第九話『決着』
9
空薬莢が硬いコンクリートの床を叩く。まるで、霧の中に銃弾をひたすら撃ち込んでいるような気分になる。ミハイルはあれから傷ひとつ、ホコリ一つついていない。いや、撃った側から銃弾がすり抜けていくのだ。
「もう分かったろう、狼の牙。私はそういう人間なのだ。私は国のために全てを捧げ、この身体を手に入れた。私にとってこの身体は誇りであり、同時に屈辱でもある。私の愛した祖国は既に無いからだ。私にとって祖国は不滅のものだった。この身体もしかりだ。だが、私の身体より先に、祖国は無くなってしまった。ではこの身体は一体何なのだ? 皮肉にも程がある」
「慰めてもらいたいなら他を当たれ。わたしはお前を倒す」
「慰めか。確かにそうだな。私も歳を取ったものだ。私達は所詮、誰かに使われる側なのだ。役に立たねば捨てられる。……そんな風に思わずに済んだのは、誇りがあったからだ。祖国への愛があったからだ。その愛に報いるため、私は戦ってきた。そして裏切られたのだ。だからこそ、許せん!」
掌底。接近したことも感知できず、わたしは堅いコンクリートの壁にたたきつけられた。全力で鉄球を投げつけられたような衝撃。圧倒的な差だ。埋めがたい差が、わたしと彼には存在する。
「どうした、狼の牙。立ち上がるのだ。愛国者ならば。裏切られていないというのなら、その証を立ててみせろ。私に愛国心を見せてみろ!」
わたしは床にへばりついた身体を引き剥がすのに苦労した。できることなら、ずっとへばりついていたかった。それでも、わたしは立ち上がった。彼の言うように、愛国心などという何を意図するのかわからないようなもので立ち上がろうとは思わなかったが、わたしにはそれでも立ち上がらなくてはならない理由はあった。
「ミハイル。わたしはお前を笑う。笑ってやる。何が愛国心だ。何が裏切りだ。そんな形の無いものを信じ続けて、裏切りもへったくれもあるものか」
皺だらけのミハイルの顔がみるみる怒りに歪んでいくのが分かった。わたしは榴弾砲を放ち、その顔を爆煙の中へと紛れさせる。
「何をしても無駄だ、狼の牙! よく頑張ったと言いたいところだが、私がこの身体で存在する以上、勝ち目など存在しない。シナリオはここでお終いだ。お前はここで消えてなくなる!」
榴弾が無駄だというのがわからないくらい、わたしは間抜けではない。次の瞬間、悲鳴のような音が響き、わたしの方向に轟音をあげて整備用ブリッジが倒れてきた。わたしはそれを榴弾で吹き飛ばし、再び爆煙と瓦礫が視界を塞ぐ。視界が黒いもやで覆われる。わたしは何もしなかった。ただ、残った右目で回りを見回していた。死なない人間は存在する。わたしの記憶には、確かに存在した。だがそれは、一度終わった命を次に繋いだ人間だ。あきらめられない夢を、しぶとく未来へ託した人間だった。生きること自体が目的となった人間が、ずっと生きていけるほど、この世界は甘くない。
「無駄だと言うのが分からんか!」
わたしの右肩に激痛が走る。撃ちぬかれた。ミハイルは銃は持っていなかったはずだ。疑問を挟む余地も与えてもらえず、わたしはまるで釣り上げられるように宙へ浮いた。黒いもやが晴れ、ミハイルの姿が現れる。彼の両手には、何も握られていなかった。ただ、わたしに対して手をかざしている。こんなことがありえるのか。
「ミハイル、貴様……超能力者か!」
「厳密に言えば汎超能力者だ。物体を動かすこと、それが私の得意技と言ったところでな。石ころから人間……やろうと思えば、そこにあるUFOだって飛ばせる」
わたしの身体を浮遊感が襲い、向こう側の壁にたたきつけられる。見えないロープにグルグルに巻かれた上に引っ張られているような感覚。嘔吐感。
「しかし、なかなか頑丈だな。噂通りと言ったところか? まあ、それも今から過去のものとなる」
ミハイルが左手をかざすと、バラバラになった整備用ブリッジの柵が一本きれいに折れ、手元に浮かんだ。わたしの身体は痛みで支配されていた。コンクリートの壁に二度もたたきつけられたのだ。無理もなかった。
「同志ローベルトから聞いた……お前には同志ヴェロニカと同じ死に方をしてもらおうか。シナリオの分岐は私のものだ。幕は私が下ろしてやる!」
「……その前に……聞きたいことがある……」
「言ってみるがいい。誰しも今際の際くらい、自由に喋る権利はある」
「シナリオとは一体何のことだ。この基地には既に誰もいなくなっている。一体どこへ行ったと言うんだ?」
「答える義務はない……と言い切りたいところだが、後者には答えてやろう。私と同志たちで殺した。この作戦には必要不可欠な犠牲だった。シナリオの分岐のためにはな。クライアントにも許可はもらっている」
「貴様が黒幕ではないのか?」
「さっきもいったはずだ、狼の牙。私は傭兵なのだ。表に出ることなど有りはしない。あくまでも、この依頼は私の復讐を果たすことも出来るからこそ引き受けた。一石二鳥の『シナリオ』なのだ。果たすためならなんでもやる」
「『ライター』を教える気は無いんだな」
「しつこいぞ。軍人を名乗るくせに、死ぬのが怖くなったか?」
「まさか」
わたしは至って冷静に言葉を紡いだ。
「死ぬのは怖くない。なぜなら、わたしは死なないからだ。国ではなく、個人のために生きるつもりだからだ」
「ほざくな、狼の牙! ならば私がお前を葬ってやるまで!」
わたしは左腕を持ち上げ、上腕部を回転させた。ミハイルの手から矢のように折れた柵が放たれる。こちらも弾頭を発射、柵を破壊。弾頭も炸裂、辺りに黒い煙が一気に充満する。ただのスモークグレネード弾ではない。催涙弾としての機能も果たしているものだ。
「性懲りもなく!」
押さえつけられていた身体がふっと自由になったのを見計らって、わたしは腕を再び変形させる。猛禽類の爪となった腕を射出した。勝負は決した。
「なるほど、馬鹿ではないようだな、狼の牙……。だが、切札も無駄に終わったな?」
ミハイルは、わたしの後に立っていた。その手には、真っ直ぐな刀身を持ったナイフが握られていて、わたしの首筋につきつけられている。
「やはりな、そうくると思っていた」
「殺されることを予想するくらいなら、その対策を練っておくものだぞ、狼の牙」
「わたしの有線式射出クローのワイヤーは、カーボンナノファイバーを繊維状にまとめて圧縮した細くて軽いものだ。さらにダイヤモンド以上の硬度を誇っている」
「何の話をしている」
「ミハイル、貴様の能力は何かを動かすことだったな。それは自分にも当てはまるんじゃないか? わたしの鍛えた動体視力を持ってしても、貴様の動きは視えなかった。だが、霞のように消えて、自由に現れる事はどんな人間にも不可能だ。先ほどの折れた柵を飛ばしたのを見て、わたしは確信した。お前は、自分を宙に浮かせて撃ちだすようにして移動しているのではないのか、とな」
ミハイルの表情はわたしには見えない。しかし、どんな表情を浮かべているのかは手に取るように分かる。恐らく、自分の正体がバレたことに怒りを覚えているはずだ。もしくは、その感情は恐怖かもしれない。
「私が知覚出来なかったということは、理論上貴様はマッハ1以上の速度で動いたことになる。その速度で、わたしのワイヤーに触れようものなら」
ミハイルの長い胴がずり落ちる。血は出なかった。ミハイルもまた、あのヴェロニカと同じような原理で不死となった人間だったのかもしれない。振り向くと、まだ意識は残っているようだった。自分でやったことながら残酷なやり口だと思う。
「真っ二つになる。……自分が切れたこともわからないほどな」
「み、見事……だ、狼の……牙!」
驚いたことに、ミハイルは未だその生命を終わらせていなかった。常人なら、胴体を切断された時点でショック死しているはずだ。胡蝶の言っていた擬似的な『不死』の技術が彼にも行われていることは間違いなかった。
「フフフ……不思議に思うことも……なかろう。私もまた同志たちと同じくシナリオに服従することを条件に……不死を手に入れたのだ」
「馬鹿な、わたしは貴様がその技術を持ち出していたと聞いたぞ」
「それもまたシナリオの一つ……全ては、私と同志たちのような『不死の兵士』か、お前のような『蘇生兵士』か……どちらが任務を遂行し、どちらが生き残るか……それだけだったのだ……純粋に私の復讐だと思い込んでいた……同志たちには悪いことを……」
わたしは思わずミハイルの肩を掴み、すっかり短くなった胴体を揺らした。彼らが不死となった兵士だとすれば、わたしは『蘇生された兵士』ということになる。
「誰なんだ、このシナリオの『ライター』は! お前の雇い主は!」
「知りたいか、狼の牙……」
ミハイルは、皺だらけの顔を歪めて、笑った。
「だが、言わない……私は傭兵だ……国から裏切られても……依頼と雇い主は裏切らない……」
空気を炸裂させ、ミハイルのこめかみに大きな黒い点ができた。恐らく、瓦礫を撃ち出し自決したのだろう。自分の生きざまを最優先して、命まで捨ててしまったのだ。
「ふざけるな……それならわたし達は、何のために戦ってきたと言うんだ」
わたしは、瓦礫だらけの格納庫に鎮座する、銀色の円盤を仰ぎ見た。あざ笑うかのように、鈍く光り輝いている。結局、わたしは誰かの手のひらで踊らされていたということになってしまう。
「国のために決まってるじゃない、あなた軍人でしょう?」
鋼鉄製の床を、ハイヒールが叩く音が格納庫に響く。その細腕の先には、デザートイーグルが握られていた。狙いは、ホールドアップのまま顔を青くしているミッターマイヤーだ。
「おめでとう、『狼の牙』ことミリィ=ハーネ少佐。あなたは無事任務を達成することができたようね」
「どういうことだ、胡蝶。なぜミッターマイヤーに銃を? 説明してもらおうか」
胡蝶は気だるそうにふう、とため息をつき、憮然とした態度で言い放った。
「簡単なことよ、少佐。すべてのシナリオを書いたのは、私なのだから」