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32)アルゴ <遭遇2>

 その日、偶然にもマリオンは外に往診に出ていた。急な患者が出たらしく、診察道具を持って慌しく出て行ったのだ。

 そのようなことは多くなかったが、その患者は古い友人らしい。人の傷みや生死に鈍感そうなマリオンも、その友人の様態には心配そうな面持ちであった。


 自然、アルゴは留守を任される形になった。

 診察など当然出来ない。薬を出すことも許されていない。患者がやってきても、マリオンが帰ってくるのを待ってくれとしか言えないが、留守番役でも居ないよりはマシであろう。


 ひっきりなしに患者がやってくる診療所ではない。一日で十人にも満たない日が多い。まるで患者が来ないときだってある。

 といはいえ、血だらけの急患が来たらどうしようなどと考えて、アルゴは落ち着かなかった。


 (これくらいでナーバスになっているようではいけない。俺にはもっと、ふてぶてしさが必要だな)


 アルゴはそのような自分に呆れてしまう。こんなに心配性な性格である限り、大きなことを成し遂げることは不可能だろう。

 魔法使いがここに来る予定の日、三つの満月が昇る日はまだ少し先であるが、その直前になれば、自分は呼吸も出来ないくらいになっているかもしれない。


 (やはり逃げるべきか。いや、ここで逃げたら、俺は永遠に成長することはないだろう。何が何でも踏みとどまらなければいけない。とはいえ、死んでしまえば元も子もない)


 俺はいったいどうすべきなのだろうか・・・。


 アルゴがいつもの悩みの中に陥りかけたときであった。そのとき、何の前触れもなく医院の扉が開いた。

 廊下を歩く足音も聞こえなかった。ノックもなかった。扉の開く音で、アルゴは誰かが来たことに気づく。

 扉が開き、若い男が、よろめきながら入ってきた。


 「マリオンは?」


 若い男はアルゴを見て、叱責するように声を上げた。「早くあいつを呼んでくれ」


 「い、今、彼は留守で・・・。よければここで待っていてくれたら」


 急患のようだ。外傷はないようである。しかし酷く苦しそうな顔をしていることも事実である。顔をしかめて、大きな痛みに耐えている、そのような状態。


 「留守だと? こ、こんなときに」


 「気分が悪いなら、そのベッドで休んでいてくれればいい。マリオンはすぐに帰ってくるはずだ」


 「待てない。マリオンはどこにいる? 連れて帰ってくるんだ。いや、僕があいつを迎えに行く。居場所を教えろ」


 その男は手近にあった椅子を手繰り寄せ、崩れ落ちるようにそこに座った。

 症状はかなり悪いようだ。肌の色は白いというよりも、色そのものが抜け落ちたかのようである。

 唇も紫色で、血の気が通っていない。この男が眠っていれば、死体と間違える者もいるだろう。


 しかし驚くべき程、美しい顔立ちをしていた。その青年の横顔が、窓から差し込んだ光を受けて輝いたのを見て、アルゴはその麗しさに思わず息を呑んだ。

 顔色は悪く、激しい痛みを我慢していて、その表情は苦悶に歪んでいる。

 しかしそれでも彼の整った顔立ちをまるで損なっていない。その苦しみすら、元から備わっていた彼の属性であったかのように、鮮やかに着こなしている。


 上下ともに黒で、華やかさはないが、着ている衣服はかなり上等そうだった。首元に大きな古傷があるが、それを隠そうともせず、白い胸元をあらわにしていた。

 このような美しい青年が、この裏町の診療所に現れるなど異様なことに思えた。


 指には派手な宝石がついた指輪をしている。貴族でもこのような宝石を持っているものは少ないであろう。

 しかしその宝石を見た瞬間、アルゴはその美しい男の正体に気づいた。


 魔法使いだ。


 頭に手をやり、髪を掻き毟っている。どうやら激しい頭痛に耐えているようだ。

 ただの魔法使いではない。あの魔法使いなのだ。

 標的の魔法使いが現れたのである。


 「マ、マリオンはどこにいるのか知らない。でも僕が何か薬を用意しよう、少し待っていてくれ」


 アルゴの動悸が激しくなる。恐怖と緊張感で、彼の唇と足がわなわなと震える。それを隠すために、その魔法使いに背中を向ける。

 いや、それだけでは誤魔化しきれないだろう。まずこの部屋を出て、一息つこう。そしてダンテスクに指示を請わなければいけない。


 始まったのだ。そもそもここに忍び込んだ目的。彼の任務が本格的に、そして唐突に。


 「何者だ、君は?」


 しかしアルゴから足早に部屋から出ようとすると、背後からそのような言葉が投げつけられた。

 聞こえない振りをして、そのまま部屋を出ようとしたが、その言葉はあまりに鋭すぎて、アルゴは思わず足を止めてしまった。


 「え? ああ、僕はマリオンの助手だ。彼の甥っ子で、彼のあとを継ぐためにここで働いている」


 「僕を見て、ひどく慌てたようだけど?」


 その男の声が、詰問の調子を帯びた。アルゴの何らかの動作か表情が、彼の気に障ったようだ。

 いや、アルゴはわかりやすいほどに取り乱してしいる。彼のその様子を見て、異様に思わないほうがおかしい。


 「慌てている、ぼ、僕が?」


 「ああ」


 話していることも面倒だと言いたげに、男の表情が煩わしそうに歪む。また激しい痛みの波がやってきたのか、こめかみの辺りをグッと押えた。

 しかしアルゴを見つめる視線は更に鋭さを増した。

 何か言わないわけにいかない。慌てているつもりはないと言っても、取り繕い切れないだろう。


 「だ、だってね、こうやって留守を任されたことがなかったもので。突然の急患に驚いているんだ。そ、それに」


 「それに?」


 「それに、君はなんと言えばいいのか、どこかの貴族のような身形で、とても美しくて」


 その男の美しさに魅了され、まるで処女の乙女のように取り乱してしまったのだ。

 アルゴは男の美しさに惑わされている自分を恥ずかしそうに演じる。それは普通の男にとって屈辱的なことなので、このように取り乱してしまってもおかしくないはずだ。


 いや、演技ではない。実際に彼は、その男の美しさにも恐怖を感じていた。

 真偽を探るように、男の視線がアルゴの表情の上を這う。

 それはとてつもない恐怖であると同時、不思議な快感も伴った。何か特別な存在に見られているという快感。


 アルゴの言葉を信じたのだろうか、男の鋭い視線が緩んだ。


 「クワバミの葉を持ってきてくれ」


 男が言った。


 「え? クワバミ・・・」


 鎮痛剤の一つだ。しかもかなりの劇薬。


 「わ、わかった」


 アルゴは精一杯に平静を装って頷いて、逃げるような足取りにならないよう気をつけながらゆっくりと部屋を出る。

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