41)ブランジュ <魔界4>
魔法を戦いに生かし、戦場を渡り歩いて、それで日銭を稼いでいくような危険な魔法使い人生は、ブランジュには合わなかった。
(と言っても、一度も試したことないけれど)
学究肌のブランジュは書斎に籠もって、新しい魔法のコードを研究しているほうが、はるかに性に合った。
彼女は迷うことなく、そのような渡世を選択する。
しかしそれだけでは到底暮らしてはいけない。
新しいコードなど、簡単に完成するものではないし、完成したからといって、すぐにそれがお金に換わるわけでもない。明日のパンを買い求めるのも難しい。
彼女は裏町に安い部屋を借り、そこに自らの店を開店して、「殺し以外の仕事、何でも請け負います」という看板を掲げ、市民からのささやかな依頼に魔法で応えて、それで生活の糧を得ることにする。
駆け出しの魔法使いや、下級の魔法使いの多くが、こうやって糊口を凌いでいる。ブランジュもそれに倣ったのだ。
「この荷物を隣の街まで至急届けて欲しい」とか、「部屋に設えている魔法の明かりの調子が悪いので、修理してくれ」とか、そのような類の仕事が一日に数件舞い込んできた。
戦場の魔法使いに比べて、はるかに実入りは少ないが、命の危険は一切ない。
それらの依頼を淡々とこなしていけば、生きていくのに充分な収入が手に入る。
魔法使いになるのは本当に難しくて、そのために大変な努力が必要で、多くの辛苦に耐えなければいけないが、しかし一端、それを習得してしまえば、そこからは容易に大金を稼ぐことが出来るようになる。
そのせいか、魔法使いになったことで満足してしまう者も多い。
魔界が、大勢の下級魔法使いたちの暇つぶしの会合所と化しているのも、それが理由である。
彼らはそこで有益な情報交換を行う一方、退屈しのぎに、様々な噂話しを交わしてもいる。こうやって、貴重な人生を無為に過ごしていくのだ。
しかしブランジュはそのタイプになるつもりはなかった。
せっかく魔法使いになったからには、歴史に残るような大仕事を成し遂げたい。
有史に残るような伝説の魔法使いたちと、肩を並べたい。
(私は魔法のコード書きとして、歴史に残るような仕事がしたい。まだこの世界に存在していない斬新な魔法を新しく編み出したいのだ)
長い魔法使いの歴史の中には、優れたコード書きとして名を残している者たちがいる。
例えばイザクとか、ガリレイとか、ラボアジェとか、カルノーとか。
彼らが、戦場で活躍したという記録や伝説など一切ない。実際に魔法を使って何かすることは、苦手だったに違いない。
彼らが成し遂げたのは、魔法のプログラムを根本から変革するような仕事。
魔法のプログラム作成において、新たな理論を生み出したりだとか、誰もが行き詰まっていた限界を突破して、魔法コードに新たな風を吹き込んだりとか、魔法言語を更に細密に織り上げたりだとか、一見、地味に思えることであるが、魔法の歴史において大変に重要なこと。
例えば、エーテル理論を編み出したのはイザクだ。
魔法のプログラムに革新的な革命をもたらしたのはガリレイ。
ラボアジェはこれまで誰も思いつかなかった、重要な魔法のコードを数々発明した。
そしてカルノーは計画譲渡理論で、魔法のプログラムに新たな地平を築いた。
(出来ることならば、私は彼らのような魔法使いになりたい。きっと私には、そんな素質があるはず)
仕事のない時間、ブランジュはひたすら机に向かって、新しいプログラムの草稿を書き続けた。
彼女が今、作ってみたいと思っている魔法は、新しいやり方での瞬間移動法だ。
現在、魔法使いたちの間で広く流通している瞬間移動の魔法は一つだけ。
魔方陣というものを描き、今居る魔法陣から別の魔方陣に移る方法である。
その魔法が素晴らしいことは言うまでもない。馬車や船なら数ヶ月もかかる距離を、それを使えば一瞬で踏破出来るのだ。
しかし弱点がないわけではない。
最大の弱点はこれ、どこでも望むところに瞬間移動することは出来ないということ。
魔法陣が存在している場所にしか、移動することは出来ない。
移動を開始するときも、わざわざ魔法陣を描く必要があること。
どんな天才的魔法使いでも、塔を支配している上級の魔法使いであっても、まだそれらの弱点を克服してはいない。
瞬間移動の魔法は、はるか以前から存在しているが、一向に進化も改良もされていない魔法の一つであった。
エーテル理論でも、計画譲渡理論でも、今のところ、その魔法を革新させることは不可能のよう。
どこかの魔法使いが、密かにそのような魔法を編み出した痕跡も皆無である。
(だって、どこにでも行ける瞬間移動の魔法ならば、王の寝室に突然、忍び込むことも可能だということになる。その魔法一つで、世界に大変革を起こすことは間違いないのだから)
瞬間移動の魔法に革新を加えることが出来れば、後々にまで語り継がれるような魔法使いになることが出来るだろう。
ブランジュはそんな野心を抱きながら、その魔法のコードの研究に明け暮れていた。
当然、他にもその研究に従事している魔法使いはいるようである。ブランジュは魔界を通して、そんな魔法使いたちと意見の交換もしている。
魔界は、退屈した魔法使いたちの暇つぶしの会合所であると同時に、貴重な意見交換所場でもある。
毎夜、魔法使いの間で無数のテキストが遣り取りされていて、熱い議論が交わされている。
この意見交換が、魔法の発達にどれだけ貢献しているだろうか。
ブランジュがガリレイという人物に出会ったのも、魔界のそのような会合所においてである。