Ep01_06 式神の王
20150705 細かい修正。
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◆戦い
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浦上学園の校庭に、秕の操るスサノオが仁王立ちしていた。目の前のマガツカミを睨みつける。
予想もしていなかった敵の出現に驚いたのか、間合いを取るためマガツカミは校舎の屋上まで転移した。
その巨体が屋上に立っているさまは、巨人が巨大な跳び箱の上に乗っているようなもので、ひどく不安定に思える。
しかし、そもそも霊体であるマガツカミには場所など無意味なのだ。屋上だろうが、空中だろうが、任意の場所に「立つ」ことが出来る。
秕もこれを追って、スサノオを屋上に跳躍させた。標準のPMでは考えられない運動性能である。
スサノオの身長は約11m、重量約8トン。そのサイズからすれば屋上は狭い。床のコンクリートがミシミシと悲鳴をあげる。
だが、何とか闘うことは出来そうだ。
「す、すごい。あんな機動性をもったPMなんて聞いた事が無い。一体どうなってるんだ……!!?」
アリスは駆け寄ったクラスメイトたちによって、PMの中から助け出された。村山と尾藤に左右を支えられてやっと立つ事が出来る。一人ではどうやら動けそうにない。
「幽機憑依とでも言うべきか」
秕の祖父がアリスのそばに駆け寄って、応急処置を始めた。菜乃が半泣きで、心配そうに覗きこむ。
「式神とはそもそも、陰陽師が悪霊退治につかう使い魔で、形代と呼ばれる紙や木片などの無生物に命を吹き込み実体化させたものを言うのじゃ。秕はとっさに、PMに式神「スサノオ」を憑依させた。PMを形代にしたというわけじゃ」
手際よく応急処置を終え、祖父は解説を続けた。
「それにより、霊体に対する攻撃を可能にしただけでなく、PMの物理的な力と式神の霊的な力とがミックスされ、相乗効果で凄まじい力を呼び起こしたのじゃ。あえて名付けるなら、式神の王……式王神と言ったところか」
「……そんな事が出来るのか!?」
アリスはただ驚く事しか出来なかった。
学校の屋上でマガツカミとスサノオが対峙していた。
このマガツカミは、ガニメデに出現したものよりもかなり小型で人の形をしていることから、偵察や格闘戦を想定した尖兵だと考えられる。
まずはじめに動いたのはマガツカミだった。突如スサノオの後ろに転移し、巨大な手を振り下ろす。それを見てから、秕は慌てて回避の操作を行ったが、スサノオの動きは秕の手の動きよりも早かった。
PMの操作は普通、頭で考え、手で操作し、PMが動く、というプロセスを辿る。しかし、スサノオの場合は、秕が頭で考えた瞬間にすでにその動作を行っていたのだ。
マガツカミの攻撃を軽く回避し、スサノオが殴りかかる。とっさにマガツカミも体をひねって避けたが、接触した一部分が爆ぜるように吹き飛んだ。
スサノオが更に攻勢をかける。格闘主体のその動きは正に疾風の如く。戦いの様子を見ている者達の中に、拳や蹴りの軌道を追えるものは、ほとんどいなかった。
逆に、マガツカミの攻撃はほとんどスサノオに当たらず、たとえヒットしたとしても傷ひとつつけることが出来なかった。マガツカミがみるみる傷だらけになっていく。転移の回数は減り、距離も短くなっていった。
「……ゆ、夢でも見てるようだ。秕があのバケモノと互角に……いや、圧倒しているなんて」
アリスには、目の前の光景がまだ信じられなかった。その感想は、他の者も共有していた。
「スサノオ。凄まじい強さじゃ。こんな式神がこの世に存在していたとは」
「じゃあ、楽勝ってこと?」
祖父の言葉に菜乃が問う。
「いや…。強すぎるのが災いするやもしれん。強いだけあって、スサノオを使役するためには術者もかなりの呪力を消耗させられるはずじゃ。秕も気づいておるじゃろう」
スサノオは圧倒的に優勢であったが、祖父の言葉通り秕の呼吸は乱れ始めていた。
「(早くケリをつけなきゃ、僕の命まで持って行かれそうだ!)」
それを見透かしているのかどうか、マガツカミの眼の色が少し変わった。手をゆっくり大きく動かし、真上で止める。握った拳を開くと、そこに突如黒い炎が出現した。
「いかん!! あれはこの世の火ではない!!」
祖父の叫びは、秕にも届いていた。それは黄泉の炎。この世界に決してあってはならないもの。
マガツカミが素早く手を前に突き出すと、黒い炎が火球となり、スサノオに襲いかかった。
「!!」
スサノオの腕がそれを弾き、火球は学校に隣接する林に落下した。林の木々が一瞬で生命力を奪われ、枯れ木となる。スサノオの腕が赤黒く染まり煙が出ていた。「穢れ」たのだ。
「(やばい!)」
緊張に一瞬顔を強張らせたが、秕は対処法を心得ていた。
「臨める兵、闘う者、皆、陣破れて前に在り!」
秕は「変わり九字」を切った。月御門流の独自の九字だ。
秕の術がスサノオを経由して外へ放出される。一瞬で場の空気が清浄にもどった。スサノオの腕も回復する。
マガツカミは見るからに弱ってはいたが、まだ終わってはいない。再び腕を上に向けようとしている。
あんなものをばらまかれてはたまらない。秕は決着を急ぐことにした。
「いくらコイツが宇宙の果てから来た未知の存在だとしても」
スサノオを突進させる。マガツカミに黄泉の炎を使う暇を与えないように、連続攻撃で圧倒する。
「いくら巨大な呪力を持ったバケモノだとしても」
それでもマガツカミは執拗に反撃を試みる。その攻撃をスサノオは難なくかわし、そして一瞬の間も置かず強烈な蹴りを繰り出した。マガツカミの巨体が高く宙に浮く。もはや転移は出来ないようだ。
「霊は霊だ。僕たちオガミヤの敵じゃあない!!」
秕は、素早く禁刀呪を詠唱し始めた。
これは、秕の知る最大の秘術で、体にため込んだ精気(呪力)をすべて攻撃用に転化し、魔霊を降伏する強力な呪術だ。本来は「禁刀」を所持する必要があるが、それはスサノオの圧倒的な力が補っていた。
「吾は是、天帝の執持使むる所の金刀なり
凡常の刀に非ず 是百錬の刀也
一たび下せば何ぞ鬼の走らざるや、何ぞ病の愈らがざるや
千妖も万邪も皆悉く済除す」
スサノオの右手に霊気が集約される。すかさず秕はスサノオを跳躍させ、間合いを一気に詰める。
そして。
「――急ぎ律令の如くせよ!!」
スサノオはイカヅチの如く霊気の爪を振り下ろし、敵の巨体を真っ二つに引き裂いた。
凄まじい霊子の衝撃波があたりを駆け抜ける。霊感の無い一般の者にも感じ取れるほどの衝撃だった。校舎のガラスの大半が吹き飛ぶ。
成り行きを見守っていた全員が、言葉を失ってその光景を見つめていた。
巨大な影が揺らいだ。マガツカミの身体が空間に溶け込むように、少しずつ消えているのだ。
水の滴る音がする。
悲痛な叫び声に似た念が秕の心に届いた。どこかもの悲しい、怒りと恐怖がない交ぜになったような咆哮だった。
「お前はなぜ生きている」
「これは……」
例の耳鳴りのような声だ。このマガツカミが声の主だったのか。と秕は思ったが、すぐに頭をふった。
「いや、違う。こいつを通して他の『何者か』が思念を送ってきているんだ……」
その声は、秕個人に向けられた恨みの呪詛のように感じられた。
「(……なんで僕にそんなこと?)」
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◆結末
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沈黙が周辺を支配する。マガツカミはあとかたもなく消え去った。スサノオの幽機憑依がとけ、もとのPMの姿に戻る。
「……か、勝った……のか?」
肩で息をしながら、秕が誰にともなく問いかける。返事は無かった。だが、周囲の沈黙はやがてざわめきに変わり、少しずつ大きくなって、そしてついには大歓声が巻き起こった。秕の問に対する、それが答えだった。
「す、すげえ!」
「マジで倒しやがった!!」
「枢機軍でも、アリスでも手が出なかったのに!!」
「信じらんねえ!」
「あの秕が!!」
村山や尾藤はじめ、クラスメイトたちが口々に声を上げる。皆一様に安堵の表情を浮かべ、互いに抱き合ったり、涙を拭いたりして、生き残ったことを喜びあった。
アリスの表情は複雑そのものだ。あれほど見くびっていた秕に助けられる事になろうとは。しかしその一方、妙に安心してもいた。秕は彼女が心配するほど弱くは無い。
興奮さめやらぬ校内。やがて枢機軍の増援部隊が駆けつけ、事後処理に当たった。
多くの死者と負傷者をだし、街の建築物などにもかなりの被害を出したが……。だが、どうやら最悪の事態は防ぐ事が出来たようだ。
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秕はPMを降りると、アリスの姿を探して辺りを見回した。その視界に飛び込んできたのは、不動と古尾に肩を借りたクロウだった。
クロウは笑っていた。自嘲気味に、挑戦的に。
「なるほどな……。陰陽道か。こんなテがあったとはな。おもしれえ。おもしれえぜ!!」
ひとしきり笑った後、クロウは急に真顔になる。
「だが、オレはそんなの認めねえ!! 有効な武器さえあれば、オレの方が簡単に奴を倒せたんだ!! PMが直ったら……オレと勝負しろ!! 式神を使おうが、どうしようが、一番強いのは誰かってのを教えてやる!!」
2人の肩から手を離し、クロウは背をむけ歩き出した。その足取りは覚束なかったが、瞳から光が消えることは無かった。
「バ、バカやろー!! カッコつけてんじゃねーぞ!! 卑怯者めっっ!! 式神の力で勝ったって、そ、それはお前の実力なんかじゃ……!!」
「い、いい気になるなよ……!! お前なんかに……お前なんかに……くそっ!!」
不動と古尾は、捨て台詞を残してクロウの後を追いかけた。
菜乃が秕を見つけて駆け寄って来た。腕にしがみつき、兄の無事を確かめる。ほっと、一息つくと、菜乃はすぐいつもの調子に戻った。
「敵は宇宙人じゃなかったのね。残念」
宇宙人説が否定されて彼女はしょげていたが、すぐ別のことに興味が移る。
「亜空間は霊界とつながっているって噂があるの。数年前、冥王星の近くで大規模なワープ実験が行われたんだけど、史上まれに見る大失敗だったらしいよ。その場所は今でも巨大な穴が空間に開いているって言われてる。そこからマガツカミがやってくるのよ、きっと!!」
秕の祖父も孫の様子が気になってやってきた。秕の顔を見て、無言で頷く。
「わしのコネも役に立ったわけじゃの」
「……じゃあ、こうなる事を予想して?」
「お前の陰陽道も立派な才能……実力じゃ。お前にはこの学園に入る資格があったということじゃな。じゃが、当時は敵が霊だなどと言っても信じる者はいなかった。とまあ、そういうわけじゃ」
「それならそうと、言ってくれれば」
祖父は笑ってごまかした。
「そんな事より、これからどうするか……じゃな」
表情を改めて続ける。
「古事記にこうある」
――葦原中国悉に暗し。これによりて常夜往きき。ここに万の神の声は狭蝿なす満ち、万の妖悉に発りき――
「アマテラスが天の岩屋戸に隠れてしまったので世界は暗くなり、多くの神の声が満ち数々の災いが起こった……という意味じゃ」
「フルコトブミ……。柚木家に伝わる、古事記のオリジナルの一部……」
「マガツカミとは、過去に葬られたはずの、古き神々の敵。そして今また当時と同じことが起きようとしておる。奴らの目的はわからんが、戦いはまだ始まったばかりじゃ」
「……うん」
「ま、しかし、今日のところはよくやった。ホレ、嬢ちゃんのところへ行ってやれ」
**********
「くろうくん、血が。早く保健室にいかなきゃ!」
「たいしたこたねーよ」
血相を変えて慌てふためく倫子に、クロウが捕まっていた。心配のあまりしつこく世話を焼こうとする倫子だったが、クロウは正直、倫子の相手をする気にはなれなかった。
「でも」
「うるせーっ! あっち行け!!」
倫子の瞳が涙で曇る。
「う……うわーん。やっぱり私は必要ない人間なのね!? 私なんか『あっちの世界』へ行けばいいんだわーっ」
「あっちの世界? な、なんでそうなる!!」
保健室に行く途中、2人を見かけた秕だったが、そっとしておくことにした。
そんなことよりも大事なことが秕にはあった。
いそいで保健室のドアを開ける。大勢のけが人がそこら中に座ったり寝そべったりしている。重傷者はすでに病院に搬送されたようだ。
目ざとく、秕はアリスを見つけ出した。
「アリスちゃん、大丈夫?」
「ああ。なんとかな」
秕はその場に座り込んだ。安心して力が抜けたのだろう。
「でも、ひどいケガじゃないか、早く病院に」
「応急処置はすんでる。急がなくてもいい」
「でも」
ここで、新たに救急車が到着した。ずっとけが人の面倒を見ていた女性教師、鮎川がアリスを呼びに来た。
「ほら、アリスちゃん」
「……わかったよ」
アリスが松葉杖を持って立ち上がる。秕がアリスに肩を貸し、支えるように歩き出す。「余計なお世話だ」といって拒否されるかと秕は思ったが、アリスは珍しく素直に従っていた。
アリスの体温が伝わってくる。それは彼女が生きている証拠であり、秕は心底安堵した。
「まさか、お前に助けられるとはな」
「僕も、これに助けられたんだよ」
秕がポケットから何か取り出す。
「それは。私の父さんがお前にやったっていう?」
「うん。御守りだよ。この中にスサノオの式札が入ってたんだ」
「なんで父さんがそんなもの?」
「わかんないけど。でも。とにかく。無事でよかった……」
ここで秕は、一つ気になる事を思い出した。
「それで、あの、アリスちゃん。さっきのセリフだけど……。『大切なものを……』ってやつ」
アリスの顔が凍りついた。
マガツカミの攻撃を食らって、アリスの意識が朦朧としていた時のセリフのことだ。アリスもぼんやりと覚えていた。
「アリスちゃん?」
アリスはうつむいて小刻みに震えている。よく見ると少し顔が赤い。
「ねえ? ねえってば?」
「う、うるさーい!!!」
恥ずかしさのあまり取り乱したアリスはとっさに秕をK.O.した。怪我人とは思えない動きだった。
悲鳴を上げて、秕は倒れ伏す。
「私はそんな事言っていない!! いいか? 言ってないんだ!!」
胸ぐらをつかみ、秕を睨み付け脅迫する。
「……は、はい。言ってません……」
反論の余地はなかった。
これほど動揺したアリスも珍しい。だが、それも一瞬のことだった。
「……フン。少しぐらい強くなったからって調子に乗るな」
彼女はすぐにいつものクールさをとりもどした。
しかし、昨日までのよそよそしさは消えていた。少なくとも、秕にはそう感じられた。
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後日、PM適性試験の結果が発表された。
「柚木秕、合格」……と。
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◆敵
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冥王星軌道、外縁。
米艦隊を葬り去ったものと同タイプのマガツカミ「ウキフネ」が十数体。地球を目指していた。
全長1800mはあろうかと思われるひときわ巨大な一体の中に、人の手が加わった広い空間があった。神殿のような暗く荘厳な雰囲気で、天井は高く、ところどころ篝火が揺らめいている。中心部が祭壇のように少し盛り上がっており、そこにうごめく者達の影があった。
「『シラヒト』が破壊されたか」
「まさか、あのような見捨てられた原始の星に霊体兵器があろうとはな」
六体の、人の形をしたマガツカミが言葉を交わしていた。人と同じサイズにもかかわらず、その霊格は地球にあらわれた「シラヒト」をも軽く凌駕する。
「だが、大した問題ではない」
「これでこそ、我ら『魔民六族』が随伴してきた意味があろうというもの」
六族の全員が、不意に口を閉じた。一様に表情を引き締め、片膝をついて頭を垂れる。
神殿のような空間の一段高く奥まった場所に、ひとつの人影が現れた。一見すると少年のような印象だが、霊体であるマガツカミに年齢は意味をなさない。
彼にまとわりつくように、周りを威嚇するように、二体の下僕が付き従う。八つの首を持つ巨大な蛇と、九つの首を持つさらに巨大な蛇だ。どちらも20メートル以上はある。銀色の髪を持つ少年が優しくなだめると、二体の蛇は後ろに下がった。
「レタルヒュレウ様」
六族の筆頭が地球から届いた情報を報告する。レタルヒュレウと呼ばれた少年のようなマガツカミは、ゆっくりと手を振った。その先にゆらりと映像が浮かび上がる。そこには、つややかな長髪の少女が写っていた。
「行け」
レタルヒュレウがつぶやくように言う。
「仰せのままに」
答えると同時に、六族は姿を消した。
彼らの計画が動き始めた瞬間だったが、それが地球に影を落とすまで、今しばらくの猶予が必要であった。
レタルヒュレウが遠く天を見上げる。その瞳には、憂い、憤り、怒り、あらゆる感情を読み取ることは出来なかった。ただ、宇宙のような深淵が、奈落のような冥闇があるだけだった。
【続く】