6.顔の良い男は危ない
反射的に振り返ったわたしは硬直した。
顔が良い。黒髪赤目の、すごく顔が良い男がいる。
ちょっと癖のある黒い髪の流し方は、知性と野生を同時に感じさせてお洒落だ。
赤い目は鋭い輝きに満ちていて、なんだか捕食者を思わせる。
肌の色は程よく健康的――服の上からでもなんとなくわかる筋肉の締まり方といい、日頃から外を歩き回っていそうな感じだ。
あと背が高い。手足も長い。
総じてなんだろう、このものすごく顔の良い男は。
「ああ、すまない。邪魔をするつもりはなかった。気にせず続けてくれ」
そして声もいい。張りがあって聞き取りやすく、よく耳に残る。
わたしが思わず相手に見とれ――というよりか、不躾にじろじろ眺めていたという方が正しいのだろうけど――とにかく視線を釘付けにしていたら、顔の良い男性はそのように仰った。
いや。いやいやいや……気にせず続けろと言うのなら、そちらもそっぽを向くなどしていただいても。
顔の良い男性は、わたし――特にわたしの顔の辺りに、その強すぎる視線を向け続けている。今し方まで肉を思う存分食らっていたこの口。
かああ、と頬に熱が集まるのがわかる。思わずそそくさと皿を片付け――ようとしたけど、まだお肉が! 残ってる!
「それもうまいぞ。食べるといい」
見知らぬ顔の良い男もお墨付き。
う、うう……やりにくい! でもお肉が残ったお皿を放置していくのは、何より食べ物に対するマナー違反!
仕方ないのでせめて相手に背を向け、残りを口にする。
……これはまた、ソースがジューシー! 甘辛、というのかしら。今度口に放り込んだお肉はあっさりめ……鶏肉かしら? で、お肉単体だと物足りなく感じたかもしれない。それがソースと絡ませられることにより、見事なまでのハーモニーを奏でている。
やっぱり肉よ。そして肉を飾る味付けよ。
……それにしても。
「……あの」
「何か」
「そのようにじろじろ見られると、その」
「そうか」
「いや、あの……」
「…………?」
は、話しかけてきた見知らぬ顔の良い男が、全く離れていかない……! むしろさりげなく、また顔の見える位置まで移動してる!
なんなの? わたしの顔、食べ物に夢中になっている間に愉快なことになっている!? 急いで口元を拭えば、ふっと相手の口元が緩んだような気がする。や、やっぱり面白がられている……。
っていうか、わたしさっきから、それなりに恥じらったり気まずがったりしている仕草を見せているような気がするのですけど! 乙女の羞恥心を煽るのはそんなに楽しい!? いえね、立食にかぶりついたのは確かにわたしですけれども!!
はー、はー……駄目だわ、一人で心中盛り上がりつつ、顔は平常心を装っているのだけど、まだそこにいる。社交界慣れしてない女が一人で立食しているだけなのに。
でもこの人、絶対今日初めての相手のはずだけど(だってこんな顔が良くて目力の強い人、一度見たら絶対覚えてる)、ちょっぴり既視感がある。なんだろう? と首を傾げて、ようやく気がついた。
(そうか……壁の花声かけ集団と同じ服なんだ)
さっき観察させてもらった、会場で一番目立っていた女性騎士や、慣れない素振りでもじもじしている殿方達と同じ格好。ということは、おそらくこの方も騎士様ってこと。最初に感じた品のあるワイルドな印象とも相違ない。
あ、それなら王子の婚活パーティーに来て卑しく食べ物を貪っている娘に、ダンスの一つでも踊ってみろと言いに来た、と……?
「あの」
「何か」
「何かご用があるのはそちらでは……?」
「用というか。いい顔だから見ていた」
常識的に考えて、結構近い距離にずっと居座るというのは相手に用事がある証である。
というわけで恐る恐る尋ねてみれば、きっぱりした発声ですぐに返事が戻ってくる。
「い、いい顔、ですか……?」
「ああ。見ていて飽きない」
そしてそんないい声で、しかもいい見目の騎士様(推定)にきぱきぱ言われたら、なおのこと顔全体が朱色に染まってしまう。
「そ、そんなこと、初めて言われ――」
ここまでうっかり垂れ流してから、わたしははたと気がついた。
本日のわたしはぱっとしない双子の方ではなく、両親の秘蔵っ子の方なのだ、一応。顔がいいなんて言われ慣れている。
「――いえ、わたくし、いつも褒められていたので、そのぐらいでは落ちません」
「ほう」
ということで咳払いして言い直した。顔の良い騎士はまたも口の端をつり上げている。
な、なんか……とりあえず、「食ってばっかじゃなく踊れ」と言いに来たわけではなさそうだけど、さっきからこの人、なんなんだろう? ほんのり嫌な予感がするのだけど、既に相手の間合いの中、なかなか先ほどの集団相手の時のようにすっと目をそらしてそのままフェードアウト、という手も使えない。
一応、なんとかお皿の上のお肉も片付け終わって、多少身軽になったのだけど……逃げ、もとい、戦略的撤退の隙がない。
「結局どちらなんだ。顔がいいと言われるのは初めてなのか、そうではないのか」
「……ご想像にお任せします。それって大事なことですか?」
「いいや? だが興味はある」
うっ、真顔もいいけど表情が和らぐと余計にいい……!
本当に、何故このような顔の良いいかにもご令嬢にモテそうな騎士様が、こんな端っこで油を売っているのでしょう。しかもわたし相手に。天井のシミでも数えていたら終わるかしら。そもそも相変わらず彼から醸し出されている奇妙な緊張感のせいで、天井のシミを見る余裕がないのだけど。
「興味と言えば、君は食事に興味が?」
「……今日は特別な日ですから、普段しないことをしてみようかと思いまして」
「なるほど。ところで先ほど君がおいしそうに頬張っていた肉だが、あれは魔物肉なんだ」
「…………。へ?」
「ついでに言うとさっきのソースには魔草が入っている」
どうしよう。顔の良い騎士様は一際笑顔でお喋りしているのだが、内容は相当な爆弾だ。
我々王都住まいの人間は基本的に家畜由来の肉、あったとして猟師が仕留めた野生動物の肉しか口にしない。
魔物を料理にするなんて、そんなの辺境でしかなされない蛮行――。
「え、え、でも……おいしかったですよ?」
「そうか」
「本当に……魔物をお料理に出していたのですか?」
「そうだ」
「でも、魔物は瘴気をまとっているでしょう? 魔物から採集できる魔石であれば、瘴気の除去は比較的容易です。けれどそれ以外は汚れや臭みがまとわりついてしまって、道具や外用薬の素材ならともかく、とても食用にできるようなものではない……と、本で読んだのですけど」
顔の良い騎士様がまた笑みを深めた。ような気がする。
「手早く上手く狩れば瘴気の汚染は最低限に抑えられる。その上で特定の薬草と共に漬け、それからよく水で洗ってやれば普通の肉と同等になる」
「まあ……」
「とはいえ、さすがに公式舞踏会で出すのはテロ行為だと怒られてな。今日は持ってきていない。君が口にしたのも残念ながらただの家畜だ」
蘊蓄を聞いていたら、さらっと種明かしされてしまった。
どうやらわたしは、からかわれていたらしい。
「そうですか……本当においしかったので、もし魔物だったなら、夢のあるお話でしたのに……」
魔石は魔物を討伐するか、特定の鉱山で採取できる。そして鉱山での採取の方がまだ危険が少ない。
だが肉が食べられるようになるなら、狩り甲斐も出てくるというものだろう。年中人手不足に悩まされていると聞く辺境には朗報だと思ったのだが……。
わたしがちょっぴりしゅんとしていると、騎士様がまた笑っている。なんだかずっと笑われっぱなしだ。
「貴族なら魔物の肉を食べさせられたと聞かされれば、憤慨か卒倒のどちらかだ。君は口にできなくて残念がっているように見える」
「だって、キノコだって何人もの死人を出しながら食べられ続けてきましたし、お薬は毒と紙一重ですし……もちろん、わたしだって未知のものに全く怯まないと言えば嘘になります。でも、知らない世界を知ることは楽しいわ」
そう……今日この場所に来て、本当にちょっとのことだけど初めての立食も経験して。こんなにドキドキして満足したこと、今までにあっただろうか。そうだ、わたしは元々結構好奇心のある人間で、それが満たされることはなんと幸せな気持ちにさせられることなのかと――。
噛みしめていたら、なんか今こうして見知らぬ顔の良い騎士と語らっているのだけど。
あれ? 本当にどうしてこうなったんだろう。
わたしが我に返って首を傾げていると、何度も頷いた顔の良い騎士が大股に歩み寄ってきて、がしっと手を――手を掴む!? な、何を!
「私はまどろっこしい駆け引きの類いができないから、単刀直入に聞く。未婚者だな?」
「え、ええっ――!? そ、そうですけど、結婚はしていませんけど――」
「将来の約束をした相手、恋い焦がれる相手、心に決めた相手――等々、伴侶になりそうな男は?」
「い――たと思っていたのですけど、今はいなかった、ような……」
「結婚に対して前向きか? 後ろ向きか?」
「正直、直近で嫌なことがありまして……でもやっぱり、未練も捨てきれず。あと、やはり実家から離れようと思ったら結婚が一番ですので……」
ななな何、何何何!?
ざくざく聞かれるから思わずほぼ正直に答えてしまっているけど、何なの!?
「では三食昼寝付きで夫に笑顔を見せるだけの契約を頼むと言ったら、検討するか?」
「なんですかそれ、詐欺じゃなければ、そりゃあ嬉しいですけど――」
すっかり相手のペースなわたしは、「あなた王子付きの騎士のはずでしょう、いいんですかこんな主の婚活会場で堂々と便乗して」なんてことを口走ろうとして、はたと止まる。
そう、ここは王子の婚活パーティー会場である。
そういえばこの騎士様、確かに例の王子付きっぽい騎士達と同じ格好なのだけど、一際装飾品が華やかでもあるのよね。
あとこの目の色、確かに血みどろそのものだわ。
あれ……?
「ではひとまず決まりで良かろう。……ああ、忘れていた。私はヴァナリーズ=ノブリスリージュ。で、君の名は?」
ノブリスリージュは現王族の血統である。
つまりはこのやたら見目がよく謎の存在感がある割に潜伏にも長けている、節穴わたしはすっかり騎士だと思い込んでいた男こそ、今夜の婚活の主役その人である。
今日一番の衝撃に打ちひしがれていたわたしは、これまたバカ正直についうっかり返していた。
「エリザベス=フォージュ」
と……。