22)ルフェーブ <戦闘4>
ルフェーブは突進する。死に向かって突進しているのかもしれない。
しかしまるでそのような実感はない。
敵の魔法使いはかなり若い男だった。眉目秀麗で、誰もが魅力的だと感じる容姿をしていると言っていいだろう。
戦いの最中だというのに余裕の笑みを浮かべるその表情は、どこか人懐っこい感じがして、好感すら抱きそうだ。
だが、この若い魔法使いが、『ナンバー27』という魔族をガルディアンにしているのならば、この美しい容姿の奥に、とてつもない深遠な闇と、身を引き裂かれるような不幸を背負っているに違いない。死が祝福になるような生。一刻一刻が痛みのつらなり。
とはいえ、まるでそのような影が見えない。目の前の若い男は、どこかの貴族の放蕩息子といった雰囲気。
(このような人間によって、私の人生に終止符が打たれることになるのか。まるで信じることが出来ない)
絶対的な敗北を覚悟しながら突進をしていたルフェーブであったが、それでもこの突進に一縷の望みを抱いていたことは事実であった。
(これまでの、どんな相手にも感じたことのないオーラが漂っている。目の前の相手が、とてつもなく強い敵であることは間違いない。しかし私だって弱くはない。これまで数多くの強敵に勝ってきた。この戦いだって、絶対に負けるとは決まっていないはずだ)
ルフェーブ自身、自分の思考が様々な方向にぶれているのが自覚していた。もしかしたら死の予感が更に高まったので、その恐怖から目を逸らすため、自分の中の何かが、わずかな希望を無理に見出そうとしているのかもしれない。
いずれにしろ、あれほど濃密に立ち込めていた死の気配が、自分の駆けるスピードが高まるにつれ、少し遠のいていく気がした。
(そうだ、どれだけレベルの高い魔法使いか知らないが、この男も同じ人間。戦いは不確定要素に満ちている。何が起きるかわからないはず)
千回戦えば、もしかしたら、一度か二度は勝てるかもしれない。もしかしたら、千回目が今、廻って来ようとしているかもしれないではないか。
いや、いくらなんでもそれは低く見積もり過ぎだ。もっと勝てる可能性は高いかもしれない。三百回に一回は勝てるのではないだろうか。
(F41、R5、D3に到着。その弾性で勢いをつけて、F19、L2、D5に着地。そして0地点に向かって突進)
敵はまだ攻撃してこない。随分と舐められているようだとルフェーブは感じた。ここまで近づいて来ても、様子見を続けるなんて。
(しかしそれが不確定要素の一つなのだ。その隙に乗じれば、充分いけるかもしれない)
このままならば、一撃は加えることが出来そうだ。相手は素手の攻撃を予測していないはず。
更に上手くいけば、この奇跡の一撃で、相手の意識を飛ばせることもある。
それが出来れば、勝てるのではないか。
(か、勝てる、のか?)
この角度とスピード、これはいつものルフェーブの勝ちのパターンだった。ここから素手の攻撃を、相手はいったいどうやって防ぐことが出来るだろうか。敵からの攻撃が開始されたとしても、ルフェーブもシールドをまとっている。
たとえ、敵の魔法攻撃の一撃でそれを砕かれたとしても、悪くて相撃ちである。シールドと引き換えに、こっちだって敵に大きなダメージを与えることが出来るかもしれない。
B3、L1、D1。
敵の顎に正確な一撃を加えるためには、蹴りよりも拳のほうが効果的であるが、突進しながら攻撃を加えるときは、膝蹴りが最も有効だ。
狙いは定まった。ルフェーブは左の膝を高く突き出す。この勢いのまま、敵に突っ込んでいけばいい。
(いける、いけるぞ)
最初に感じた恐怖は完全に消え去っていた。今は勝利の予感しか見えない。
しかしルフェーブが膝を突き出そうとした瞬間であった。
とてつもなく重い物が、上から降りてくるのがわかった。
圧しかかってくる、その表現のほうが正確かもしれない。突進のスピードが一気に緩んでいくのが、自分でもわかった。
(何だ、これは?)
ルフェーブが抱いていた勝利への希望が一瞬にして萎んでいった。上から圧し掛かってくるその力に、どうやっても抵抗出来ない。
B1、L0、D18の地点、すなわち敵の魔法使いの足元で、ルフェーブの動きは完全に止まった。彼は相手の前にひざまずくような姿勢になる。
「ああ、なるほど。僕を膝で蹴ろうとしていたのか。面白い。どんな複雑で厚いシールドでも、その攻撃を防ぐことが出来ないからね」
男がルフェーブを悠然と見下ろしながら、そう語ってくる。
見下ろされているルフェーブは、呆然としながらその男を見上げた。仲間たちが背後から援護射撃をしている。
デボシュの空気砲。誰かの炎の魔法。それらが敵の魔法使いのシールドに弾かれて消えていく。まるで星が間近できらめいているように美しい光景であった。しかしどの魔法も相手のシールドに傷一つ与えていない。
「この世界には重力というものがあるらしい。林檎が木から落ちたりするだろ? あれが重力さ。今、君の身体の上に、普通の重力の数十倍の力が振り落ちている。身動き一つ出来ないはずだ」
援護射撃も止んだ。仲間たちもルフェーブの敗北を認めたのかもしれない。
「この魔法は君のような馬鹿力の人間には有効なんだ。相手のシールドを壊す必要もない。シールドごと君を圧している」
確かにそうだ。自分のシールドが壊れた気配はなかった。しかしこのような魔法が存在しているなんて、ルフェーブは想像もしていなかった。少しも身動き出来ない。自分の身体が鉛のように重い。
「でも口は動くだろ? それにこの激烈な重力に支配されていても、魔法だって発動させることが可能なはずだ。だからレベルの高い魔法使いが相手では、それほど有効ではないんだけどね。しかも至近距離にいる相手にしか効かない。色々と制限がある。それは認めるよ。だけど僕の発明した魔法だよ」
いつか、相手の自由を完全に奪うような魔法のコードを編み出したいものだ。もう少しなんだけど、なかなか完成しないんだ。
自分の魔法について、饒舌に喋りたくなるのが魔法使いの習性らしい。この男も例外ではないようだ。しかしルフェーブはそのような能書きなど聞きたくもなかった。
「こ、殺せ!」
滑らかに喋ることは出来ないが、声が出せることは事実のようだ。ルフェーブは硬い林檎を咀嚼するくらいの力で、何とかその言葉を発した。
「何を偉そうなことを。君はもはや死んだも同然だと思うけどね」
敵の魔法使いが笑みを浮かべながら言ってくる。
確かにそうだ。ルフェーブにとって久しぶりに敗北だった。魔法を習得する前、デボシュとの戦い以来の敗北。
あのときには感じなかった屈辱と恥辱で、今、胸が張り裂けそうである。
まるで仲間の役に立つことがなかったようである。敵の魔法使いの意識を逸らすことも出来なかった。
仲間たちもきっと、ルフェーブがここまで役立たずだとは思ってもいなかっただろう。彼らは隙を見て、自分たちの得意な攻撃を加えようと機会を伺っていたはずであるが、その時間を与えることも出来なかった。
「私はお前を殺すつもりだった。それに失敗したのだからをさっさと殺すがいい」
敗北感を味わい続けさせられるより、さっさと殺されたほうがマシだ。この魔法使いと対峙した瞬間、死の覚悟は出来ていた。
「僕が君を殺したくなれば、そのときに殺す。君の命など、手の中のヒヨコのように脆い。少し力を入れて握れば、それで終わりだ」
上から圧し掛かってくる圧力がいっそう増してきた。足元の床が軋み始めたのがわかる。首を上げ続けるのも苦しくなる。ルフェーブはまるで敵の前で首を垂れ、命乞いをしているような姿勢になった。
しかしまだ、そこに殺意は感じられない。
「さ、さっさと殺せ!」
ルフェーブは力の限りそう叫んだ。
さもないと・・・。