Ep02_01 前兆
20150705 2章全体を1話10000文字以内で再構成。他、細かい修正。
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◆前兆
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西暦2XXX年 7月。
人類の約 1/1000 が宇宙生活者となった時代。
地球は、未知の地球外知性体による、不当な侵略行為の標的とされていた。
浦上町の北約40㎞。珠洲島県珠洲島市、市街地。
昼間、しかも街中だというのに、辺りが突然静まり返った。うっすらと霧がたちこめて視界がぼやける。
「なんだこの霧?」
「ううっ、さむっ!!」
通行人の一人がかるく身震いして腕をさすった。その腕に一枚の赤い花びらが舞い落ちてきた。
「おい、何か聞こえないか? なんか変な音が……」
「ぺたぺた」という、裸足で歩くようなかすかな音がそこらじゅうから聞こえてくる。その音が少しずつ近づいてやがて通行人の真後ろに迫った。
気配を感じて振り向いた通行人は、そこに誰もいないのをみて胸をなでおろしたが、その時もう一人が引きつった悲鳴をあげた。
「な、なんだよコレ!!?」
彼らのまわりの古い建物の壁に、人の手形がびっしりと貼り付いていたのだ。
そしてさらに、その手形から赤黒い液体が滲み出し、彼らが立っている方向へ広がっていく。
「こ、これって、血か!!?」
おびえて後ずさりする通行人の足元に液体が近づいた。
――直後、液体から赤黒く変色したヒトの腕らしきものが飛び出し、一人の足首をがっしりとつかんでいた。
突然の事態に、通行人はパニックになってもがいたが、どうしてもそれを振りほどくことは出来なかった。
そのまま腕は、抗いようのない力で通行人を液体の中に引きずり込む。小さな波紋を残して、通行人の一人が消えた。
もう一人が顔色を失い、悲痛な叫び声を上げて逃げだした。その背中にはくっきりと血の手形が張り付いていた。
一枚、また一枚と赤い花びらが舞い落ちる。それは雪のように地上に降り積もり、集まって小さなヒトの手の形になっていく。
明らかな異変がこの地域を襲っていた。この世に存在し得ない者たちの、ありえないはずの干渉が始まったのだ。
花びらは徐々に数を増やし、やがて吹雪のように周囲を覆っていった。その、赤い吹雪の中心に「それ」はいた。
その物体は、表面が薄く発光していて全体が半透明に透けている。頭部は一見すると鳥のようで、足は無く、鳥の翼を分厚くしたような二本の腕を持っていた。
25mほどの巨大なその物体が、市街の上空をゆっくりと南へ向かって進む。物体は比較的高い駅ビルに接触したが、何の抵抗も無くすりぬけ、徐々に高度を下げていった。
多くの住民が空を見上げて口々につぶやく。
「な、何だアレ!?」
「ばっ、バケモノ!!?」
この世のものとも思えない、背筋に虫がはい回るような怪音が響き渡る。どうやら物体の口とおぼしき場所から漏れている、鳴き声のようだ。
悲鳴を上げて逃げ散る人々を尻目に、物体は浦上町方面を目指して静かに移動を続けていた。
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◆特訓
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泣き叫びつつ悲鳴を上げ、同時に謝りながら、見るからに弱々しい印象の少年が公園の中を逃げ惑っていた。
「ごめんなさいーー!!」
「待てコラ、秕ァ!!!」
その少年を、幼なじみの少女が追いかけまわしている。彼女は怪我から回復したばかりだったが、そんな気配は微塵も感じられない。
「逃がすかっ!!」
「はわあああ!!」
秕と呼ばれた少年は、すぐにつかまってしまい、あっという間に地面に組み伏された。ヘッドロックを決められ、身動きがとれない。少女が体重をかけてのしかかってくる。怒りに燃えるその姿は、戦をつかさどる女神のように生き生きとして美しい。少年はか細い悲鳴を上げた。
「フン。私から逃げられると思ったか」
少女の瞳に、獲物を追い詰めた肉食獣のような危険な光がきらめいた。
「アリスちゃん、お、お許しを!!」
……とはいえ、これは別に凄惨なイジメの現場ではない。
休日の町外れの公園で、秕を鍛えるために幼なじみのアリスが格闘技のコーチをしているだけなのだ。
もっとも、他人にはイジメとしか思えなかっただろうが。
「た、たすけてー!!」
うめき声をあげて秕はジタバタともがいたが、アリスの腕から抜け出すことは不可能だった。
だがそれは、別の思わぬ幸運を彼にもたらした。その事実に気付き、秕はカッと目を見開いた。
「こ、これは……!!」
彼のそばにはぴったりとアリスが密着していた。とろけるような甘い香り。耳元をくすぐる熱い吐息。そして激しく包み込むような、ぬくもり。あまりの感動に、秕は痛みを忘れた。
「(アリスちゃんってあったかい。それに、イイニオイ)」
体中の力が抜け、心臓が激しく高鳴る。
「(何だろう。この気持ち。なんて安らかな気分なんだ。もう他に何もいらない。この時間がずっと続けばいいのに……)」
心が温かいもので満たされていく。
「(ああ。シアワセすぎて、なんだか気が遠く……)」
秕はがっくりと崩れ落ちた。
「あ」
思わずアリスが声を発した。秕は気絶したようだ。その原因はもちろん、シアワセすぎたためではない。数十秒にわたり、脳への血流が完全に止められたためだ。
彼女は少しやりすぎたことに気づいたが、後の祭りだった。
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「なにやってんだ、あの二人……」
「また敵がいつ現れるかも知れないってのに」
クラスメイトの少年たちがたまたま近くを通りかかった。体育会系の少年、村山英太と文化会系の少年、尾藤悠だ。
彼らの哀れむような視線が、アリスにイジメられているとしか思えない秕に注がれる。
「おれ達この前、秕に助けられたんだよな」
「ああ。けど僕は、今でも夢だったんじゃないかって思うよ。あの時の事は……」
先日の、浦上学園を襲った未知の敵性体「マガツカミ」との地上戦から数週間が経過していた。
誰にも信じられない事だったが、あの戦いで秕が学園を救ったのは事実である。
その功績により、彼の立場は「役立たずのイジメラレッコ」から「戦略防衛構想の切り札」に一気にランクアップしていた。秕に対する以前のようなあからさまなイジメは無くなっていたし(アリス除く)、クラスメイトの目も好意的にはなっていた。
しかし――
「――しかし、秕のヤツ情けないよな。相変わらず。あれじゃあ、いくらスゴイことをやったっていっても、ちっとも尊敬できやしねー」
「……だな」
彼らの心境は複雑だった。学園を救った英雄を本当はホメてやりたいのに、普段の秕のあまりにも情けないそぶりをみていると、その気持ちも消し飛んでしまうのだ。
「いいのか? あんな奴に地球の未来を託して?」
「僕に聞くなよ」
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◆休憩
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時計の針は午後3時を回っていた。公園のベンチで秕とアリスは休憩を取ることにした。
休憩時間とはいっても、秕には休む暇は無い。汗をかいたアリスのために冷たいおしぼりを差し出し、走り回ってホコリだらけになった彼女の靴を磨き、衣服を整える。さらに、特訓で乱れたアリスの髪の手入れも、彼の重要な仕事のひとつだった。
中世の姫君に仕える従者のように、慣れた手つきでブラッシングする。
「(いつ見てもアリスちゃんの髪はきれいだな。やわらかくてつややかで)」
こんな事まで秕にやらせるのは、アリスが彼を心から信頼しているから、ではない。それは、貴族が召使に対する時の感覚に似ている。つまり彼女は、この少年のことを対等の存在としてみていないのだ。
考えてみればヒドイ話ではあるが、秕本人が自ら望んでやっていることなので他人がどうこう言う筋合いではない。
どんなことであれ、アリスの役に立てるのが彼の喜びなのだから。それに、アリスに触れることが出来るのは、彼にとって何事にも代えられない貴重な時間であった。
楽しそうに秕はブラシを動かし続けた。
「……たく」
ため息混じりにアリスがつぶやく。
「アレじゃ特訓になりゃしない。気絶する前にギブアップすることも出来ないのか、お前は」
気絶に関して言えば、彼女がやりすぎたことも事実だが、弱すぎる秕にもかなりの責任がある。
「せっかく私が貴重な休日をつぶしてまで、特訓してやってるっていうのに」
「ごめんなさい」
「前回のアレで少しはマシになったかと思ったが。ぜんぜん成長してないな、お前は」
「だって、無理だよ。いきなり成長しろって言われても」
彼の言い分ももっともだが、だからと言って敵が彼の成長をのんびり待ってくれるとは限らない。
「無理でも成長しなきゃならないんだ。このヘナチョコめ。お前は枢機軍の『切り札』になったんだからな」
「わかってるよー」
髪を梳かし終えて秕はブラシを片付けた。アリスが手鏡を使って仕上がりを確認する。彼女は黙ってうなずいた。
「あ、そんなことよりアリスちゃん、おなかへってない? おやつでも買ってこようかと思うんだけど」
「バナナプリンを買ってこい」
「うん、わかった」
珠洲島県珠洲島市浦上町、商店街。
この辺りの被害はさほどでもなく、片付けも終わっており、人々は日常を取り戻していた。
だが、不安が完全に取り除かれたというわけではない。
「最近物騒になったよな。この先どうなるんだろう」
「敵って一体何なんだ? 宇宙人?」
「幽霊だってうわさもあるぞ」
「もう、地球も危ないのか? 逃げたほうがいいか?」
「逃げるって……、どこへ?」
また、強がっているのか、単に平和ボケで危機意識が欠如しているだけなのか、どこか他人ごとに感じている者達も少なくはなかった。
「聞いたか、この間の浦上学園での戦闘の話? あのバケモノを倒したのは枢機軍の最終兵器だってよ」
「すごかったらしいな。パイロットはどんなヤツなんだろ」
「さあな。枢機軍のトップシークレットらしいからな。でも、ネットの情報によると、浦上学園の生徒らしいぞ」
「ほんとかよ!?」
「すげーな、浦上学園て。オレもあんなふうに戦ってみてーよ」
「そんな。照れるなあ」
住民たちのうわさ話が、買い物に来ていた秕の耳に偶然届いた。普段褒められることの少ない秕が、嬉しさのあまりつい口を挟んでしまう。
「……あ?」
「なんだお前。邪魔だ邪魔。あっち行け」
「(そうか、僕のことは軍事機密なんだ)」
秕が枢機軍の切り札「スサノオ」のパイロットであることは、枢機軍のトップシークレットにカテゴライズされていた。現時点でそのことを知っているのは浦上学園の教師と一部のクラスメイト、それに枢機軍の上層部だけだった。
事情を知らない住民にしてみれば、突然話に加わった秕は「変な少年」にしか見えなかった。恥ずかしくなって、秕はそそくさとその場を立ち去った。
【続く】