031:300 VS 3 ⑦
赤いスーツを着こなす金髪青眼の中年男は何の感情も含まない目で足下に伏すメイド嬢のブロンド色をした長髪を無造作に掴むとその美貌が自分の顔の高さまで来るよう持ち上げた。
「ぅ……ぁ……」
「ふむ。良く見れば整った顔だ。調教して従順に躾けた後でペットとして飼うのも悪くはないか」
「だ……誰がお前の事など……」
ジキルドは事も無げに曰い。
シンシアはギリリと歯噛みして囁いて返す。
ほほう、と後ろで見守る俺。
これぞ悪党の台詞。こいつ、意外と分かってるじゃねえか。なんて感心しつつ。
ヒュオ……ゴキンッ。
瞬歩で駆けていって逆賊の顔の高さまで跳ねてから側頭部に蹴りを一発お見舞いした。
ジキルドは頭をおかしな方向に曲げたまま、しかし微動だにしない。
「おやぁ?」
金髪中年男が呟く。
この間に俺は手刀で奴の腕を切断、掴み上げられていたシンシアを解放するのと同時にメイド服の腰から引っ掴むと大きく跳躍して反撃が届かない距離まで退避する。
床に降ろしたメイド長は、乱れ髪も相まってとても扇情的に思われた。
「ヘルートさん、彼女を連れて早く逃げて下さい。……アレは、人間ではありません」
「そうなのか」
目を上げると金髪中年は我が手で頭を抱えるとゴキリッと音を鳴らして角度を矯正している。
まあ、確かに雰囲気から察して人間離れした身体能力か、生物としての人間を辞めてしまっているかのどっちかだな、とは思ったが。
「ところでシンシア。調教してペットにするって案、俺的にはめっちゃツボなんだけど、どう?」
「そういう冗談は……くっ、後にしてください」
冗談じゃないんだけどな。とは言い出せない。
彼女の衣服は所々が切れているしスカートなどは大きく割かれて生足が露出、男にとっちゃ大変に眼福もとい目のやり場に困る格好になっていらっしゃる。
たわわに実った胸の果実が女性らしさを強調、男の欲求を刺激するともなると後で何だかんだと理由を付けて押し倒そうと企てたってそりゃあ仕方が無いってもんだろうよ。
腕なのか足なのか、どこか骨折でもしているのか顔を顰める彼女にヤレヤレと溜息半分に手をかざした。
掌から放たれる光に戸惑うシンシア。
俺は敵の存在に目を向けたまま、面白くも無いといった調子で説明しておく。
「氣術には回復系の術もある。まあ、神聖系魔法みたくパッと怪我が治るって代物でもないけどな。動けるようになったら向こうでノビてる伊織を引っ掴んで逃げろ」
動線を確認する。
伊織は壁際で突っ伏しているが、今いる場所からだと横から妨害でも入れられない限りは奴と接触することが無い。
なのでこの場ではシンシアに任せるのが最適解。
俺はこのおっさん相手に大立ち回りするってのがらしい遣り方だろう。
メイド長はやや考え込む仕草をしたけれど、傷が癒え始めているのを確認するように手をグッパとしてから「わかりました」と返事した。
「そろそろ動けそうか?」
「はい、何とか……」
彼女は赤スーツ男の足下に転がっている折れた剣を一瞥してから身を起こし立ち上がった。
「行け」
告げると応えるようにつま先の向きを変え駆け出す。
俺はと言えば悠々とした足取りでジキルド・ハイペルスの方へと近づいて行く。
「相談は終わったかね?」
「待ってくれていたのかい? そいつは有り難すぎて泣けてくるねえ」
「だが君は逃げようとはしていないように見えるのだが」
「そりゃあな、お前さんをぶち殺さないとどうにも話が進まないっぽいからな」
「勇敢と蛮勇は似て非なるものだ。少年、時には引く事も必要だと知った方が良い」
「そいつはどうも」
「もっとも、私は一人として生かして帰すつもりは無いが」
「させねえよ」
ゴシャ!
瞬き一つする間に双方の中間地点で拳と拳をぶつけ合っていた俺達。
コイツは氣術や魔法めいた力には頼っていないと、極近距離まで近づいてから理解した。
「アンタ強えな、一体いつから人間辞めてたんだい?」
「随分と前になる。あるとき一冊の魔導書を手に入れてね」
「悪魔と契約したって話か」
「察しが良くて助かる」
それから殴り合う。
ドゴゴゴッ、と双方の拳が飛び交い入り乱れる。
俺達を中心として石床が陥没、クレーターになった。
「だが契約じゃあこうはならねえ。お前、悪魔に体と魂を喰われたクチだな?」
「ほう……」
ドゴゴゴッ。
尚も殴り合う。
とは言え、奴の拳は全て俺の手にキャッチされていたが。
「ああ、ご名答だ。私はジキルドなる人間と契約を交わし、果たされた願望の対価として男の魂を喰らい肉体を貰い受けた。ならば少年よ、どうするね?」
「どうもこうもねえ。俺の目的は最初から最後まで変わらねえ。テメエを殺す。ただそれだけさ」
ニヤリと嗤う。
男はふんと鼻を鳴らすと蹴りを入れてきた。
やっぱ子供の体格じゃあ大した事はできないなと思いながら手に受け止めた靴裏の重量に吹っ飛ばされ、壁に激突するスレスレまで飛ばされちまう。
そこで俺は体を丸めて一回転、壁に足を付けると思い切り蹴った。
ガツンッと石壁に穴が開く反動で、弾丸よろしくカッ飛んでいく体。
俺は手に氣を漲らせると、奴に拳が届く極至近距離から技をぶっ放す。
――氣術、獅子吼っ!!
ボグンッ!
奴の肩から胸に掛けてが弾け飛び真っ赤な血液を飛び散らせる。
普通の人間なら即死するダメージだ。
しかし普通の人間では無いジキルドは平然とした顔でそこから回し蹴りを放ってきた。
ゴッ。
「ぐぅ!!」
両腕でガードしたにも関わらず再びピンポン球みたく吹っ飛ばされた。
しかし今度は足を床に突っ込んで無理矢理に着地。
少しばかり痺れている腕をプラプラさせて奴の動向を見守った。
「ふふっ、なかなかに愉しませてくれる。ならば君には特別に、とびきりの絶望を進呈しよう」
芝居がかった物言い。
奴が言い終えるのと同時に上半身のおよそ半分が抉り取られている体躯がボコリと膨張し変形し始めた。
「なんだ。えらい男前になりやがったな」
つい呟いてしまう俺。
その視界に映り込んでいたのは、手も足も胴体も、全身が隈無く灰色になった怪物の姿。
人間サイズのゆうに5倍はあるだろうといった巨躯の頭部にはのっぺりとしながらも大きく裂けた口とその内側で生え並ぶ鋭い牙があった。