18)デボシュ <魔界>
ルフェーブはデボシュとの戦いに負けた。この国に来て、初めての敗北を喫したらしい。
自らの雇い主を相手にして、ルフェーブは全力で戦うことが出来なかったのかもしれない。
いや、そんなことはないだろう。負けたときのルフェーブの嬉しそうな顔は、これまでデボシュも見たことがない表情だった。彼は自分よりも強い者に出会うことが出来て、心の底から喜んだようだ。
それと同時にルフェーブは凄まじき魔法の魅力にも気づいた。彼はここに残って、魔法の勉強をしたいと訴えてきた。
「魔法を習得するのは簡単ではない。ルフェーブ、お前は単調な繰り返しの毎日と、自分の理解力の無さに絶望するだろう。辞めたいと思うことが何度もあるはずだ」
デボシュは闘技場の上で、膝を屈するルフェーブに言い放つ。「それでも、その苦難を耐え忍び、高い壁を越えることが出来れば、もしかしたらお前はとてつもない戦士になることが出来るかもしれない。俺について来い、ルフェーブ!」
それから、デボシュとルフェーブの日常は様変わりした。二人は朝早くに起床して、夜遅くまで魔法言語の勉強に時間を費やした。
ルフェーブの頭の良さは、デボシュの予想通りだった。
しかも彼はまだまだ若い。そしてデボシュは良き教師でもある。ルフェーブは凄まじい速度で、魔法言語の本質を吸収していく。
しばらく闘技場での戦いを中断して、ルフェーブを魔法の勉強だけに集中させてやるべきかと考えた。
しかし勉強にだけ打ち込んでいたら、彼の蹴りと拳が錆付いてしまうかもしれない。
それにルフェーブ自身、戦いのない日常には耐えられないようであった。ルフェーブは闘技場での王位の座も守り続けながら、魔法言語も学び続けた。
その数年の年月はあっという間に過ぎた。
ルフェーブの魔法習得の見込みが現実味を帯び始めたとき、デボシュはどのような魔法が彼にうってつけか考えるようになった。
素手で戦うことが出来るのが、ルフェーブの最大の長所だ。
その長所を最大限に生かすことが出来る魔法。そのような魔法がきっと存在するはずである。
魔法の種類は無限に存在する。魔界に行けば、簡単に入手出来る魔法のコードもある。自らプログラムして、新しいコードを編み出すことも出来る。
――素手で戦う男がいる。素手で人も殺せるだろう。そいつに最適な魔法は何だろうな?
デボシュは魔界の掲示板に、そのような書き込みをしてみた。
魔法は集合知によって、進化してきた。暇な魔法使いが気軽にレスポンスをくれるだろう。
――素手で戦う魔法戦士か。なかなか魅力的だな。
――場合に拠れば、とてつもない魔法使いキラーになるな。そいつの攻撃に、どんな魔法のシールドも効かないわけだから。
――だとすると、とにかくシールドに磨きをかけることが第一であろう。むしろ攻撃の魔法は必要ないのではないだろうか?
魔法使いたちは、「素手で戦うことが出来る魔法戦士」という言葉に興味を惹かれたようで、数多くの意見を書き込んでくれた。そのどれもが有益で、ルフェーブのこれからを期待させる言葉で溢れている。
特に多い書き込みが、素手で戦うのならば攻撃魔法は必要がないということ。その代わり重要なのは防御魔法。
防御さえ磨けば、とてつもない魔法使いキラーになるかもしれないという意見で、多くの者が一致していた。
その通りだとデボシュも思う。攻撃魔法よりも、とにかく防御の魔法。まず彼に必要なのはそれだ。
しかし絶対的に動かすことの出来ない前提条件がある。
それはルフェーブがこれからどれだけ努力しても、上級レベルの魔法使いになることは不可能だという事実である。
魔法の勉強を始めるのが遅かった。それに、あれだけ健康で翳りのない性格だ。魔族たちとの親和性が高いとは決して言えない。
上級クラスの魔法使いになろうと志すのであれば、魔族たちにそれなりの代償を払わなければいけない。さもなければ、強力なガルディアンと契約を結ぶことは出来ない。
片目、片腕、それらを失うくらいでは不可能だ。もっと大きな犠牲が必要であろう。
たとえば、そのような犠牲を払って上級クラスの魔法使いになれたとしても、健康が阻害されるわけである。
そんなことになると、せっかくのルフェーブの、あの素晴らしき身体能力が損なわれてしまう。
それでは魔法を会得した意味がなくなる。彼の身体能力が生かされないのならば、ありきたりな魔法使いが新たにまた誕生するだけ。
だから、このまま順調にルフェーブが勉学に励み、もし魔法を使うことが出来るようになったとしても、デボシュと同じ程度、中級レベルの魔法使いが精々なのである。
魔法使いになったルフェーブが、今の実力以上に強くなったと言えるためには、彼が予め兼ね備えている身体能力、それを生かすような魔法を習得しなければいけないわけだ。
それで初めて、ルフェーブが魔法使いになった意味が生じる。
しかし、それでもまだ問題がある。ややこしいことではあるが、デボシュはそれを無視することは出来ない。
たとえルフェーブが、彼のその身体能力を上手く生かすことの出来る魔法を習得したとしても、彼が中級レベルの魔法使いにしかなれないならば、そのシールドの強度も中級レベルでしかない。
そのレベルでは、上級、中級の上位クラスの魔法の攻撃に、真っ向から耐えることが出来ないのだ。
上位の魔法使いのちょっとした攻撃を受けただけで、彼のシールドは破壊されてしまうだろう。
それではルフェーブを恐るべき魔法使いキラーに仕立て上げることは不可能だ。
それらの弱点を全て補う魔法。それを見つけるか、自ら編み出すかしなければいけない。
ルフェーブを魔法使いにしただけで終わりではない。
デボシュにはそこまでの使命が課せられているのである。デボシュにうってつけの魔法、それを見つけるまでが彼の責任。
さて、そのような魔法のコードは存在するのであろうか? デボシュは魔界に入り浸って、そんな魔法の存在を探し続けていた。
ルフェーブにうってつけの魔法、出来れば防御にも有効な攻撃的魔法。
ない。
結論はこうであった。
もっと正確に言えば、今のところはない。少なくとも、魔界に公開されている魔法のコードの中に、そのようなものはない。
しかし新たに作り出せば、どうにかなるかもしれない。デボシュはそのことについて、わりと楽観的であった。
魔法は全て、魔族に対するプログラムで出来ている。
そのプログラム次第で、新しい魔法を生み出すことが出来る。
魔法使いというのは、魔族とコミュニケーションを取るための魔法言語を習得した者のことを名指す。
だから、魔法を使える者の全てが、魔法の言語を自由に操ることが出来て当然で、その言語を操ることが出来れば、新しい魔法のコードも自由に書くことが可能なわけであるが、本当にそれを成し遂げようとすれば、更に膨大な知識量と、論理的な知性が要求される。
実際に新しい魔法のコードを書けるほどの魔法使いは、それほど多くはないのである。
もちろん、デボシュには不可能だ。既に存在する魔法のプログラムをいじくり、自分流にアレンジすることすら出来ない。
しかしその複雑な作業を、代わりにやってくれる魔法使いがいないわけではない。
こちらが依頼すれば、その仕事を引き受けてくれる魔法使いに事欠かない。
膨大な報酬を要求されることは間違いないが、この世にたった一つの魔法を生み出すことも可能なのだ。どれだけの金貨を払っても惜しいことではないだろう。
ルフェーブに魔法を学ぶよう促したのはデボシュである。しかも彼をここに留めるため、いわば私情に流された部分もあった。
ルフェーブが心の底から、魔法を習得して良かったと思わせたい。
そこまで成し遂げるまで、責任を果たしたとは言えないだろう。そのためならば、どれだけの金貨だって惜しくない。
もちろん、きれいごとばかりではない。ルフェーブを、この世で最高の魔法使いキラーに仕立て上げたいという野望だって、デボシュにないわけではない。それは同時に、デボシュの栄光にもなるだろう。
そういうわけで、彼は必死になって、その魔法を探す。
やがてデボシュの望む、完璧な魔法のコードを提供してくれる男と出会うことが出来るのである。