026:300 VS 3 ②
「……なんだありゃあ?」
つい口を突いたのは礼儀作法も優雅さも欠片も持ち合わせてやしない言葉で、それはアザリア中央部からやや離れた場所にある高級住宅地の一角、二階建ての貴族邸をダウンサイジングしたようなミューエル邸に詰め掛ける物々しい立ち居姿の人々に端を発している。
目を凝らすにそれらは鎧を着た男達で手にはそれぞれ槍や剣を携えていた。
「つべこべ言わずにマリー・ミューエルを差し出せ!」
「何度言われても答えは変わりません。お引き取りを」
「このアマァ! 輪姦して殺すぞ!!」
屋敷の門前に武装した兵士が20名。対する邸宅側には武装したメイドさん各位の姿。
押し問答をしているようにも思われるが状況がいまいち掴めない。
俺は腕に抱いているフィアナ姫と顔を見合わせ、――いや、この子、熱に浮かされたような顔で、潤んだ瞳でずぅぅっと俺の顔を見上げているけど大丈夫か?――会話が難しい状態と判断して再び眼下へと目を落とす。
真っ昼間ということもあってか兵士集団が突入する気配は感じられないが、それだって時間の問題だろうと肌に感じる空気から読み取っていた。
「降りるぞ、フィアナ」
「はぃ、へりゅ~としゃまぁ♡」
フニャフニャになった物腰でフィアナが答えた。
まったく大丈夫かねこのガキんちょさんは。
思いながら高度を下げていって、やがて対峙する両者の間、鉄柵門の際に降り立った。
「ヘルート様!」
「シンシアさん、状況は?」
剣を地面に突き立て兵士達を威嚇しているのはメイド長のシンシアさんで、この後ろで6名のメイド達が同じく剣とか槍とか弓を手に佇んでいる。
ミューエル家のメイドさん達って戦闘もこなせるのか、とは俺の思ったことで。
腕の中で生まれたての子猫を演じる姫君を立たせるとそちらに顔を向け問い掛けた。
「はい、彼らは領主ジキルド・ハイペルスの命によりマリー様の捕縛を命じられた兵士達で、先ほどからマリー様を引き渡せと、さもなくば屋敷の住人全てを殺すと脅迫しております」
「なるほど、つまり目的はマリーお嬢様の殺害、と。白昼堂々家の主を攫って殺すとかどこの暗殺集団だよまったく」
こういうのは真夜中に家宅に押し入ってやるもんじゃないのか?
こんな事がまかり通るなんてまったく世も末だな、なんて肩を竦めて見せた。
「ヘルート!」
と、そこへ邸宅玄関から出てきた栗色髪娘マリーお嬢様が、メイド衣装ながら手に苦無を持つ伊織と、どこで入手したのか神社境内で見かけるような巫女装束を身につけた詩織を伴い駆けてきた。
「マリーお嬢様、ただいま戻りました」
「どれだけヒトを待たせれば気が済むのよまったく!」
どこからどう見ても10歳児としか思われないマリーちゃんがぷんすこと怒りを露わにしたが、彼女は次に視線を動かして淡いピンク色のドレスを身に付ける娘さんを発見し「この方は?」と問い掛けた。
「こちらはフィアナ王女殿下です。……姫、こちらは私の雇い主になります、マリー・ミューエルにございます」
俺の台詞にポカンと呆けた顔のマリー。他の面々も同じようにキョトンとしてる。
背後に体半分隠れる格好だったフィアナ姫が前に進み出て、ドレスの裾をちょんと持ち上げ礼をした。
「初めまして。フィアナ・ルーティア・ド・アルフィリアと申します。以後お見知りおきを」
するとマリーさん一同の顔からサーっと血の気が引いて、慌てて慇懃なるお辞儀を返す。
貴族間のルールとして、初対面での挨拶は身分の低い方から行う。
また一般的なルールとしては、平民は貴族が発言を許す前に話し掛けるのはNGだし気安い態度で接するなど言語道断。公的な場所でそれをやっちゃったりなんかした日にゃあ不敬罪で牢屋送り、もしくは刑罰を食らう羽目になる。
もちろんこれらは暗黙のルールというか明文化されていないが確として存在する法であって、気安く話し掛けられた貴族が寛容な人物であったなら何てこともないのだが、王族それも直系のともなれば貴族達の頂点なのだから敷居が高くなるのは当然。
つまり、王族たるフィアナに先に挨拶させている時点で場合によっては不敬罪が適用されてしまうのだ。
「ちょ、ちょっとこっちに来て」
マリーは下げた頭を上げた勢いで駆けてきて俺の手を掴むと脇へと小走りする。
「ヘルート! これは一体どういうことなのか、ちゃんと説明して!」
「当初の計画通り例の名簿を国王陛下に手渡してこっちの事情も説明した。帰り際になってフィアナ姫が一緒に行くって言い出したからそのまま連れてきた。……これ以上詳しくは国の機密事項に触れる恐れがあるから言えないぞ」
「うぁ……っていうか、あなた一体何者なのよ?」
「まあ、タダ者じゃあないってのは確かだな」
「自分で言うな!」
マリーはまだ納得いかないようで口を尖らせるが、こちらとしても肩を竦めるしかできない。
二人して面々のところまで戻って、俺は姫君に向き直った。
「ええと、こういった場合、俺が出て行ってそこにいる連中を処分すると何かマズかったりするのか?」
「う~ん、そうですね。では私が先に線引きを行います」
俺の物言いはめちゃくちゃ不敬である。
何なら瞬間的にお縄を頂戴して投獄、打ち首獄門の刑に処されても文句言えないくらいには失礼な態度だ。
けれど、今この瞬間はそれでも許されるような気がしていた。
30分ばかり空中遊泳する中で、お姫様は俺が実は粗暴で礼儀知らずな男っだってことを理解したかに思われるからだ。
瑠璃色髪のお姫様は儚げで優しげな微笑みを俺に寄越すと、踵を返して鉄柵の向こう側に居並ぶ兵士達へと声を掛けた。
「皆様初めまして、私はアルフィリア王国国王マイセン・ルーティア・ド・アルフィリアの娘、フィアナと申します。現在、あなた方に命を下したジキルド・ハイペルス侯爵には謀叛の嫌疑がかけられており、先だって編成され王都に向けて出発した兵団は反乱軍と見做されています。その上で、わたくしども王家ではマリー・ミューエル氏を保護する約束を、こちらのヘルート氏と取り交わしていることも付け加えておきます。さて、皆様におかれましては、それでも尚、マリー女史を捕縛し連れて行くと仰るのですか?」
温和ながら毅然とした物腰。
しかし相手方は「嘘を吐くな!」「王女様の名を騙るとはとんでもねえガキだ!」とか「コイツも攫って輪姦しちまえ!」とか好き勝手な事を言っている。
あ~あ、素直に引いときゃ今なら侯爵に依頼された仕事をこなそうとしただけで何にも悪くはない兵士諸君として扱って貰えたのに、と内心でニンマリする俺。
フィアナはここで魔法を発動させた。
――《念話》。
「陛下、私です。現在ヘルート様と共にハイペルス領に来ておりますが、件のマリー・ミューエルについて拉致・殺害を企てている事が確実となりました。また彼らの言い分では私を王女と知った上で殺害を公言。ハイペルス侯爵の謀叛は確定しましたので、全兵力の集結とハイペルス領の制圧を進言致します」
そして魔法を解除する。
ドレス姿の少女は鉄柵越しの兵士諸君に向けてニッコリと笑んだ。
「これであなた達はアルフィリア王国の敵となりました。思う存分に蹂躙されて下さいまし♪」
後ろで遣り取りを見つめていた俺は背筋にゾゾゾッと冷たいものが走るのを感じた。
肩越しに顧みるにマリーをはじめ一同雁首揃えて俺と同じような顔をしているのが見て取れた。
うん、これはもう見なかったことにしよう。
俺は何も知らないし何も聞いていない。
「さ、ヘルート様。舞台は整えました。思いっきりやっちゃって下さいませ♡」
ああ、今日も良い天気だな……。
天を仰いで気持ちを切り替え、足に力を込めると跳躍して鉄柵を乗り越えた俺である。