秘密
カルロが夕食を用意しに行った数分後、図書室に入ってきたのはなんと、とてもとても大きな真っ黒の狼だった。
──どどどどうしよう…!?
あんなに大きかったら私なんてパクッと一口だよ…!!
しかも図書室の中にどんどん入ってくるし…!!
体長は10mくらいありそうだし口でかいしぃぃ…!!
とりあえず私は、視界に入らないように静かに移動する。
このまま平行に移動したら気付かれずに扉の所まで行けるはず…!
でも、人間ってこういう時にやらかしてしまうもので…、
──…っ!!
スカートに本を引っ掛けて落としてしまった。
その音でこちらを向いた狼がどんどんこっちに迫ってくる足音と唸る鳴き声が聞こえる。
右に逃げるべきか左に逃げるべきか…。
──ええぃ! 一か八かで扉に近い右だぁぁぁ!!
私は扉のある右に向かって走ろうとしたが、本棚から飛び出たそこには……、
…狼がいた…。
「へっ…!?」
や…やばい…。
目が…合った…。
ど…どう…しよう…。
足がすくんで…動けないっ…!
カルロよりも大きなその狼は、私を見つめ続ける。
その大きくて黒い目に引き込まれてしまいそうだ…。
──やばい…! 食べられる…!!
そう覚悟して目を瞑った瞬間、急に体が浮いた。
いや、誰かに抱えられた。
「こんな所で何してやがる」
ん…?
「…この声……ルーカス…?」
目を開けると、ルーカスが私を抱えたまま走っていた。
所謂"お姫様抱っこ"というやつなんだけど…されたことがないからか、なんか恥ずかしい…。
「喰われても知らねぇぞ。今はお腹空かせてるからな。ってか、お腹空かせてるからお前の匂いを嗅ぎ付けたんだろうけどな」
「え…? 何でここ…?」
「俺は昼寝してたんだよ。ったくカルロのやつ、女々しく叫び声なんか上げやがって。おかげで目が覚めちまった」
ずっといたの!?
全然気付かなかった!!
「ちょっと目瞑れ」
「わっ…!?」
突然ルーカスに手で両目を隠された。
そして手を離された時には、なんと高い本棚の上にいた。
「ええぇ!?」
「こらあんま動くな。落ちるぞ」
この本棚は大きいし固定されてるみたいだけど…、ものの数秒でどうやってここまで来たの!?
「あとこっちは見るな」
「えっ?」
「見るなっつってんだろが!」
「す、すみませんっ!」
まだルーカスの事をちゃんと見た事ないんだけど…。
いつも1人でいるみたいだし…、人に見られるの嫌いなのかな…。
「じゃあお前はカルロが来るまでここにいろ。あとはカルロが下ろしてくれるだろ。俺と絡んだのは緊急だったからチャラにしといてやる」
「えっルーカスは…あれ!?」
少し振り向いて話し掛けようとしたけど、すでにルーカスはいなくなっていた。
そして近くにいた狼も届かなくて諦めたのか、扉の方へ向かいだした。
「よかっ…た…」
ルーカスがいなかったら今頃…、私は狼の胃の中にいたのかもしれない…。
もしかして、夜はなるべく2階へ行くなというのは狼がいるからなのかな…?
なんと恐ろしい…。
というか、さっきの狼ってここで飼われてるのかな?
にしてはルーカスも逃げてるようだったし…。
「あれ? エミリア様?」
「あ」
カルロの声だ。
「こ、ここです」
「ん? 何故そんな所に?」
「大きな狼が来たんですが、ルーカスが助けてくれまして」
「………そうでしたか」
台に登ったカルロが本棚から顔を出した。
あれ?
白のシルクハットなんてかぶってたっけ?
「すみません。私が場を離れたばかりに」
そう謝りながらカルロは、高い所の本を取る時に使う台の一番高い所に上り、私を抱え──…
「あっ危っ…!?」
「おっとっと…! うっ…!」
…──られず、恐らく足を滑らして転倒した。
「イタタ…。あ、カルロ! 大丈夫ですか!?」
「す…すみません…。どうも非力でして…。お怪我はありませんでしたか…?」
「はい。私は大丈夫です」
非力……というか、カルロの上半身は子どものように小さくて…、明らかに体格差が……
「………ん?」
あれ?
こんなに足が長いのに膝……
「あの」
「あっ、はい」
「少し後ろを向いてもらってもよろしいですか?」
「え、は、はい…」
なんか、ルーカスもカルロも、あまり人に見られたくないのだろうか?
「はい、大丈夫です」
「はい……うぉ!」
振り向くとカルロは立ち上がっていた。
「さて、夕食を食べましょうか」
「あ、はいっ」
そういやカルロが立ち上がる姿って見た事ないなー…、と思いつつもテーブルの場所に戻った。
テーブルの場所に戻るとすでに夕食の準備が出来ていた。
「あの、カルロ、質問してもいいですか?」
「答えられる限りであれば」
席に着いた私は、カルロにいくつか質問する事にした。
「えっと、まず、ルーカスってどんな人物なんですか? さっき会ったんですが、こっちを見るなと言われまして…」
「ルーカスは、そうですね。他人を嫌っていますから。性格は少々俺様のようで、光り物が好きだったりします」
「光り物?」
「宝石のようにキラキラしたものなら何でも好きだそうです」
あんなにキツそうな性格なのに光り物が好きだなんて少し変わってるなぁ〜。
「じゃあ何で姿は見せてくれなかったんでしょう?」
「それは……、…寝起き顔を見られたくなかったんでしょう」
えっ、そ、そんな理由!?
ルーカスが!?
「さて、他に質問はございませんか?」
「あ、さっき凄く大きな狼が来たんですが、ここで飼われているんですか?」
「…我が主人のペットです」
ペットだったの!?
危うく襲われるところだったんですが!?
「まだ夕食を食べていないので、お腹を空かせていたようですね」
ゆ、夕食…?
ペットに夕食って使うっけ…?
まぁ使うか…。
にしても、カルロはペットにまで謙遜してるのかな?
気疲れするタイプだなぁ…。
「本当に申し訳ありませんでした、エミリア様…。持て成すはずが、私が場を離れたばかりに危険にさらしてしまうとは…」
「いえいえそんな…!」
今日は何回、カルロが謝るのを聞いただろう?
でもなんか、カルロの意外な事実とかが発見出来て楽しかった。
ルーカスがどんな人なのかも少し分かったし。
「ちゃんとお持て成しされましたよ。とても楽しかったです」
「それは良かったです。エミリア様に喜んで頂くのが私の務めですので」
顔はよく見えないけれど、口元は笑っているカルロ。
カルロも嬉しそうで良かった。
「そういえばカルロは食べないんですか?」
テーブルの上には私の分の夕食しかない。
昼食を食べてるのも見かけなかったし…。
「客人の前で食べるのは失礼になりますので」
あ…それもそうか…。
そういえば私、お客さんだったんだよね。
持て成されてるんだから。
なんか、1人の住人として過ごしてるみたいだった。
皆があまりにも普通に接してくれるから。
でも、別に気にしなくていいのにな。
失礼とかそんな堅苦しいの気にしないし…。
「良ければカルロも一緒に食べませんか?」
「え?」
「1人で食べてもなんか味気ないと言いますか…」
「ですが…、私の分は持ってきていないので…」
「あ、そうなんですか…」
「また場を離れるわけにもいかないので、代わりに話し相手になります」
そう言ったカルロが反対側にあった椅子にストンッと座った。
私に足が当たらないように横向きに。
「会話があれば食事も楽しくなるでしょう」
「ありがとうございますっ」
今日でカルロが優しい人だという事が分かった。
最初はなんかとっつきにくくて難しそうな人なのかと思ったけど、全然話しやすくて、何だか身近に感じるような人だった。
仮面を付けているけど、その表情は優しいと分かる。
「今回はクリームシチューにしてみましたが、お口に合いますでしょうか?」
「はい。とても美味しいですっ」
その謙遜な態度は"案内人"だからだと思う。
なんか、気を遣わせちゃってるみたいで申し訳ないなぁ…。
「……あの」
「はい、何でしょう?」
「……もっと…普通に…、フィル達のように話す…って、出来ませんか…?」
「……出来ません。貴方はお客様で、私は案内人。お客様に無礼な口は聞けません」
「そう…ですか…」
やっぱダメか…。
「…………ですが」
「は、はい?」
私が不思議な顔をすると、カルロは少し視線を反らしながら、
「プライベートの時なら、大丈夫、かも、しれ、ません」
と、しどろもどろに、恥ずかしがっているのか戸惑っているのか、そんな口元をしていた。
「!」
あ、じゃあっ…!
就業時間なら普通に話してくれるってこと…!?
「終業時間はいつ何ですか?」
「………10時…ですが…」
えっ!?
ってことは…!?
「今ってもう終業時間だったんですか!?」
「あ、いえ、お客様がいる場合は終業時間なんて関係ないのです」
「す、すみません…」
「こちらこそすみません。気を遣わせないためにも黙っているつもりだったのですが…」
うーん…、逆にカルロに気を遣わせちゃった…。
てゆうか終業時間が過ぎてたなんて…申し訳ない…。
「お気に病まないで下さい。私の独断でここにいるのです」
「はい…」
「もっと明るい話をしましょう。どうですか、屋敷の住人達は?」
あ、話題を変えてくれた。
やっぱさすがだなぁ…。
気が利く…。
「皆いい人ですね。フィルは見ていて面白いし、ウィルは一緒にいると楽しいし、エドは博学で何でも教えてくれましたし、ルーカスは恐い人かと思っていましたが意外と優しい人でした」
本当に皆いい人。
話していても話し足らないくらい楽しくなってしまう。
まぁ、ルーカス以外はね。
「それは良かったです。エミリア様に喜んでもらう事が私達の喜びですから」
「ありがとうございます」
でも、よく喋ってると思うのにカルロの事はまだよく分からない。
カルロが自分についてあまり話してくれないからかな?
「そういえば、今晩はこの図書室で就寝してもらいたいのですが、よろしかったですか?」
「はい、大丈夫です」
私が夕食を食べ終えた頃に、カルロは椅子から少し腰を浮かしたような状態で皿を片付け始める。
「私は扉の前に居ますので、何かあれば言って下さい」
「分かりました」
あれ?
カルロは寝ないのかな?
「では、ごゆっくりとなさっていて下さい」
「…あ」
目を離した隙に立ち上がっていたカルロはそう言って会釈し、図書室を出ていった。
「……さて、今からどうしようかなぁ〜」
とりあえず、図書室の奥にある仮眠室に向かった。
「あ、意外と広いんだ。快適〜」
仮眠室にはベッドと小さなチェストが置いてあった。
「うーん。せっかく図書室にいるんだし、本を読みながら寝ようかなっ」
気になる本はたくさんあった。
その中でも特に気になったものを仮眠室に持っていき、ベッドに座りながら読み始める。
でも長く連なる文字を見ていると徐々に睡魔がやってきて、数分後にはまぶたが重くなり始めた。
明日はどんな事が起きるのだろうかと楽しみに胸を膨らませ、私は安らかな眠りに落ちた。