25)シャカル <悪夢3>
老婆とアンボメという少女の折り合いが悪いことは、シャカルも知っていた。
老婆は少女を金づるとしてしか見ていない。一方の少女も、老婆の魔法の知識では物足りなくなってきて、あからさまに軽んじ始めていた。
プライドが高い老婆がそれを許すはずもない。
性格の悪さでいえば、老婆だって相当なものだ。強欲で厚かましくて、残虐で、慈悲の欠片もない女。年を取るにつれて、更にその傾向が大きくなっている。
遂に少女の態度が腹に据えかねたのか、それとも少女が自分の許を去ろうとするのを契機に、それを実行しようと待っていたのか、老婆は少女への復讐を開始した。
老婆は、少女を街中の男の慰めものにすることにしたようなのだ。知り合いの娼家の屋根裏を借り、そこに少女を閉じ込めて、裸にした。そして男たちを呼び寄せる。
仕事のために街を出ていたシャカルは、そのような大事件が起きていることなど知らなかった。街に帰り、老婆の家を訪れると、少女の姿がどこにも見当たらない。
「あの子、どこに行ったんだ?」
すると、老婆はシャカルに娼家の名前を告げた。「あの娘はそこで暮らしてるよ」
「何だって? あの女を売ったのか?」
「そうさ。もういらなくなったからね」
老婆は本当に満ち足りた表情をしていた。少女に復讐を果たすことが出来て、最高の気分だったのであろう。
老婆にこれだけの幸せを与えられるくらい、少女は憎まれていたようである。そこまでの恨みを買うほど、あの少女はこの老婆を馬鹿にし続けていたのか。
「自分の分際を思い知ったみたいね、あの牝豚は! 殺しても面白くない。あの娘は生き地獄を味わっているわ」
(糞ババァめ!)
そんなところに売り払うくらいなら、俺に売ってくれれば良かったのに! 俺だって相当の生き地獄を与えることが出来たんだ。
シャカルはすぐにその娼家に急いだ。娼家の女将にアンボメの名を告げると、彼女がいることを認めた。
「でも今日は帰ったほうが良い。朝から暴れて手がつけられないのよ」
女将が言った。
「何だって?」
「ここに来てから、ずっと大人しかったのにね。どうやら我に返ったみたいだわ。自分の境遇が理解出来るようになったみたい」
「とにかく会わせてくれよ」
「面倒ごとはご免だよ」
シャカルはいくばくかの金を女将に渡す。渋々だが、女将はシャカルを部屋に通してくれた。ああ、これでまた素寒貧だ。
三階の隅の部屋だった。アンボメはベッドの上で、両手両足を鎖で縛り付けられていた。
薄汚い服を着て、髪もぼさぼさである。激しく暴れるので、スカートの裾が乱れ、白い太股があらわになっている。
甲高い声でこの世を呪う言葉をわめき散らしているが、猿轡をされているので、その声はくぐもっていて、何を言っているのかよくわからない。
「いい気味だぜ、糞女め」
普通の人間の感性ならば、この地獄のような光景から目を背けたくなるだろうが、呪われた人間であるシャカルにとっては、悪くない眺めである。
シャカルはアンボメの身体の上に跨り、その柔らかい腹の上に容赦なく体重をかけて座った。
「おい、俺を見ろ! シャカルだ。俺はお前が大嫌いだよ」
しかしアンボメの意識はどこか遠くを彷徨っているようで、シャカルの姿が視界に入っているかに見えて、実際はまるで別の世界を見ているようだった。
「おい、こっちを見ろよ!」
シャカルは何の躊躇もなく、アンボメの右頬を思い切り殴りつけた。
鈍い音がした。アンボメの目がパチパチと瞬き、目が合った。ようやくアンボメがシャカルに気づいたようだ。
するとアンボメが笑い出した。泣いているのかと思ったが、彼女は腹の底から笑っている。
(何だよ、こいつ)
狂った女を痛めつけても面白くない。老婆への怒りが湧き上がってくる。せっかくの獲物を傷モノにしやがって。
「会いたかったわ、あんたみたいな人に」
しかし彼女が言った。
「何だって?」
心臓に直接キスされたような衝撃だった。とても哀しそうで、その眼差しは透明で、アンボメはシャカルを誘惑するように見上げてくる。
「な、何だって? 今、何て言ったんだ? 糞豚、牝豚め」
聞き取れないから、シャカルは彼女の猿轡を取る。
「パーフェクト・リゾナンス」
「な、何だよ、それ?」
「あなたのことよ。私の力を貸すから、一緒に世界を滅ぼして」
(何言ってるんだ、この気狂い女は)
ムカつくから、シャカルは殴る。少女は痛そうな表情を少しも見せずに、逆にキャハハと笑い出す。
「時間がないわ。早くこの鎖を取って。朝になれば、私の意識は消えてしまう。次に目覚めるのは、生理が始まる寸前」
「へえ・・・」
「水晶玉を持ってるでしょ? そこに私のガルディアンを映すわ。それを見たら、私の言っている言葉が理解出来るはず。私は世界を滅ぼすことが出来る。それはあなたの願いでもあるでしょ?」
(俺は別にそんなことは望んじゃいないが)
シャカルは、ただ自分の欲望を満足させることが出来れば充分だ。それが彼にとっての、世界への復讐だったからだ。
しかし自信満々なアンボメの態度に、何か惹かれるものがあった。シャカルも下級レベルとはいえ、魔法使いの端くれだ。小さなサイズではあるが、水晶玉を携帯している。彼はそれを懐から取り出した。
「水晶玉だ。さあ、さっさと呼び出せよ、ここに」
シャカルはアンボメの目の前にそれを突きつける。そしてポケットから屑石を取り出す。これが本当に彼の最後の財産。
アンボメが魔法の言葉を唱えた。屑石が砕け、そして水晶玉が光り始める。それは見ていられないくらいに強烈で、異様なほどに青白い光だった。
「な、何だよ、これ・・・」
シャカルはそれを前にして、言葉を失う。
感受性もない。ほとんど恐怖なんて感じない。そんなシャカルが恐くて震えた。
すぐにその水晶玉を放り出して、逃げたくなった。まるで生きた心地がしなかったのだ。しかし凄まじいまでの恐怖が、彼を凍りつかせて、逆に彼の動きを奪う。
アンボメの言うとおり、それはとてつもない魔族だった。
「ねえ、お願い、私の望みを叶えて。あんた、名前は何だっけ?」
「え?」
シャ、シャカルだけど。
「ねえ、シャカル、お願い」
一瞬、シャカルの顔が子供のように心細げに震える。