タイムラインの芸術家
これでなにかが変わるはず。祈るような気持ちで男はボタンを押した。
例えば何百何千と星が瞬く夜空において、地上のどこへも光を届けられないのが彼という星である。光を放つ術を持たない彼は、周囲の才能に嫉妬し、己の愚鈍さを憎んで、日ごとくすんでいくばかりだった。
しかしそれも過去のこと。今この瞬間、彼は生まれ変わった。
鼻息荒く震える男の目には、今しがた投稿したツイートが映っている。
「【拡散希望】はじめて作った曲を公開します。感想をもらえるとうれしいです」
日毎腹の底から沸き上がる衝動を吐き出すために、男が選んだ方法は作曲だった。彼は楽器の演奏はおろか、楽譜を読むことすらできない。しかしそれこそ個性と解釈し、既存の方法論にとらわれない革新的な技法を編み出した。
それが輪ゴム奏法である。
輪ゴム奏法とは、左手の人差し指と親指に輪ゴムをひっかけて、右手の人差し指で輪ゴムを弾くことで音を出す演奏法だ。それだけでも斬新な発想だったが、彼の非凡さはそれだけに止まらない。なんと輪ゴムをかけた指を開け閉めすることで音程が変わることまで発見していた。
三十分かけて輪ゴム奏法を完全にマスターした彼は、これこそ我が道と確信し、早速手持ちのスマートフォンで演奏を動画におさめた。それを投稿したのが先のツイートである。
ツイートに添えられた動画をタップすると、創意工夫をもって作り上げた渾身の一曲が鳴り響く。その独創的な音楽性に改めてうなずき、リスナーからのレスポンスを待った。
三日経っても反応がない。そのことに焦りを隠せなかった。
そもそも再生回数が増えない。これは一体どういうことだと首を捻り、しばし黙考することである事実に気がついた。彼のツイッターアカウントにはフォロワーが一人もいなかったのだ。正確には十人ほどフォロワーはいるのだが、どれも業者と思しきアカウントばかり。
聴いてくれる人に届いていないことを察し、まずはフォロワー集めに専念する。
フォロワーを獲得するにはまず、自分からフォローすることだ。検索フォームに「音楽」と入力し、熱烈な音楽好きを自称したアカウントを片っ端からフォローしていく。1000アカウントほどフォローしたところで自分のプロフィールも更新した。
「世界で唯一の輪ゴム奏者、ニュルゲルスフのアカウントです! 音楽の素晴らしさと世界平和を輪ゴムにのせて伝えます! ニュルゲルスフとは『光』を意味する私の造語です!」
感嘆符を入れると頭が悪そうに見えるだろうか、ということでしばらく悩んだが、ここは強調することが大事だと思い直し入れることにした。これで用意は万全。
その後ぽつぽつとフォロワーが増えていき、同じく少しずつではあるが動画の再生回数も伸び始めた。
彼の明晰な頭脳は今がチャンスと判断し、撮り溜めていた動画を数分おきに投稿した。
川のせせらぎを表現するため優しく小刻みに輪ゴムを撫で、時に環境破壊の憂いを重く切ない輪ゴムの旋律にのせて、またある時は輪ゴムを激しく引き裂くことで戦争の愚かさを伝える。
それらはどれも傑作で、彼にしか成し得ない尊き芸術だった。時たまつく「いいね」こそ『光』が地上に届いた証左。今や彼は名無しの凡夫ではなく、ニュルゲルスフという名の明星になっていた。
気を良くした彼は、更なるフォロワー集めと動画投稿に精を出した。
それから数日経ち、ついに待ち望んだリプライが届いた。
「意味わかんね」
画面に映るその文字に一抹の不安を覚えたが、これは相手の感性が酷く凡庸なのだと思い至った。この芸術を理解できないことに憐憫の情すら抱いてしまう。それからすぐさま愚か者をブロックして作業を再開した。
そのうち新たなリプライがついた。
「ウケるwwwwwwwwwwwwwww]
ウケない、と彼は思った。
しかしこれは蔑みではなく、楽しんでくれた感想なのかもしれない。そう理解し、リプライに「いいね」をつけて丁寧にお礼を返信した。
作業の甲斐もあってフォロワーは三千人を超えていた。それに達成感こそ感じるものの、反応の悪さが今ひとつ気になる。動画を投稿しても「いいね」の数は全然増えず、多くても二つか三つ。リプライは今までと似たような浅いものや煽るものばかりで、感動を声高に伝えてくれる者は現れない。
そのような状況が続き、ほんの少しだけ心に影が差していた。
しばらくして事件が起きた。
まず、作品が初めてリツイートされた。驚喜した彼はリツイート主がどのような人物か気になり、ツイッターの通知欄からリンクを辿った。そのタイムラインには動画の引用と共に、この様な言葉がつづられていた。
「意味不明な輪ゴム動画を大量に投稿してる異常者見つけた。マジで気持ち悪い」
罵倒と百を超える「いいね」を見て、喜びは瞬く間に消え去り、代わりに激しい怒りが沸き上がる。彼は出来るだけ冷静になって返信した。
「これが私の芸術です。。あなた程度の人間にはわからないでしょうけど。。。」
「お前こんなクソ動画投稿してて人生楽しいの?」
「あなたnそんなことを心配されrる筋愛はありません。だいたい、、初対面の相手にお前とは失礼じゃああありませんk?」
「いきなりバグってて草」
「FF外から失礼します。厨二病クソワロタwwwwwwwwwwwwwww 失礼しました」
「煽り耐性なさすぎだろ・・・(呆れ)」
「うんこ。糞リプだけに」
「巻き込みやめーや」
「ごめんなさい」
「あなtたがた全員ブロックしましあ」
これが切っ掛けになって「真実~trus~」と題された件のツイートは今までになく拡散され、芸術を理解しない蛮人たちに他の投稿まで荒らされるようになっていた。これまでの努力が無遠慮な声に踏みにじられ、自尊心は完膚なきまで叩き潰される。
それから間もなくして、無法地帯と成り果てた己のタイムラインに見切りをつけた。
自信を失った彼は数日の間部屋に引きこもった。様々な思いが去来し、割れたスマホの液晶に涙をこぼす。そして何がいけなかったのか考えた。しかし頭の中はまとまらず、煽ってきたアカウントたちへの憎悪ばかりが膨れ上がってくる。
少しでも思考を進めようと思い、ノートに言葉を書き連ねた。やがて反省点が見えてきたものの、具体的な解決策は浮かばない。
諦めかけた彼が何の気なしに紙の上でペンを踊らせている時ふと、電撃のような直感が脳を駆け巡った。
――――もしも自分が絵を描いたら?
直感に従い胸の内を吐き出すように絵を描き上げると、その線の一本一本が荘厳な絵画へと変貌していた。その発見に興奮を禁じ得ず、鼻息を荒げて何枚もの絵を描き上げた。それらはどれも自分の心情を完璧に表現しており、一見してグロテスクながらも繊細な美に包まれている。
彼は悔いた。我が道を見誤っていたことに。
活路を見いだした彼はピクシブの会員登録フォームを開き、ニックネーム欄に光を意味する己の名前を打ち込んだ。
傍らのゴミ箱には、薄汚れた輪ゴムがいくつも棄てられていた。
はじめて書いた小説を公開します。感想をもらえるとうれしいです。