Ep01_02 学校
20150705 細かい修正。
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◆模擬戦
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水の滴る音がする。
柚木秕は確かにその音を聞いた。
だが、彼のまわりには水など一滴もない。どうやらその音は、彼の頭の中に直接響いてくる耳鳴りのようなものらしかった。
やがて、まわりの景色が何の意味も持たなくなり、彼の意識が拡散する。そしてどこからともなく聞こえる陰惨なうめき声。
憎悪。執着。嫉妬。低い声が彼の精神を圧迫する。
「……なぜ、お前は生きている」
弾けるように意識が覚醒する。秕は我に返った。彼は数々の計器類に囲まれたコクピットに座っていた。
「なんだろ、今の?」
スピーカー越しに生徒達の歓声が聞こえてくる。
「あ、そんなの気にしてる場合じゃない」
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国立浦上学園、初等中等部。
ここは、国連枢機軍の統括する士官学校付属幼年学校で、世界でも屈指のエリート校である。
特に搭乗式歩行重機と呼ばれる人型兵器「プレイトメイル」のパイロット育成に力を入れており、多くの優秀な人材を輩出していた。
柚木秕はこの学園に通う中等部1年の13才で、身長は平均よりやや下、見るからに弱々しい印象の少年だった。
我に返った彼は、今が、PM実技の授業中であることを思い出した。
「まずい、まずい」
慌てて操縦桿を握り直す。
校庭に隣接する演習場で二体のPMが対峙していた。
このPMは学園の訓練用機で、飾り気のない実用本位のデザインをしていた。無駄な出っ張りや意味不明の翼などは一切ついていないし、航空力学を無視して空を飛び回ることもない。
「どーしたぁ!? 秕! かかってこねーのか、ア!?」
模擬戦の対戦相手である、クラスメイトの水凪九郎が挑発してくる。秕よりやや長身で、見るからに活発そうな少年だ。
「ちょ、ちょっと待って、まだ心の準備が……」
「ウダウダやってんじゃねえ! 来ないんならこっちから行くぜえ!!」
全高約10メートル、8トン以上の金属の塊が秕のPM13番機めがけて突進してくる。その圧迫感は大型のトレーラーが真正面から突っ込んで来るさまによく似ていた。
鈍い衝突音とともに13番機が弾き飛ばされる。情けない悲鳴をあげて、秕はPMの中でもみくちゃにされた。シートベルトや座席の衝撃吸収機構のおかげでミンチにならずにすんではいるが、それでも相当のダメージがあるはずだ。
クロウの駆るPM5番機が、ひっくり返った13番機を見下ろす。
「ザコが ! その程度のウデで、よくPMパイロットを目指せるもんだな。さっさと転校しちまえっ!!」
クロウのセリフに秕は何の反論もできなかった。痛みに耐えつつ、うめき声をもらす。それでも、なんとか自分のPMを立ち上がらせようとする秕だったが、気持ちばかり焦ってなかなか思うようにいかない。
「ったく、なんで柚木みてーな運動神経ゼロのメカオンチがウチのようなエリート校に入れたんだ?」
「どうせコネかなんかじゃないの? ま、どっちにしろ、ヤツがパイロットになる事は無いだろうけどさ」
戦いを観戦していたクラスメイト達の中で、制服をだらしなく着崩している2人が上品とは言えない笑い声を上げた。
「悪い事はいわねえ。クロウの言った通り転校しろ!」
「そーだそーだ!!」
彼らの素行はとてもエリート校の生徒とは思えない。だが操縦技術の観点から言えば、優秀なパイロット候補生であることに間違いはなかった。
「なんで上手く出来ないんだ……。約束したのに……PMパイロットになるって決めたのに……!!」
正面モニターの隅にぶら下げた御守りに一瞬だけ目をやり、秕はつぶやく。焦れば焦るほど、彼のPMは言うことを聞いてくれなかった。
短い舌打ちの音が響く。倒れた13番機のコクピット内の様子を、通信モニタ越しにクロウは見ていた。無様に慌てふためく秕の様子に、より一層いらだちを募らせたクロウが、再度5番機を突進させた。
「自分がどれだけ無能か、思い知らせてやる!!」
立ち上がろうともがく13番機にむけて破城槌のような鋼の腕が振り下ろされる。秕が瀕死の小動物のような悲鳴をあげた。衝撃が走り、秕の13番機の装甲が大きくひしゃげる。
――その前に、クロウの攻撃は突如現れた赤いPMによって受け止められていた。
「なに!!?」
「やめておけ。勝負はついている。PMを壊す必要はない」
赤いPMから鈴を鳴らしたような涼やかな、しかしどこか厳しさを秘めた声が響いた。
「あのPMは……」
先ほどまで死にそうだった秕の表情がにわかに明るくなる。
「……!!? ……くそっ」
5番機は拳をおさめ、しぶしぶといった体で踵を返した。
模擬戦は――模擬戦というより秕が一方的にやられていただけだったが――クロウの勝利で幕を閉じた。
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◆アリス
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「アリスちゃん!!」
秕がPMのハッチを開け、顔を出す。
赤いPMから、陽光に輝く長髪を風に任せ、一人の少女が降り立った。日宮アリス。浦上学園の中等部1年。秕のクラスメイトかつ、幼なじみである。
絵画のように端正な顔立ちで、みずみずしい生命力にあふれた、まるで奇跡のように美しい少女だった。
「アリスだっ!!」
「今日もかわいいーー」
「しかも、あのクロウを簡単に止めるとは、さすがだぜ」
「デートしてぇ!」
アリスの登場でクラスの男子生徒たちが、一斉に色めき立った。
「わーん。アリスちゃーん! クロウがいじめるんだよーっ!!」
秕は園児のように泣きながら駆け寄って、アリスの腕にすがりついた。幼なじみである二人は、姉弟のように育ってきた(実際には秕のほうが一日だけ年上だが)。秕は昔からいじめられやすく、そのたびにアリスに助けを求めたものだった。
「あー、もう、ウットーしい!!!!」
アリスが容赦なく突き飛ばし、秕はもんどり打って倒れ伏した。
「それでも男か、情けない!!」
倒れた秕の背中をアリスが無慈悲に踏みにじり、秕が短く叫んだ。
「で、でも助けてくれてありがとう。うれしいな。僕の事をそんなに心配してくれるなんて」
アリスが無言で、そっと秕を立たせた。
アリスの甘い香りが秕に届く。心臓が激しく高鳴る。顔が耳まで赤く染まる。近くで見るアリスはより一層輝いていた。これは比喩表現ではなく、きめ細やかな白い肌が実際に淡く光を放っているのだ――少なくとも秕にはそう見えていた。
アリスは、うつむき加減で半歩さがった。
「アリスちゃん……?」
次の瞬間。アリスは踊るようにクルリと身体を一回転させると、その遠心力と体重と脚力の全てを右足にこめ、美しく凄まじい蹴りを繰り出した。デク人形のように手足をもつれさせながら秕の身体が宙を舞い、その後、地面に叩きつけられる。カエルを踏みつぶしたような声を発して彼は地面に転がった。指先がぴくぴくと痙攣している。
「あまえるな!!」
さらに容赦なく、アリスは秕を踏みつける。
「な、なんで……? 助けてくれたんじゃなかったの!!?」
「フン。お前なんか助けるわけないだろ。PMを守っただけだ」
「そ、そんなああ」
「――それより、なんなんだ、さっきのブザマな戦いは!!? 入学して三カ月も経つのにあの程度か。この役立たず!!」
「ご、ごめんなさいーっ」
「やっぱり、私が言った通りだな。お前には才能がないんだよ」
「僕だって一生懸命やってるんだよう」
「一生懸命やってアレか。だったらなおさらだ。お前みたいな無能に用はない。とっととこの学園から出て行け!!」
「そんなっ!!? アリスちゃんまでクロウと同じこと……。ごめんよっ。もっとがんばるから、そんな事言わないでよーっ」
半泣きで秕は抗議する。いや、抗議というより懇願に近い。だが、アリスに引き下がる気はなかった。
「……どうしても私の命令が聞けないって言うのか?」
「お願いだよ。許してっ。僕はPMのパイロットになるって決めたんだから……」
「……そうか。ならば」
アリスは、冷たい瞳で無表情に秕を見据える。そして感情のこもらない声で言った。
「お前とはもう絶交だ」
秕の脳天に電撃と激震が走った。明日世界が滅びると言われてもこれほどのショックは受けなかっただろう。
「な、なんで? まってよっ!! どうして突然そんなこと……!!?」
「うるさいっ!!」
最後に一発、頭をはたくとアリスは行ってしまった。破局は唐突に訪れた。秕にはアリスの考えが全く理解出来なかった。彼女がこんな事を言い出すのは、突然で不自然で理不尽な事のように思えてしかたなかった。
「そんなああ。アリスちゃーん、待ってよーっ!」
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◆教室
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後片付けを済ませ、生気のない足取りで秕は自分の教室に向かっていた。
「(ああ、どうしよう、どうしよう。アリスちゃんに嫌われてしまった……!! また、いつもの気まぐれとか、機嫌が悪かっただけ、とかならいいんだけど)」
校舎西棟2階に中等部1年B組の教室はあった。休憩時間なので、クラスメイト達はみな勝手気ままに雑談している。
「いやー、しかし。アリスってカワイイよな。ちょっとキツイのが、また。操縦技術もスゴイし頭もいい。しかも、某タレント事務所からスカウトまで来たらしいぞ。いるんだな、世の中には神に選ばれた人間ってのが」
「アリスも強いけど、クロウだってかなり強いはずなのに、なんであっさり引き上げたんだろ?」
体育会系風の少年と文化系風の少年が他愛もないうわさ話をしていた。
ドアが開く。秕が教室に戻ってきた。
「知ってる?学校のずっと西に神社があるの。そこには今時、陰陽師とかオガミヤとかいう人たちが住んでるんだって」
「ええ、やだ、こわい」
「今どきー!?」
三人組の少女たちが最近流行りのオカルト話で盛り上がっている。その話が耳に入った秕は、なぜかすこし慌てた様子だった。
「この学校の質も落ちたもんだな。柚木みたいな運動神経の無いヤツがどうして入学出来たんだか」
「優れたPM乗りになるためには、優れた運動神経が必要だ。俺たちみたいな、な」
制服を着崩した少年が2人、自分の席に座ろうとする秕を見つけて、聞こえるような大声で言った。その2人の間で、腕を組んで足を机の上に投げ出したクロウが忌々しそうに秕を睨む。
「そんなザコほっとけ。どうせすぐに追い出されるに決まってる。この学校は、そんなに甘くねえ!!」
秕は逆らわず、曖昧な笑顔を浮かべておとなしく席につくしか出来なかった。
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教室のドアから、小さな影が中を覗きこんでいた。
キョロキョロと様子を伺っていたが、やがてお目当ての人物を見つけて室内に走りこんだ。
「おにーちゃん!!」
「あれ、菜乃? なんで中等部に?」
秕の妹の柚木菜乃だった。ショートカットの髪を左右で小さく結っており、元気そのものといった感じの少女だ。
彼らの通う国立浦上学園初等中等部は、名前の通り初等部と中等部が同じ敷地内に併設されていて、行き来は非常に簡単だった。彼女は初等部の5年生である。
「知ってる? この間ニュースで言ってた、木星の近くでアメリカ宇宙軍が事故を起こしたってやつ……。本当は事故じゃないんだって。実は、悪い『うちゅうじん』に全滅させられたっていう話だよ」
「『うちゅうじん』って……。そんなまたマンガみたいな。『反乱分子』の仕業だっていうのならまだわかるけど」
「ほんとだもん! 絶対うちゅうじんだもん!!」
「はいはい。わかったよ」
「もう! 信じてない!! それなら放課後つきあってよ。図書室の端末で情報収集するの」
「えー、やだよ」
「約束だよ、待ってるからね!!」
一方的に約束すると、菜乃はさっさと自分の教室に戻っていった。
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◆昼休み
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昼休み。アリスとの仲直りの機会を伺っていた秕は、意を決して席を立った。昼ごはんを食べたアリスは、お腹がいっぱいになり、きっと機嫌もなおっている。そう彼は読んでいた。
「アリスちゃん、あの、さっきは…」
何とか仲直りの糸口を探すために、秕はおずおずと話しかけた。アリスは秕のほうを見もせずに答える。
「のど渇いた。ジュース買ってこい」
「た、ただいまっ!!」
ダッシュで自販機まで行って帰ってくる。タイムは1分を切った。
「あー、何だか今日は暑いな」
「どうぞ」
ウチワであおぐ。さらに、どこからともなく「おしぼり」を取り出して差し出す。当然のように受け取るとアリスは額の汗を軽くぬぐった。
「……秕のヤツ、完全にアリスの下僕だな」
「でも、なんだか嬉しそうだぞ?」
体育会系の少年と文化系の少年が2人の様子を呆れ顔で見ていた。
よく知らない第三者が見れば、いじめに見えたかもしれない。だが、秕にしてみれば、なんということもない。これくらいの事でアリスの機嫌が直るなら、安いものだ。むしろ、アリスの役に立つことができて彼は喜んでさえいた。もし幼なじみでなかったら、彼は彼女に話しかける事さえ出来なかっただろう。それを思うと、こうして彼女の近くにいられるだけで幸せなのだ。
秕は安堵のため息をついた。
「(まだ怒ってるみたいだけど、ホントに絶交ってわけでもなさそうだ……)」
だが状況が改善したとはいえない。安心するのはまだ早い。
「ねえ、アリスちゃん。どうしてそんなに反対するのさ? ……僕がPMパイロット目指す事」
アリスのナイフのような視線が秕に突き刺さる。
「パイロットになるってことは、国連枢機軍に入って戦場に出るってことだ」
「わ、わかってるよ。そんなこと」
「わかってないな。弱い奴に目の前をウロウロされると目障りなんだよ。戦場で足を引っ張られちゃたまらない」
秕はぐうの音も出ない。
「さっさと死んでくれればいいが、中途半端なケガで生き残られたら後のフォローが面倒だ。分かりやすく言えば、足手まといなんだよ」
血も涙もないセリフだが、彼女の言っている事はある意味で正しい。死人はそれっきりだが、怪我人は看病する必要があるし食料や医薬品を与えねばならない。軍の戦力を損耗させるのは、なにも敵の攻撃ばかりではないのだ。
「でも、これからもっと上達するかも……」
「あり得ないと思ったから、言ってるんだ。さっさとあきらめて実家の仕事でも継ぐんだな」
しばしの沈黙。
「……いやだよ。あんな時代遅れな仕事」
仕事の話が出ると秕の顔が曇った。心底、実家の仕事を嫌っているのだ。
「もう決めたんだ。ぼくはPMのパイロットに……」
アリスが舌打ちをした。
「あ……」
ついつい自分の意見を主張しすぎた。アリスの表情がどんどん険しくなる。これ以上話をしていては、どんな目に遭うか想像するのも恐ろしい。
「ええと、そろそろ授業がはじまるなあ……」
そうなるまえに、秕は自分の席にもどる事にした。
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◆授業
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ざわつく教室に授業開始のベルが鳴り響く。
「はーい、みんな席に着いてー! ほらそこっ! サクサク動く!!」
女性教師が入って来て、教壇に立った。
「それでは、搭乗式歩行重機概論の授業を始めます。まずは連絡事項から……」
「(……アリスちゃん。なんであんなに怒るのかな)」
模擬戦の後のアリスのセリフを思い出す。
――お前みたいな無能に用はない。とっととこの学園から出て行け!!――
「(それでも。僕はPMのパイロットにならなくちゃいけないんだ。約束……したんだから)」
ポケットに入っている御守りを握りしめ、秕は小さくつぶやいた。
「……と、いう事です。――それともう一つ。突然ですが、明日のPM実習ではテストを行いまーす」
女性教師が楽しそうに発表した。生徒たちが一斉に抗議の声を上げる。
「今回のテストは非常に重要なもので、みんなのPM適性を判断します。気合いれて取り組むよーに!」
「やべーよ!」
「どーしよう」
不安気な声が教室のあちこちから聞こえてきた。不安は、秕も例外ではない。
「(テストかぁ。ああ、どうしよう。今の実力じゃ、とてもPMパイロットなんて……。かといって、やめるわけにもいかないし)」
「よかったなー、柚木。やめるキッカケができてよ」
制服を着崩した少年のうち長身の方、不動栄二が半笑いで秕をからかう。
「試験に落ちれば、思い残すことなく学校をやめられるな」
不動といつもつるんでいる古尾米太が追随する。秕は聞こえないふりをした。
「はーい。じゃ、教科書の26ページ開いてー。ええと、(3) 搭乗式歩行重機開発の歴史から……。ヒノミヤさん、読んで」
「はい」
女性教師の指名にアリスが答えた。
「21世紀初頭、急速に発達したメカトロニクス産業はついに搭乗式歩行重機の実用化に成功した。当初、それは人類の宇宙進出の一翼を担い、惑星改造、コロニー建設機械などとして使用された。しかし、やがて当然のように軍用に転化され……」
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◆図書室
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放課後。
逃げるように下校したアリスに置いて行かれた秕は、妹との約束を思い出してしぶしぶ図書室に向かった。
途中、担任の女性教師に捕まって軽く説教された。
「柚木くん。あなたもっと頑張らないと、かなりマズイよ。進路を考え直すとか、特訓するとか何か対策を練らないと」
「はあ」
現実に押しつぶされそうになりながら、秕は図書室のドアを開けた。妹を探して辺りを見回す。まばらな人影の中で、ひときわ目立つ少女に目がとまった。
「秕くん」
少女の方も秕に気づいて声をかけてきた。クラスメイトの綾村倫子だ。一見すると儚げで大人しそうな線の細い少女だったが、それらを打ち消して余りある奇妙な服装をしていた。季節感を完全に無視したサンタ服だ。秕は別段、そのことには触れなかったが。
「りんこちゃん、何やってるの?」
「私はいつもここで本を読んでるの。静かで落ち着くから」
「余裕だね。PMの適性試験は大丈夫なの?」
「私はPMパイロット志望じゃないから……。というか、私みたいな無能な人間には出来る事はたかが知れてるの……」
「そんな、悲観的な」
「事実だもの。私も秕くんと一緒でどうして入学出来たのか分からないひとりなの。どうせ……。どうせ私なんか……ぅわーん!!」
自分で言っておいて悲しくなってきたらしい。倫子は園児のように声を上げて泣きだしてしまった。
「私は役立たずでどうしようもないクズなのよー!」
涙声でしゃくりあげる。
「わーっ、落ち着いて!! ほら、おかし、あげるから」
「……お……おかし……」
上目遣いに菓子を見上げる。
「くすん……。……あ……ありがとう……」
涙を拭って、倫子は菓子を受け取った。袋を開けて一口頬張る。やがて先ほどの事など忘れたように彼女は笑顔を取り戻した。
そうこうしていると、図書室の奥の方から妹の菜乃の呼ぶ声が聞こえた。
「ほら見て、お兄ちゃん」
図書室に設置されている端末の前に陣取った菜乃が、画面を指差す。
「これがこの間壊滅したアメリカ宇宙軍第七艦隊の調査報告書なんだけど」
普通はそんな報告書は簡単に見れないんだけど、と思いながら秕が画面を覗きこむ。
「敵の宇宙人はかなりの科学力を持っているみたいね。情報によると、米艦隊のイオン砲による艦砲射撃が全部貫通したんだって。おそらく、光学迷彩か空間歪曲によって米軍が敵の座標を誤認させられたんじゃないかな」
「……三流SF小説の読みすぎだよ。菜乃は」
「ちがうもん! 本当だもん!! 宇宙人が今やって来たらどうするのよ!!?」
「……そりゃ、枢機軍がやっつけてくれるさ」
「だといいんだけど」
「心配性だなあ。菜乃は」
「もう! わかった。だったらもっと決定的な証拠を探して……」
菜乃のちいさな指がキーボードの上で忙しく動き始めた。
長くなりそうなので、秕はスキを見て一人で帰ることにした。そんなことよりも、彼には大事なことがあるのだから。
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◆折神
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菜乃の心配は、実は正鵠を射ていてた。浦上学園の中でも中等部以下は少数としても、高等部以上、また教師の一部には「米軍の事故」の真相に気づいているものは多かった。
数年前の冥王星軌道で起こった超空間跳躍実験の失敗以来、通信障害、船舶の行方不明事件等、宇宙では様々なトラブルが起きていたのだ。今回の米軍の件も合わせて、これが「何者か」による示威行為の一環であるのは明らかだ。
ただ、その「何者か」の正体が異星人であるかどうかは意見の別れるところだった。
「米軍の事故は、異星人の仕業だって噂もよく聞きますね」
学園の廊下で教師と並んで歩きながら、折神連河は言った。
彼は秕のクラスメイトで、とても中学生とは思えない物腰と侮りがたい眼光をたたえた少年だった。その真意はメガネの下に隠れて読み取るのは容易ではなかった。
「くだらん」
折神の問いかけを中年の教師はバッサリと切り捨てる。
「惑星に生命が生まれて、それが知性を持つまでに進化する確率がどれほど低いかわかるか? SETI計画でも結局宇宙からの人工電波は観測されなかった。異星人なんか存在しない証拠だ」
「そうでしょうか。地球に起こった事が他の星で起きないとなぜ言い切れるのですか? この広い宇宙に一体どれだけの星があるかを考えると確率が低いなんて理屈は無意味というものです。異星人がここまでやってくるかどうかは別にして、宇宙の何処かには存在している。そう考えるのが自然だと思いますが?」
「だったら、お前は宇宙人を見た事があるのか?」
「私はあります。地球人だって、宇宙人のうちです」
「詭弁だな」
中年教師は一笑に付した。
「地球は特別なのだ。地球にだけ生命の誕生という奇跡が起こった。運命的な事だとは思わないか?」
「知的生命体が地球人だけだと考えるのがそもそも傲慢な思い上がりですよ。天動説のころと何も変わっていない」
「だが事実だ。事実、異星人の存在は確認されていない。この地球だけが奇跡的に知的生命体を生み出した、選ばれた星なのだ」
「なぜ、誰に選ばれたんですか?」
「決まっている。神だ。我々は使命を与えられてこの宇宙に生まれた唯一の存在だ」
「――あなたは神を見た事があるんですか?」
中年教師は言葉に詰まって顔を真っ赤にした。折神はここで一気に畳み掛ける、ことはせずに、笑ってお茶を濁した。
「ま、ただの噂ですよ。噂。今回の敵が、異星人と決まったわけではありませんからね」
眼鏡の奥の、折神の瞳が鈍く煌めいた。
「(今のところは、な)」
【続く】