23)デボシュ <戦闘5>
ルフェーブが負けた。
デボシュは激しく首を振って、その事実から目を逸らそうとしているが、しつこいハエのように彼の視界を飛び回り続けている。
敵の魔法使いがどのような魔法を使ったのかわからないが、ルフェーブの突進は止められ、彼は身動き一つ出来なくなってしまっている。
少なくともそれは事実。だとするならば、その事実を受け止めなければいけないのかもしれない。
地震でも起きているように、辺りの空気が妙に振動していた。デボシュの身体がふわりと浮き上がりそうになったり、逆に深く沈み込みそうになったりで、まるで波に揺られているかのようであった。
それはおそらく、敵の魔法使いがルフェーブに対して使っている魔法の余波に違いない。辺りの空間にも、その影響が生じているのだ。
(それにしても、何という魔法の力だろうか)
デボシュは甲板のように揺れる床の上で、必死にバランスを取りながら思った。敵の魔法使いは、ルフェーブやデボシュよりも小柄であるが、その男が背後で漂わせている影は、二人よりもはるかに巨大であった。
(だから言ったんだ! 俺はこんな闘いに参加したくなかったって!)
想像以上に自分が取り乱しているのがわかる。魔法の余波のせいで、身体が揺れるだけでない。ぶるぶると震えて仕方ない。それはおそらく恐怖の震え。この戦いに参加するに当たって、自分は何の覚悟もしていなかったようだとデボシュは今、理解した。
標的が強敵だということは、それなりに理解していたが、それでも勝てると思っていたのだ。自分たちが死ぬことなんて考えていなかった。
そして、もしかしたらルフェーブが死ぬかもしれない可能性についても。
(何せ、こっちは九人。九対一だからな。いや、既に一人死んで、八人か)
しかしこいつの強さはレベルが違う。他の仲間たちはわかっていないのか。だとしたら、どいつもこいつも戦いの素人だ。
デボシュは拳を握り締めながら思った。ただ魔法が得意なだけで戦いというものを理解していない。このままではルフェーブが殺されてしまう!
(ま、待ってくれ! 彼を殺すのだけはやめてくれ)
デボシュは、今にもそんなことを叫びそうであった。いや、いずれに叫ぶつもりである。ただそのタイミングを探しているだけ。
自分が突進して、敵の魔法使いの意識をルフェーブから逸らすのも手段の一つだろう。デボシュはそのようなことを企んでいる。
(いや、そんなことをしても意味がない)
ルフェーブが指一本触れることが出来なかった相手である。デボシュの実力で敵うはずもない。
しかしルフェーブが苦しめられているのを、このまま見ているわけにもいかない。何が何でもルフェーブを救うのだ。その為ならば、何でもやる。
(そもそも、ルフェーブをこの無茶な戦いに引きずり込んだのは俺だ。その責任を引き受けなければいけない)
ならば、降伏だ。
敵に向かって頭を垂れ、白旗を揚げるのだ。このような戦いを仕掛けて申しわけなかった。自分たちは身の程をわきまえていなかったみたいだ。奴にそう謝罪するのだ。
ルフェーブを救うには、これしかない。
戦いはまだ始まったばかりなのかもしれない。しかしもう勝負がついたのだから仕方がない。そもそも勝てるはずがなかったのだから。
もし、仲間たちがこの絶望的な力の差を認識せず、まだまだ戦いを続ける気ならば仕方がない。これで決別だ。
「我々の負けだ。それを認める。だから彼の命だけは助けてくれ。もう私とルフェーブはこの戦いを抜けたいと思う。金輪際、君に一切の害を与えるつもりはない」
敵の魔法使いに向かって、そのように言おう。
当然、仲間たちは激怒することであろう。
いや、怒るどころでは済まない。彼らがそのようなことを許すわけがない。
デボシュがリーダーだとしても、仲間の戦線離脱を許すはずがない。彼らは見せしめのためにデボシュに攻撃を加えてくるかもしれない。
そしてもしかしたら、ルフェーブに見損なわれてしまう可能性もある。彼は命乞いを、大いなる屈辱だと捉えるはずだから。
(それでもルフェーブを救わなければいけない。彼は宝だ。俺の宝ではない。この世の宝なのだ。ルフェーブのような魔法使いは珍しい。もう永遠に出現しないかもしれない。この世の奇跡)
剣を捨て、防具を外し、宝石の入っている革袋を次々と投げ捨てる。もちろん、魔法のシールドも解除する。完全に丸腰になるのだ。
そして我が財産。屋敷の蔵にある金貨や財宝も全て、敵の魔法使いに譲る約束を交わそう。
それだけじゃない。闘技場の毎月の稼ぎの半分を、この魔法使いに上納することを約束する。今でも毎晩金貨がザクザクと入ってくる。当分、その勢いは続くはず。
魔法使いの心は必ず金で動く。この魔法使いだって例外ではないはず。
ルフェーブを救う手段は、まだ幾つもある!
――君のゲシュタルトが異常な動きをしているようだ。落ち着くんだ、デボシュ。自暴自棄になるなよ。
そのとき耳元で、ダンテスクの声が聞こえてきた。
「な、何だって?」
――落ち着くんだ。俺たちはまだ負けていない。戦いはこれからだ。勝手なことをするのは謹んでくれ。
「じゃ、邪魔するな! 俺たちはこの戦いに、命まで捧げるつもりはない。所詮、金で雇われた傭兵なんだ!」
(こいつ、俺の心の中も覗いているのか!)
その苛立ちも手伝って、デボシュは声の限りに叫んだ。
その声を聞いて、敵の魔法使いが興味深げな表情をする。他の仲間たちもいっせいに反応したのがわかった。
――逃げるつもりか? それは裏切り行為だ。我々がそのようなことを許すわけがないぞ。
「逃げるだって? 耳障りの悪いことを言うな。俺たちはこの戦いから抜けるだけだ」
ガリレイには恩がある。この戦いの裏に彼がいるのならば、こういう形で抜けるのは本当に申し訳ないことだと思うが、しかし命まで捧げる必要はないはず。
――逃げても無駄だ。降伏しても無駄だ。そのような方法でルフェーブを助けることは出来ないぞ。敵は本当に邪悪な魔法使い。生き延びるには勝つしかないんだ。
「どうやって勝つつもりだ?」
(それが無理だから、それ以外の方法で、生き延びる道を探っているんだ!)
――まだまだ奥の手がある。作戦Rは失敗した。しかし次は作戦Dだ。
(作戦Dだって?)
敵の魔法使いが聞いているので、デボシュは声を出さずにその言葉を呟いた。彼にもまだ、それくらいの自制心は働いた。
――ああ、そうだ。向こうの扉に注意を払え。もうすぐこの部屋にある女の子がやって来る。爆弾少女が。