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第五話『撃鉄』


 ドクトル・エドワードは不機嫌だった。いつもより酒臭くない分、機嫌の悪さが前に押し出されているようだった。彼の汚い診療所にあるデスクには、ところ狭しと工具やネジが散らばっている。仕入れてきた義腕の組み上げのためだ。なにせ、わたしのリクエストで可変式の構造を採用し、大口径の砲撃を可能にする砲塔が組み込まれた特殊なものを注文したため、バラバラのパーツから組み上げる必要があったのだ。各種パーツは偽装の上送られてきたものなので致し方ないのだが、わたしには関係ない。

「さて、できたぜ。仮組みだが動作は保証しねえ。俺っちははっきり言って、メカを弄るのはそんなに得意じゃねえんだ」

 新しい義腕は、五本指の鋼鉄製だ。前のものより人間的な形である。前の義腕は、三本指の非人間的なものだったから、これはうれしい。手袋でもすれば、そう不自由は感じないだろう。

「十分だ」

「ねえちゃんの接合部の手術はもう済んでる。アタッチメントの改造もしておいたから、取り外しは自由だ。まあ、そっちの兄ちゃんにでも出来る簡単なもんだ。専用の工具は必要だがな」

「恩に着る」

 ミッターマイヤーに腕を付けてもらい、早速左手で握りこぶしを作ってみる。開いてみたり、ひらひら振ってみたり。特に違和感を生じないことに、なによりわたしは驚いた。前の義手は電磁力を発生させる影響から、筋組織の生体電気伝達に異常が生じていたため、わたしはそれを抑える薬を常用していた。なにより心臓に影響を与えないためだった。今回の腕は直接神経とケーブルをつなぎ、運動能力に対してのレスポンスを向上させてある。何より、心臓には全く負担がかからない。いいことづくめだが、多数の重火器を搭載している以上、格闘性能に不安が残る。近距離では格闘術に頼る他ないだろう、とわたしは適当に折り合いをつけることにした。

「ところで、これからどうするつもりなんだ姉ちゃん」

「我々にとって重要な任務を果たさなくてはならない。ドクトル、世話になった」

「あんた結構いい人なんだな」

 おとといまで暴言を吐いていたその口で、ミッターマイヤーは割りと素直な感想を漏らした。ドクトルは微笑みもせず、ウォッカの瓶を取り、煽った。

「良い人だとォ? 馬鹿を言うんじゃねえや。これはビジネスだぜ。俺があんたらで酒を飲めるか飲めないか、大事なのはそれだけだ。いいか兄ちゃん、覚えときな。世の中は打算で動いてるんだ。そいつを忘れちゃならねえ。神様は信じればお救いになるなんていうが、人間なんか信じたらすくわれるのは足元だけさ」

 その言葉を合図にしたかのように、激しく診療所のドアがノックされた。いや、ノックと言うには激しすぎる。蹴破ろうとしていると言ったほうがいいかもしれない。

「なるほど、そのようだな。……ドクトル、我々を売ったな? 一体いくらになったんだ」

 ドクトルはウォッカの瓶をあおり、ニヤリと笑みを浮かべ酒臭い息でわたしの疑問に答えた。

「野郎ッ!」

 ミッターマイヤーがナイフを出す。この時ばかりはわたしも止めなかった。ただ、そのナイフが向けられる方向はドクトルではなく、ドアの先の彼らだろう。

「ミッターマイヤー。いいか、よく聞くんだ。ドアの先には十名、もしくは二十名はいるはずだ。奴らにしてみればドクトルの診療所なぞ屁でも無い。まあ、そのまま砲弾でふっとばさなかっただけありがたいってものだ。で、わたしが言いたいのはな」

 ミッターマイヤーの眼は座っていた。真っ直ぐな瞳と言い換えてよかった。男は、三日も日を開ければ成長するという。彼はそれよりも少ない日数で、驚くべき成長を遂げていた。

「心置きなく死ね、ミッターマイヤー」

「了解」

 南米の総統閣下は、かつてわたしに人間の心の操り方を教えてくれた。どんな形でもいい、人の心の拠り所になることこそ、人の心を操るということなのだと。それはすなわち依存されるということだ。麻薬のように、宗教のように、無くてはならない存在になるということだ。わたしは、彼の拠り所になった。帰る場所がない彼には、わたししか頼る人はいない。当然の帰結だった。わたし達は笑っていた。わたしが死ねば、彼は死ぬ。彼が死ねば、わたしは死ぬ。ふたりとも死ねばそれまでだ。ならばふたりとも死なないのなら、わたし達は死なない。

「ドクトル、死にたくなければ伏せていろ」

 わたしは左腕の小指を捻った。義腕の肘先が上腕から離れ、回転する。上腕のカバーを開き、ミッターマイヤーから渡された小型榴弾を装填する。指で銃の形を作り、人差し指を引くイメージ。脳内で電気信号に変わったそれが義腕に到達すると、爆音が全てを吹き飛ばした。炸裂した榴弾はもうもうと土煙をあげ、診療所の壁だったものを巻き上げていた。

「なるほど、悪くないな。ミッターマイヤー、弾をよこせ。アサルトライフルを使う」

 今度は小さな箱をハッチを開けセットし、肘から先を捻る。たったそれだけの操作で大口径の榴弾砲から、あっという間にアサルトライフルに切り替わる。弾は液体金属のケースレス弾薬だが、基本的にはどのような大きさや種類にも対応している。わたしとミッターマイヤーは土煙の中へありったけの銃弾を放つ。相手側はパニックに陥っているのか、銃弾の風切り音が舞っていた。ミッターマイヤーはというと、わたしに弾薬を供給する以外に何もしていない。ただただ、ワルサーを握り締めているだけだった。

「ミッターマイヤー、お前も撃て」

「やっぱりそうきますか……」

「当たり前だ」

 土煙が晴れた先には、わたしによって壊滅状態に陥った通りが広がっていた。迷彩服を着た軍人だったものが何人か転がっている。どうやら、粗方撤退したようにも見えた。ミッターマイヤーは安堵の表情を浮かべると、わたしの後ろから外を伺っていた。わたしはというと、まだ安心はしていなかった。どこに残りが潜んでいるかもわからないからだ。

「どうだ、ミッターマイヤー」

「うへえ……死体がありますよ……」

「馬鹿か君は。ここはもう戦場だぞ。わたしは生きている敵がいないかどうかを聞いているんだ」

「分かんないですよ、そんなの……うえっ、気持ちわりい」

 先程までの決意はどこへいったのやら、ミッターマイヤーは情けない表情で顔を漂白させていた。仕方がないので、わたしは彼のかわりに視界を外へと向けた。確かにごろごろと死体が転がっているほかは、特に人気はない。パチパチと何かが燃える音と、焦げたなんとも言えないにおいが漂っている。

「出るぞ」

「うええ、マジですか少佐殿ぉ」

「大マジだ」

 左腕を構えながら態勢を低くしつつ、わたしたちは外へ出た。スラム街の一角にあるドクトル・エドワードの診療所は、回りはほとんど人気がない。不幸中の幸いといったところだが、わたしはどことなく誰かの気配を感じていた。

「危ない!」

 ミッターマイヤーが声を上げる。彼の握るワルサーP38の銃口から、硝煙が立ち上っていた。どさりと人が崩れ落ちる音が、彼の直線上の先から響いた。ミッターマイヤーの顔は白かった。病的な白さだった。政治家を刺したときは、大したことは考えていなかったのだろう。だが今は違う。自分で考え、自分でトリガーを引く。そうでなければ自分が撃たれる。それを自分の意思で行った以上、彼はこの世界からもう逃れられはしないのだ。とうとう、踏み込んではいけない領域に足を踏み出し始めてしまったのだ。

「少佐殿……」

 わたしはミッターマイヤーを後ろから抱き寄せると、ワルサーを固く握ったままの手に触れた。彼の手は異常に体温が低かった。撃ったことに恐怖していたのだ。そして今、自分自身に恐怖している。わたしにも経験があることだったから、それは痛いほど分かった。

「大丈夫だ、ミッターマイヤー。わたしはお前を見捨てたりしない」

「……すいません。やっぱ、まだダメですね、自分」

 そのとおりだ、という肯定の言葉を、わたしはグッと飲み込んだ。彼を本国へ返すことなど、簡単だったはずだ。それをわざわざ引き止めてまで、彼を失望させることなどできなかった。最後まで彼を導いてやらなくてはならない。

「んまーっ、実に青クッサイこと」

「ホントだな」

 高らかなソプラノと重厚なバリトンが、スラムのストリートを通り抜ける。黒いスーツに、濃紺のカッターシャツ。小柄で短い銀髪の女の手には巨大なククリナイフが両方に握られている。方や大柄の男の手には、カスタムされ、ドラムマガジンが装着されたAK47があった。敵だ。わたしはそう直感すると、ミッターマイヤーを突き飛ばし、構えた。ためらいもなく、トリガーを引く。嵐のように銃弾を飛ばす。軍人としての本能が、彼らの危険性を警告していた。

 硝煙と土煙で埋まった視界を引き裂いて、黒い刃が迫る。わたしは鋼鉄製の左腕で砕いてやるつもりだったが、直前で刃を表面を滑らせることにし、女のほうに蹴りを入れる。手応えは硬かった。片方のククリで防がれたのだ。トリガーを再び引いて目くらましにするが、これもまともに効くとは思えない。女はわたしの左腕を足場に跳躍し、男がそれを見計らったかのようにAK47の銃弾を飛ばしてくる。態勢がよろけたわたしに直撃する……かとおもいきや、突然物陰に引きこまれた。ミッターマイヤーだ。

「少佐殿!」

「すまん、ミッターマイヤー。奴らは一体……」

「流石は第四帝国『狼の牙』。名は伊達ではないようだな」

「あんたらに恨みは無いけれど、これもお仕事。死んでもらうわ」

 わたしは口上を無視すると、榴弾砲に切り替えて空に打ち上げる。遮蔽物から上空へ舞い上がった榴弾は地面に激突・炸裂し、轟音が瓦礫を吹き飛ばす。そうして、二人の気配が消えた。

「ミッターマイヤー」

「……様子を見ろってことですね」

「違う! 死にたくなければ頭を出すな。奴らは本物だ」

「そのとぉーりぃ!」

 ミッターマイヤーの顔が消え、黒い刃がわたしの目の前を通り過ぎていった。ククリナイフが瓦礫を切り裂いている。もちろん途中で止まってはいるが、人間とは思えない筋力だ。少なくとも女の力ではない。

「あたしたちはあんたらアマチュアとはわけが違う。アマチュアのくせに名はありやがるとは、ゼータクよねえ?」

 瓦礫の上から、銀髪が揺れていた。髪の色と同じだが、それより遥かに暗い銀色の眼がわたしたちを覗いている。殺気、興味、狂気、様々なものがそこに渦巻き、ギラギラと輝いている。

「ヴェロニカ、黙っていろ。とにかく、死んでもらう。偉大なる祖国と同志のために」

「へん。うるっさいのよ、ローベルト! あたしはこの綺麗な顔したガキを殺る」

 ヴェロニカが男の方を向くと、一瞬苦い表情が彼女に差し込んだ。次の瞬間、獣のように瓦礫から飛び退く。わたしは先ほどのお返しと言わんばかりにミッターマイヤーを殴り飛ばす。爆音が一発鳴ったかと思うと、案の定瓦礫が粉々に吹き飛んだ。転がりながら態勢を整えたわたしは、大男のローベルトが抱えているものに、一瞬目を疑った。ロシア製対物ライフル、KSVK。その銃口からは硝煙が上がり、その足元には巨大な薬莢が転がっていた。

「イカれてる。バイポッド無しでNATO弾と同じ口径の弾を撃てる人間なんて」

 別の瓦礫に転がり込むと、榴弾を込め、ローベルトに向かって発射。ありったけのライフル弾を撃ちこむ。ミッターマイヤーはと言うと、小さな親衛隊のナイフだけでヴェロニカの巨大なククリをなんとかできるはずもなく、逃げの一手を打っていた。

「伏せろッ!」

 わたしの放ったライフルの弾頭が、ヴェロニカの頭に直撃し、もんどりうって倒れた。彼女の顔は爆裂してしまったろう……と思ったが、事実は違った。勢いをつけてすぐに起き上がると、憤怒の表情を浮かべている。口には、まるでタバコを加えたように弾頭をくわえているのだ。ふたりとも、まともな人間ではない。

「貴様ら、一体何者だ」

「今はなき偉大なる祖国のため戦った同志ミハイル・ソロコフ」

「その助っ人といったところかしらねえ。さあ! 死んでもらうわよ、クソナチども!」

「戦う? わたしたちと? 舐めた口を聞くな、アカども。この世で平等なのは、死だけだということ教えてやる」

 義腕を構え、銃口を据える。それ自体は簡単なことだったが、次が続かない。はっきり言って火力が違いすぎる。こっちは通常の榴弾、せいぜい建物を瓦礫に変えるくらいだが、あっちはコンクリートを粉々にし、その後ろに隠れている人間を消し飛ばすようなシロモノだ。幸い距離が近いので気づかない内に撃ち殺されることは無いが、接近されすぎている。このローベルトという男から、いかに目がいいわたしでも逃れ得ぬことは間違い無いだろう。

「取った! 死ねえッ!」

 ミッターマイヤーが尻もちをつき、ヴェロニカのククリを蒼白な表情で見つめていた。わたしは、またも何も出来ないのか。好きな男の一人くらい、守れるようになりたいと願ったはずなのに。そして、彼を失うことはわたしもまた死ぬということだ。それがもうおしまいになるなどと、あっていいはずがない。わたしは彼の名前を呼んだ。彼の名前を呼ぶことで助けることができるのならば、わたしは地球上に響き渡るほどの大音声を放っただろう。ただ、わたしの口から出ていったのはそれより万分の一の大きさだった。間に合わない。彼は死ぬ。そうした憶測から、わたしの叫びはとても小さくなってしまったのかもしれない。情けないものだった。

「はーい、ストップ」

 炸裂音。瓦礫も切り裂くヴェロニカのククリが、粉々に砕けた。わたしはローベルトから義腕の銃口を外さず、背後の新たな参戦者を確認した。陽炎が揺れるより赤く、またも胡蝶がその場に立っていた。拳銃としては最強の威力を誇る『デザートイーグル』を構えていて、その銃口から硝煙が漏れていた。一般的なマグナム並の威力と反動を誇るが、装弾数はマグナムより多い。また、きちんとした構えをとれば、女性でも十分にデザートイーグルを撃つことは可能だ。ククリを砕かれたヴェロニカは、わたしやミッターマイヤーよりも憎悪に満ちた表情を浮かべていた。

「貴様ッ」

「ストップって言ったの、聞こえなかった? いやあね、これだから戦争屋は。どう取り繕っても、自分のプライドと任務が一番なんだから」

「フロイライン胡蝶。これは一体どういうことだ」

「別に。ビジネスよ、ビジネス。あ、言っとくけど旧ソ連の化石さんたちにも耳に入れて欲しいんだけれど」

 わたしがローベルトの方に向き直ると、彼の姿は消えていた。ご丁寧に、巨大な薬莢も一つ残らず回収されている。ヴェロニカはというと、腰を抜かしたミッターマイヤーを残して、やはり消えてしまっていた。

「……共産圏の人たちって、どうしてああもせっかちなのかしら」

 わたしはさあ、とゆっくりと義腕を元に戻し、ミッターマイヤーを助けにかけ出した。

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