒に巻き込まれたくないから。
ちょいと同情混じりに呟けば、彼女は純真無垢と言わんばかりの笑みでそう告げるのだった。
――マリーの生家は町の中央部。老舗や大店が軒を連ねる大通りからは少し離れた高級住宅地の中にあった。
外観は二階建てで壁一面には漆喰が塗り込まれている。
木や花を植えた庭もあって、言うなれば貴族家の屋敷を小さくしたような、そんな感じか。
「お前って貴族だったんか?」
「いいえ、商人よ」
問えば簡単に答える。
しかし鉄柵の門前に佇む鉄鎧と槍で武装している門番を見つけた所で再び口を開いた。
「けれど、ちょっと複雑なの」
一介の商人が住んでいるにしては少々値の張る宅地住まいともなりゃ、そりゃあ複雑怪奇な内情の一つもあろうってもんだ。
俺はなるべく相手に身の上話をさせないよう「そうか」とだけ答えておいた。
……相手のことを知れば多少なりとも情が湧く。
けど、その事情が複雑であればあるほど解決は困難になる。
俺は金貨3枚でこの幼子に雇われた。
彼女の親でも兄弟でも無く、単に雇われただけの存在でしかないんだ。
だから面倒事には首を突っ込まない。
その為には可能な限り相手の事を知らないままにしておく。
これが俺が前世から持ち越した処世術なのさ。
鉄柵の内側は石畳が敷き詰められていて、俺達は慎重に屋敷の玄関口まで進み出る。
重厚感溢れる正面扉まで辿り着き据え付けられているドアノッカーにて開けるよう促す。
すると扉の向こうから微かに音があって、数秒の後に開いた。
「あの、どちら様――……お嬢様?!」
顔を出したのは年齢16かそこらのメイド娘で、彼女はマリーの姿を見るなり素っ頓狂な声を出した。
「そのお姿はどうされたのですか!? 早く入浴と着替えを――、それに旦那様と奥様はどちらに?!」
「事情は後で説明するわ。まずはハンスを呼びなさい」
「は、はい! 畏まりました!!」
マリーが冷淡な音色で命じればメイド娘は慌てて踵を返した。
それからややあって駆けつけたのは、白髪の目立つ老執事。
「こ、これはお嬢様、よくご無事で……」
「ふぅん。あなた、私たちの身に何があったのか知ってるのね?」
口元を僅かに歪める老執事ハンス。
マリーが冷静に彼の第一声を分析すると執事は「チッ」と舌打ちした。
「それとも依頼を出したのは貴方自身、ということなのかしら?」
「だとしたら、どうするというのです?」
幼女の追求は、しかし執事には通用しない。
即座に平静を取り戻したハンスがせせら笑うように彼女を見下ろす。
「解雇した後に衛兵に引き渡す。なんて生ぬるい処分を考えているのなら、それは大きな誤りね」
「ほうほう、躾のなっていないメスガキがでかい口を利く。お嬢様、私の雇い主はそもそも貴女のお父上ではないのです。ですので貴女がたに私を解雇する権限はありません」
ハンスがニンマリと気持ち悪い笑みを浮かべたかと思えば白手袋を填めた指がヒュッと動く。
俺はすかさずマリーの前に躍り出て、キラリと光ったかに思われたそれを指で掠め取った。
「おいおい、この家じゃあ執事に暗器の使い方まで訓練させているのかい?」
「――っ?!」
今度こそ驚愕に見開かれた老執事の双眸。
ニヤリとした少年の手には金属製のワイヤーが握られていた。