8.逸材だ!逃がすな嫁にしろ!!
「なるほど。で、何故独り身のはずの妹ではなく、君がこの会場にやってくることになったんだ?」
わたしが正体を明かした途端、王子殿下の火の玉ストレート質問球が打ち込まれる。
例えばわたし自身が「何故か姉妹の呼ばれなかった方が呼ばれた方として来ています」という事実を聞かされたなら、「あっこれは、深く聞くことが不躾なご事情をお持ちなのですね……?」となんとなーく察する。関係性によってその後の対応を微調整するも、基本はスルーする所だ。
しかし殿下の赤い目は、相変わらず色んな意味で真っ直ぐにこちらを見据えてきていた。
事情を汲んでいてあえて傷口にぐりぐり塩を塗り込んでくる、我が家の妹ムーブですらない。
彼は本当にわたしがなんでここにいるのか想像できていないし、しかもたちの悪いことに知りたがっている。
好奇心猫を殺すとは言うけど、どうやらわたしの寿命もじわじわ削られているようだ。
「殿下ァ!」
「……? 何がいけないんだ。当然の疑問だろう」
「ええ、当然の疑問っちゃ当然の疑問でしょう。だけどね、こう、聞き方ってものがね……」
お付きの騎士様達――女騎士のランシア様や、先ほどわたしの正体を言い当てた眼鏡の方のことだ――が慌てて殿下を小突き、ちらちらわたしを窺ってくる。
付き人の皆様は、どちらかというとわたしに同情的な気配を醸している。
頭ごなしに決めつけたり怒鳴りつけるどころか、割と終始「すみません、宅の問題児が……」という気配である。
とはいえ、寄り添っていたと思ったらあっさり雨の中に元婚約者をたたき出した男も、この世には存在する。もはやわたしは、二度と人の好意が素直に信じられない。裏切りの準備をしてしまう。
でもそれが殿下相手となると、なんかまた肩の力が抜けるというか。
殿下という偉大な――虎……?獅子……?とにかくでっかい猫に類する何か――を前にしていると、虚栄心の欠片も抱く気がなくなってくる。
加えて、わたしの小動物的勘が告げている。
この人に嘘をついてはいけない。どうせ動物の勘的な何かでバレる。そして嘘ついた方が絶対後々面倒なことになる。だからもう、全面的に全てを自白していく。
「先ほど話題に出てきた元わたしの婚約者が、諸般の事情により、妹の婚約者に変わりました。ですから今、わたしに将来の予定はございませんし、本日こちらに参ったということなのです」
「ほう」
「入場時は招待状と同じメアリー=フォージュの名を使いましたが、その……申し訳ございません、あまりこちらの交代事情を詮索されたくなかったのです。殿下のお相手を探す会に、身内に数年来の婚約者を寝取られたフラれ女がやってくるなんて……とても、外聞がいいとは言えないでしょう?」
「ほうほう」
「とはいえ、折角それなりに準備して出かけたのに、招待状の本人ではないからと門前払いされるのは嫌でした。それに、わたし達は双子ですし、わたしは地味でどうせ誰の目にとまることもないため、問題ないと判断いたしました」
「うん……?」
ふう、とわたしは一息つく。
ああ、取り繕わないってなんて解放感なの! ちょっと癖になりそうで怖い。
気がついてしまったのだ。
開き直りは弱者だからこそ使える手札。フォージュ家のつまはじき、双子のいらない方に、どうせ失うものなんてほとんどない。
詐称や王家への無礼でフォージュの評判が落ちようが処罰が下ろうが、構うものか。もろともに実家にも傷を付けてやる、なんて積極的な復讐心ではない。無関心だ。今更父と母がどう騒ごうが、トマスやメアリーがどうなろうが、何の感慨も興味も湧かないのだ。
強いて言えば、ヘレンのことだけが唯一の気がかり。もし侯爵家がゴタゴタすることで、彼女に迷惑がかかってしまう結果になったら、本当に申し訳ないと思う。聡い彼女なら、うまく逃げてくれるとは思うのだけど……。しかしこうなってみると、今日お付きの一人もいない状態で本当に良かった。わたしがこうして醜態を晒しても、無関係であると通せる。
…………。あれ。静かだわ。
顔を上げれば、途中までわたしの全面自白模様を面白がって梟がごとき相づち係となっていた殿下が、目を丸くして首を傾げている。周りの騎士様達も、すらすら喋るわたしにいつの間にかしん、と静まり返っていた。
こうなると、さっきまであった万能感がすっと引っ込んでしまうのがわたしだ。
実に一般人。だらだら込み上げそうになる冷や汗を、ぎゅっと膝の上に置いている両手を握りしめて堪える。
今日は本当に、波瀾万丈の一日、いや一夜だった。
こうなるのなら、ダンスの一つ、やはり踊っておけば良かったのだろうか。
いいや。肉が勝つ。あのお肉は美味しかった。今日この会場に来たことで、あの肉祭りを堪能できた。そんなささやかな野望を満たせただけでも、本当に良かった。
悔いや未練は上げ出すときりがないのだろうけど、少なくともわたしはちゃんと一つだけでも、したいことをやりきったのだ。
だから今、胸を張って王子の目を見返すことができる――。
王子はふっと、冷酷に笑った。
「まあ、いくらか疑問は残るが。まとめると、きみはやはり、独身で将来の予定がないのだろう? では、私と結婚するのに問題はあるまいな」
「いやいやいやいや」
「問題はなくてもいくらかの支障はあると思いますねえ!」
「そうか?」
そして周りの騎士団から総突っ込みを受け、また首を傾げている。
わたし、ちょっとわかった。この人、悪人面寄りの美形だから、口角を上げるだけだと冷笑しているように見えるんだ。たぶん本人にそういう意図はない。見ているこちら側が「ひえ、睨み付けて笑ってる、こわ……」と感じてしまうだけで、本人は他意なく笑っている。らしい。たぶん。
「あの、殿下……?」
「うん」
「わたし、その……無断でこの会場に来たということなのですけども……」
「…………。ああ。まあ、人の出入りについては、少し見直さなければならないな。変な人物が紛れ込んでいたら、私はともかく招待客にトラブルがあったかもしれないし」
「それはそう」
「本当にそう」
王子の婚活パーティーに不届き者が紛れ込んだら、普通王子本人を心配するものだと思うのだけど、どうもこの部屋の皆様はそうではないらしい。
どうやら妹入れ替わり罪については見逃していただけるらしい。それは良かった。だが、だとしても「では話が終わったのでわたしはこれで」と出て行けない事情がまだ残っている。
「あの、殿下……」
「うん」
「じょ、冗談ですよね? わたしのような特に何もない女にきゅっ――求婚、するなどと」
「冗談に聞こえるのか。エルヴィン、どう口説いたら女性は本気の求婚だと思ってくれるんだ?」
「え……跪く、とか……?」
「こうか?」
殿下は眼鏡の騎士に聞くと何の躊躇もなく、わたしの前までつかつか歩いてきて膝をつく。
わたしは呆然としきりだし、周囲の騎士様達はわたつきだす。
「殿下ァ! そうだけど、今はそうじゃない!」
「こんなよってたかって取り囲んでそれは求める側のすることじゃないです、脅迫です!」
「あれも駄目これも駄目、面倒だな結婚への道は……狩りなら見つけて仕留めて持って帰れば終わるのに」
わあ、やっぱりこの人根が戦闘民族なんだ、きっと……。
「まあ、あまりそちらの事情は聞いていなかったしな。君は結婚自体には後ろ向きではないと発言していた記憶があるが……となると、私はお眼鏡にかなわなかったか?」
「そっ……そんな恐れ多い!」
「では何が問題なんだ?」
「問題と言いますか、お話が急で……!」
「善は急げと言うからなあ」
ここに至ってようやく、話が唐突すぎて戸惑っている、という状況が向こうに伝わったらしい。
首を傾げる王子殿下に、再び周囲が囁きかける。
「急いては事をし損じるとも言いますよ、殿下」
「前のめりすぎる男は怖いですよ、殿下」
「おもしれー男は創作では人気ですが、現実では良し悪しですよ、殿下」
「わからんが、私がまたなんぞ常識を踏み外したらしいことは理解した。だがな、諸君。彼女は魔物肉を食べてみたいと言ったんだぞ?」
その瞬間、再び風向きが変わったのを感じた。
一斉にわたしに目が向けられる。ぴゃっと息を呑んで姿勢を正せば、すさまじい勢いで騎士達の中でも特に王子殿下との会話が多かった女性騎士と眼鏡の騎士がにじり寄ってきた。
「事実ですか?」
「本当に魔物肉を食べたいと?」
「え、ええと……その。はい、機会があれば、興味深く存じま――」
「確保! この女確保しましょう殿下! 逸材です!!」
「無礼だぞエルヴィン! 丁重に花嫁部屋までお連れするんだ!!」
「待て待て待て、お前達が勇み足を踏んでどうする」
少し前と立場が逆転、今度は騎士の皆様がわたしを逃すまいとし、それを殿下が制する。
どうあがいても帰れないということを悟ったわたしに、再び王子殿下がやってきて、そしてもう一度ひざまずく。
「エリザベス=フォージュ。私は貴女と出会ったばかりだが、今まで女性は私を怖がったり嫌がったり、あるいは嗜好が一致せず可哀想なことをしそうな将来が見込まれる相手ばかりだった。だが貴女となら、私は楽しい夫婦生活を営めると感じた。話が急ということであれば、まずは王太子妃候補、婚約者などからでも構わない。可能性が少しでもあるなら、考えてみてもらえないか?」
そっと手を取って語る姿は、まさしくお手本のような王子そのものだ。
「やればできるじゃねえか、殿下……!」
「腐っても王太子殿下ですからね。素質とたたき込まれた教養が違う。あと顔がいい」
「うまくいけ、うまくいけ……!」
周囲から漏れ聞こえる、相変わらずその辺にいるギャラリー達。
頭も顔も熱く、すっかりゆであがっている心持ちだ。
「わ、わたし……」
「うん」
消え入りそうなか細い声に、殿下はきっぱりした相槌で返し、そしてわたしをじっと見る。
そうだ、この人はずっとこちらの顔を見てくる。
わたしに興味を持ち、私の言葉を聞こうとしてくれる。
ああ、本当にほしかったもの。
ガチガチに緊張していた体からふっと力が抜け、気がつけばわたしは口を開いていた。
「出会ったばかりで、あなたのことを全く知りません。謹んでお受けします、と胸を張って言えるほどの自信はありません。でも……せっかくいただけたチャンスなら、逃したくないと思います」
王子殿下はにこっと笑った。
「では、決まりだな」