イドノナカ
俺が住む場所には、井戸がある。
ずっとずっと使っている、でもきちんと水が湛えられていて、毎日育てている植物に水をあげても、なくなることはない。
素晴らしい井戸だった。
不思議なことは、たまに井戸を覗き込むと空や俺じゃないものが映り込んだりする。歌声や話し声が聞こえたりする。
それぐらいかな。
俺は長いこと、畑を耕し、植物を育てていた。
春にはじゃがいも、夏にはなすやとまと、秋はカボチャに、冬は大根が育つ。
そして暖かくなると辺りに菜の花が咲き、辺りを黄色く染めた頃にまた次の年が始まる。
いつも変わらず、何もかえず、植物を育て、野菜をとっていた。
ある春の日。井戸の水を汲んでいると、泣いているような声がした。
たまにあること。
でも、今回は井戸の中に鏡に映るように、小さい背中が見えた。
泣くのは理解できないが、そういうときは、大抵何かやると姿は消える。
その時もあまり深く考えずに何か井戸に入れてやろうと思った。
ただ、じゃがいもはみな種芋として植えてしまい、野菜は取れていない。
しかたなしに、近くの菜の花をとって、井戸の中に投げ入れてやった。
小さい背中に菜の花がぶつかる。
その背中の主はきょろきょろしながら辺りを窺い、消えていった。
翌日、今度は小さい背中は泣いていなかった。
なんだかうきうきしているようにも見える。
幼い子供のようだ。
お世辞にもきれいとは言い難い、土や垢で汚れた顔を井戸の中に向けて覗き混んでる。
今回は用意しておいたじゃがいもを井戸に投げ入れた。
ちゃぽん
じゃがいもは井戸の中に沈み、幼い子供の手に届く。
笑ったようだ。手を振り、姿が消えていった。
それからしばらくは幼子の姿を見なかった。
見るのは、雲。
煙。
そしてたまに飛行機。
しばらくたった別な日、今度は井戸のそばに鉄屑がバラバラ落ちていた。
こないだの小さい背中が投げ入れたんだろうか。
小さい鉄屑は円錐形の形をしていたが、途中溝が横に入っている。
ごみを投げ入れられたようで腹が立った。
井戸の中を見ると、煙が見える。
なんだかざわざわした心持ちで、暫く煙を見ていると、何か影とその近くを小さい早いものが翔ぶのが見えた。
影は幼子だった。
垢で汚れた顔は鼻から血が出ていた。
服も赤く汚れていた。
思わず、俺は幼子に手を伸ばす。
その時、俺の体もバランスを崩し、井戸の中に落ちていった。
着水する。
触れた幼子の体は柔らかかった。
赤い色は生きている証であってほしいと思った。
幼子は井戸の中にいた。
銃創を受けて流れる血は水に交ざり、足元にある鉄の部品でできた塊を包み込む。
やがて井戸の上から人のこえがした。
「なんだあ!P-416の停止信号が出たから見に来たら、子供じゃないか!」
幼子は井戸を見上げた。
そこには井戸の中にあった青い空が広がっていた。