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10.王太子妃候補エリザベスの華麗なる日常

 ひとしきり再会を喜んだ後、ヘレンは王城の侍女達と共にわたしの世話をしてくれた。


 侍女がつく上に、つまらない嫌がらせをせずちゃんと仕事をしてくれるだなんて……! 感動すると共に、当たり前のことが当たり前にこなされている意味を噛みしめてしまう。


 ヘレンが「こちらにはこちらのお作法があるようですので」と他にも大勢部屋に連れてきたときは内心おののいたのだけど、わたしはすぐ自分の立場を思い出した。


 ――王太子殿下のお妃候補。


 殿下はわたしが「侯爵家に帰るのはちょっと」と言えばすぐにこの部屋を用意し、「侍女が心配で」と言えばヘレンを連れてきてくれた。

 それなのに、既にこのようにあれこれしてもらえている身であるのに、戸惑い怯えるばかりでは、彼の見る目が疑われてしまうではないか。


 ……いやまあ、わたし自身「正気か」って、疑い続けているところはあるのだけど。

 それはそれとして、仁義の問題という奴である。

 彼がわたしに誠意を見せてくれたのであれば、わたしとて最低限のことはせねば。


「初めまして。エリザベス=フォージュと申します。本日よりしばらく、こちらでお世話になる予定です。来たばかりなので、作法に疎い部分も多々あるかと存じます。その際にはご指導ご鞭撻のほど、お願いいたします」


 新参者としての謙虚さを忘れず、けれど卑屈になりすぎず。

 わたしがそう己に言い聞かせて挨拶すれば、当初は胡乱だった侍女達の眼差しが、柔らかなものに変わる。


「こちらこそ。どうぞよろしくお願いいたします、お妃様」


 ちょっと心配そうにこちらを見守っていたヘレンが、侍女長殿がそう言った瞬間にまた目を潤ませた。

 わたしは今度は感動に釣られることなく、深呼吸してピンと背を伸ばしたのだった。



 その後、国王夫妻も交えて改めて「妃候補」の扱いについて話し合い、約束通り正式な文書が作られた。

 意外にも両陛下から反対の声は出なかった。

 国王陛下は「ようやく跡継ぎ問題が……」とほっとした顔さえしていたし、王妃陛下は「花嫁修業は過酷でしょうが、励むように」と厳しくも温かいお声をくださった。


 実際、その日からありとあらゆる訓練が始まり、わたしは情報の波に翻弄された。

 歴史や地理などの座学、弦楽の演奏や歌唱に詩吟、ダンスや乗馬、そしてマナー講座……。

 無論、家で勉強はしていたのだけど、どの科目でもことごとく力不足を突きつけられることになった。


 だけど、不思議と落ち込むことはなかった。

 初日にフラッと花嫁修業の様子を見に来た殿下に、「伸びしろしかないな」と至極前向きな声をいただいたのが、一番大きかったかもしれない。

 ダンスの最中、ステップを間違えてパートナーの足を思いっきり踏んづけた様子を見ての一声だった。さすがに基本ステップは習得していたから、殿下の視線を感じて緊張してしまっての失敗ではあったのだけど。


 結局彼はレッスン終了まで(さりげなく書類の束を捌きながらも)見学していたし、終わったら丁寧に拍手までくださった。


「そういえば舞踏会では踊り損ねたな。正式なお披露目の時には楽しみにしている」

「足を踏まぬよう善処します」


 わたしは至って真面目に言ったのだけど、殿下は目を見張った後、大笑いした。


「上手に踏むといい! 私に触れられる人間は少ないぞ」


 気がつけばわたしも釣られるように笑い、そして殿下に見つめられていた。

 あの赤い目に射すくめられると、どうすればいいのかわからなくなって、思わずさっと顔を背けてしまう。


「エリザベス、こっちを向いてごらん」


 すると殿下は命令ではなく、ずっと優しい口調で促した。もうすっかり彼の掌の上だ。


「しかし婚約者相手にずっとエリザベス、というのもなんだか風情がないな。リズと呼んでも?」

「あの……では、その、殿下のことはヴァナリーズ様とお呼びしてもよろしいのでしょうか……」

「ヴァナリーズ、でいいのか? ちなみに親しい者は私のことをヴァンと呼ぶ」


 ――トマス様、レディ=エリザベス。ああ、なんてくだらない記憶。すっかり忘れ果てていたわ。

 思えばトマス様は、わたしに何か与えることをあまりしなかった。

 だけど殿下は本当に、惜しみなくわたしにあらゆるものをくださる。


 わたしは顔が赤くなるのを感じながら、そっと小さな声で言った。


「――ヴァン」

「うん。ところでリズ。魔物肉に興味があると、以前話していたな。実はな、先日いい肉が――」


 彼がキラキラした顔で喋る魔物の話は聞いていて楽しい。聞きすぎて、二人とも次の予定があると怒られてしまったぐらいだ。



 そう、だけど、落ち込む必要などない。

 殿下にお声がけいただいた後なら、厳しい王妃陛下に不足点を指摘されても落ち込むことはなかった。

 やってこなかったのだから、できなくて当たり前なのだ。

 そして今から始めるのだから、できることが増える一方なのだ。


 なんというか、わたしは根が素直で、影響されやすいところもあるのかもしれない。

 でも、殿下の影響を受けて変化していくことは、むしろ心地良かった。


 花嫁修業を終えて婚約者の合格点をもらうという明確な目的と、そのための豊富な環境。

 ありとあらゆるプロフェッショナルにいつでもフィードバックをもらえたし、疑問に思ったことには答えてもらえた。時にはすぐに答えの出ない話題について議論できる場もあった。

 殿下同様、王城の人達は与えることで自他を伸ばす人々だった。失敗すれば一緒に改善を考えてもらえるし、成功すれば一緒に喜んでくれる。


 もちろん殿下や彼らに喜ばれることも嬉しかったけど、わたしは何より、小さく狭かった自分の世界が広がっていくのを実感できたのだ。


「お嬢様はお変わりになられました」


 一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月。

 気がつけばあっという間に季節が変わり、その間わたしはがむしゃらに与えられた課題をこなしていた。

 そしてある日、ヘレンにそんなことを言われた。


「どんな風に?」

「とても魅力的に」


 以前のわたしなら困惑か苦笑していただろう言葉に、その時はただ笑んで応じられた。

 わたしもわたしがどんどん魅力的になっていっている自覚があったからだ。


 侯爵家にいた頃との最大の違い。

 わたしはもう、婚約を破棄されることを恐れなかった。

 無論己の力不足やせっかくいただいた縁が実らないことを残念には感じるだろうけど、それが人生の全てではない確信があったからだ。

 わたしはきっと、殿下に捨てられても生きていける。

 書面があるから? それだけではない。もし王家から約束を違えられ、野に放逐されたとしても、花嫁修業で身につけたあれこれで生きていくのには困らなかろう――心から、そう思えたのだ。



「あたしこそ本物の殿下の婚約者、メアリー=フォージュよ!」


 そして、いよいよわたしが王妃様にダメ出しもされなくなり、これはいよいよ……という空気に王城がなり始めた頃。

 我が親愛なる妹が、怒鳴り込んできた。



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