17)デボシュ <闘技場4>
戦士、ルフェーブはデボシュのあらゆる期待に応えてくれた。
まず、その強さ。それは期待以上であった。
甲冑を着込んだ戦士を相手にしても、彼はその男を呆気なく失神させる。
もちろん、彼の蹴りや拳が、相手の甲冑を砕き割るわけではない。しかしその攻撃は正確さを極めていて、甲冑を着込んでいない部分、その隙間にヒットさせる技術があった。
相手を失神させるときのパターンは一つしかなかったが、誰もそれから逃れることは出来ない。
兜を装着している戦士を相手にするときは、まず兜を蹴り上げて、それを脱がしてから、脳天への蹴り。それでノックアウト。
顎に何の防備を施していない相手には、蹴りか拳を顎に一撃。それで失神。
しかもその戦い方は華麗を極めた。彼には生まれ持っての華やかさが備わっているようだ。
長く黒い髪を、紐でぎゅっと縛っている独特の髪型。その束髪を、馬の尻尾のように振りながら、闘技場を跳びまわる姿は、まるで空を歩くがごとし。
それで名づけられた仇名が「シエル・マルシュール」。すなわち空を歩く者。
ルフェーブは戦っていないときも、美しい男であった。細く黒い瞳には、無数の星が散らばっているようかのである。
唇はきっと結ばれ、意志の強さを伺わせる。広い額には、知性と共に、他人への心遣いも多量に詰まっていた。
「君は祖国でもナンバー1の強さだったんだろ? え?」
デボシュはルフェーブと酒を酌み交わすのが好きで、何かと理由をつけ、自分の部屋に呼びつけて、夕食を共にする。
「まさか。滅相もありません。私よりも強い者は、花の種類より数多くいます。身近な者では、二番目と三番目の兄、父は私よりも数段強かったです。彼らの身体に、私の拳がかすったことすらありません。我が妹も、私と同等かそれ以上」
「何て凄いんだ! お前の家族は!」
ルフェーブのことだから、いくらか謙遜も含まれているのであろうが、嘘ではなさそうだ。二番目と三番目の兄には敵わなかったそうであるが、一番目の兄は何度も倒していたらしい。叔父も彼の敵ではなかった。
彼の家族が強過ぎるのかといえば、そうでもないらしい。彼の生まれ育った国では、その武術は隆盛を極め、貴族や農民のわけ隔てなく、多くの者が幼い頃から修行に明け暮れているようだ。
「一度、行ってみたいもんだな、その国に」
「海の向こうの小さな国です。この国の豊かさとは比べようもありません。信じられないほど遠く、波はあまりに高く」
船酔いをするデボシュはその旅路を思い、ゾッとしたが、ルフェーブのような強い戦士ばかりが住むという異国への興味は増すばかりであった。
当然のこと、ルフェーブはこの闘技場の王者となった。
デボシュが対戦相手を選抜するまでもない。ルフェーブはどんな男たちよりも強かった。歴代の王者たちよりもだ。
彼は勝手に勝ち続け、自らの手で王位を掴んだのだ。
そしてルフェーブの人気は凄まじいものになった。これまでデボシュの闘技場に足を運んだことのないような層、貴族、上流階級から下流階級の女性たちが、大挙してこの闘技場に押し寄せるようになったのだ。
ルフェーブは闘技場のスターではなく、この街のスターになった。
彼が歩けば街はざわめき、その後ろを人々がついて歩く。
夜も朝も、ルフェーブの家の周りをファンたちが取り囲み、彼の姿を間近で見ようと待機している。
やがてこの国の王までも、ルフェーブの噂を聞きつれて、闘技場にお忍びでやってきたとか。
ルフェーブが望めば、多くの女性が彼のために喜んで身体を投げ出すであろう。しかしルフェーブはそのようなことを望みはしない。彼が望むもの、それは少しでも強くなること。ただそれだけ。
デボシュはルフェーブのために、十数人の衛兵と、巨大な庭付きの屋敷をプレゼントしてやる。
静かに修練に打ち込める環境。それがルフェーブの望んでいるものだから。
それくらいの出資は少しも惜しくなかった。ルフェーブの人気が日々生み出していく大金に比べれば。
しかし、その程度の褒美で、ルフェーブを自分の許につなぎ止めておくことが出来ないことも、デボシュはわかっていた。ある日、ルフェーブが言ってきたことがある。
「今の対戦相手では物足りない。私はもっと強い者と戦いたい」
「明日は正真正銘の騎士が相手だぞ。お前をいくらか苦しめるはずだ」
いや、何の苦もなく、ルフェーブが勝ってしまうことを、ルフェーブもデボシュも知っている。
闘技場に出てくれるような騎士は小物に過ぎない。たとえ正真正銘の騎士でも、今のルフェーブに勝てるわけがない。
「世界はもっと広いです。私は自分を打ちのめすような敵に会いたいです」
「修行の旅に出たいというのか?」
ルフェーブは静かに頷く。そもそも、ここに来たのもそれが目的だったのです。
ルフェーブが迷っていることは知っていた。正直な男である。無表情な仮面のような顔に、常に迷いが滲み出ていた。
その迷いは、闘技場に来てすぐに生じていたようだ。王者になっても、満ち足りた表情を浮かべたことはなく、少しもその迷いが解消される気配を見せてはくれなかった。
それを間近で見てきたデボシュは、いずれルフェーブがこのような言葉を口にするであろうことを覚悟していた。
(いつまでも、この美しい白鳥を俺の手元に縛り続けておくことは無理だろう。俺の闘技場は、彼にとってあまりに狭い鳥籠。この出会いには、最初から別れが内包されていた)
しかし欲深いデボシュは、ルフェーブをあっさりと手放す気もなかった。
それはあまりに惜し過ぎる。彼は金の卵を産む白鳥でもある。ルフェーブがいれば、日ごとにデボシュの金庫に金塊が積み上がっていく。
いや、それに以上に、デボシュはルフェーブの戦士としての魅力に、心の底から魅了されていた。
どんなに美しい女との別れでも惜しくないが、ルフェーブと離れ離れになるのは耐えられない。
(俺は絶対にこいつを手放したくない。出来ることならば、ルフェーブと共に死にたいくらいさ)
デボシュはルフェーブへの相反する想いに、引き裂かれそうであった。
ルフェーブを失うのは耐えられない。しかしルフェーブの将来のことを思うと、ここに閉じ込めておくわけにはいかない。彼を大空に帰してやらなければいけないとも思っている。
ならば、彼と共にその修行の旅に出掛けようか。
いや、もっと良い解決方法がある。ルフェーブにとっても、デボシュにとっても、損をしない解決方法。
デボシュは苦慮の末、その解決法を思いついていた。ついに、それを口にする日が来たようだ。
「調子に乗るなよ、ルフェーブ。お前はまだまだ力足らずだ」
「わかっています。だからこそ、私は修行の旅に」
「旅に出る必要もない。今のお前では俺にも勝てないぞ」
ルフェーブは驚いたように顔を上げた。
「そんなことありえない、そんな表情だな。しかしお前は俺に勝てない。どうしてなのか教えてやろうか? お前は魔法を使えないからだ」
しかし俺は使える。お前は俺の魔法を前にして、何も出来ないで負けるぞ。
ルフェーブはデボシュの言葉を完全に理解しているようには見えなかった。もしかしたら、この異国の男は魔法の凄さを知らないのかもしれない。
「魔法使いと戦ったことがあるか? 魔法の凄さに少しもピンと来ていないようだな。ならば、俺が魔法の凄さを身体で教えてやる。かかって来るんだ、ルフェーブ! もし俺に勝つことが出来れば、お前を自由にしてやる。しかし俺に負けたときは、ここに残って、魔法の勉強をするのだ」
「魔法の勉強ですか?」
「魔法を習得するには数年は必要だ。しかしお前なら習得出来るはずだ。お前が魔法を会得すれば、とてつもない戦士になることが出来るだろう。世の魔法使いたちが恐れる戦士になれるのだ」
だから、俺が魔法を教えてやる。
デボシュはとても緊張しながら、それらのセリフを口にする。予め用意していた言葉を吐くのは、咄嗟に出てくる言葉を喋るより、ずっと緊張感を伴うものだとデボシュは感じた。俳優というのは、凄い職業だな。
わかりました。首を傾げながらではあるが、ルフェーブがデボシュの言葉に頷いた。
その夜、二人は早速手合わせをした。
二人の戦いは誰もいない闘技場で行われた。もちろん観客もいない。部下も、ここで戦っている戦士たちも、誰一人立ち合わせなかった。戦ったことを知っている者すら、ほとんどいない。