27)ダンテスク <戦闘6>
爆弾少女は特に目立った音を立てることなく、静かな気配と共にその部屋に現れた、ようだ。
開いたままの扉を通って、ブランジュの横を通り、エクリパンの傍をすり抜け、敵の魔法使いに向かって近づいていく、ようだ。
爆弾少女、見た目は普通の女の子である。少しも異様な風体をしていない。
飛びぬけて可憐なわけでもなく、生贄として死んでも惜しくないほど、醜いわけでもない。
とはいえ重要なのは、爆弾少女の個性ではない。
爆弾少女の設定である。ダンテスクは彼女の心を操り、偽の記憶を植えつけている。
それはこのような感じ。この魔法使いの部屋の隣に住んでいる少女。普段から部屋を行き来する仲。
彼女はこの魔法使いを、気心の知れた友人だと思い込んでいるのだ。
そして更に重要なのが、その手に握った人形。毛糸で編まれた人の形をした人形である。
人形としてのクオリティは低いが、それも重要なことではない。それが実は爆弾であるということが重要なのだ。
その人形が、敵の魔法使いの手に渡った瞬間、彼は死ぬ。すなわちこれが作戦Dである。
しかし突然、戦闘の真っ只中、部屋の中に入り込んできた少女を見て、多くの者が驚いているようだ。
シユエト、ブランジュ、デボシュ、この作戦Dのことを知らない者は、呆気に取られて少女の姿を見ている。そしておそらく敵の魔法使いも。
「お兄ちゃん!」
爆弾少女が敵の魔法使いに向かってそう呼び掛けた、ようだ。
人懐っこさをいっぱいに湛えた笑みで、魔法使いのほうに向かっていく。
しかし一瞬、彼女は不安そうな表情を浮かべる。その部屋にたくさんの大人たちが居たからである。しかも誰もが何がしかの武器を持ち、物騒な雰囲気を湛えている。
少女は普段の快活さを失ってしまったようだ。
とはいえ、むしろその事実が彼女に不安をもたらし、更にその魔法使いの許に駆け寄りたいという感情を沸き上がらせる。
その様子をダンテスクは直接見ることは出来ない。
しかし彼の魔法の力で、実際に目にしているかのように、強く感じることが出来る。
その新たな生命体が、八人の人物が居る部屋に加わった気配。
とても若々しい熱い体温。その熱い体温が、冷たい体温の持ち主に近づいていく。
(行け、もっと早く。歩くな、走れ! 奴に考える隙を与えるな)
敵の魔法使いは戸惑っている、ようだ。奴のゲシュタルトは積極的な反応を示していない。すなわち、この作戦が今のところ成功しているという証し。
しかし敵の魔法使いに向かって順調に歩みを進めていた少女が、シャカルの姿を目にした途端、ぴたりと立ち止まってしまった、ようだ。
シャカル、その容貌のあまりの醜さを隠すために、目と口の位置に穴が開いている襤褸袋を頭に被っている。
崩れた素顔を隠すためだとはいえ、子供でなくてもギョッとさせられる格好だ。
――完全に立ち止まってしまったようだな。
「ああ、そのようだ。どうなっているんだ?」
シャカルが押し殺した声で返事を返してきた。彼は自分の異様な風体のせいで、少女が立ち止まってしまったことに気づいていないようだ。
爆弾少女の爆弾を爆発させるのは、シャカルの役割だった。
爆弾少女が手にしている人形を、敵の魔法使いに手渡した瞬間、もっと言えば、その人形が、敵の魔法使いの身体のどこかに触れた瞬間、そのときにスイッチを押す必要がある。
身体に触れた時点、すなわち敵のシールドに、直接爆発物が触れているという状態。
そのときアンボメのその魔法が爆発すれば、どんなに厚いシールドでも打ち砕くはずなのだ。
それは先程、窓に貼られていたシールドを一撃で破壊したときに証明されている。
逆に言えば、そのとき少しでも隙間があれば、威力は激変してしまうらしい。
アンボメの魔法の威力は凄まじいものがあるが、敵の魔法使いのシールドもかなりの代物。
敵の魔法使いの身体に触れたタイミングで魔法を作動させなければ、それを破壊することは出来ないだろう。
シャカルはその人形が、敵の魔法使いの手に渡る瞬間を今か今かと待ち侘びている。
「ガキが身動きしなくなった。ダンテスク、どうすればいい?」
――その少女の心を操ってみる。敵の魔法使いに駆け寄れという信号だ。
シャカルの姿を見て、恐怖のあまり立ち止まってしまったようであるが、彼女の心にそれ以上の恐怖、心細さを送る。思わずその魔法使いに助けを求めて駆け寄るたくなるような不安を。
その女の子はシャカルから、黒い色系統の恐怖を感じているようである。
ならば、別の色、青い色の系統の恐怖、不安に近い恐怖、それを送ろう。
晴れた冬の青空を写した氷のように青い色。
ダンテスクはその色を頭の中に出来るだけ明確に浮かべ、器に流し込むようにして、それを少女の心の中に送り込む。
その作業には少しばかり時間はかかる。一瞬で相手の感情を変えるようなことは出来ない。
敵の魔法使いと相対しているダンテスクの仲間たちが、じれったそうにその少女を見守っている、ようだ。
――少し待ってくれ。しかしまた少女は歩き出す。
ダンテスクの狙い通り、効果が現れてきた、ようだ。
やがて少女はぎゅっと肩を上げ、またゆっくりと敵の魔法使いのほうに向かって歩き始めた、ようだ。
(俺は万能ではないのか?)
ダンテスクはときおり、自分を勘違いしてしまいそうになる。
(この俺こそ、これまで数多現れた魔法使いの中で最高の魔法使いだ。なぜって、人の心を読み、そしてそれを自由に操ることが出来るのだから。そのような魔法使いが今まで、どれくらい存在したであろうか)
人の心を読み、それを操ることの出来る魔法。ダンテスクは人の心という、本来ならばとてつもなく複雑で入り組んだものを、「ゲシュタルト」で捉える。
ゲシュタルト、すなわち形態。
汗の量、表情の変化、呼吸の乱れ、その他様々な表面的変化を形態化して、そのわずかな変化を読み取ることで、その人物の感情の動きを把握することが出来るのである。
その形態には、色もついている。その色を塗り変えれば、複雑な操作は出来ないが、簡単に、それでいて強引に、他人の心を操ることが出来る。
この魔法を使うことが出来るのは、この世界でダンテスクだけのはず。
この魔法が広く知れ渡るようになれば、他の魔法使いたちによって予防策が考え出されることは間違いないが、しかしまだそのような気配はない。
敵の魔法使いは、かなり優秀な魔法使いというだけでなく、戦闘の経験も豊富のようだ。
それなのにダンテスクのこの魔法に対しては、まるで無防備である。
このような魔法が存在していることを知らないからだ。
(この戦いに勝てるわけがないと、戦闘が始まる前から弱気な表情を見せる者が多かったようであるが、俺には自信がある。なぜなら俺は既に、奴の頭のなかに何度も入り込んでいるからだ。そこはもはや住み慣れた我が家のようだ。どの通路に凹みがなり、どの壁に傷があるか知っている。それくらい馴染み深いところになっている)
この魔法使い、確かに優秀で、頭が切れる。魔族との親和性も高い。
しかしそれと同時に、性格はかなり不安定で、脆いところもある。弱点が多いのだ。
(決して勝てない相手ではないぞ)
この魔法と出会うまで、ダンテスクは自分の能力をもて余していた。
自由でいながら、とてつもなく不自由な人生。その人生において、自分は何をなすべきか見つけることが出来なかった。
魔法使いとしてのレベルは、上級クラスだと自負している。第三者にそのように判断を下されたわけでないが、彼には絶対的な自信がある。
敵の魔法使いと、アンボメを除けば、この中で自分はトップクラスだろう。
ダンテスクもまた、これまでの人生において、大きな代償を払ってきたのだ。
(敵の魔法使いやアンボメが、どれだけの悲しみを背負い、どれほどの瑕に苦しんでいるのか知らないが、奴らが俺のこの苦しみに耐えられるとは到底思えない。俺のほうにこそ、その資格がある)
だからダンテスクはこの戦いに必ず勝利すると確信している。