3)シユエト <降雨>
シールドも当然、魔法のコードによって成り立っている。
魔法のシールドを形成するためのコードは無数に存在している。これまで数多くの魔法使いたちがコードを独自に編み出してきていて、その多くが世間に広く流通している。
(これから俺たちが戦わなければいけない敵は、かなり上位の魔法使い。おそらく、その中で最も硬度が高く、複雑なコードを使っているに違いない。いや、自らプログラミングして、新たなコードを編み出した可能性だってある)
しかし、世間に全く知られていないコードで形作られているとしても、破壊されることのないシールドなど絶対に存在しない。
どれだけ優秀な魔法使いが貼ったシールドであったとしても、その強度に限界はある。
それに一つの物質に、複数のシールドを貼ることも不可能なことだ。シールドを重層的に貼りつけることは、現在の魔法理論では不可能なこと。
決して陥落しない要塞などがないのと同じで、永遠に壊れないシールドなど存在しえない。
シユエトは以上のことを考えながら、そのシールドに向かって魔法を放とうとする。きっと次の俺の攻撃で、シールドは鮮やかに四散するだろう。
しかし、そのときだった。切羽詰った様子のダンテスクの声が、耳につけたイヤーカフから聞こえてきた。
――ちょっと待て、シユエト。ゲシュタルトが変わった! 奴が何か仕掛けてくるかもしれないぞ!
シユエトは咄嗟に手を止めるが、ダンテスクの言った言葉に戸惑った。
(ゲシュタルトが変わっただって?)
しかしすぐにダンテスクの能力を思い出した。ダンテスクは彼だけが使える特殊な魔法で、他人の心の中を読むことが出来るらしい。
何やらゲシュタルトとかいう物の変化で、それを読み取ると言っていた。
相手のゲシュタルトのパターンを完璧に理解することが出来れば、先の行動も予測することも可能だとか。その魔法を使うことが出来るから、ダンテスクだけ離れた場所で、我々に指示を出しているのだ。
「な、何が起きたんだ?」
――とにかく気をつけろ。これから何か起きそうだ。
「これから何か起きそうだ、だって? 既に戦闘が始まったんだ。何も起きないわけがない。その程度のことは街の占い師でも言えるぞ!」
エクリパンが遠く離れたダンテスクに向かって毒づく。
(その通りだ、こればかりはエクリパンの意見に同意する。俺たちは既に戦場にいるのだ。何かが起きて不思議ではない)
とはいえ、シユエトはダンテスクの言葉を尊重して、しばらく様子を見守った。しかし、いつまでも待っても何も起きなかった。
結果的にダンテスクの警告は、彼らを脅かしだけ。いや、それどころか、シユエトの攻撃すら邪魔した。
「何も起こる気配がない。もう攻撃を再開しても構わないか?」
シユエトは内心の苛立ちを押さえながら、ダンテスクに尋ねた。
このゲシュタルトを読むというその能力が、どれだけの信頼出来るものなのかわからない。
それどころか、ダンテスクの性格や能力関しても、シユエトは詳しく知らない。彼と知り合って、まだ間がないのだ。
(しかしこの攻撃の全体を統御するのがダンテスクの役目。彼の指示は尊重しなければいけない)
――ああ、判断を誤ったのかもしれない、攻撃を再開してくれ。い、いや、まだ少し待ったほうが良い。また変わった。ゲシュタルトが青一色になった。頭上に気をつけろ!
次第にダンテスクの言葉に緊迫感が帯びた。その声の響きに、シユエトもさすがに緊張感を覚える。
(頭上?)
実際、ダンテスクのその言葉と共に、雨が降ってきた。
突然、沸き起こった激しい雨音の中、四人は同時に空を見上げる。
しかし空は雲一つなかった。建物に囲まれた狭い空の隙間に、あざやかな青が貼りついている。
(雨?)
「違う、雨じゃないわ!」
ブランジュが声を上げた。
「敵の魔法よ。これは攻撃だわ!」
シールドの活用法は幾つかある。敵の魔法使いのように、扉などの物質に魔法のシールドを貼って、外的の侵入を防ぐための活用法。
それだけではない。自らの肉体にシールドを貼ることも可能だ。むしろそちらのほうが一般的な使い方。
魔法使いたちは突然の攻撃に備えて、常に自らの身体に魔法のシールドをまとわせている。戦場では尚更である。シユエトたちも他ではない。
彼らがまとっているシールドに弾かれる、乾いた金属音がこだましていた。
雨がそのシールに弾かれるはずがない。そのシールが反応するのは、魔法や物理的な攻撃。
空から降り落ちていたものは、鋭く尖った鋼のようなものだった。こんなものが身体に直接触れれば、その身は裂かれ、肉が飛び散るだろう。
「慌てるな、とにかく防御に専念しろ!」
シユエトはそう言ったが、彼がわざわざ口に出すまでもなく、他の連中はそのようにしていた。彼らはそれぞれ、魔法のシールドの形成に注意を注いでいる。
むしろ、それに注意を払わなければいられないほどの強烈な攻撃だったとも言える。
(我々が相手をしなければいけないのは、とんでもない魔法使いのようだ・・・)
頭上のシールドが軋んでいる。鋼鉄よりも堅いはずの魔法のシールドが、脆いガラスのように震えている。
その事実を前にして、シユエトは激甚な恐怖を感じていることを否定することは出来なかった。
これはおそらく遠距離からの、しかも無差別攻撃。
そのような魔法で、これだけの攻撃を加えることが出来る魔法使いなんて、滅多にいるものではない。少なくともシユエトはこれまでの人生において、そのような魔法使いと遭遇したことはない。
おそらく敵の魔法使いは、自分の住んでいる建物の扉の辺りで異様な音がしたので、そこに向かって適当に攻撃を加えているだけに違いない、シユエトはそう推測する。敵がこちらの姿を視認している気配はない。
(それなのに、これだけの攻撃能力!)
魔法の刃はまだ、南国のスコールのように降り注いでいた。
エクリパンが魔法を使って扉を破壊しようとして、街路に最初の爆発音が響いて以来、街路を歩く通行人の姿はまったくなくなったが、もしそのような者がいれば、間違いなく巻き添えになっていただろう。今頃、この辺りには複数の死体が転がっていた可能性がある。
「やはり敵は邪悪にして残酷。自分に害を為すかもしれない相手には、容赦せず攻撃を加えてくる。やはりこの世界のために、殺しておく必要がある」
シユエトは仲間たちを鼓舞するために声を上げた。
敵は邪悪にして残酷、その情報はダンテスクから教えられたものである。シユエト自身はその事実をいささかも信じていない。敵が悪人であろうと、善人であろうと、仕事として暗殺を請け負うのがシユエトの仕事。
しかしどうせ殺すならば、善人よりも悪人のほうが良い。
あまりに強過ぎる敵を前にして、萎えかけている自らのモチベーションを上げるためにも、彼は敵の邪悪さへの憎悪を激しく燃やす。
「そうだ、これは正義の戦いだ!」
エクリパンも彼の呼びかけに応じた。「我々は悪を倒す。そしてこの世界の救国の英雄となろう」