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48)シユエト <魔界8>

 この魔法は予想していたよりもずっと、実戦でも効果的な魔法であった。

 暗殺相手に至近距離まで、こっそりと近づくことが可能である。

 戦闘中、不意に自分の姿を消し去って、相手を混乱に陥れることも出来る。


 その代わり、シユエトにも相手の姿が見えなくなる。

 だから目を閉じて移動する練習や、一目見た風景をパッと脳裏に焼き付けて、その記憶を想起しながら歩く訓練もした。

 視覚以外の五感を駆使して、相手を察知する能力にも磨きをかけている。

 とてつもない魔法だ。しかし当然、それを自分のモノにするためにはかなり訓練が必要であった。


 (幼少から、この魔法のための訓練を積めば、かなりの使い手になることが出来るだろう。むしろ俺は弟子を取るべきかもしれない)


 それは自らの手で、とてつもなく恐ろしい殺人鬼を育てることを意味する。本当に危険な魔法である。


 (そしてそれは同時に、魅力的な魔法だということも意味している。そのような魔法を自分のものに出来るなんて!)


 その魔法に習熟するにつれて、シユエトの魔法使いとしての価値も高まっていった。請け負った暗殺の仕事を必ずやり遂げるのだから、彼の名声が高まるのは当然だ。

 シユエトは出来るだけ、この魔法を秘密にしている。集団の戦闘には参加しないようにし、この魔法の正体を見た者の息の根必ず根を止めてきた。

 その結果、これまで無名だったシユエトという魔法使いが、何か恐るべき魔法を会得しているという噂だけが一人歩きしていった。


 「あの魔法を、自分の物にしたようだね」


 あるとき、ガリレイからそのような文書が届いた。シユエトの盛名は、どうやらガリレイのもとにも届いたようだ。

 ガリレイという名前は仮名のようであるが、シユエトは彼に本名を明かしている。シユエトの名前が評判になっていることを知れば、当然のことにあの魔法のお陰だと判るだろう。


 「もしかしたら、あなたの恩に報えることが出来たかもしれない」


 この魔法を完成させてくれたガリレイのために、シユエトはこれまで努力を重ねてきたとも言える。だからガリレイからの言葉は素直に嬉しかった。


 「いや、全てはあなたの努力の賜物。しかしもし恩を感じているのならば、いつか仕事を依頼するかもしれない。そのときは是非、お力添えを願いたい」


 「殺しの仕事ですか?」


 「そのような種類の仕事になるでしょう」


 それは意外な言葉であった。ガリレイという人物が、このような世界と関わりを持っているなんて、シユエトは考えてもいなかったことだ。

 ガリレイはコードを編み出すことにだけ喜びを覚える、研究者肌の魔法使い。それが彼の勝手なイメージだった。

 そのような人物と、殺しはイメージが結びつかない。


 「喜んでお手伝いしましょう」


 しかしガリレイには多大な恩がある。自分に出来ることがあるのならば、どんなことでもしよう。シユエトはそう思った。

 それと同時に、身の引き締まるような思いもあった。


(ガリレイの期待に応えられるために、俺はもっと腕を磨いておかなければいけない。この程度では、まだまだ満足出来ない)


 しかしガリレイからの連絡は、それを最後にぱったりと途絶えた。

 次第にシユエトの中から、ガリレイの存在も薄れて、引き締まるような緊張感も消えていった。


 とはいえ、彼は魔法の腕を磨き続けていた。一日のほとんど目を閉じて生活して、視覚以外の感覚を磨き続けた。

 音や匂い、ちょっとした気配、頬に感じる風の角度の違いにも敏感になった。やがて、多くを視覚だけに頼って生きてきた、それまでとは違う世界が現出するようになった。


 (これまでの自分が、単純な情報にだけ支配されてきたことがわかった。この世界は実は、信じられないくらいに豊かだ。この豊かさに気づくことが出来た人間はどれくらいいるのだろうか? ましてその中で魔法使いは?)


 俺は幸運だ。この若さにして、これ程に重要なことに気づくことが出来たのだから。

 シユエトはこれまで生きてきた狭い世界からはみ出して、自分が特別な領域に足を踏み入れたような自覚を感じていた。

 そこは、運命に選ばれた特別な人間だけが参入することを許された聖域。


 (もはや俺は昔の俺ではない。俺は特別な人間になったのだ)


 魔法言語の習得を終え、魔法が使えるようになったときも、シユエトはこのような興奮を覚えたものである。「俺は特別な人間になった!」と。

 しかしその興奮は一瞬しか続かなかった。

 この世の中にはとてつもない魔法使いがたくさんいることを知って、彼の自惚れはあっさりと打ち砕かれた。


 これまでの人生で、シユエトは多くの天才たちと出会ってきた。

 頭脳の切れ、魔法に対する執念、魔族との親和性、戦いにおける勘の良さ。自分の才能のはるか上を行く者が、彼の傍を悠然と通り過ぎていった。

 ようやく魔法使いになることが出来たのに、圧倒的な絶望感だけに苛まれてきた。

 この世界には、どれだけ努力しても這い上がることが出来ない壁があり、自分の力ではその壁を越えることは永遠に不可能だという諦め。

 このままでは有り触れた魔法使いで人生を終えるだろうという絶望感。


 しかしこの絶望と諦めが、豪快な音を立てて覆ろうとしているのである。


 (俺はこれまでどんな魔法使いも体験したことのない世界を生きている。俺が目を閉じると、誰も俺を見ることが出来ない。しかし同時に、誰もが俺の存在に怯える)


 俺のような特別な魔法使いこそ、塔の主になる資格があるのではないだろうか。

 いつしか、そのような想いが、シユエトの胸に去来するようになった。


 魔法の塔の主になること、それは全ての魔法使いたちの夢であり、栄光である。

 塔の主になることが出来れば、後ろ暗い殺しの仕事を請け負う必要もなくなるだろう。

 今、現在、彼の生計を支えているのは殺しの仕事である。

 この恐るべき魔法を身につけた彼にとって、暗殺は余りに容易く、人生の刺激的な何かではなくなってしまった。

 シユエトは恐るべき魔法の使い手であるが、それと同時に一介の暗殺者に過ぎないことも事実。そのような名声は彼の望むところではない。


 (暗殺者の息子などに、誇りを抱く親はいない。俺はそこから脱しなければいけない)


 シユエトは一応、貴族の端くれである。少なくとも彼の母はそのように思い込んでいる。

 とはいえ、実際のところは妾の子供に過ぎなかった。その貴族の家名を名乗ることは許されていない。

 しかし誇り高い貴族の血が流れていることを意識して生きろ、母は彼にそう教え育ててきた。シユエトもその期待に応えようと努力してきたつもりである。


 (塔の主になることが出来れば、その母の意志も実現されるはずだ。彼女は息子が得た栄光に酔い痴れることだろう)


 それだけではない。魔法使いの塔の主となれば、もはや殺しなど請け負う必要はなくなる。

 殺しだけではない。彼が誰かに雇われることすらなくなる。彼が雇い主で、支配者になるのである。


 (いや、母の評価なんて関係ない。暗殺者という汚名だってどうでもいい。塔の主になること、それは魔法を志した者ならば、誰もが夢見ること。その栄光を求めるのに理由なんてない)


 しかし魔法使いの塔はこの世界に三十いくつしか存在しなかった。

 すなわち生存している魔法使いの中の上位三十位にしか、塔の主になる権利がないということ。


 魔法の塔の主になる権利は、魔法審議会にその実力を認められることで得られる。

 審議会に認められることが出来れば、空位になった塔の主の権利を購入することが出来るのだ。


 (しかし残念ながら、魔法審議会が俺の力を認めることはないだろう)


 魔法の実力と、暗殺者としての能力はイコールではない。この凄まじい魔法を身につけたからといって、シユエトも全てを勘違いしたわけではなかった。

 シユエトの魔法の力そのものは、中の上。そのレベルだ。魔法の塔の主になることが出来るのは、上位の果てのそのまた上。


 しかし、魔法の塔の主になるには、魔法審議会に認められるだけが手段ではない。

 力ずくで奪うという選択肢も存在する。むしろそっちのほうが、ケースとして多い。


 (魔法使いの世界に規範などあってないようなもの。強い者が欲しい物を得ることの出来るのは当然)


 殺すか殺されるかの戦いになれば、勝負の行方はわからないものである。

 それはたとえ、自分よりも上位の魔法使いが相手であってもだ。習得した魔法の種類や、戦い方次第では、そのような相手でも倒すことは不可能なことではない。


 魔法の塔の主を殺すことが出来れば、その塔は自分の物になる。


(俺の魔法は、暗殺に最も効果を発揮する。もしかしたら、この俺でも塔の主になることが出来るのではないか・・・)


 最初、身の程をわきまえていない妄想だと思われたが、日を追うごとに、シユエトはその妄想に夢中になっていった。


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