11.フォージュ家のつまはじき ではない方
「エリザベス=フォージュを出しなさい! ここにいるんでしょう! あの性悪女狐!」
フォージュ侯爵家は名ばかり貴族とはいえ、家柄は由緒正しい。
だから王城に顔を見せることも(まあご先祖様は頑張ってくれたし……という王家の温情でギリギリ)許されている。
でも、普段全く顔を見せない領主一家がお揃いなのは珍しい。というか、普通に目立つ。先頭が我が麗しの妹であることが、なおのこと。
「何かしら、あの方々……」
と訝しげに城の皆様から見つめられている身内を見た時、わたしは大きく息を吸って吐いて、心を無にして殿下を呼んだ。
「ほう、あちらから殴り込みに来たか。自らが仕掛け人になるその気概、嫌いではないぞ」
殿下は心の広い個人的感想を述べた後、わたしに真顔を向けた。
「で、どうする?」
「予定通りに」
わたしは彼の赤い目を見つめ、短く返す。殿下は眉を上げたが、すぐに人の悪い笑みを浮かべ、わたしの手を取った。
メアリー=フォージュとそのご一行は、野次馬達に見つめられている。
わたしと殿下がその中を進んで行けば、当然こちらにも視線は集まる。
改めて押しかけている一団をよく見れば、添え物たる我が両親と共に、トマス=クレーマンまでいるではないか。
わたしと目が合うと、彼はビクッと肩をふるわせてから、何か訴えたそうな目を向けてきた。
特に興味もないので、本題であろう妹の方に視線を移す。
久しぶりに会ったメアリー=フォージュは、長い髪をたっぷり背に流し、相変わらずフリフリの可愛らしいドレスに身を包んでいた。
以前のわたしであれば、彼女のこの愛くるしさ華やかさを羨ましいと感じ、萎縮していただろう。
今見ると「いくらデビュタントにしても、少し幼すぎる」と感じるし、愛玩物がごとき見た目の妹に睨まれようが、静かに見つめ返すのみだ。
わたしは落ち着いた色の、あまり華美ではないドレスに身を包み、髪は上品にまとめている。
派手ではないこちらの見た目に最初勝ち誇ったような顔をしたメアリーだったが、わたしが無感動に彼女を見つめ返していると、むっとした顔になる。
「お久しぶりです、メアリー=フォージュ。わたしに何のご用でしょうか?」
「あんたを告発しに来たのよ! この大嘘つき!」
メアリーがキャンキャンとわめき立てれば、後ろで両親がうんうん頷く。その横ではトマス=クレーマンが、青い顔のまま、けれどメアリーを止めることもなければその場から去ることもできず、ただ呆然と立ち尽くしている。
ちら、と隣に視線を一瞬投げかけると、殿下がそれはもう晴れやかなニコニコ顔で見守っていた。視界の端には、ヘレンや世話になった侍女達、殿下の騎士――すっかり顔なじみになった城の人々が写る。
わたしは息を吸って吐いて、再びメアリーに向き直った。
「わたしに対して、そちら側に言い分があるのはわかりました。でもそれって、こんな風にいきなり押しかけてきて、大勢の前でわめき立てなければならないこと?」
「何よ! あんたのせいでしょ!? あんたがあることないこと吹き込んだから、あたし達はこうせざるを得ないんじゃない! しかもその言葉遣いはなんなの、お高く止まっちゃって!」
後方両親の頷きが加速する。
――本当に。わたし達は双子。同じ日に、同じ見た目で生まれてきた。それなのに、どうしてここまで違ってしまったんだろう。
フォージュ家のつまはじき。悪いのはいつも、一人だけなぜか合わせられないわたし。わたしという異物のせいでうまくいかない可哀想な家族。
(でも、わたしは出て行ったのよ。追ってきたのはあなた達。他にいくらでもやり方はあったのに、こんなに派手に騒いで、逃げ場を自分で閉ざしたのもあなた達……)
つま先程度は残っていた気がする、最後の情が消え果てた。
ここにいるのはもう、わたしの家族ではない。
――花嫁修業の課題の一つだ。
「聞きましょう。わたしは一体、何の罪を犯したの?」
「――っ。それはもちろん、王太子殿下の婚約者を名乗っていることが罪よ!」
「どうして?」
「だって……だって! あたしに来た招待状だったもん! あたしの招待状で、あんたはパーティーに行った。そしてそのまま婚約者になって、王城で贅沢三昧。ずるいずるい! 犯罪者!」
メアリーが高い声でまくし立てると、小型犬がキャンキャン吠える音に似る。
耳障りな音に、衆目が目を顰め、耳を塞ごうとする人も現れ始めた。
「そう……確かに、我がフォージュ家からはメアリー=フォージュが出席すると、招待状では想定されていた。でも、要は適齢期の独身女性なら良かったのよ。殿下のお相手を決めるためのパーティーだったのだから」
「あたしの招待状よ!」
「そうね。でもあなた、そこのトマス=クレーマンと婚約していたじゃない。忘れたの? だから“双子のいらない方”のわたしがパーティーに出ることになったのよ」
「トマスは姉さまの婚約者よ! あたしが王太子妃なのよ!」
わたしはいっそ、感心した。
子どもには無償の愛が与えられることが必要なのだと言われる。それはやがて自分への揺るぎない信頼となり、その人間を支える幹となる。
妹はやることなすこと、肯定されてきたはずだった。わたしには与えられなかった無償の愛を、彼女は受け取っていたはずだった。
でも思い返せば、それはいつも「いらない方の姉」との比較で成り立っていた、歪な承認ではなかったか。
メアリーという、ただの個人。
エリザベスではない方のメアリー。
この二つは、似ているようで全く異なるものなのだ。
(あなたが歪んだ肯定を得て、自分のなすこと何もかも全て正しいと思い込む化け物になってしまった経緯を思えば、同情はする。でも……)
いったん、その場にいるくせに部外者の顔をしているトマスに、わたしは目を向けてみる。
「サー・トマス。あなたはどうなの? わたしとは婚約できない、メアこそが運命の女性だって、あの日――わたしの成人の誕生日、言ったわね。ちなみにあなたがその後レストランでご一緒した女性と、雨の中惨めに帰った女性については、どちらも目撃証言がありましてよ」
トマスはおそらく何か言い訳をしようとしたのだろうが、わたしが先手を打って第三者の存在を出せば、たちまち息を呑んだ。言葉を失って目を白黒させるばかりの様子は、見るに堪えない。
――そう。あなたは別に、悪人ではない。誰かが傷ついたと知れば悲しい顔ができる、優しい男だ。
でも、同時に優柔不断で、目の前の人に調子のいいことを口走る癖があった。その上、自分の主張が通せない相手とみればヘラヘラ笑って、やり過ごそうとする癖もあった。
わたしはそんなあなたを立てつつ、時にそういう性質に苦言することがあった。
夫になる人なのだから、例えばいざという時、守ってほしい。守る力がないのだとしても、意思は見せてほしい。
……でもきっと、あなたはわたしにそういうことを言われるのが、本当は嫌だったのよね。自分が助言を求めたら的確に応じて、他はずっとご機嫌を取ってくれて。そういう女が妻に欲しかったのよね。
――メアリーは。
勉強嫌いで、愛くるしくて、立派な愛玩動物として育てられ、両親のような人間が何を言えば喜ぶのか本能で知っている彼女は。
あなたに都合の良い存在だったのだろう。
いっそのこと、こちらを手元に置いておいた方が心地良い、と思えるほどには。
「いかがかしら、サー。わたしとあなたは婚約破棄済み。あなたは侯爵家と伯爵家の古い約束通り、メアリーと婚約している。そうよね?」
ああ、もう、喋るどころか、わたしの目さえ見られない。
感謝するわ、トマス=クレーマン。
あなたみたいなつまらない男から、わたしを解放してくれて。
「――っ、でも! でもでもでも、でも! あたしの方が、お妃様にふさわしいわ!」
その点、メアリーのこういうところは、すごいと思う。
あなたはずっと、わたしより優れているということがアイデンティティだったから。
伯爵令息の婚約者より上の、王太子の婚約者候補という座にわたしが今在るのが、許せないのね。
「何故そう思うんだ」
と、ここでわたしではなく、横の殿下から声が上がった。
メアリーは今の今まで、文字通りわたししか視界に入っていなかったようだけど、ここでようやく自分が当事者に巻き込んだ人物の存在を認識できたらしい。
ひゅっ、と妹は息を呑んだ。
殿下の眼力はすさまじい。彼は今、比較的穏やかに微笑んでいるが、それでも素手で魔物を殴り殺せる男はやはりどこかが違う。
「申してみよ。エリザベス=フォージュより、なぜメアリー=フォージュの方が王太子妃にふさわしいと考えるのか」
「それは当然――」
くじけたかに見えた妹は、薔薇の大輪が咲き誇るような自慢の笑みを浮かべた。
「あたしの方が、美しいからよ!」




