43)ブランジュ <魔界6>
この遣り取りがきっかけで、ガリレイという人は更にブランジュのことを気に入ってくれたようだ。
まだ魔法使いになりたてのブランジュを相手に、様々なアドバイスをくれるようになった。
実際のところ、ガリレイという人物に、どれほどの実績があるのかはわからない。しかしこの人物の知識と知性が、驚くべきものであるということはすぐにわかった。
あらゆる魔法言語に通じていて、数学や自然の摂理にも詳しい。
その人物が見せてくれた自作のコードのエレガントさにも驚嘆させられた。まるで一編の詩歌、壮麗な宮殿の設計図のよう。
その人についていけば、自分も飛躍的に成長出来る気がしてくる。ブランジュはそんなことを思った。
「でも、新しい瞬間移動のコードのためには、どのような種類の魔法のコードを研究すべきかしら?」
ガリレイのその逆説理論とやらは、偶然を利用することで、新しい発想を得るというのが骨子。
しかし逆説理論が機能したとしても、偶然に頼るわけであるから、自分が求めている目標そのものは達成されない。
すなわち、新しい瞬間移動の魔法を開発したければ、それを研究していても不可能だということ。
では、瞬間移動の魔法が進化するかもしれない、そのようなニアミスが起きる魔法の分野とは何だろうか?
別にガリレイのその逆説理論とやらを全面的に信じたわけでもなかったが、ブランジュは彼にそのような質問をした。
「そんなものは私にもわからない。むしろ君はこれまで瞬間移動の魔法の研究を重ねてきたのだから、それに邁進し続けるべきだ。その途中、偶然生み出された副産物を捨てず、それを拾い上げることを忘れないこと、それが重要なのだ」
「でも、それじゃあ、新しい瞬間移動の魔法は生み出せないわけですよね?」
「そうだね。しかし君にはこの分野で、これまでに積み上げてきた知識があるはずだ。それを捨て去るほうが勿体ない。逆に質問するが、瞬間移動に拘るほど、それに思い入れがあるのか?」
(ないわ。何か新しいものを作ることが、それで自信になる。この世界を懸命に生きた存在証明になる。私はそれが欲しいだけ)
ブランジュはガリレイに言われた通り、これまでと同様に瞬間移動の魔法の研究を進めた。
とはいえ、それだけ彼に心酔していたからではない。むしろ、ガリレイのことを信頼していなかったからである。
確かにガリレイは素晴らしいコード書きのようである。しかし本当にその逆説理論とやらで、新しい魔法が生み出されるとは到底思えなかった。
ブランジュはその逆説理論などという偶然頼りのやり方ではなくて、これまで通りの正当な方法で、新しい瞬間移動の魔法を発明するつもりでいた。
何も期待をしていなかった。
ガリレイとの出会いが自分の人生を変えるなど想像もしていなかった。
彼女はただ、日常となった魔法の研究を淡々と進めるだけであった。
しかしガリレイの逆説理論通りのことが起きる。ブランジュはある日、まるで新しい魔法を開発してしまったのだ。
「流刑地を発明したみたい・・・」
ブランジュはその興奮そのまま、すぐさまガリレイにそのことを報告した。
「なるほど、詳しく聞かせてくれ」
「文字通りの流刑地。そこに流されると、簡単に抜け出せない場所」
魔法での瞬間移動は全て、魔界を経由する。距離という概念が存在しない魔界を一端、経由することで、現実の世界での瞬間移動を可能にするのである。
現実世界のA地点から魔界に侵入して、現実世界でのB地点に脱出するということ。それが瞬間移動の魔法の仕組み。
その瞬間移動の途中、魔法使いは魔界という異空間の中に、自分の生身の身体を完全に入り込ませる必要がある。
そのためには、自分の生身の身体を、魔界に最適化させるための命令を、魔族に発さなければいけない。
このときに魔法陣というガジェットが必要であり、いくらか面倒な手続きが必要であった。
ブランジュはそれをすっ飛ばすための研究をしていた。
「結論から言えばこういうこと。魔法陣による最適化を行なわず、強引な手続きで魔界に移動すれば、瞬間移動が出来るどころではなくて、それどころか魔界から簡単には帰って来られなくなるということ」
「なるほど、それで結果的に魔界に牢獄を作り出せるわけか。とても面白いアイデアだ。企画譲渡理論からでもわかるように、魔族はこのようなやり方で、バランスを取ることがある」
しかし最適化を行なわないで、魔界へ強引に移動するなんてこと自体が容易ではない。既存のコードでは不可能なはず。
ガリレイはそう書いて寄こしてきた。
「それが出来ちゃったんです。実際、私はその牢獄に閉じ込められていたんだから・・・」
「何だって? 既に実験したのか?」
普段はクールなガリレイの文章にも、驚きが込められていた。
「ええ、魔法陣を使わないで、強引な手続きだけで魔界に移動出来るコードは開発出来たと思う。まだまだ制約は多いし、瞬間移動としてはまるで役に立たないけれど。でもその魔法を使えば、牢獄を作り出せる」
「なるほど、まさに逆説理論通りだ。君は意図せずして、失敗から新しい魔法を編み出した」
ガリレイの言うとおり、ブランジュは生まれて初めて新しい魔法のコードを書き上げたようだ。
しかしその成果に、それほどの感動を覚えることは出来なかった。ブランジュは別に、牢獄なんて作りたくもなかったから。
「君はこの魔法を試したわけなのだろ。ということは、そこにしばらく閉じ込められていた。どうやって君は、その牢獄から出たんだ?」
一方、ガリレイのほうはその牢獄に興味津々のようで、すぐにそんな質問も書いて寄こした。
「全てのコードソースを最初から洗い直して、エラーを発見して、ようやく出口を見つけました」
「その作業にどれくらいかかった?」
「約二日」
その二日間は地獄だった。ブランジュが初めて味わう生き地獄。どれだけ助けを呼んでも、誰も呼びかけに応じてくれない。
広漠とした魔界の中で、そこに数字と文字列が虚空に浮いているだけ。
ブランジュが作成したコードに使われた数字と文字列の羅列である。遠くのほうを魔族が行き来する姿も、ときおり見かけるが、でも距離のない魔界なのだから、それだって幻のようなもの。
空腹感と喉の渇きと、ここから永遠に出ることが出来ないんじゃないかっていう恐怖で、ブランジュは気が狂いそうになった。
何とか狂気に陥らずに済んだのは、ガリレイの逆説理論を思い出したからだ。
これは失敗ではなく、新しい魔法の発明なんだって希望。ここから出ることが出来れば、いっぱしの魔法プログラマーとして認められるかもしれないという期待感。
「そのコードを作成した君ですら、それだけの時間が必要だったとすれば、普通の者なら、きっと永遠に出ることは出来ないだろう」
「ええ、そこから出られず、いつか飢えて死ぬわ」
「だろうな。君はとんでもない魔法を作ったようだ。それを改良して、他人に対しても使えるようにして欲しい。もちろん、私もその作業を手伝うつもりだ。それが完成すれば、五百ゴールドで購入したい」
「な、何ですって?」
五百ゴールドなんて、とてつもない大金だ。ガリレイはブランジュの発明に最大限の評価をくれたようだった。
「いや、私に権利を譲り売るのが嫌ならば、その魔法を携えて、ある計画に参加してくれるだけでいい。それでも五百ゴールド。その計画が成功すれば、更に五百ゴールド上乗せしよう」
「な、何をする気なの?」
「殺さなければいけない悪がいる。そのために君のその魔法が必要だ」