52)シユエト <部屋2>
「まあ、しかし俺が何者かなんてどうでもいいことじゃないか。とにかく戦いは終わった。君たちに報酬は支払われるはずだ。俺たちは勝利したんだから。そうだろ?」
エクリパンはいつもの砕けた口調で言ってくる。「だったら正直に言うけどさ。君たちが立ち去ってから、俺一人この現場に密かに戻って、塔の権利書を漁っても良かったんだ。それなら、このゴタゴタもなかった。君たちは何も知らないまま、報酬だけを受け取って終わり。ハッピーエンドさ。今は多少、後悔している。そっちを選ぶべきだったってな」
しかしそれは何だか、感じが悪いと思ってね。
エクリパンは更に続ける。「命を賭けて戦ってくれた仲間に失礼だ。だから俺は堂々と告白しているんだ。そこのところをよく理解して欲しい。そういうわけで塔の主の権利を貰う」
「この戦いはそもそも、塔の権利書を手に入れるための戦いだった。俺たちはそう理解する。問題ないだろ?」
シユエトは尋ねた。
「ああ。勝手にしてくれればいい」
「だとすると、俺たちは騙されていたということになる。悪を成敗するための、何か公的な聖戦だと、事前には言われていたんだ。しかしそれは嘘。建前。実際のところ、あの魔法使いから、塔の主の権利を横取りするための私的な戦い」
卑怯だな。シユエトはそうは思わない。
誰だって、最初から本音なんて語りはしない。どんなことにでも、裏の意味が隠れているものである。
それは当然のことだ。驚くべきことではない。怒ることでもない。シユエトだって、そうやって相手を騙したことがある。
とはいえ、自分自身が騙される立場に立たされたら、とてつもなく不愉快であることは否定出来ない。
かつてこのようなやり方で、塔の権利を手に入れた魔法使いはいたであろうか? いや、いなかったはずだ。
魔法使いを、私的な戦いを引きずりこむことは難しい。他の魔法使いと、同じ目的を共有しあうことなど不可能なのだ。
もちろん魔法使いであっても、傭兵のように金で雇うことは可能である。
しかし戦況が不利となれば、逃げ出すのが魔法使いの常識。そもそも金のため、命を賭けた戦いに参加する魔法使いなんて存在しない。
魔法使いなど信頼するに値いしないのである。普通の魔法使いは、騎士や戦士のように群れて戦ったりしない。
ましてや、塔を手に入れるための戦いに、魔法使いを参加するなんて!
魔法使いならば、誰もが塔の主になりたがるのだから、最終的に内輪揉めするのは必然。
そこのところをわきまえている魔法使いが、他の魔法使いを雇って、塔の主の権利書のために戦おうとする、そんなこと自体がありえないわけである。
しかしそのありえないことを唯一、成し遂げられる者がいるとすれば、それはガリレイかもしれない。
気前の良い、天才プログラマーのガリレイ。彼は魔法使いを満足させられるものを与えることが出来る。すなわち、新しい魔法のコードを。
「しかし塔の主になるために私的な戦い、それは少し違う。真相はもっと深いんだよな」
エクリパンがシユエトのその言葉に反論してきた。
「もっと深い?」
「ああ、しかし君たちが、それを知る必要はない」
「ここまで利用されて、知る必要がないだと?」
「また同じことを繰り返すようで悪いけれど、いずれにしろ君たちも大きな報酬を得たではないか。新しい魔法、新しい自分。それをガリレイから授けられただろ? シユエト、君はその魔法を会得して、とてつもない暗殺者となった。ブランジュ、君はまだ名声を得たわけではないようだけど、これからは違う。その魔法を上手く活用すれば、どこに行っても重宝されるはずだ。新しい人生が開けるに違いない」
「だから我慢しろと言うの?」
ブランジュは言った。しかしその口調に怒りはないようであった。
そこには何の感情も込められていない。彼女も驚きから立ち直り、新たな局面に馴れ始めてきたようだ。
「ああ、そうさ。そもそも、この戦いが公的な戦いであろうが、私的な戦いであろうが、君たちが莫大な報酬を得たことに変わりはない。さっきも言ったように、それは金銭的な報酬だけじゃない。新しい魔法という報酬。それに関して、君たちは一切騙されていない。俺はそう言ってるんだよ」
エクリパンは少しの迷いも気後れもなく、そう言い放ってくる。
「しかし人に利用されるのは不愉快なものだわ」
「わかるよ、それは」
エクリパンも素直に頷く。
「しかも俺たちはこの戦いの時間だけ、利用されたのではではない。ガリレイと出会って、奴から授けられた魔法を習得しようとし始めた時点から、奴に利用されていたと言える」
シユエトは言った。
「え? どういうこと?」
「ガリレイの生み出した魔法は個性的で、特殊だ。それゆえ、実戦で利用出来るまで、かなりの修練が必要だった際そうだったろ?」
「まあ、そうね」
「ガリレイ自身には、その魔法を習得するだけの時間も、あるいは資質もなかったに違いない。だから俺たちに気前良く、新しい魔法を授けた。俺たちはそれと知らず、この戦いのためにこの魔法を必死に習得して、実戦で利用出来るまでに修練を積んだ」
「シユエト、君はかなりの切れ者だ。この戦いではまるで役に立たなかったけど、洞察力はある。その通りだ」
エクリパンが口を挟んでくる。どうやら自分は彼に褒められたようであるが、シユエトは少しも嬉しくない。
「本来ならば、ガリレイは自分の編み出した魔法を自らで習得して、独りで、あの敵の魔法使いと相対すれば良かったんだ。少し時間が掛かるが不可能ではない。しかし彼にはそれが出来ない事情でもあるに違いない」
「ふーむ、なるほどね」
「やはりガリレイが誰なのか、気になるな」
「私も」
「誰だろうね?」
エクリパンが惚ける。
「例えばダンテスクがガリレイだったとする。彼が全ての黒幕だった。しかしそれならば、どうしてダンテスクは、エクリパンだけを信頼しているのか、それが疑問だ。本当ならば、エクリパンと俺たちには、たいした違いはないはずだ。魔法のコードを授けた相手。まるで同じ立場のはずだ。個人的な友人関係があったのかもしれない。しかしそれだけでエクリパンを全面的に信用出来るだろうか? 彼は塔の主の権利書を奪って逃げるかもしれない」
「確かにそうね」
「それなのにダンテスクは、エクリパンに現場の指揮を全て委ねている。なぜ、このようなリスクのある方法を取ったんだ? まだまだ、わからないことがある」
ダンテスクに会ってみたいな。
シユエトは何気なく、ボソリとつぶいた。
「何だって? 会わせるわけには行かない。彼はアンタッチャブルな存在さ」
エクリパンはシユエトが何気なく発した言葉に、過剰に反応してきた。「もう満足か? 俺たちは無駄な時間を過ごしている。さっさと塔の権利書を見つけるんだ」
「もしかしたらエクリパン、君がガリレイだって可能性もある」
シユエトは言った。ブランジュも頷く。もしかしたら彼女は、そっちの説のほうを支持しているのかもしれない。
「俺を買いかぶり過ぎだよ」
しばらく迷っていたようであるが、エクリパンはシユエトの言葉をはっきりと否定してきた。「ガリレイはとてつもない天才だぜ。俺なんて足元にも及ばない」
「ああ、そうだな」
エクリパンの言う通りかもしれない。ガリレイとは魔界を通して文書でやり取りしただけであるが、その知性は桁外れだった。
目の前のエクリパンにその切れ味は感じない。
しかしエクリパンの魔法が、あの敵の魔法使いを殺したのである。実質、彼だけの力だった、そう言い切ってもいいだろう。
エクリパンが魔法の使い手として優れていることは否定出来ない。
とはいえ、その事実が、むしろエクリパンがガリレイではないことを証明している気がする。
なぜならガリレイ自身にそのような実力があるのなら、これだけ多くの魔法使いを雇う必要はなかったのだから。
(本当ならば、彼だけの力で充分戦えたはずなのだ。それなのに俺たち八人を雇ったのは、ガリレイという何者かがエクリパンの力を信じてはいなかったからかもしれない。俺やブランジュ、シャカルたちと、エクリパンを横一線で評価していたということ)
だからエクリパンは違う。ガリレイではない。シユエトはそう確信した。
だとすると、やはりダンテスクがガリレイだということになる。
(ダンテスク、いったいどのような男なのだ。彼は?)
シユエトの中にそのような好奇心が芽生える。その正体を掴みたくて堪らな気持ちになる。
しかし実際のところ、シユエトはもう全てがどうでも良くなってきた。エクリパンの言うとおり、この戦いは終わったのだ。ガリレイが誰だったのかなんてもうどうでもいい。
あとは約束通り、報酬を貰うだけ。言い争ったまま別れたくない。出来れば気分良く、袂を分かち合いたい。
「わかった、塔の権利書探し、手伝ってやるよ」
シユエトはそう言いながら、エクリパンのほうに歩みを進める。
「ああ、私も」
ブランジュも少し遅れて、彼の後についてきた。彼女はどのような結論に辿り着いたのだろうか。エクリパン説? ダンテスク説? どっちなのだろうか?
(ああ、しかし本当にそんなこと、もうどうでもいいこと)
「そうか、ありがたい」
エクリパンがホッとしたように言った。「しかしシユエト、見つけても、隠したりするなよ。あんたは自分の姿を消すことが出来る魔法を使えるんだよな? 権利書を持って、コソッと逃げ出さないでくれ」
シユエトはその言葉にムッとしなかったわけではないが、エクリパンらしい冗談だと思って受け流す。実際、エクリパンは無邪気に笑っている。
(この俺の魔法の秘密だって、限られた人間しか知らないはず。ガリレイ、そしてダンテスクだけ。しかしそのトップシークレットをエクリパンは知っている。エクリパンがガリレイなのか。ダンテスクが信頼して、彼にも教えたのか)
わからない。もう考えたくもない。
(さっさと権利書を見つけて、この部屋を出て行こう。そしてガリレイやエクリパンたちとの縁を断ち切ろう。これで全て終わりにするのだ)
彼らとの出会いは、運命を変えるものだったと思う。
この結末は決して快いものではないが、その魔法を習得する以前と以後では、まるでシユエトの人生は変わった。それは認めざるを得ないことであろう。
「おい、ちょっと待てよ、お前たち」
しかし事態はそう簡単に進展しそうになかった。そのような声が、動き始めた進展を、ぐっと押し留めようとする。
その声は、怒りに満ちていて、とてもエモーショナルだった。シユエトは声のほうを見た。
さっきまでずっと黙っていた男が喋り出したようだ。
デボシュである。