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神掌湾の海原が車窓に映ったのは出発から半日後の朝十一時。西浜近辺の海岸は護岸工事が進み殺風景だが、すこし街を離れると海岸線はまだまだ手付かず。
椰子の葉葺きの集落や魚を獲る帆掛け船、真っ青な海に淡い水色のいサンゴ礁、そして目に痛いほど白い砂浜など、いかにも南国の海と言った景色が延々と続く。
そいつを眺めながら、車内販売の麦酒をやりつつ頂く料理長謹製の弁当は中々格別だった。
酢で〆た青背の魚に酢飯を詰め込みカッチカチに締め上げた、まほらま人伝統の弁当『青背魚の熟れ物』だ。
昨日のうちに食わなかったのは料理長から『絶対に、一晩はおいて食べてくださいよ。その方が間違いなく美味いですからね』と念を押されたため。
確かにそうだ、酸味がまろやかになり青背魚の締まり具合具居合も絶品になっている。
麦酒で腹が膨れる事を見越して、同乗のご夫婦にもおすそ分けしたが当然のごとく大好評。
御主人の方は「これは酒が進みますな」と上機嫌で、奥方の方は「私の郷のお祭りを思い出しますわ」と懐かし気。
で、我らがシスル姫はと言うと、当然ペロリと完食。機嫌よく半分を同乗者に振る舞う俺を恨めし気に見て「他人にやるなら自分によこせ」と言わんばかり。
凄まじい貪欲さだぜ。
夕方の五時に西浜に到着。『神掌弐号』さらに夜っぴいて神掌州の州都、神掌には二十五日の朝十一時に着く。
ここでまほらま人ご夫婦とはお別れ、丁寧に別れを述べてもらい、互いに旅の無事を祈りあう。
次に乗り込んできたのはまた夫婦者、ただし今度は二十代半ばの若夫婦。二人ともハン族で亭主は髪を七三に分け分厚い眼鏡を掛けた大人し気な男で、女房のほうはコロコロとふくよかでよく笑う朗らかな女性。その間に女房のにそっくりな三つくらいの女の子。最初は人見知りして母親の陰に隠れてこちらをジッと観察していたが、元から人懐っこい性質なのか徐々に慣れて来て、シスル相手にじゃれてくるようになった。
相手になってやったシスルの方もまんざらでは無く、変顔をしてやったり一緒に車内を探検したりとよく相手をしてやっている。
子供の扱いがあまりにも上手なので聞いてみると。
「吾は十二人兄弟の十番目だ、下に二人弟と妹が居た。小さい頃はよく面倒を見た」
これだけ聞くと、本当に田舎の普通の娘だ。
新しい同乗者だが、旦那の勤め先は『南方浮素株式会社』が持っている浮素関連技術の研究所。
祖領望海京にある望海京大学の大学院を卒業しすぐさま南方浮素に入社。最初の任地である虎走山脈北稜の浮素採掘場に向かう道中との事だ。
浮素は全球の軍事的均衡を左右する戦略兵器、飛行戦闘艦や、いまや物流や人の移動に欠かせなくなった飛行船の浮力の源になる元素だ。
その質量は水素よりもはるかに少なく、鋼鉄の箱に充満させればまるで重力が遮断されたように軽々と浮き天まで上ってしまう。
南方大陸を背骨の様に東西に延びる中央大山脈近辺が最も知られた包蔵地で、大抵は地底深くの瓦斯溜まりに超高圧の状態で閉じ込められている。
以前は、隧道工事や石油や石炭、鉱石の採掘時にたまたま瓦斯溜まりにぶつかって物凄い勢いで噴出し大惨事を起こす全くの厄介者だったが、その性質の有用性が見いだされ、効率よく採掘する方法が見つかると、一気に厄介者から最重要戦略物資に大出世したって訳だ。
この旦那も今は二等寝台の乗客だが、行く行くは一等か特等寝台でふんぞり返れるほどの高給取りになるだろう。
今の内から仲良くなっとこうかなぁ~。
しかし。
「水素や陽素は大気を構成する窒素や酸素、二酸化炭素より軽い元素ですからこれを詰めた風船は宙に浮く訳です。鋼鉄の箱である船が海に浮くのと同じ理屈です。ところが浮素は水素よりも相対的原子質量が大きいんですよ、厳密に言うと二.00九二八です。本来なら水素より高い浮力なんて産み出すはずが無いんですが、現実はご存じのとおり、鋼鉄製の飛行艦や飛行船を高度一万 米まで浮き上がらせる。物理学的にはあり得ない話ですよね。しかし浮いちゃうんです。不思議ですよね。現在学者たちは、おそらく浮素原子には質量を打ち消す、あるいは反発する力が秘められていると考えています。重力相互作用、電磁相互作用、七九二年にブリスタス王国のローウェイ博士が発見した原子核の放射性崩壊を引き起こす力、ローウェイ力、そして、今その存在が予言されている素粒子を結び付け原子核を構成する力、それに続く第五の力を持っているのではないかと、それが浮素がモノを浮かす原因では無いかとね。その力の正体を知らずに私たちはその恩恵を受けているんですが、もしその真相を突き止める事が出来れば、浮素が持つ可能性は大いに広まるんじゃないかと私は考えているのですよ。例えば・・・・・・」
と、こんな話を中等学校の物理の成績万年『不可』だった俺と、つい最近まで電気すら通って無かった田舎で暮らしてたシスル相手に延々としてくる。
おれはまぁ、社会人だからご機嫌を損ねない様に適当に相槌を打てるが、可哀想なのはシスルだ。だんだん目がうつろになり、しまいには舟をこぎ始める始末。
それでも大先生はお構いなしに浮素が秘める深遠なる謎を興奮気味にご教授下さるわけだ。
正直しんどい・・・・・・。
高々数時間同席してる俺たちですらこんな有様だ。一つ屋根でずっと暮らしてる女房はさぞかし大変だろう。
そこで旦那が小用を足しに席を外した機会にそれとなく聞いてみると。
「夫が仕事と学問にしか興味が無いと言う事はよろしいことじゃございません?他にかまけて家族を蔑ろにすることが無いと言う事ですもの、妻にとっては良い夫でございますよ」
と、答えた後愉快気にコロコロと笑う。
中々強かな嫁さんだが、こういう男ほど変な遊びを覚えたら怖いですぜ奥方。