8)シユエト <会合>
シャカルという登場人物が出てきたので、この章以降、いくらか刺激的かつ残虐な描写が出てきます。ご了承下さい。
――アンボメという魔法使いがいる。例えばそのコップ。そうだ、君の目の前にあるそれ、彼女はそれを爆発物に変えることが出来る。
昨日の会合でのダンテスクの会話を、シユエトは思い出していた。
――アンボメの魔法が、我々の奥の手だ。この女性と出会うことが出来たから、我々の雇い主はこの無謀な戦闘に打って出る決意を固めた。いや、アンボメがいれば、この戦いは決して無謀ではない。
「しかし物質を爆発物に変えるなど、ありきたりな魔法ではないか。以前から流通しているコードだ。俺だってその気になれば、明日から使うことが出来るぞ」
シユエトは反論した。シユエトでもなくても、普通の魔法使いならば、同じ感想を抱くに違いない。
――彼女の場合、その威力が半端ない。私がこれまで出会った魔法使いの中でも突出している。
「ありえない話しだ」
シユエトの隣でダンテスクの声を聞いていたデボシュも、異議ありといった感じでテーブルを叩く。
「そもそも、それほど強力な魔法使いを、簡単に雇うことが出来るとは思えない。そのレベルの魔法使いならば、塔の主にでもなれる。魔法審議会だってその実力を認めるはずだ。他人の戦いに参加するはずがないではないか。それとも、その女にだけ特別な報酬が支払われるのか?」
――報酬はそれぞれ実力に見合った分だけ払う。彼女が法外の報酬を手にしたとすれば、雇い主がその実力を認めたということ。それに関して我々が口を挟むのは筋が違うはず。誤解があればいけないので言っておくが、彼女に対して特別な報酬は支払いは発生しない。
「だったらどうして、これほどの魔法使いを雇うことが出来たのだ?」
――確かに彼女の魔法の威力はとんでもない。我々の想像を超えるものがあるようだ。しかし彼女には決定的に足りないものがある。知性だ。一人では食事も出来ないような状態らしい。彼女についてはシャカルが詳しい。
そう言って、ダンテスクは一人の男を紹介した。先程からテーブルの端に座り、暗い表情で酒の入ったコップを玩んでいるだけで、こっちの会話に参加しようとしなかった男。
(こいつはシャカルというのか)
華奢で小柄な男だ。典型的な魔法使いの黒いローブをまとっている。まるで手入れされていないのか、かなり薄汚れたローブだ。
怪我をしたのかもしれない。あるいは何かの病気なのだろうか。どうやら顔が少し変形しているようであった。
片目が潰れていて、唇も上下で位置が少しだけ違う。顔の肌はぼこぼこで、決して見ていて心地良い印象はなかった。
その異常な容貌のせいもあり、シユエトはこの部屋に着いてから、ずっとこの男のことが気にかかっていた。
(陰気な男だ。亡霊のようである。いや、腐りかけた死体のほうが近いか)
それくらいに不快な印象を覚えていたのだ。
その不快な印象は、その男の醜い相貌だけが原因ではない。シャカルという男の漂わせている雰囲気そのものが、シユエトにとって不快だった。
その男は先程から訳のわからないタイミングで笑ったりしている。それも嫌味たっぷりの苦笑いである。
このようなタイプの人間に、これまで何度か会ったことがあるとシユエトは思った。一種の嗜虐主義者に違いない。首切り役人や、拷問係、魔法使いの中にもこのような種類の人間がいる。人を痛めつけるために、魔法を取得した者だ。
(こいつと一緒に戦うのであれば、この参加を取り止めたい)
なぜなら、こんな男と同じ穴の狢だと思われたくないからだ。この男の存在によって、来るべき戦いそのものが、とてもレベルの低いものに思われてきた。
(我々はとてつもなく強力な力を持った、邪悪な魔法使いを退治するために選ばれたのではないのか? それは一種の聖戦のはず。しかしこれではまるで、ドブさらいの一味に選ばれたような気分だ)
シャカルに悪い印象を抱いているのは、シユエトだけではなかった。ブランジュはそっちを見るのも嫌そうにしていた。傭兵だから数々の野卑な男と過ごしてきたであろうデボシュも、シユエトと同意見のようである。
「この顔を直視したくないのであれば、布で顔を隠してやるよ。普段はこれをつけているんでね」
シユエトたちの視線に気づいたのか、シャカルはそう言って布で出来た襤褸袋を取り出して、それをおもむろに頭から被った。
「ほらな、これであんたたちが見たくない物がは目に入らなくなっただろ?」
しかし、それで何とも言えない不愉快さは消えない。すなわち彼の顔の醜さが、その不快さの原因ではないということかもしれない。
「別に、こんな物をかぶる必要はない」
シユエトは言った。しかしシャカルは肩をすくめただけで、もはや脱ごうとしない。
――シャカル。アンボメについて彼らに教えてやってくれないか。
彼らの間に漂い始めた緊張感に気づいたのか、ダンテスクが慌てた様子で口を挟んできた。
――もしかしたら彼女の魔法が、この勝利の行方を左右するかもしれないのだ。
「アンボメ?」
この部屋にそのような少女はいない。
そもそも明日の戦いに参加する全員がここに集っているわけではなかった。アルゴという男も、ルフェーブという男もいない。
しかしアンボメという女性がこの戦いを左右する程の者であるのなら、是非、会いたかったものだとシユエトは思った。
「アンボメも来る予定だったのさ。確かにアンボメの知能は赤子のレベルだ。ゴミのような女だよ、本当に。あいつがどれだけ馬鹿かってことを教えるためにも、ここに呼んでやろうと思っていたんだけどね。しかしアンボメは今、パーフェクト・リゾナンスを探しに行ってる」
「はあ?」
完全にその男の存在を無視しようと決心していた様子のブランジュだったが、シャカルの発した奇妙な単語に思わず飛びついた。
「な、何よ、それ」
「パーフェクト・リゾナンスだよ。訳がわからないだろ? 俺も訳がわからないよ。しかしあの女は本当に訳がわからないんだ。しかも、ときおり俺の前から消える。すぐに帰ってくることもある。二、三日帰ってこないこともある。俺の躾がまだまだ足りないのかもしれない。もっとお仕置きが必要だよ。わかってるよ、ダンテスクさん。本番の戦いのときにいなくならないよう、縄で縛るか、釘で壁に打ち付けるかしておくよ。と言っても、今日がもう戦いの前日じゃないか。あいつは帰ってくるのかな」
シャカルは他人事のようにそう言って、ヒッヒッヒと笑い声を出す。
――この会合が終われば、全力で探してくれ。
「探します。でも大丈夫ですよ。近くにいる予感がする。多分、今頃どこかの乱暴な男の性器を、舐めさせられているかしてるでしょ。出来るだけ不潔な格好をさせているんだけど、アンボメは綺麗な女の部類に入る。男たちは白痴のアンボメを放っておかない」
「な、何の話しをしてるのよ・・・」
ブランジュが心の底から不快そうに言った。
「アンボメは今頃、誰かの汚いイチモツをしゃぶってるかもしれないって言ってるんだよ! おい、このくそアマ! 何だよ、さっきからその口の聞き方は! え?」
シャカルは突然、激昂し始めた。さっきまでも愛でるように玩んでいたコップを壁に放り投げて、今にもブランジュに殴りかからんばかりになった。
デボシュが慌てて間に割ってはいる。エクリパンも面倒そうに立ち上がる。シユエトも身構えた。
魔法使いは一目見ただけで、ある程度、相手のレベルを見抜くことが出来る。シャカルがどれだけの魔法使いなのか完全な判断を下せるわけではないが、自分よりは下だとシユエトは見做していた。恐れるに足らないレベル。
しかしその感情の豹変振りには、背筋をゾッとさせる何かがある。
「な、何よ、やる気? こっちだって、あなたの口の利き方が気に入らないのよ!」
突然激昂したシャカルに一瞬たじろいだようであったが、ブランジュも負けん気は強いようだ。あるいは彼女も、シャカルの魔法の力を下に見たのかもしれない。
「知るかよ、糞女! どっちが上の人間か教えてやろうか? え?」
「私が上よ。あなたの存在を一瞬で消すことが出来るわ」
――やめるんだ、ブランジュ、シャカル。君たちを争わせるために、ここに集めたわけじゃない。仲良くしろとは言わないが、醜い争いは止めてくれ。
ダンテスクの鋭い叱責の言葉に、シャカルは怒りをとりあえず鞘に納めることに決めたようだ。
しかし簡単にそれは収まらないらしく、彼はしばらく肩で息をしながらブランジュを睨み続けていた。
いや、襤褸袋を頭から被っているから、その目線が見えるわけではない。しかし依然として顔をブランジュのほうに向けたままなので、彼が睨んでいることは確かだろう。
拳を握り締めたり、力を抜いたりを繰り返してもいる。どうにかして感情をコントロールしようとしているのかもしれない。しかしシャカルにとって、それは困難なことのようだ。
どう考えても、共に戦いたくない相手だとシユエトは改めて思った。怒りっぽくて、精神が不安定で、プライドは高い。
しかも彼は魔法使いなのである。
シユエトは、シャカルをもっと挑発して、彼を怒らせ、何か取り返しのつかないことをさせて、このグループから追い出そうかと考えた。
実際、彼と戦うことになれば、誰か大きな怪我をするかもしれない。身を守るために、シャカルを殺さざるを得ないかもしれない。しかしそのような事態になったとしても、これ以上こいつと関わりたくない。
横目でブランジュという女性を見る。彼女はやる気だろう。シユエトの味方に立ってくれるのは間違いない。むしろ彼女のほうが、シャカルに対する怒りと嫌悪感は大きい。
エクリパンはよくわからない。何を考えているのか、イマイチ掴めない男だ。
しかしもう一人、デボシュという男は駄目だ。こちらの意図を受け取れずに、張り切って仲裁に入って来る可能性がある。そうなると厄介だ。誰かが大怪我を負うリスクが更に高くなる。
(それでもやるべきだ。シャカルを潰しておこう)
シユエトはそう決心しかけた。さりげなく懐の中の宝石を探り、攻撃の準備を整える。
しかしその途端、シャカルがブランジュを睨みつけるのをやめた。それどころか、彼らに向かって媚びるような笑みさえ浮かべた。その醜い口元だけ、襤褸袋から僅かに見える。
もしかしたらシユエトの意図を機敏に察したのかもしれない。今、戦いになれば到底勝ち目はないものと判断したのか。シャカルは慌てて怒りを納めたようだ。
(ならば良しとするべきか。奴は俺には歯向かえないということを態度で示したのだから)
シユエトは決断を見送った。この決断が良かったとは思えないが、戦いにならなかったことにホッとしている自分もいる。
――さっさとアンボメの話しを始めてくれ。
ダンテスクのその言葉も手伝って、更にその場の空気の流れが変わった。
「わ、わかりましたよ。アンボメについて教えましょう」
シャカルの声が上ずっている。彼はまだ心の中で怒りと格闘しているのだろう。しかし何とか平静を保った振りをして、その話しを始めた。