第六話『告解』
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わたしたちはドクトル・エドワードの診療所に戻り、転がっている瓦礫に腰掛けながら、胡蝶を詰問していた。とにかく、この状況を整理する必要がある。それには胡蝶の目論見の全てとは言わないが、一部だけでも解明しなくてはならない。
「こうなったら君も彼らに狙われるぞ。我々に知っていることを話してくれ」
「それは何、命令? いやあね。もっと頼み方ってものを知らないの?」
「いい加減にしろよ、てめー。いい加減少佐殿の言うことを聞け!」
「せっかちさんは嫌われるわよ、坊や」
胡蝶は悪びれる様子もなく、キセルに火を入れてふかし始めた。
「意地の張り合いはよそう、フロイライン。わたしが思うに、君は一セントだって稼げてないんだろう」
余裕の表情に一瞬影が差したのを、わたしは見逃さなかった。ミッターマイヤーが持っていた小切手は、恐らく不渡りのはずだ。敗戦処理の兵士に、あの資金はさすがに不相応すぎる。
「……流石に鋭いわね。そのとおり。あの小切手は紙キレだった。わたしの命を賭けたビジネスはぜ~んぶパーってわけ」
「それで、我々に聞いてもらいたいこととは?」
「簡単なことよ。わたしも基地に潜入する。あなた達の邪魔はしないし、手助けもしないわ。そのかわり、派手に暴れて欲しいの」
「要するに、我々に君の目くらましになれということか」
胡蝶はわたしの言葉にウインクを返した。ミッターマイヤーは不満そうな顔をしていた。彼の中では、胡蝶はまだ油断ならない存在だ。もちろんわたしにとってもそうだが、利用しあう関係ならまた別の話だ。彼女がわたしたちを利用するなら、わたしたちも彼女を利用すればいいだけの話だからだ。だが、あのくそアカども相手に暴れろ、というのはことだ。わたしはともかく、ミッターマイヤーは荒事に根本的に向いていないことが良く分かった。
「君は何を狙っている?」
「あなたね、バッカじゃないの? 私みたいなのが、目的をペラペラ喋ってるようじゃ、この世界は平和そのものでしょうよ」
「それじゃ、そのことについては俺っちが説明させてもらおうか」
瓦礫の影から声がしたかと思うと、ウォッカの瓶底がちらりと覗いた。
「生きていたか、ドクトル」
「ったりめーだァ。いいか姉ちゃん。俺っちは胡蝶の狙いを知ってる。金さえもらえりゃ、売ってもいいぜ」
なるほど、考えてみればドクトルに対し先ほどの襲撃の手引きを行うべきだ、とタレ込んだのは胡蝶に違いない。情報屋はガセネタを極端に嫌う。信用問題に直結してくるからだ。それを避けるために、情報屋は情報の買い付けを行う際、ある程度の身辺調査を行う。胡蝶が何者かは分からなくとも、何のために動いているのか、恐らく察しがついたのだろう。
「ちょっと、勝手に私の情報を売らないでよ」
「おいおい、俺っちがやってるのはビジネスだぜェ? 買ってくれそうな客に、いい商品を出すのは当たりめえだろうがよォ」
先程より三倍は酒臭い息を吐き散らしながら、ドクトルは胡蝶に反論した。ドクトルはあくまで情報屋で、その裏に関しては無関心のようだった。恐らく、その金で酒が買えさえすればいいのだ。
「残念だがドクトル、わたしにはもう売れるような物は無いんだ。……気になる情報ではあるが」
「あの、少佐殿」
「なんだ、ミッターマイヤー」
「自分にいい考えがあります。……爺さんに、もう一つ情報を売るんです」
わたしはため息と驚きが混じったような息を吐き出すと、顎の下を掻いた。この期に及んで何を言い出すのだ。
「だってそうでしょう。爺さんは情報を貰う。その対価に、自分たちは胡蝶の目的を知る。何も問題はないはずです」
「確かにその通りだ。効果的な提案だ。『対価となる情報が無い』こと以外は」
「少佐殿、南米支部では特殊な実験を行なっていたというのを聞いています。それなら十分な対価になりますよ」
「……よく知っているな。だが『不死の技術』なら、組織でも最重要機密だ。バラすわけにはいかん」
確かに、『第四帝国』を永久のものとしている不死の技術を流せば、胡蝶の目的を知っても釣りがくるだろう。だが、それをドクトルによって市場に流されでもしたら、いつかのチリ・カルテルのように技術を狙って世界中の組織が動き出すだろう。そしてそれは第四帝国の優位性を失わせることに他ならない。
胡蝶の目に安堵の色が浮かんだのを、わたしはしっかり見ていた。ここまで来ていて改めて言うことでもないが、明らかにわたしたちの任務の内容の詳細まで知った上で近づいてきている。恐らくは、わたしたちに知られた時点で、そうとう彼女が不利になるようなことが、彼女の目的とする事項なのだろう。
「分かった、分かったわよ。なんであなた達に暴れて欲しいなんていうのか、それが分かれば満足なんでしょ?」
「教えてもらえるのか? フロイライン」
「もう胡蝶でいいわよ、馬鹿馬鹿しい。だいたいあなたのほうが年下じゃない」
胡蝶はキセルをくるくると回し、吸口で後頭部を掻いた。イライラしているようにも見えたが、迷いのほうが強そうだった。わたしたちに言ってもいいものか。それはどこまでか。わたしにはそれが演技か本心かは分からなかった。女というものは、どんなに不器用でも表情を取り繕うことには長けている。それはわたしもまた同じだった。
「さっきの二人組、見たでしょ」
「確か、ヴェロニカとローベルトと言ったな」
「見てわかったと思うけど、彼らの身体能力は異常。明らかに人間を超えてしまっているの。その原因は、人工的な技術の投入にある」
「わたしのような義肢を使っているわけではなさそうだった。一体どうなっているんだ」
「それを話すわけにはいかないわね」
紫煙が舞う。ちょうど胡蝶が、わたしたちの口を遮るように、煙がわたしたちにまとわりついた。ミッターマイヤーにいたっては、それにむせたせいか胡蝶を睨みつけていた。
「でも、あなたの見立ては正しい。あのふたりはそういう機械工学とは無縁の技術体系によって、あの能力を手に入れたの。……あえて言うなら、医学的な技術だといっておくわ。あなた達の組織がかつて、高度な義肢によって超人的な能力を付与しようとしたのとは似て非なるもの。わたしは、どんな形であれ彼らを抹殺しなくてはならないの」
「アンタが? あんな化物相手に銃一丁なんてどうかしてるぜ」
小馬鹿にするようにミッターマイヤーは鼻で笑ったが、そんなお前も大して胡蝶と変わりなかったじゃないか、とは言わなかった。胡蝶も、わたしと大体同じ感想を持ったようで、紫煙と同じくらいのため息をついていた。
「坊や、わたしには責任があるのよ。今現在超人化の理論を実践できるのは、ただ一人──ミハイル・ソロコフただ一人。彼自身も、その超人化を実現させている一人なの。……そして、彼にその技術をもたらしたのも、わたし」
暗い影が、胡蝶の顔に差した。彼女もただ仕事として任務をこなしているわけではないのだ。彼女もわたしと同じで、何らかの十字架を背負っている。
「大方、それで国に帰れないのだろう。国を、故郷を愛しているのに、相手はそうは思ってくれない。それどころか、裏切り者に爆弾を括らせて突撃させるような真似で忠誠心を測ってくる。君もわたしと変わらんじゃないか」
「一緒にしないでもらえるかしら。あなた達みたいな国のないテロリスト紛いとは違う。わたしには帰るべき国がある。守りたい国がね。あなたたちには──」
わたしはその時、片目だけで凄惨な目を胡蝶に向けていたと思う。そんなことは言われなくても分かっている。今更目的地も何もないくらいは分かっている。ただそれを彼女に言われる筋合いは無かった。否定しなくては、わたしの人生は無駄に終わってしまいそうで、憎悪をそのまま胡蝶に投げつけているようだった。
「少佐殿」
ミッターマイヤーの顔が視界に入り、わたしは少しだけ落ち着きを取り戻した。
「分かっている。わたしはまだ自制心があるつもりだ。だが胡蝶、わたしは君の提案をそのまま受けることはできないな」
「大方、信用出来ないんでしょう」
「その通りだ。我々にもメリットがないしな。……ただ、君に要請したいことを受けてもらえるのなら話は別だがね」
「同志諸君、よく来てくれた」
ミハイルは白く長いひげを撫でつけながら、その目を二人の男女に向けていた。ローベルトはどこか緊張した面持ちで、ミハイルの前で直立不動の態勢を崩していない。ヴェロニカはというと、窓の外を覗き込みながら勝手にソファーに寝転がっていた。
「同志ミハイル、あなたとの作戦に加われる事を光栄に思います。……おい、ヴェロニカ。貴様もなにか言え」
「構わんよ。わたしは国を愛しているが、ここはその国ではない。あくまで君たちはわたしのゲストというわけだ。任務さえ果たしてくれればいい」
ローベルトの対物ライフルの先にいるパウル大佐は、がぶがぶと水を飲んだ。ただ、ライフルをつきつけられているからというだけではない。この二人に異質なものを感じ取ったからだった。そもそも、ミハイルにはここまで頼んではいない。この二人の人ならざるような気配くらい、軍人として修羅場をくぐってきたパウルにはよく分かる。
「先生、一体これはどういうことなのです」
「君は、旧ソ連が超能力開発をしていたことを知っているかね」
「は?」
「テレパシー。サイコキネシス。透視。発火能力。予知能力。専門のアカデミーが設立されるほど、非常に重要視されたのだ。だが、冷戦は終わった。超能力開発など、今は誰も見向きはしない。超能力など使わなくても、小型の機械がそれを可能にする。超能力者などいらなくなったのだ」
「先生、あなたは一体何を」
「これは復讐だよ。国を愛したわたしが、国に復讐をする。要らなくなったと言われたのなら、その要らない者達がどのような気持ちになったのか思い知らせてやるまでだ。忘れられたというのなら、思い出させてやるまでだ」
パウルは再び水を飲んだ。ちらりとドアの隙間を覗くと、そこから赤黒い液体がぬるぬると流れ出していた。
「貴様ら……一体何をするつもりだ」
「簡単なことさ。UFOをわれわれの物とし、とある国へと売るのだよ。この世界の制空権の情勢は、それこそ根本的に変わってしまうだろうな。……そして、FARCのパウル大佐、残念だが君との契約も終わりだ」
「何を馬鹿な!」
パウルが腰に帯びた拳銃を抜こうとするが、それを構えるより早く、彼の顔に深々とククリナイフが突き刺さっていた。
「同志諸君。ミリィ少佐は短時間ではこうはいかなかったようだな」
「面目次第もありません、同志ミハイル」
つまらなそうにしていたヴェロニカが起き上がると、物言わぬ肉塊となったパウルからククリを引きぬいた。飛び散った血を袖で拭うと、ヴェロニカはそれを舐めた。先ほどとはうって変わって、楽しげな表情だった。まるで、ピクニックの前日のそれと変わらない。
「爺さん、今度は切り刻んでいいんだよね。ぶっ殺していいんだよね」
「ヴェロニカ!」
「良い、同志ローベルト。その通りだ、同志ヴェロニカ。彼女にはもう手加減する必要もない。地雷はもう埋まった。後は彼女が踏みつけるのを待つだけだ。踏みつけなければ、それを我々が出迎える。いずれにしろ、UFOを破壊させるわけにはいかん」
ミハイルとその同志二人の大規模な作戦が、すっかり静まり返ったFARC・サンタマキア基地で始まろうとしていた。