28)アルゴ <指令>
彼らから爆弾少女として扱わてしまうことになるこの哀れな少女、彼女にも名前があり、親がいて、その人生がある。
名前はサリア。
彼女はこの街に住む労働者の一人娘である。
稼ぎは決して多くないが、父親は真面目で、酒に溺れたり、妻や子供を殴ったりすることなく、日々の労働に勤しんでいる。
母のほうも同様で、家計を支えるため、一生懸命働いている。
娘に充分な教育を与えることは出来ないが、出来るだけ豊かな暮らしを送らせてあげようと、両親は一人娘のサリアを存分に可愛がっていたのだ。
彼女が爆弾少女に選ばれてしまったのは偶然でしかない。
偶然と、両親のたくさんの愛情を受け、人を疑うことを知らずに育った、その素直で人懐っこい性格のせい。
サリアを見つけたのはアルゴであった。
アルゴ、敵の魔法使いからの最初の攻撃で死んでしまった牡牛班の一人だ。
アルゴはこの戦闘が始まる数ヶ月前から、敵の魔法使いが住むその街を歩き回り、爆弾少女にうってつけの女の子を求めていた。
彼は路上の角にある井戸で水汲みをしているサリアを見て、すぐに気に入った。
彼女こそ、ダンテスクが望んでいる人材だと確信した。
「やあ、お母さんのお手伝いかな?」
アルゴはどちらかといえば、このような幼い子供と話すのは苦手だった。
子供が相手だからといって、口調を変えるのが出来ないタイプなのだ。しかし彼は一生懸命に愛想良く振舞う。
「こんなに重い物を一人で持って、偉いね」
しかしその女の子は、彼の緊張を溶かすような笑顔を向けてきた。
「そうだよ、パパもママもお仕事だから」
「ふーん、そうかい」
(やはり、この子が最も適当なのではないか)
アルゴは昨日も、一昨日もこの井戸に来て、様子を眺めていた。この女の子は連日、一人で井戸に来て、何度も家と井戸を往復しているようだ。
きっと明日も明後日も、ここに来るのであろう。すなわち、誰にも見られずに、この女の子に話し掛けるチャンスが何度もあるというわけだ。
しかし心に引っ掛かるものがあった。何が心に引っ掛かるのか、彼はすぐに気づくことが出来なかったが。
――この子にしよう。
そのとき、ダンテスクからそのようなメッセージが来た。
アルゴは貝の形のイヤーカフをつけている。魔法の道具だ。それをつけていれば、遠く離れた魔法使いとも会話が可能なのである。
「俺もちょうど、そのように考えていたところだ」
――意見が合って良かった。彼女はとても綺麗な色のゲシュタルトをしている。この子の澄んだゲシュタルトを見ているだけで、心が洗われるようだ。両親もきっと、優しい心根の持ち主だろう。
「お、おい、ちょっと待ってくれよ、ダンテスク。そんなこと言うの、止めてくれないか」
(この子が死んだのを知ったとき、その心根の優しい両親はどれだけ悲しむであろうか・・・。それを想像するとやってられない)
この子を獲物にしようと検討したとき、心に去来した引っ掛かりは、それだということにアルゴは気づいた。
――罪の意識を抱くことはないぞ、アルゴ。どれだけ醜いゲシュタルトをしている子供であっても、死んでいいことにならない。どれだけ性格が良くても、長生きできるわけではない。全ては偶然だ。運命だ、この子にしよう。
(ダンテスクは経験豊かな魔法使いなのだろう。これまでに数多くの戦地を渡り歩き、多くの人間を殺してきたに違いない。この一つの殺しくらいで、彼の心が曇ることはないのかもしれない)
アルゴルはダンテスクという男のことを何も知らない。彼が知っているのは、ダンテスクの恐ろしい魔法の一端だけだ。
彼は人の心の中を覗き込めるだけでなく、それを遠くから操ることも出来るという。
もしかしたらアルゴの心の中にも入り込んで、いつでも彼の心を自由に操ることが出来るのかもしれない。
(いや、間違いない。彼はいつでもそれが出来る)
ダンテスクとアルゴを引き合わせたのは、彼らの雇い主であった。その雇い主のこともよく知らないアルゴであるが、近々この街で大きな殺しの仕事があり、彼はそれに参加するために雇われたのである。
それは彼のような駆け出しの魔法使いに、まるで見合わない大きな仕事の依頼であった。
(何やら、とてつもない邪悪な魔法使いを殺すらしいのだ)
それ程に大きな仕事なのに、アルゴのような未熟な魔法使いが雇われたのは、彼がこの街で長年暮らしてきて、この街のことを知り尽くしているからに違いなかった。
彼らはその邪悪な魔法使いを殺すため、様々な作戦を計画しているようである。
その作戦の一つが、爆弾を持った少女を、その敵の魔法使いの許に遣わすこと。
そしてアルゴが最初に言いつけられた仕事が、その爆弾を運ぶにうってつけの女の子を探し出すことであった。
その最初の仕事をやり遂げつつあるアルゴであったが、しかし彼にはまるで充実感はなかった。むしろ憂鬱な気持ちのほうが、彼の心に重く圧し掛かっていた。
――ダンテスク、やっぱり辞めよう。他の子にしよう。この街には、大切に扱われていない子供は多い。突然、子供がいなくなっても、口減らしになったと喜ぶような親の子供だ。孤児だっている。
――駄目だ。この女の子が持っている、人懐っこさはとても魅力的だ。それは相手の魔法使いの心を動かすことが出来るに違いない。その人懐っこさは親たちに愛されていることに由来しているはず。そこに、この作戦の成否がかかっていると言っていい。
(俺はまだ、君みたいに割り切れない。しかしそのようなことを言えば、若造だと笑われるに違いない)
いや、ダンテスクは既に俺の心を覗いていて、彼の躊躇を笑っているかもしれないな。
(これ以上、愚図っていると、この仕事から外されてしまいかねない。最初の仕事でしくじりたくない。こんなことではろくな魔法使いになれないだろう)
――わかった。やるよ。
アルゴは決心した。
――君が彼女を選んだわけではない。俺が選んだのだ。もっと言えば、運命が選んだのだ。
――あ、ああ。
(ダンテスクは冷酷だ。魔法使いらしい魔法使いと言える。このような性格の者が魔法使いに相応しいに違いない)
そう思うと同時に、アルゴはこうも考えた。
(いや、しかしダンテスクが罪の意識を抱かないのは、ただ単にこの女の子と直接会っていないからだけではないのか? きっと彼だって、この女の子の瞳を覗き込めば、このような冷酷なことは言えないはずだが)
ダンテスクもその女の子を、見てはいるようだ。しかし会ってはいない。
アゴルの耳につけている貝の形のイヤーカフ。ダンテスクはそのイヤーカフを通じて、この場の気配や状況などを察知することが出来るらしい。
それもダンテスクの特殊な魔法の能力。いわばアルゴは、ダンテスクの目と耳を、自分の身体に装着してやっているようなものなのである。
(しかしダンテスクが見ているのは、抽象化された形と、色で出来たものにしか過ぎないらしい。この女の子の生身の実体を見てはいない。だから残酷になれるのだ)
アルゴはそんなことを思って、冷酷になり切れない自分を慰める。
――キーワードは九月の雨は冷たい。その言葉を何度もこの女の子に復唱させて欲しい。
ダンテスクの声が響いてきた。その声には、アルゴに意義申し立てをさせないだけの迫力が籠もっていた。
やはりダンテスクは、アルゴの心の中を読み取り、その躊躇を察知していて、それに苛立っているに違いない。
――わ、わかった。それだけでいいのか?
アルゴは半ば、ダンテスクに脅されるようにして、そう返事した。
――そのキーワードの言葉を、彼女が復唱すればするほど、彼女は俺たちの命令に服したことになる。すると、彼女のゲシュタルトの明晰の度合いが増す。彼女の心をコントロールすることが容易になるのさ。
(彼女のコントロール。それがダンテスクの魔法の能力の最終的な恐ろしさである。ただ、相手の心の中を読んだりするだけではない。知らない間に操られていたりするのだ。俺が彼の指示に従っているのだって、その魔法を使われているせいかもしれない)
――最低でも三日間連続だ。彼女にその言葉を言わしてくれ。
――了解した。
――そして最後に、お父さんとお母さん、どっちが好きか質問してくれ。すると彼女はこう答えるはずだ。「そのような質問に答えるくらいならば、死んだほうがマシだ」と。そのとき、彼女の心が完全に支配出来たと思ってくれればいい。爆弾少女の完成の瞬間だよ。その答えが返ってくるまで続けて欲しい。