メリダの場合5
メリダがドアを押すと、軽やかにカラン、とドアベルが鳴る。
やっぱりここは異世界だ、改めてメリダは思う。。
相も変わらず華やかな花瓶の花、香しい匂い。
そして豪奢なドレスや帽子。
そんな豪奢なドレスをよそに、店の姿見の前のトルソーには、私のレモンイエローのワンピースが負けじと飾られている。
「いらっしゃい、メリダ嬢、随分とまぁ、今日は眉間に力が入っているのね」
声をかけてきたのはアナベルではなく、アーロンだった。
「ダメよ、女の子がそんな難しそうな顔をしていたら」
優しく微笑む。
つられてメリダも微笑む。
「あ、あの、ワンピースなのですが、昨日おっしゃっていた通りの額で良かったのでしょうか…?」
あれほど気合を入れて買いに来たというのに、メリダはやはり気後れした。
お店の豪奢な雰囲気が、メリダの気分を下げさせるのだろうか。
アーロンはふんわりと笑う。
「もちろんよ、メリダ嬢。あれは、あなただけの、特別なワンピースよ」
片目をつぶりウィンクをする。
その答えに少し肩の力が抜ける。
良かった、買える。
そして。
私だけの、特別な、ワンピース。
メリダはつぶやく。
なんて、素敵な響きなんだろう。知らずに微笑んだらしい。
うっすらと頬に赤みがさす。
「うん、あなたは、難しい顔なんてしないで、笑っていたらいいのよ。
お化粧なんていらない、あなたは十分に綺麗でかわいいのだから」
アーロンの歌うような声につい苦笑する。
メリダはお世辞にも綺麗だ、可愛いといわれる顔ではないのだ。
でも、なぜだろう、アーロンに言われると、なぜか素直に聞けるのだ。
「有難うございます」
普段なら、褒められたら、何言ってるのよ、何が欲しいのー?なんて返すのに。
メリダは素直に嬉しくて微笑んだ。
「本当に笑顔がとても可愛らしいですよ、メリダ様。
もう一度試着をしましょう、昨日、あの後に少しお直しをしたんですよ。」
ニッコリと笑ってアナベルが丁寧な手つきでトルソーからワンピースを外す。
粗末な下着をさらすのは2回目だ、恥ずかしいが、仕方ない。
アナベルはメリダにも自分が偉い人間になってるのではないか、と思うような扱いをする。
一瞬、自分が本当にお嬢様なのではないか、と思ってしまうのだ。
「アナベルさんは、すごいですね」
ワンピースを着せられながら、メリダが言う。アナベルから目を見られて微笑まれた。
「何がでしょうか?メリダ様。
さぁ、あと少しですよ。ウェスト部分を少し詰めましたの。
でも、こちらはボタンで可動できますから、少し余裕が必要なときはこのボタン部分を出してください。
勿論詰めたい時はこのリボンを引っ張れば、ほら、調節可能ですよ。
少しお年を召しても、このレモンイエローならメリダ様の顔色を良く見せてくれますし、
長い間、着れるように工夫しております
そして、こちらは、あまり布で作った靴です。
こちらの靴と合わせて着てみてください、この靴は、あまりにもメリダ様が可愛らしかったから、アーロンがセットにしたいと急遽作成したものです。
お代は結構ですよ、先ほども申し上げた通り、余った布で作りましたから」
メリダが聞き返す間もなく共布で出来た黄色い可愛らしい靴を履かされ。
サイズを測ってもいいないのに、足にピッタリだ。
困惑するメリダを横目にアナベルは、さあできた、とばかりに試着室からお店の姿見の前に押し出す。
「やっぱり、素敵だわ、メリダ嬢!」
アーロンの感嘆の声が聞こえた。
メリダが恥ずかしくて俯いても、アーロンは称賛の声を止めないのだ。
「うん、私の見立ては間違いないわね。とっても可愛いわ。」
アーロンは満足そうに頷いている。
「いらっしゃいませ、メリダ様。とてもよくお似合いですよ、。
紅茶は、どうでしょうか?」
そこには、見目麗しい赤毛の男性が仕立ての良さそうなシャツにセンタープレスがきっちりと入った黒のズボンを着て銀の盆を持ち、ティーセットを運んで持ってきていたのだ。
ティーポットからは暖かそうな湯気が出ている
「あ。ありがとうございます、おねがいします。」
男性はニコリと笑うと優雅な手つきでポットからお茶を注ぐ。
透明なティーポットから見える茶葉がポットからのお湯でユラユラと揺らめく。
お湯を入れるたびに良い匂いが鼻腔をくすぐる。
一連の流れるようなきれいな動作にメリダの目が奪われる。
「それなら、着替えている間に丁度蒸し終わるわね。
今のうちに着替えて着ましょう、メリダ様」
アナベルに試着室に促され、素直に移動する。
もう少し、着ていたかったと、名残惜し気に姿見の自分をもう一度見る。
うん。鏡の中の自分に笑いかける。
不思議な気分だが、いつもの自分の仕事着に戻ってもメリダの気分は高揚したままだった。
もう手に入れるからだろうか?
それとも、自信がついたからだろうか?
それにしても。
このお店は、お店のものだけでなく、店員まで、ううん、全てが美しいのね
メリダはため息をついて思った。
銀の盆は細工が見事だった。
茶葉を蒸らすため時間を計る砂時計も、寄木細工が施されていて意匠が細かい。
茶器も、また素晴らしかった。
口を付けたら壊れそうなほど薄いカップの淵は口に寄り添うように添い、とても飲みやすい。やっぱり夢みたい。
紅茶を一口飲んで、おいしさに息を呑む。
「美味しいです、とっても。ありがとうございます。」
ニッコリ笑って礼を言う。
紅茶の横には、ショートブレッドが添えてある。
バターの味が濃厚で香ばしいショートブレッドだった。
紅茶にもよく合い、お店で食べている気分になる。
「あ、あの、私もクッキーを買って持ってきたのです、その、お礼にと思って…」
おずおずと紙袋を差し出す。
「あら、そんなの、良いのに。
メリダ嬢はお客様なのよ?
私達に気を使わなくて良いの。
あなたがすべきことは、私のドレスを着こなすこと!それだけよ。
フフフ、そうね、これは、持って帰って大切な人と一緒に食べると良いわよ、
そのワンピースを着たメリダ嬢を見たら、お相手もきっと惚れ直すこと間違いなしだわ」
メリダはそのセリフを聞いて苦笑いをする。
それは、分からないけどね。
心の中で返事をした。
紅茶をすっかり飲み干し、ショートブレッドも食べ終わると、気持ちが落ち着いてきた。
肩の力が抜ける、というのはこういう事を言うのだろうか。
「そろそろ、お暇します。
お時間を有難うございました。お支払いは…」
「こちらへどうぞ、メリダ様。
ドレス、靴代込で200ルピアになります」
「あ、あの、靴も、本当にいいのですか?
私、10ルピア、余分に持ってきているので」
「気にしないでください、メリダ様。
アーロンの、気持ちですから。ね?」
アナベルが慣れた手つきでお金を勘定する。
「200ルピア、確かに頂戴致しました。
有難うございます、メリダ様、自信をもって着こなしてくださいね、そうそう、メリダ様の素敵な笑顔も忘れずに、ですよ」
アナベルがお金を勘定し終え、ニッコリと笑う。
メリダもニッコリと笑った。
ドアに手をかけ振り向いてお辞儀をする。
「お幸せにね、メリダ嬢」
アーロンがニッコリ笑って手をヒラヒラと振った。
メリダは小さく笑ってドアを閉めた。
カラン、とドアベルが小さくなったのが聞こえた。
アーロンの店から家までは歩いて30分はかかる。
メリダの足は、スキップしているように軽やかだ。
早く、会いたい。
会って、ジェームスに抱き着きたい。
家に帰っても胸のドキドキは止まらない。
自分でも分かる。
今の自分は、きっと浮かれているんだろうと。
でも、それでもいいと思えた。
それが、メリダなのだから、と。
アーロンとアナベルのニッコリ笑った顔を思い出す。
それだけで自然と口角が上がるのが分かった。
部屋で、ワンピースに着替える。
自分の身体に添うように仕上がった綺麗なライン。
なんて幸せな気分なのだろう。
黄色い共布の靴を履く。
自分の狭い部屋で、クルリと回る。
スカートの裾がふわりと揺れる。
ベッドに座り、布地を撫でる。
気持ち良い肌さわりにうっとりすると、外から声が聞こえた。
「メリダ、メリダ!」
間違えようのない、ジェームスの声。
そして、その声は。
メリダを請うように、愛おし気に呼ぶのだ。
メリダはパッと立ち上がると急いでドアを開ける。
喜色満面のジェームスがそこにいた。
多分相対するメリダの顔も同じだろう。
「ジェームス!」
メリダが飛び上がって抱き着く。
それを受け止め、メリダを包むこむ様に抱きしめた。
「あー、メリダ、だ」
しばらく抱き合っていたら、ポツリとジェームスが呟いた。
「メリダの、匂いだ、落ち着く」
髪に顔をうずめ、ジェームスがわざとフンフン鼻息を出す。
それにメリダが噴き出す。
「なによ、ジェームス、私、そんなに臭いの?」
照れ隠しもあり、わざとつっけんどんな声を出す。
「安心する匂いだ」
そしてもう一度メリダをギュッと抱きしめるとようやく腕を緩めてメリダの顔を見た。
「久しぶり、メリダ。元気だったか?」
メリダの大好きな笑顔でジェームスが笑う。
そして、メリダをもう一度よく見て、顔を赤くする。
「その、ワンピース、すごく…似合ってる。
ひまわり、みたいだな、その服」
「ありがとう、ジェームス。
こんな所に立っていないで、部屋に入って。
何か、飲む?」
「あ、じゃ、紅茶を」
メリダはやかんを火をかけてジェームスの正面に座る。
ジェームスは落ち着けなさげに視線をさまよわす。
その後、大きな深呼吸を一つしてから、ジェームスの目がメリダの目をのぞき込む。
「メリダ、これ…」
ジェームスのポケットから無造作に出された小さな小箱には黄色いリボンがかかっている。
テーブルの上にちょこんと置かれた小箱をメリダは受け取る。
「わっ私に?ありがとう!
今開けても良いのかしら?」
「あぁ、気に入ってくれるといいのだけど。」
箱を開けると、出てきたのは四葉のクローバーをモチーフにした、銀のブローチ。
「素敵!ちょうどこのワンピースにもあうわ!
ありがとう、ジェームス、すごい可愛い!」
メリダは手に取ってブローチを胸にあてたり、自分の顔の高さにもってきてじっくり見たりして嬉しそうにしていた。
「それで、メリダ、ダニエル様からの仕事も、あと半月で終わるんだ。
ちょうど、ダニエル様の元に隣の領主の御子息様もいて、その後、そっちの牧場で働かないか、と誘われてる。
だから、メリダ。
結婚して、俺と一緒にいってくれないか?」
メリダはきょとんとしてジェームスを見た。
その言葉の意味を自分の頭でようやく理解できた時、泣きながら頷いた。
「もちろんよ、ジェームス!
隣だろうと、隣国だろうと、ジェームスの傍にいるなら、どこにだってついていくわ!」
メリダはジェームスに抱き着いた。
ジェームスも抱きしめながら、頷いた。
「ありがとう、メリダ。
ちょっと急な移動になってしまうし、メリダの両親も心配すると思うけど、俺が、絶対メリダを幸せにするから。
俺を信じてついてきてほしい。」
「うん、ジェームス。でも、半月後には移動するのかしら? 」
「あぁ、もうすぐ6月、ジプシーディだから」
「分かったわ。フフ、そういえば、今日、私、ジェームスとシャーロット様が一緒にマーケットにいるのを見かけたわ」
「?メリダもマーケットにいたのか?
声、かけてくれたら良かったのに。
シャーロット様は、今日、ジェシカ様に差し上げる花を買いにくるから、
そして、俺は、今日、メリダに、その、ブローチを買いにいく用事があって一緒に町まで降りてきたんだ。」
「そうなの。私も仕事途中だったから、声はかけれなかったのだけど。
声、かければよかったわね。」
何の気なしに言うジェームスを見て、メリダは心底安堵する。
信じていて、良かった。
変に疑わなくてよかった。
メリダはジェームスの目を見てニッコリと笑った。
「早く、結婚したいな」
ぼそり、とジェームスが呟いた。
メリダの幸せそうな笑顔を一日中見ていたい。
メリダの楽しそうな顔を見て、他愛もない話をして。
「私、結婚式はこのワンピースにこのブローチをつけようっと」
メリダは心の底からの笑顔をジェームスに見せるのだった。
きっかり半月後、町の教会で、ジェームスの両親や親族、牧童、メリダの両親、親族、友人らに囲まれて、ジェームスとメリダの結婚式を執り行った。
メリダは、勿論、レモンイエローのワンピースに、共布の靴、胸には銀の四葉のクローバーのブローチ。
その日のメリダはよく笑い、泣いた。
そんなメリダの傍でジェームスは照れ笑いをしながら、メリダを愛おしそうに眺めていた。
何年も何年もたってもメリダがとっておきの日には、レモンイエローのワンピースを着た。
そのワンピースを着てるときのメリダは幸福そうに微笑むのだ。
レモンイエローのワンピースは、痛むこともなく、メリダとジェームスの娘が着るようになった。
勿論、メリダはそのワンピースを娘に送る時に笑顔で言ったのだ。
「このワンピースを着たら、自然に笑顔になるし、絶対幸せになれるのよ」 と。