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禁じられたアリス  作者: 右藤秕
Ep01 序章
3/26

Ep01_03 オガミヤ

20150705 細かい修正。

―――――――――――――――――――

◆帰り道

―――――――――――――――――――


 学校を出た(シイナ)は寄り道をした後、アリスを探しに行くため道を急いでいた。その彼を、上空から呼び止める声がした。


「おにーちゃーん! ひどい! 菜乃(ナノ)を置いて帰るなんて!!」

「えっ!? 菜乃…!!?」


 菜乃の乗った小型の飛行機械がふわりと着陸する。

 兄の傍に駆け寄ると菜乃は自然に手をつないだ。ふだんちょっとエラそうな妹だったがこういう所はまだまだ子供だ。

 秕は多少気恥ずかしい気はしたが、小さな妹のすることなので特にやめさせはしなかった。


「宇宙人の件は、また今度じっくり調査するからね。手伝ってよ」

「そんなことより菜乃、なんだいそれは!?」

「いいでしょ。空飛ぶ機械のホウキ『IXION(イクシオン)』よ。私が作ったの」


 菜乃はいたずらっぽく微笑んだ。

 イクシオンは魔女の持つ魔法のホウキのように、またがって空を飛ぶ機械だ。サイズはホウキと同じぐらいで、長い柄の後方に小型のエンジンと小さな翼がついており、プロペラによって推力を得ているようだった。

 子供とはいえ、一人の人間を乗せて飛ぶとは信じられないほど小型だ。どういう仕組みか気になったが、細かな仕様は秕にはわかるはずもなかった。


「ほんと、菜乃は機械に強いなあ。まだ5年生なのに」

「そうよ。だって、菜乃のナノはnanoのナノなの!」

「(なんのことやら。nanoって言うのはナノテクノロジーの事かな……?)」


 ふと、菜乃が秕の顔を覗きこむ。


「どうしたのその怪我」


 図書室ではパソコンに夢中で菜乃は気付かなかったが、秕のオデコに大きな絆創膏が貼ってあった。


「あ、うん。PMでちょっと……ね」

「もー、まだあきらめてないの? お兄ちゃん、才能ないんだしいい加減にすれば?」

「うるさいなあ、僕はPMのパイロットになるんだったら!!」

「はあ。気が弱いくせに諦めの悪い……。でもダメ。困るのは私なのよ」

「なんで?」

「お兄ちゃんには家業を継いでもらうの! じゃないと私がやらされちゃうんだもん。そんなのヤダ!!」

「ヤダって……。僕だってやだよ。21世紀にもなってあんな仕事……」

「ったくもう!」


 秕の腕を菜乃が取る。


「いいからホラ、帰ろ。仕事が入ってるっておじいちゃんが言ってたよ」

「ええーっ!!? 仕事っ!!? 今それどころじゃないんだよっ」

「ダダこねないの!」

「わーっやだよっ冗談じゃないよーっっっっ!!」


 菜乃は強引に秕を引っ張って自宅を目指した。

 学校から西に10分程行った小高い山の中腹に、古い神社があった。そこが彼らの家である。古びて苔むした門にはこうある。


月御門流(つきみかどりゅう)陰陽道(おんみょうどう) 神道本庁(しんとうほんちょう)


 つまり、秕の家――柚木家――は、悪霊退治や御祓いを生業とする、陰陽師……通称「オガミヤ」と呼ばれる存在であった。



―――――――――――――――――――

◆自宅

―――――――――――――――――――


 21世紀。人類の開発の手は、太陽系の各所にまで及んでいた。だがしかし、SF映画のような科学万能の未来都市の出現や恒星間航行の実用化はまだ先の事だろう。

 地上では、地方に行けば田や畑がのどかに広がっているし、山や川、自然もまたずいぶんと残っている。多少便利なアイテムが増えたぐらいで一般市民の生活レベルは前世紀とさして変わりは無い。

 いやむしろ、世の中のすべてが科学で解明されていく中で、人の心はかえって闇に捕らわれ、未知のものを求め、迷信的になっていったかのようにさえ思える。陰陽道などという太古の呪術がいまだに残っているのもそういった背景があるからかも知れない。

 そしてここにも、その太古から伝わる呪術を継承する者達があった。


「ただいまー。おじいちゃん、お兄ちゃんを捕まえてきたよ」


 菜乃に引きずられるようにして、秕は自宅の門をくぐった。


「帰ったか、秕。仕事じゃ。除霊の依頼者がもう来ておるぞ」


 秕は叫び声を上げて抵抗する。


「いやだよーっ。除霊なんてやりたくないよーっ」

「情けない。それでも由緒ある柚木家の跡取りか!! そもそもわが柚木家は月御門流陰陽道の使い手として、代々、時の朝廷にお仕えし、この国の霊的防御の一角を担い……」

「そんな事言ったって、今はただの貧乏一家じゃないか」

「何を言うかっっ! ビンボーはしていてもオガミヤとしての資質が失われたわけではない!! 我等の使命は、悪霊に苦しめられる人々を救うことにある」

「そんなの……宇宙から異星人が攻めてこようかって時に時代錯誤もはなはだしいよ」

「ええい ! この痴れ者がっ!! 罰として、起請文の書き取り1000枚じゃ!! 陰陽師たるもの、常に霊力を磨き、己を磨いて魑魅魍魎の跋扈するを調伏せしむるが必定。そんなザマでこの先おぞましい悪霊達と渡り合っていけようか!!」


 祖父は泣き叫ぶ孫の襟首をつかみ神社の社殿にひっぱって行く。


「さあ、来るのじゃ!!」

「いっいやだーーっ」

「霊に苦しめられている人がおるのじゃ。ほっておくわけにもいくまい」

「れ、霊 !!? い、いるの?、れれれ霊が…!!?」


 ひときわ大きな悲鳴を上げ、秕は目を回して倒れた。気を失ったようだ。


「お、おにーちゃん!!?」


 菜乃が駆け寄って抱き起こす。


「……まだ駄目か」

「どういうことなの、おじいちゃん!?」

「うむ、実は……」



**********



 気絶した秕を自宅兼社務所に運び込み、ソファに寝かせる。ため息まじりに秕の祖父は話し始めた。


「……実はな。秕は昔から極端な霊恐怖症なのじゃ」

「え……」

「近寄っただけでトリハダがでるとか言っておった。菜乃には言ってなかったが、幼いころのトラウマでな」

「とらうま?」

「うむ。もう7、8年前のことじゃ。秕は一度、死にかけたことがあるんじゃよ。タチの悪い怨霊のせいでな」

「しらなかった」

「もういい加減、立ち直ってもいいころなんじゃがな」

「……オガミヤなのに霊がコワイなんて。致命的だよね」


 祖父はゆっくり頷いた。


「じゃが、乗り越えてもらわねばならん。秕のためにも」

「でも。これじゃ、仕事は出来そうもないね」

「そうじゃな」

「仕方ない。お客さんには帰ってもらおうか」

「わざわざ来てもらって悪い事をしたな。……アリス穣ちゃんには」


 気絶してソファに横たわっていた秕が、バネ仕掛けのように起き上がった。


「アリスちゃんだって!!?」


「アリス」という名前に反応して秕は瞬時に気絶から立ち直った。

 半ば呆れ、半ばむくれて菜乃は秕をねめつけた。


「アリスちゃんが除霊の依頼者……? あれ? でも、学校で会った時は、別に霊の気配は感じなかったけど……?」


 疑問には思ったが、彼にとってそれは些細な事だった。


「(家にまで来たってことは、もうアリスちゃんの機嫌は直ったのかもしれない)」


 秕は急いで社務所の隣にある社殿に向かった。



―――――――――――――――――――

◆オガミヤ

―――――――――――――――――――


 月御門流陰陽道とは、柚木家に代々伝わる秘伝の呪術で、古神道(こしんとう)の流れをくむ。主に、(はらえ)魔霊調伏(まりょうちょうぶく)をよく行い、星詠みの能力にも長ける。

 中でもよく知られているのは悪霊退治などのいわゆる「除霊」だったが、派手なアクションシーンに遭遇することは稀である。どちらかと言うと、霊を説得するような地味で根気のいる作業となることが多かった。


「除霊の依頼者ってアリスちゃんだったんだね」


 社殿に入ると、板の間の真ん中にアリスが待っていた。


「悪いか。帰り道でお前のじいさんに偶然会って……。私は別に霊なんて信じちゃいないけど、何かに取り憑かれたような顔してるって言われて……。それで仕方なく……。本当は来たくなかったんだ」

「やっぱり。トリハダは出ない」

「は?」

「い、いや、ともかく。来てくれて嬉しいよ。ああそうだ、おすしを出前してもらおうか。ええと、ピザの方がいいかな? それともケーキかなにか……」

「いいから早くしろ」

「は、はい」


 秕はアリスの正面に立つと、手で印を組み古の作法にのっとって除霊を開始した。嫌がってはいても、幼い頃から祖父によって陰陽道の基礎をたたき込まれている。素人から見ればそれなりにもっともらしい。

 秕は「ヒフミ祓詞」を詠唱した。


「ヒフミヨイムナヤ コトモチロラネ

シキルユヰツ ワヌソヲタハクメカ

ウオヱニサリヘテ ノマスアセエホレケ」


 流派によっていろいろな方式があるのだが、月御門流ではこれをひとしきり唱えた後、最後に「変わり九字」を切る。


「臨める兵、闘う者、皆、陣破れて前に在り」


 一瞬の閃光。

 アリスの周りに何かの瘴気がわき起こり、消えた。少なくとも彼女にはそう思えた。

 秕がわざとらしくゆっくり息を吐き出す。


「これでとりあえずは安心だよ」

「……なんだか気持ちが軽くなったような気がしないでもないような。私に取り憑いていた悪霊は倒したのか?」

「うん。問題ないよ」


 疑わしげに、アリスは秕を睨みつけた。


「やけにあっさりしてるな。ま、どのみち私は信じちゃいないけどな」

「いいんだよ。信じなくても。でも、当面は大丈夫」


 何が大丈夫なのか、アリスにはさっぱりわからなかった。


「いやー、でも、アリスちゃんが家に来るなんてほんと久しぶりだよね。昔はよくみんなで遊んだのに」


 幼いころ、アリスと秕、クロウと倫子の四人は仲がよく、いつもこの神社のまわりで遊び回っていたものだった。


「……別に来たくて来たんじゃない。お前のじいさんには私の父さんも世話になったしな。断るわけには」

「……お父さんのことは……残念だったね。あの、米軍の事故に巻き込まれたなんて……」


 米第七宇宙艦隊の「事故」は今から半年ほど前、秕たちがこの学園に入学する前の出来事だった。アリスの父、日宮静馬(ヒノミヤシズマ)は米軍に同行していたのだ。


「あれは事故じゃない」

「え、それはどういう……」

「父さんは正体不明の『敵』に殺されたんだ」

「そんな。じゃあ、噂は本当だったってこと……!?」

「『奴ら』は私が倒す! 絶対にだ!!」

「奴らって? エ、エイリアン!?」

「わからないが、敵だ!!」


 不機嫌に彼女は言った。秕に向けるものとは別種の怒りだ。


「アリスちゃんがウチの学校に入ったのは、ひょっとして、軍に入ってお父さんのカタキを取るために……?」


 肯定とも否定ともとれない沈黙。答えたくないのか、ただ、秕を煙たく思っているだけなのか。


「もう帰る」

「あ、ちょっと、待っ…… 」


 アリスは帰ってしまった。秕は大きなため息をついた。



**********



「除霊、すんだみたいね」

「まーね」


 社殿まで、菜乃が様子を見に来た。


「相手がアリスさんだと、ユーレイも怖くないんだね。あれだけ怖がってたくせに。ふんだ」

「い、いや。そんなんじゃないよ」


 妹がなぜ怒っているのか、秕には皆目見当もつかなかった。


「今回は違うよ。怖がる必要が無かったんだよ。アリスちゃんは霊に取り憑かれてたんじゃないんだ。その証拠に、トリハダが立たなかった」

「え? でも、アリスさん、なんだかつらそうにしてたよ?」

「アリスちゃんはこのあいだお父さんを亡くしただろ? ほら、例のアメリカ艦隊壊滅の時……。それが原因でまだ立ち直れていないんだと思う。お母さんもいないし……」

「……そうなんだ」

「だから、今回の除霊はいわば、ただの気休めなんだよ。除霊の芝居をしただけ」

「だましたの?」

「じゃなくて。自分に憑いてる悪い「霊」を御祓いしたって言われれば、ウソでもすこし気が楽になるってことだよ」


 こういった依頼のうち、本当に悪霊に取り憑かれてる人間は実際0.01%ぐらいのものである。あとはどちらかと言うと心の病気に類するものだ。何かに思い悩んで心身に失調をきたし、ありもしない幻をみたり幻聴を聞いたりする。

 除霊の大半は、実はカウンセリングだと言える。人は自分が心に病を持ってるという現実を認めたがらない。精神的に不安定になっている時は特にその傾向が強い。

 しかし、その病を「悪霊」の仕業にしてしまえれば「自分が悪いんじゃないんだ」と安心できる。

 そして、「悪霊」を退治するプロセスを通して心のつかえをとりストレスを発散させ、治ったと信じ込ませる。現代風にいえばプラシーボ効果という。それが除霊のもうひとつの側面なのだ。


「病は気からって言うだろ?」

「へえ」

「多分じいちゃんがアリスちゃんに気を使ったんだと思う。うちに来た事で少しでも元気になってくれればいいんだけど……」


 感心して菜乃が大きく頷く。


「やっぱり、お兄ちゃんにはオガミヤがむいてるのね。がんばってオガミヤになってね」

「……だからならないんだってば」

「そんなことより、お兄ちゃん。これからIXIONのテスト飛行するの。手伝ってよ」


 菜乃が秕の腕を引っ張った。そのはずみに、制服の胸ポケットから二枚の紙切れがのぞいた。菜乃が嬉しそうに取り上げる。


「なにこれ。映画のチケット?」

「あ!!」


 菜乃からチケットを奪い返す。


「そうだ、これ、渡すんだった」


 このチケットは、秕が学校帰りに寄り道して買ったものだ。

 映画をきっかけにアリスと仲直りをする、という安直な計画を秕はたてたのだった。


「ちょっと、どこいくの? あ、アリスさんを追っかける気ね? まって、テスト手伝ってよーっ」

「ごめん。また今度ー」


 秕は慌てて走り去った。神社の境内にひとり菜乃が取り残された。


「……んもう!」



―――――――――――――――――――

◆公園

―――――――――――――――――――


 アリスを探して、(シイナ)は商店街まで来ていた。

 浦上町はどちらかと言えば田舎に分類される。若者が立ち寄りそうな場所は限られているし、アリスの行動パターンも秕にはそれなりに予想出来た。

 彼女が暮らしているアパートや商店街を探した後、近くの公園の桜の樹の下で、秕はアリスを発見した。


「見つけた!」


 ポケットの中で、映画のチケットを持つ手が少し汗ばむ。幼なじみとはいえ、やはりこういうことは緊張するものだ。


「……なんだよ、しつこい」


 秕の方を見ずに、アリスが言った。


「ええと、その……」

「私は忙しいんだ。用がないんなら」

「あの。実は……」


 秕はやっとの事でポケットから映画のチケットを二枚とりだすと、震える手でアリスに差し出した。


「もしよかったら、あの、今度、映画でも……ど、どうかな……?」

「フン。ひとりで行けばいいだろ」


 アリスはチケットに見向きもせず、秕に背を向ける。彼の計画はあっさり頓挫した。

 殴られたり罵倒されたりするのにはなれている。だが今の彼女には妙なよそよそしさと冷たい無関心しか感じられない。秕は耐えきれない孤独感に襲われた。アリスが急に遠い存在になったように思えた。


「アリスちゃん……。なんで。どうしてそんなに僕をさけるのさ!!?」

「言っただろ。弱い奴は目障りだ。さっさと転校でもしてくれ」

「そんなんじゃわかんないよ。PMのパイロットは僕の小さいころからの夢だったし、約束でもあるんだ。そう簡単にあきらめるわけには……」

「私の命令が聞けないのか!!?」


 アリスの表情から感情が消える。代わりに機械のように無慈悲な殺気が頭をもたげてくる。これ以上逆らえば、アリスを本気で怒らせてしまうかもしれない。しかし、珍しく秕は退かなかった。


「……だって。約束したんだ。君のお父さんにたのまれたんだよ。「アリスを頼む」って」


 秕はそのときにもらった御守りをアリスに見せた。アリスの瞳から少し怒りが薄れた。


「……私より弱い奴に何を頼んだんだか」

「だから僕は24時間そばにいて君を守るんだ」


 秕がこれほど頑固にアリスに反抗するのも珍しい。しかし、彼女には少しだけ理解できた。何の役にも立たない秕だが、「約束」を守ろうと必死なのだ。――実行できるかどうかはともかく。

 アリスはうつむいて無言だった。


「そ、それであの。これなんだけど……」


 秕はもう一度、映画のチケットをアリスに差し出した。しばらくチケットを見つめていたアリスだったが、やがてそれを奪い取ると、無造作に破り捨てた。


「――!!!!」

「冗談だろ。お前なんかが私と釣り合うと思ってんのか?」


 容赦の無い捨て台詞を残して、アリスは踵をかえした。


「そ、そんな……。待ってよ……」


 なおも追いすがる秕に平手打ちを食らわせ、彼女はそのまま街の雑踏に消えていった。

 秕は声もなくただ、立ち尽くした。

 夕日が遠い山の稜線にかかっている。たっぷり時間をかけてそれは山の影に隠れた。不思議と涙は出てこない。彼は一つ大きなため息を吐いた。


「……帰ろう」



―――――――――――――――――――

◆夢

―――――――――――――――――――


 抜け殻となった秕が静かに帰ってきたのを菜乃は見つけた。兄のいつもと異なる様子に何かを察した妹は、からかうのをやめて、用件だけを伝えた。


「おじいちゃんが呼んでたよ」


 自動操縦の無人機械のように、秕は祖父の元へ向かった。


「ふむ。アリス穣ちゃんの除霊については、よくやった。しかし、さきほどのような除霊は我等オガミヤの本分ではない。我等の使命はやはり、魔霊を調伏(退治)することにある。そのためには日々の修行がもっとも大切なのじゃ」

「わかってるよ。だからちゃんと修行はしてるさ。一応」


 精神力強化のための、起請文や経文の書き取り、実戦用として、祝詞(呪文)の暗記、詠唱訓練。時々、山にこもらされたりもしている。修行だけはしている。しているが、秕は相変わらず霊を恐れているし、後を継ぐ気もなさそうだ。

 やはり強制的に「やらされている」という感がぬぐえないのはしかたがない。本人のやる気がもう少しあれば、さらに伸びるはずではあるのだが。


「(陰陽道の術は、主に術者の精神力により生み出されるもの。なにかきっかけがあれば……)」


 秕の祖父は、無意識に過去へと思いを馳せていた。


 7年前。

 幼い子供の悲鳴がいまでも老人の耳に焼きついている。秕は幼いころ、悪霊に襲われた事があったのだ。

 その時、秕の祖父は大半の呪力を奪われ、秕自身も生死をさまよう大怪我を負わされた。極端に霊を怖がるようになった、それが原因である。

 だが、その時その悪霊を除霊したのはほかならぬ秕本人だっだ。無意識のことで、彼も覚えてはいなかったが。


「(才能が無いわけではないんじゃがのう……)」


 自室に戻った秕は、落ち込んではいたが、やるべきことを忘れてはいなかった。明日のPMのテストに備えて教科書をチェックする。その後、HMDヘッドマウントディスプレイを頭に装着し、端末にインストールされているシミュレーションに取り組む。

 このシステムはゲームに似ているが、ゲームのように面白いものではない。特に秕のような素人には基礎トレーニングが最重要課題であり、必然的に、初歩の基本動作を何度も何度も繰り返し反復することになる。

 その単調さは拷問にも似た過酷さで、彼の精神力を消耗させていった。眠い目をこすりつつ、シミュレーションは深夜の3時をまわるまで続けられた。

 そして、限界を超えたのか、秕はHMDをつけたまま眠ってしまった



**********



 秕は走っていた。「何者か」から逃れるために。だが、どれだけ走ってもどんなに隠れてもその「何者か」は彼の前に現れる。

 誰でも見るような夢であったが、途中から少し様子が違って来た。いつの間にか三人で逃げている。自分とアリスとクロウ。幼いころの記憶がごちゃ混ぜに再生されているのだろうか。だがどこか違和感がある。三人とも今よりも年上に見えるようだ。

 水の滴る音がする。

 夢の中のはずなのに激しい耳鳴りに襲われる。やがて他の二人が消えた。辺りはいつの間にか深い霧に覆われた沼地になっている。

 そしてついに、「何者か」が秕の身体を鷲掴みにした。そのまま、沼の、暗い水の中に引きずり込む。どんなにもがいても逃れる事は出来ない。

 次いで、あの「声」が聞こえてくる。


「お前はなぜ生きている」


 布団をはねのけて秕は飛び起きた。時々、どこからともなく聞こえるあの「声」。しかも少しずつ大きく、はっきりと聞こえてくるように思えた。


「なんなんだいったい……」


**********


 翌朝、菜乃はいつもと同じように元気に兄を起こしに来た。


「おはよーっ。早くしないとチコクよーっ」


 もたもたと秕が起き上がる。


「もう、どうしたの暗い顔して。そんなんじゃ、ホントにアリスさんに嫌われるよ」

「いいんだ。もう、僕の人生はお終いさ…」

「ふーん。結構あきらめいいんだ、お兄ちゃん。でも、それでいいんだよ。アリスさんにお兄ちゃんは釣り合わないんだから」


 少しムッとする秕。


「そんなことないよ。アリスちゃんには、僕のような相手が必要なんだよ」

「だけど、フラれたんでしょ? あきらめたんでしょ?」


 昨日とは違い、今日は菜乃は遠慮しない。


「あ、あきらめたなんて一言も言ってないよ。アリスちゃんは気難しいコなんだ。ちょっとした事ですぐ怒るけど、次の日にはコロっと忘れてたりするんだよ」

「へえ。よく分かるのね」

「そりゃ、幼なじみだからね。アリスちゃんの考える事は何となく分かるんだ」

「じゃあ、どうしてまだ落ち込んでるの?」


 妹の指摘に、改めて考えこむ。


「…………。そうだ。どうせ、虫の居所が悪かっただけだよ。すぐに機嫌も直るはずさ!!」


 自分を説得するように、秕は言った。


「よし、早速学校で仲直りだ!! アリスちゃん待っててね!!」


 勢い良くベッドから降りて、秕は学校に行く準備を始めた。

 何とか元気を取り戻したようにみえたが、菜乃にはわかった。秕は無理に明るく振る舞っているだけだと。しかし空元気も元気のうちである。暗くなっているより余程いい。


「ふう。世話の焼ける」


 菜乃は笑ったが、少し力のない笑顔だった。



 【続く】



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