メリダの場合2
顔色一つ変えなかった自分を褒めてあげたい。
ただ、自分が思っている以上に傷ついたらしい。
メリダの足は自然に早足になる。
ウッカリすると俯きそうになる自分に喝を入れる。
姿勢をただしながら真直ぐに胸をはって歩く。
ジェームスの将来に、お前では役立たずだ、と言われたのだ。
そんなことはない、とは言えなかった。
それが悔しかったのだ。
メリダは、郵便配達の娘で当然牧場仕事とは無縁の世界だ。
ただ、メリダの母のキャサリンと、ジェームスの母親のジェーンが娘時代からの友達同士だったため両親揃って多忙なときは兄妹揃って彼らの家に預けられたのだ。
小さな時からジェームスの家で遊びながら、専門知識こそはないが、少しずつ牧畜の扱いを覚えていったのだ。
メリダ自身、自分の能力をわきまえていた。
牧場に関わったことがない人間よりかは、ほんの少しだけマシ、という知識と経験しかないことを。
それでは、自分の役割は、何だろう?
メリダは自問自答する。
ジェームスが好きだ。傍にいたい。
小さな時からいつだって自分の隣にはジェームスがいたのだ。
今更ジェームス以外の人間と結婚など考えられない。
では、ジェームスは?
彼は自分の何がよくて傍にいてくれるのだろうか?
シャーロットが、ジェームスに好意を持っているのは知っていた。
傍にいる自分のことを嫌っているのも知っていた。
彼女は毎回直接的な言い回しはしない。
言われたら、多少嫌な気持ちになるだけで、その後ジェームスに会って抱きしめてもらったらすぐに気にかけなくなる。
今回だって、直接メリダを役立たず、と言ったわけではないのだ。
ただ、彼女は事実を言っただけ、だ。
だが、その事実、彼女の父親までがジェームスに興味を持っているとなると話は別だ。
もし、ダニエルからシャーロットとの結婚を言われたら、ジェームスは断れるのだろうか。
実際、彼の将来を考えたらシャーロットとの結婚はとても良い話だろう。
彼の両親の牧場だって、ダニエルからのバックアップをもらったら、さらに発展するだろう。
自分がどうあがいても、彼女のような力はないのだ。
自分にあるのはただ、好きだという気持ちだけだ。
言いようのない不安がメリダを襲う。
この勉強期間が終わったら、結婚しようと言ってくれた。
メリダの大好きな笑顔で、メリダの目を真直ぐに見て言ってくれた。
大丈夫、私は愛されてる。
そう気持ちを強く持とうとしても。
シャーロットの牧場に働きに行ってからは頻繁に会えていない。
事実、牧場は今、とても多忙な時期だった。
羊の出産シーズンが終わると同時に牛の出産シーズンが始まる。そのため必然的にジェームスも、勿論他の牧童も忙しく、簡単には街に出てこないのだ。
毎年のことだが、今、彼がいるのは彼の両親の牧場ではなく、シャーロットのいる牧場だ。
仕事で忙しいから仕方ない、と頭では理解できても感情では納得がいかないのだ。
ジェームスに抱きしめられたい。
ジェームスの逞しい腕が恋しい。
問題ないよ、と笑ってほしい。
そうでなければ、次に会えるまで答えが出ない問題に捕らわれてしまいそうだ。
考えながら歩くメリダはウッカリ次の配達先である帽子屋を通り過ぎてしまった。
3本ほどの先の通りまで来て、初めて自分の失態に気が付いたメリダは慌てた。
こんなこと、初めてだ。
すぐに踵を返して目についたのは小さな横道。この通りを通ったら、近道だ、直感的にメリダは思った。
メリダは小さな時から親の手伝いをしている。
当然街中の道は熟知していた。
だから迷いはなかった。
…?
その通りの途中にある店の前でメリダは足を止めた。
漆黒といっていいほどに綺麗な黒い看板に金字で店名が彫ってある。
The Frock Shop…?
こんな所にお店なんてあったかしら?
窓からは花瓶にさしてあるだろうカラーの花がみえた。
自分は街中に詳しい、と思っていた。
新しいお店が出来たら、すぐにわかる、と。
なぜなら、自分は配達屋の娘だ。
郵便を間違いなく相手に届けるのが仕事だ。
だから、店の開店、移転、閉店の情報は必須だ。
知らない間にお店が出来てるなんて。
いつものメリダなら、そんなことはしない。
なのにメリダの足はお店のドアにすいつけられたように向かう。
ドアは思った以上に重かった。
カラン、と軽やかなドアベルの音が鳴る。
「…あの…?」
店内は、メリダの知っている服飾店とは違った。
色とりどりのドレスに帽子、窓辺に活けてある花はカラーだけではなく、メリダの知らない花もある。
爽やかな、それでいて甘い香りが鼻をくすぐる。
「…綺麗…」
こんな綺麗なところ、見たことがない。
領主館ですら色あせてしまうほどの華やかさ。
「いらっしゃいませ、お嬢様。何かご入用でしょうか?」
気がついたらにこやかに笑う人懐こい笑みを浮かべた女性がメリダの隣にいた。
「え、あの、いえ、すみません、お客ではなくて…その、新しいお店が出来たのかなと思って…あ、私怪しいものではありません、あの配達屋のアリストンの娘でメリダと申します」
こんな化粧気もない、しかも仕事中で普段着姿の自分が入っていいお店ではない。
それは入った瞬間に鼻をくすぐる香の匂いでもわかる。
「こんにちは、メリダ様。配達のお仕事ですか?
お時間があるようでしたら、どうぞご自由にお手に取ってご覧くださいませ。
私、アナベルと申します。以後、お見知りおきを」
アナベルと名乗った女性は素晴らしい接客技術を持っている。
彼女がお世辞抜きに好意で言っているのが分かった。
「あ、いえ、あの、でも私の場合、私が買えるようなお値段のドレスがないと思うので」
事実、パッとみた感じでもメリダが買えそうな値段のドレスは皆無だ。尻込みしながら逃げるように答えるとアナベルの後ろから、男の人の声が聞こえてきた。
「そんなことはないわよ、私の作るドレスは、全ての女性が、美しく、華麗に、そして華やかになってもらいたいがために作っているのだから。」
現れたのは細見の長身で、少しいかつい顔立ちをさらにいかつい風貌に見せる綺麗に剃り上げたスキンヘッドの男性。
見るからに仕立ての良さそうなグレーに近い銀のスーツに紺のネクタイ。チーフはネクタイと同じ紺。
フレームが細い銀縁のメガネ。
靴はピカピカに磨かれて、傷一つ見えない。
「はじめまして、メリダ嬢、私、オーナー兼デザイナーのアーロンよ。」
話す声は低いが耳に心地よい、その話し方はまるで女の人の様で、容姿と声音、話し方のギャップに、はしたないと思いつつも、ついじろじろとアーロンの顔を見てしまう。
「あなたには、こんなのが似合うと思うの」
歌うような言い方で、手に持っていた服をメリダに合わせる。
呆気にとられるメリダをよそにアナベルは心得たとばかりに等身大の鏡を持ってきた。
自分では選ばないような薄いレモンイエローのワンピース。エリは小さなラウンドカラー、貝殻素材のボタンが光によって色を変える。
「私の店はね、ドレスだけじゃないのよ」
アーロンは悪戯がばれた子供のような笑みを浮かべた。
確かにこの綿素材のシンプルなワンピースなら、もしかしたら手が出るかもしれない。
お店にディスプレイされている帽子、ドレスに比べたら華やかでも何でもない。
ただ、そのレモンイエローのワンピースは、服をあてた状態で鏡に映る自分を見た瞬間にメリダにも分かった。
この服は、私のだ、と。
「もし、良かったら試着してみないかしら?この服も、あなたに着てもらいたがっているみたいだし」
促されるままに、熱に浮かされたように試着のための小部屋に行く。
メリダは困惑した。自分自身が信じられないのだ。
なぜ、不躾にもお店に入って、しかも言われるがままに自分は試着のために歩を進めるのか。
今までで、一度でもこんなことがあっただろうか?
服は、高価だ。
そうそう買えるものではない。だから必然的に普段に使えるような服を、必要最低限購入し、繕い繕い、長く着る。
しかもこのレモンイエローのワンピースは、普段使いにしては高級で。
メリダは戸惑いつつも、自分の高揚感を止めることが出来なかった。
アナベルが手伝いのために一緒に部屋に入るのを恥ずかしく思うが、彼女にしては商品を雑に扱われたくないだろう、と思い素直に手伝ってもらうことにした。
粗末な下着姿を見られるのは恥ずかしかったが、シャツを脱ぎ、スカートをおろす。
アナベルは流れるような動きでシャツをハンガーに、スカートも綺麗にハンガーにつるす。
ワンピースのボタンを留めながら、アナベルが嬉しそうな顔で微笑む。
不思議なことに、ワンピースはメリダのために誂えたかのようにピッタリだった。
「メリダ様にぴったりですね、表の姿見のところまで行きましょう」
試着部屋から店内に戻ると笑顔のアーロンに迎え入れられた。
「私の思ったとおりね、あなた、とっても似合うわ。本当に可愛らしいお嬢さんね。」
アーロンとアナベルの満足そうな顔を見て、メリダもつい微笑む。
鏡に映る自分は、自分ではないみたい。
それこそ、どこかのお嬢様みたいだ。
気持ちが否が応でも昂る。
この服を着た私をみたら、ジェームスは何ていうかしら?
気持ちが華やいでいく。
「…本当に素敵なワンピース…
とっても素敵だけど…
でも…私には、きっと手が出ないわ…」
メリダは小さくつぶやいた。
こんな着心地の良い生地の服を着るのは生まれて初めてだ。
綿素材だから、手が出るかも、なんて思ったのは間違いだ。
この服も、きっと恐ろしく手がかかっているだろう。
値段が怖くて聞けない。
夢が覚めてしまいそうで。
でも、短時間でもこんな経験ができただけ有難いかもしれない。
こんな経験、多分2度とないのだろうから。
「そうねぇ、メリダ嬢。
私のお店の服はそう安くはないわね、確かに。
でも、この服は別よ。だって、この服はあなたに着たがられているのだから。
だから、値段のことは気にしなくて良いわよ。
あなたの手持ちの金額でいいわ。
ここまで、私の服があなたの事を気に入ってくれるなんて、ちょっと嬉しいわ。」
腕を組んでメリダを微笑みながら見つめていたアーロンがこともなげに言う。
聞いたメリダのほうが恐ろしくなるようなセリフだ。
一緒に聞いていたアナベルのほうを見ると苦笑しながらも頷いている。
「ま、待ってください、アーロンさん、私、洋服を買うようなお金、今日は持ってきていないです。
それに、こんな高価な服を頂くわけにはいきません。お金は後日持ってきますので、金額を教えてください。」
「そう?私なら、あら、ラッキーと思って持っている小銭置いて帰るけどね。分かったわ、そうね、じゃぁ、200ルピア頂こうかしらね?布代だけで、結構よ。
私の服を着て、幸せになってくれるなんて、こんな嬉しいこと、ないじゃない?
あなたが入ってきたときの顔と、今の顔、比べてあげたいくらいよ。
すごく良い顔になってるわ。」
「本当に良い笑顔ですよ、メリダ様。
大丈夫ですよ、自信をもってこの服を着こなしてください。この服を着たら自然に良い笑顔になれますし、絶対に幸せになれますよ」
アーロンもアナベルもうんうんと頷きながら話すのを、メリダは呆気に取られて見ていた。
この二人は一体何を言ってるのだろうか?
この服が200ルピア?
2000ルピアだって安いはずだ。
最初は手持ちのお金で良いと言っていたが、手持ちのお金なんて、本当に小銭しかない。たった5ギニーだ。コーヒー一杯分の値段だ。
「あぁ、そうそう。言い忘れてたわ。明日の3時までにお店に来てね。少し、あなた用にお直ししておくわ。
それと、みんなには内緒よ?こんなサービスばかりしていたら、お店、潰れちゃうしね」
そう言ってアーロンは片目をつぶってウィンクをした。
メリダは、はぁ、と頷くのがやっとだった。