第七話『切札』
7
少なくとも、このサンタ=マキアという街で一番と断言できるほど、今のわたし達には武器が必要だった。なにしろ、敵のまっただ中に行くのだから、準備も考 えもなしに行くのは考えられないことだった。ワニだらけの池に、鶏肉を括りつけて泳ぎに行くのと同義だ。もっとも、ミッターマイヤーがワニがいることを知 らないのなら、喜んで泳ぎに行きそうな気もする。
「良かったんですか、少佐殿」
「何がだ」
街の刃物屋で大小様々なナイフを買った時のレシートを律儀にわたしに見せながら、ミッターマイヤーは不安気な表情をのぞかせた。
「胡蝶のことです。俺はあの女は信用できません。それに」
「わかってる。だが、保険は掛けるべきだ。胡蝶の真の狙いはわからないが、あの約束で行動に制限はかけられる」
「ですが、それには俺達にも危険が」
義腕の動作チェックを終えると、わたしはボロボロのベッドから立ち上がった。ドクトルの診療所だからなのか、もしくは先ほどふっとばされかけたからなのかは分からなかったが、とにかく埃っぽく、お世辞にも清潔とは言えなさそうだった。
「構わん。多少の危険は承知の上だ。遊園地のアトラクションじゃないんだ。確実な安全などありえない」
コートの裏にナイフを仕込んでいくミッターマイヤーの顔は、浮かない表情だった。わたしには分かっている。ミッターマイヤーは相手を殺し、自分も死にかけた。自分が撃った誰かのように、今度は自分が死んでしまうかもしれない。単純な恐怖だ。だが往々にして、単純な恐怖というものは取り払えないものだ。それが、死という誰もに訪れるものならどうしようもない。
「ミッターマイヤー。わたしはお前に死んでほしくない」
ナイフをしまう手が止まるのが見える。言わなくてもいい言葉だ。だが、言ってしまったからには歯止めは効かない。
「正直なところ、今度の作戦はギャンブルにすぎない。気を抜けば死ぬだろう。だから」
「やめてください」
ミッターマイヤーは全てのナイフをしまい終わると、グイグイと帽子をかぶり直した。診療所の壊れかけた窓から、突き刺すような橙色が差し込み、影になった彼をわたしは見つめていた。
「少佐殿、俺は死にません。そりゃあ怖いです。俺がいるのは本物のアウトローの街で、今から行くのは本物の戦場です。もしかしたら、あっという間に死んじまうかもしれない。でも、それでも俺は少佐殿と行きます。それに」
彼の影の中で、若く炎を燃やした瞳がキラリと光ったのが、わたしには分かった。
「ここまで引き込んでおいて、そんなことを言うのは野暮じゃあないですか?」
「確かにそうだ」
皮の眼帯を調整し、軍服の襟元を正す。儀式めいた動作が、わたしの精神を落ち着かせていく。そうだ、何を愚かなことを言っているのだ。わたしは彼と生き、彼と死ぬことを決めた。それを自ら撤回してどうするのだ。そしてわたしはまだ軍人である。軍人なら、任務を遂行しなくてはならない。自分の役割を投げ出すのは、まだ早すぎる。
「なら、こうしよう。任務が終わったら、二人でどこかに行こう。本末転倒な話だが、私の腕も、君のナイフも要らないところへ行こう。もう命のやりとりはゴメンだ。わたしがそうだからと言って、君もそういう道へ行く必要はないのだから」
わたしの右手が、彼の頬に触れる。体温の低いミッターマイヤーらしく、すこしだけひんやりとしていた。こうして体温を感じると、わたしと彼が人間であるということをよく感じられる。人を殺すことを生業としているわたしにとって、誰かの体温を感じることは大事なことなのだ。
「はいはい、そこの二人。いちゃつくならまた別の機会にしてよねえ」
どこか余裕無さ気な面持ちで、胡蝶は鮮やかな赤い瞳でこちらを睨めつけていた。
「すまない。ところで、どこへ行っていたんだ」
「基地を見てきたのよ。さっき説明した能力でね」
胡蝶は、もう一つだけ情報をわたしたちに提供してくれていた。それは彼女もまた、ミハイル・ソロコフと同じように異能の力を持っている、ということだった。端的に言えば、気配を絶ち高速で移動することができるというもので、これも先ほど出てきた医学的措置によるものだと言う。
「へえ……十分もかからなかったじゃねーか」
「そりゃあ、飛ばしてきたもの。……それで、基地なんだけど、様子がおかしいのよね」
「どういうことだ」
「気配がないのよ。人っ子ひとりいない。兵士の姿云々ってより、まるで初めから誰もいなかったみたいなの」
妙な話だ。胡蝶の情報が正しければ、今UFOの移送準備に基地は大わらわなはずだ。哨戒中の兵士もいないとは考えられない。
「罠か?」
「そう考えるのが妥当でしょうね。わたしはやりやすくていいけど、坊やとあなたには荷が重いんじゃないのかしら」
「そのことば、そっくりそのまま君に返そう。条件はどうせ一緒だ。どちらがヘマをやらかすか、そのひとつに尽きるよ」
胡蝶がその言葉から、ミッターマイヤーのことを連想したようだった。だが、わたしはそうはさせないつもりだ。わたしが死ねば、彼は死ぬ。逆もしかりだ。
「で、おめえさんたちは一体どうやって基地に忍び込むってんだァ?」
ドクトルは夕焼けを見上げながら、ウォッカの瓶を煽っていた。もはや底の方にわずかに残る透明なそれは、夕陽を通してまるで血でも入っているかのように見えた。
「わたしが騒ぎを起こす。ミッターマイヤーはUFOを破壊するためにC4爆薬を仕掛け、胡蝶は目的を達する。そのまま逃げる。どうかなドクトル。この情報は売れそうか?」
「診療所の足しにもなりゃしねェ」
我ながらシンプルな作戦だった。だがそもそも、この人数では作戦も何もない。ただ突っ込むだけでは芸も無いし、ミッターマイヤーの危険度も跳ね上がる。ここで、胡蝶と交わした保険が生きてくる。それは、ミッターマイヤーを死なせないこと。つまり、お守りを押し付けたわけだ。胡蝶にとって見れば、UFOを探しだしてC4を設置してくることくらいは朝飯前だろう、とわたしは睨んでいる。事実、彼女は汚らわしいものでも見るような目をしながら、渋々了承した。ミッターマイヤーもまた、同じ目をしていた。
「ま、足はFARCの連中が残していったのが残ってる。俺っちはせいぜいおめえさんたちの無事を祈るよ」
「何に祈るんだ、ドクトル」
「決まってらあ、酒にだ」
わたしはそれがなんともおかしくて、笑いを噛み殺すのに必死になった。
夕陽が落ち、辺りに虫の鳴く声が響き始めた頃、わたしたちはFARCサンタ=マキア方面基地のすぐ側に車を止めていた。胡蝶の言うとおり、おかしかった。そもそも、人の気配以前に灯りが無い。軍事基地はどんな時であろうと、最低限の警戒を怠ることはありえない。どんなリラックス状態であろうと、小隊規模で哨戒に当たるはずだ。
「これはいよいよ何かあったな。胡蝶、何か心当たりは」
「無いからこうして困ってるんじゃない。いい加減にしてよね」
胡蝶は議論するのも嫌だという風に、長い足を車のダッシュボードに投げ出し、ふてくされた様子で煙管をふかした。
「少佐殿。どうするんです」
「構わん。こうなったら罠にかかってみるのもまたひとつの手段だ」
わたしはそう言い残すと、ミッターマイヤーに後は手はず通りにやれと指示し、一人基地へと向かった。回りの木々からのむっとした湿気が、わたしの肌を通って落ちる。それはもしかすると、わたしの焦りの印でもあったのかもしれない。頑丈な二重構造の柵が目の前にそびえ立っている。見上げるほどの高さの哨戒塔にも、人の気配は無かった。わたしは柵をおもむろに掴むと、新品のシャツのビニールを剥がすように柵を引きちぎった。二枚目の柵に触れると、電流が通っているようだったので、腕を変形させ榴弾砲で吹き飛ばした。それでも誰かが出てくるような気配はない。相変わらずわたしの服の中では汗がじっとりと流れている。自分が闇に溶け込んだような気がして、汗が流れる度にそうではないことを自覚する。その繰り返しを何度か続けた末に、あっけなく基地の入口と思わしき所に辿り着いた。生意気にもIDカードで認証を行なっているようだったので、二発目の榴弾砲で吹き飛ばす。
「やっときたね、『狼の牙』」
狭い通路だった。トマトを叩きつけたような赤い壁が、わたしの両手を塞いでいた。正面には、黒く巨大なククリナイフを持ったヴェロニカが居て、わたしを値踏みするように睨みつけていた。かと思えば、旧友に会ったかのようにニタリとわらう。もちろん、友好の証ではないだろう。
「ねえ、どんなのがいい?」
「何の話だ」
「輪切りに、真っ二つに、メッタ斬りにみじん切り。細切りにするのもいい。足の下からだんだんミンチにしていくのもいいかな。ねえ、どれがいい?」
わたしの後ろから、爆音が響く。鉄がひん曲がる、悲鳴のような音がわたしの耳を襲うと、わたしが吹き飛ばした扉を、先ほどの哨戒塔が塞いでしまった。恐らく、ローベルトの仕業だろう。逃げさせてはくれないらしい。
「反吐が出るな。料理なら家に帰ってしろ」
「決めた! 右目をえぐりだしてやる」
唐突に壁にククリを横薙ぎにすると、コンクリートの壁にククリが突き立った。それを足場にすると、ヴェロニカは空中を翔ける。わたしが榴弾砲を撃ちこむと、彼女の姿は一瞬消える。が、巻き上がったがれきや煙をもろともせずにわたしに突っ込み、頬をククリナイフが掠める。プロのナイフの動きは、面の攻撃と言っていい。刃物が縦横無尽に、高速で動くさまを目で追おうとしても無駄なのだ。ならば、どうするか。さらに接近し、懐に飛び込む。鋼鉄の左腕の裏拳は、さすがのヴェロニカものけぞった。わたしは彼女のナイフを握った右手首をそのまま外側にねじり、膝を支店に彼女の腕を躊躇なくへし折った。
「右目を、何と言った」
ブラブラと揺れる右腕を見ると、ヴェロニカはわたしに一層の憎悪を持ったようだった。だが、いかに超人と言えど、痛みは遮断できないようで、その顔には脂汗が浮かんでいる。わたしはその顔を躊躇なく蹴りあげた。吐き気がする。ミッターマイヤーが見たらなんて言うだろうか。わたしはこういうことをしたくないのにしなくちゃならない。やられる前にやらなくては自分がやられるのを待つしか無いのだ。
「生憎障害には躊躇しないタチだ。だが、このままでいると言うなら、これ以上君に危害は加えないつもりだ」
そう言いながら、わたしは顔を血まみれになって腕をひん曲げた相手に、変形させたアサルトライフルを向けている。ヴェロニカの右腕はあらぬところで折れ、ぶらぶらと揺れている。骨が飛び出したのか、右手の先まで血が流れていた。それをなんとか左手で支えているが、無駄というものだろう。動けば容赦なく撃つつもりだった。至近距離で撃てば、彼女の顔は当然吹っ飛ぶ。できることなら、そのままでいて欲しかった。
「撃てばいいじゃん。そんなこと言わなくてもさ……あたしはいつでも死んでいいと思ってる。誰からもそう思われてる。あんただってそうでしょう」
「死んでいい人間などいやしない。わたしは君だってできることなら……」
「ちげーよ。あんただって、死んでもいいって言われてる人間なんでしょ」
左手の袖から、ククリほどではないものの、長大かつ黒いサバイバルナイフが飛び出す。次の瞬間、ヴェロニカの左手からナイフは消えていた。鋭い痛み。わたしの生身の右手に、ナイフが突き刺さっていた。
「きっ、貴様……」
「あーあー、やってくれるじゃないの。これじゃあもう右手は使えない」
わたしがのけぞった瞬間、ヴェロニカは何事もなかったかのように立ち上がり、わたしの下腹部に蹴りを入れる。軽量で打撃に強い軍服を着ていても、内臓の中身が全て出ていってしまいそうな重い蹴り。わたしはのけぞり、壁に背中をつけた。ヴェロニカはとうぜんのように、右腕を引きちぎる。多少の痛みは感じたようだが、それでも異常な光景だった。
「一体どういうことだ……君は人間ではないのか」
「半分あたり。わたしは既に人間じゃなくなってる」
投げ出された腕が、映像を早回ししているかのように腐っていく。ついには、どろりとした液体となり、床を濡らすだけの物体となった。
「さあて、よくやってくれたじゃない、少佐さん。ええ?」
動けないわたしの右手に突き刺さっているナイフを引き抜くと、刃先を舌でねっとりと舐めつつ、距離をとった。わたしは自分の血が赤いのに、なぜか安心感を覚えていた。
「生きてる時から、こうやってどうにもならなくなったやつをいたぶるのが好きでさあ。ねえ、どうして欲しい? 興奮してくるとわけわかんなくなるからさあ。今のうちに要望聞いときたいんだよね。ねえ、どうして欲しい?」
わたしは痛みを感じながらも右手が動くことを確認し、左肩を捻った。正真正銘の奥の手だ。とっておきたかったが、今切らなくてはならないカードであることは間違いなかった。
「ま、口をきくつもりがないならそれでもいいよ。ダーツの的みたいに、串刺しにしてあげるからね!」
「串刺しか。……トドメを差すのが遅かったな。言ったことというのは、案外自分に帰ってくるぞ」
左手首が腕と垂直に固定されると、指が猛禽類の爪のように変形する。掌の真ん中に、発射口が開く。頭の中でトリガーを引くと、それは発射された。細いワイヤーの先には、わたしの左腕の肘から先がついている。ライフル弾四発を消費して発射されたそれは、ヴェロニカの顔に直撃した……かに思えた。
「なんなの、これ。ロケットパンチ?ってやつ? よっぽどトンデモな人が作ったのね、これ」
ヴェロニカは目の前でそれを掴んでいた。だが、それは彼女の大きな取り返しの付かない失敗だ。変形した指が閉じ、それを引き金にして内蔵していた最後のライフル弾が発射される。炸裂した勢いで、わたしの鋼鉄製の義腕を支える骨となっている鋼鉄製の棒が押し出される。本来ならクローとなった指が押さえつけた上で成立するが、途中で止まったとしても関係がないほどの勢いで、ヴェロニカの顔を貫き、脳漿をまき散らした。もはや肉塊と化したヴェロニカは、何も言い残せないままそのまま後に倒れると、とうとう動かなくなった。
「……詫びは言わない。そうでなければ、今度はわたしが君になってしまうからだ」