033:フィアナと俺と
「う……ぐぅ……」
呻いて重い瞼を開く。
視界に広がったのは天井で、それは見覚えのある風景だった。
「部屋まで運んでくれたのか」
誰がとまでは言わない。
戦いの折に身動き出来たのがメイド長のシンシアさんだけなのだから態々述べる必要なんて無いだろ?
まだぼんやりしている頭で、二度寝しようと目を閉じる。
俺はベッドの上に寝かされている。それは分かるのだが、すぐ隣に温もりと重みがある事に気付いて面倒臭がりながらも再び瞼を開けるとそちらに目を向ける。
「すー、すー……」
俺に抱きつく格好でフィアナ姫が就寝中。
いや、俺を抱き枕にすんなや。
折角だからと腕を回して肩を抱いてみる。
なんだこの柔らかさは?!
しかも仄かに良い匂いががが……。
「んっ……お目覚めになられましたか、ヘルート様♡」
不意に彼女が瞼を開いた。
睫毛なげぇ。なんて思いながら「ああ」とだけ返す。
彼女は身を乗り出すと俺の上に乗っかる格好になって、それから有無を言わせず口付けた。
「昨日はあんなに激しくして下さって……♡」
「今の今まで気絶していた人間にそういった冗談は通じないだろ。それとも既成事実でも作ったつもりか?」
唇と唇で行われた接吻。
姫君は顔を赤らめ「そんなところです♡」なんてややネットリとした音色で囁いた。
「ああ、そうだ。折角なのでお前には告げておく」
「はい?」
「俺な、旅に出る事にした」
「え……」
それまでの浮ついて甘やかな空気が一転して凍り付く。
悲しげな面持ちは目に涙を溜めていて、世の男共であれば慰め文句の一つも掛けるところだろう。
だが俺はそんな気遣いなどしない。
なぜなら大悪党だからだ。
「俺はお前にこう言った。“俺のモノになれ”と。だがそれは伴侶としてではない。俺の家来になれってな話だ。そこまでは良いな?」
「……はい」(ぐすっ)
涙ぐむフィアナにはあくまで淡々と告げる。
こういった場面で感情を表に出すのは悪手でしかないからだ。
「既に決めているんだ。俺は“究極の悪を成す者”になる、と」
「……?」
ここで彼女はコテンッと首を傾げた。
どうやら理解できなかったらしい。
「もう一回言うぞ。俺が目指すべき道はただ一つ、究極の悪を成す者となること。これ以外は一切を認めない」
「はぁ……」
もう一回フィアナが首を傾げた。
やっぱり理解できないようだ。
やはり男と女は全く別の生き物なんだな、などと感慨に耽りつつ言葉を継ぎ足していく。
「だがここで俺はある問題に直面した。具体的に如何なる所作を以て“究極の悪”とするのか思いつかないということだ」
「あの、ひょっとして私をからかってます?」
「いや、大真面目なんだが」
なにやら呆れとも憐れみともつかない目を向けられてしまう。
失礼な奴だな。犯すぞクソアマ。
などと思いつつベッドの上で軽く咳払い。
「それでだ。俺は何を成して究極の悪とするのか、時間を掛けてでも見極めなければいけないと思った」
「……それで旅、ですか?」
「そうだ。各国の情勢や生息する魔物等の分布。その他諸々を実際にこの目で見ればそれが分かるはず。武者修行も兼ねての一人旅。これに最低でも3年を掛けたいと考えている」
「三年……」
「フィアナ、お前に頼みたいことがある。この3年の間に俺の入り込む隙間を作っておけ」
「隙間、ですか?」
「そうだ。誤解のないように言っておくが、俺は貴族だの爵位だのといったものに大した価値は感じていない。重要なのは“俺の目的を知っても尚ついてこられるかどうか”だけだ」
「つまり、そういった組織を裏で作っておくようにとのご命令でしょうか?」
「どう解釈するかはお前に任せる」
俺はニヤリとして見せた。
フィアナは「あぁ♡」と恍惚とした表情になって耳元に囁く。
「私の愛しい御方……。そのご要望、確かに承りました」
それから再びの接吻を交わす。
やっぱりな、と俺は確信した。
フィアナは破滅願望を抱いている。
不埒な輩に泥沼の底へと引きずり込まれたいと。
二度と這い上がれぬまでに蕩かされ堕とされボロボロにされたいと。
だから俺に惹かれたのだ。
俺こそがその欲求を満たしてくれると本能で嗅ぎ分けたからこそ今もこうして同じベッドに潜り込みあまつさえ乙女の唇を平然と捧げている。
12歳の少女ともなれば、ちょっと将来が心配になるレベルなのだが、こういうのはなりたくて成るもんじゃなくて、気付いたらそうなってるもの。
狭苦しい王宮での生活が彼女の心根を歪めているのだろうとは思うが、なので俺からは説教垂れるなどしない。
お前の望むように利用し、骨の髄までしゃぶり尽くしてやると。
たった今、そう決めた。
旅の期間を三年と区切ったのは、この辺りからゲーム“アルバトロス戦記”としての物語が始まる筈だったから。
その頃ともなれば主人公君も立派な正義マンになっているだろうし、ここで真正面から叩き潰す事で世界が在るべき形から一体どのように変化を遂げるのか見てみたいと。
あくまで興味本位から彼の人生を狂わせてやろうと目論んでいるだけだ。
全体から見れば紛う事なき悪の所業には違いなかろうし、ここは絶対に譲れない。
「フィアナ、俺は愛しているとは言わない。事実、多少なりとも愛着は湧いてきてるが愛を囁くような仲になった覚えはないからな」
「ヘルート様……」
また泣き出しそうになる瞳。
俺はそんな少女の首の後ろを手で抑え込んで身動きできなくすると自分から顔を近づけて唇を奪う。
「だからお前にはこう言おう。俺のモノとして、俺のためだけに働け。ボロボロになるまで、堕ちきるところまで堕ちてしまえ」
「はぃ……♡」
それがチンピラに惚れた女の末路ってヤツだ。
何度も繰り返してキスを交わし。
それから俺は彼女を押し退けベッドから抜け出した。
「――さてと、もう一つ仕事が残っていたな。フィアナ、確かお前、国王と遣り取りする魔法が使えたな? 今から繋いでこう言え」
それから姫君に文言を伝え、俺は一人部屋を出た。
腹ごしらえにと屋敷の食堂に足を向けると、そこにはメイド長のシンシア、伊織、詩織がそれぞれ質素ながらの食事を啄んでいた。
ミューエル家邸宅ではマリーが主人となるため使用人とは別に食事が用意される。
当たり前と言えばそうなんだが、三食共にぼっちメシってのはちょいと可哀想かな、なんて思ってしまう。
いや、よく考えれば今はフィアナと二人で食事すれば良いか。
なにせ奴は国王陛下の愛娘。アルフィリア王国の姫君なのだから。
考えた後に心配要らないと悟った俺は、席に腰を落とすなり凄まじい勢いで空腹を満たしたものである。