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第四話『情動』





 日もすっかり暮れてしまい、わたしとミッターマイヤーは宿をとることにした。サンタ=マキアは観光都市であるため、ホテルは掃いて捨てるほどある。ただ、ひとつ懸念が残っていた。主要な観光産業を、マフィアが支配しているということだ。彼らは役人はもとより、FARCとのつながりも強い。わたしたちの正体がバレれば、殺されてもおかしくない。そこまでいかなくとも、居場所をバラされたらおしまいだ。そういう意味では、ミッターマイヤーはともかくわたしは最悪だった。マントや眼帯は目立ちすぎる。

「ここにしましょう」

 ミッターマイヤーが選んだのは、サンタ=マキアには似つかわしくない汚らしい民宿だった。ドクトル・エドワードの診療所も近く、入り組んだスラム街の奥にあるため、一日やり過ごすには十分そうだった。

「なかなかいい選択だ」

「食事は期待できなさそうですね」

「夕食はもう食べたし、朝食は食べなければいいさ。行くぞ」

 中へ入ると、さびれたカウンターが目に入った。どうやら、食堂を兼ねているようで、何人か客がたむろしていた。

「いらっしゃい」

 女将と思われる恰幅のいい女性が、ぶっきらぼうにそう言った。

「部屋を一つ借りたい。とにかく寝られればいいんだが」

「そんなこと言わなくても空いてるよ」

「持ち合わせが少ないんだ」

 ポケットからくしゃくしゃになったこの国の金を出した。眉間に皺を浮かべながら、女将は金を数えている。わたしはちらりとカウンターを見た。男たちが視線を逸らすのが見える。あまり歓迎はされていないようだ。

「あ、あの。しょう……」

「なんだミッターマイヤー。人前できちんと名前が呼べないのか?」

「すいません、ハーネさん。あの、自分とおんなじ部屋ってのはどうかと」

「経費節減だ。くだらんことを言うな」

 悪ぶっているくせに、妙なところで真面目なやつだ。

「あんたらの部屋は三階の奥、303号室だ。安心しな、ベッドは大きめだ」

 にやにやと女将は笑みを浮かべ、若いってのはいいねえなどとちゃちを入れた。普通に見れば、そう見えてもおかしくないのかも知れない。私はキテレツな格好かもしれないが、ミッターマイヤーは顔色が悪いのとピアスが多いのを除けば普通の少年だ。別にわたしには特別少年でないといけないなどということもない。

 部屋はこぢんまりとしていた。硬そうなダブルベッドが中央に存在し、部屋なのかベッドなのかわからないくらいだった。シャワーはついているが、お湯は期待できなさそうだ。それでも身体を洗えるだけましと考えるところが、わたしからまだ戦いが消えていない証拠と言えた。

「少佐殿、なんでわざわざ名前を呼ばせたんです?」

 ミッターマイヤーが部屋の鍵が閉まっていることを確かめながら、わたしに尋ねた。やっぱり妙なところで真面目なやつだ。気が利くのか利かないのかよくわからない。

「わからないのか? 奴ら、チリ=カルテルの連中だ。わたしの顔は随分変わってしまったが、左肩をマントで隠してる女なんてそう何人もいやしない。期待はしないが鍵はきちんと閉めといてくれよ」

 わたしはマントを外しながら、事も無げにそういった。ミッターマイヤーを緊張させるための茶番に過ぎない。チリ=カルテルは現在内輪の争いを未だ収めるに至っていないのだ。わたしがこんなちゃちな宿のバーでたむろしているような連中にまで顔を知られているとは思えないし、第一わたしは顔が変わってしまっている。整形レベルでこそないが、気づかれるとは考えにくい。

 冷たいシャワーを浴びながら、わたしは考える。わたしはなんでこんなことをしているのだろう? という実にマイナスな思考だ。わたしを慕ってくれる──少なくとも上辺だけは──部下は得たものと考えてもいいかもしれないが、トータルで見ればマイナスだろう。では、とわたしは切り替える。他にわたしは何を得ることが出来るというのだろう。組織で挙げた功績など、組織が無くなってしまえばおしまいなのだ。では、ここまで組織の人間として生きてきたわたしにどうやって別の生き方を選べばいいというのだ。わたしはレールに乗った人生を悔やむことしか許されない。愚かだった。ただひたすら惨めだった。わたしの鼻筋から一滴が落ちて、ようやくわたしはシャワーが止まったのだと気づいた。水を出しすぎたのだった。シャワーにすらバカにされているような気がして、わたしは薄いバスタオルを取り、がしがしと顔を拭いた。片腕の状態では、どうも拭きづらい。

「随分長かったですね」

「女性に風呂と化粧の長さは問わないほうがいいぞ、ミッターマイヤー」

 タオルが揺れる先では、ミッターマイヤーがなんとも言えない表情で顔を赤くしているのが見えた。何を恥ずかしがっているのやら、と思っていたのだが、ようやくその原因に気づいた。わたしは下半身の下着以外何も身につけていなかったのだ。

「すまん、あっちをむいてくれ。君がいるのを忘れていた」

 顔から火が出そうになる。愚かで惨めで、おまけにまぬけときている。なんとかタンクトップを着て、もういいぞ、と声をかけてやる。ミッターマイヤーはバツが悪そうに、狭くてカビ臭いシャワールームに入っていった。

 ベッドは当然一つしか無い。よってわたしとミッターマイヤーは、かためのベッドに転がって天井を見つめているという図式になる。先ほどのことがあって、若干気恥ずかしい。尤も、ミッターマイヤーはわたしの刺した釘が痛すぎたのか、もぞもぞとうごめいていた。眠れないのだろう。

「どうした。眠れないのか」

 我ながらまぬけな質問だったが、そういう他無いのだから仕方ない。

「すいません」

「君は謝ってばかりだな。気弱なものだ。不良ならもっと骨があるものと思っていたが」

「買いかぶりってやつですよ、それは」

「じゃあ君はわたしのことをどう思ってるんだ」

「……その」

「正直に言って構わない。……どうせ、わたしはくだらない人間だ。何も守れない、何も守るものがない、そんな人間だ」

 夜は嫌いだ。昔から夜が、暗闇が嫌いだった。余計なことを考えてしまうからだ。それも、マイナスの思考ばかりが浮かんでくる。死んでしまうのではないかという恐怖が顔をのぞかせてくる。わたしはその監視から永遠に逃れられないのではないかと思ってしまう。一人の時は例外なくそうだったが、二人の時はどうなのだろうか。こうして誰かと一緒に寝るのは何年ぶりか分からない。

「逆ですよ、なんというか……普通の人だって思いました」

「普通?」

「ええ。広報誌なんかで見た少佐殿は、若くして南米基地を引っ張る超人扱いでしたから。でも、自分が見る限り落ち込んだり悩んだりする、普通の人に見えました」

 わたしは押し黙った。そんなこと、誰にも言われたことがない。思えば、期待をかけられ、普通でないことを押し付けられながら生きてきたような気がする。ミッターマイヤーがいうような『普通の人間』であるなどという指摘は、彼以外にされたことがないのだ。

「わたしが普通、か。片目で、腕が一本無くてもか?」

「自分が考える異常な人間なら、裸を見られて顔を真赤にしたりしませんよ」

「み、見ていたのか!」

 思わず声を荒げてしまう。同時に、わたしは全身の血液が沸騰するような感覚を覚えた。

「見えますよ、あんな堂々と出てきたら」

「君というやつは! そういう時はだな、嘘でも見てないっていうものだ!」

「そういうところが普通っぽいんですよ、少佐殿」

 心臓が普段より余計に脈打っているのが分かる。昔、義腕を動かすために心臓に無茶をさせていた時のような不快な動悸ではないことだけは確かだった。

「……ミッターマイヤー、わたしの話を黙って聞いてくれるか」

「なんです」

「わたしは、どうしようもない人間だ。君が憧れているような凄い人間でもなければ、君の言うような普通の人間でもないのではないかと思う。金もない。はっきり言おう、君だけでもどこかへ逃げてくれないか。それが嫌なら……」

「嫌なら?」

「わたしは足掻いてみようと思う。死にたくはないからな。……ミッターマイヤー、改めて問おう。わたしと来てくれるか?」

 少しばかり、暗闇が続いた。

「いきます。自分は少佐殿……いや、ハーネさんについていきます」

「もうひとつだけいいか」

「なんです?」

 正直言って悩んだ。わたしの軽薄な一言が、彼を傷つけてしまうかもしれないからだ。ミッターマイヤーは、まだどこかで自分を優秀だと信じている。わたしがミッターマイヤーに同情して言い出した、などとは思われたくなかった。永遠に近いくらいの時が過ぎ去ったような気がした。実際には、一分もたってはいないはずだった。それでも、わたしが言葉を紡ぐのには恐ろしく労力と時間と精神力を削ったような気さえした。

「ミッターマイヤー、わたしを抱くか?」

「は?」

 ミッターマイヤーは思った通りに、素っ頓狂な声を挙げた。当然のことだとも思ったが、すぐにはいと言われるのは嫌だった。そういう意味では、彼は理想の返答を私に与えてくれたのだった。

「わたしと君は明日にでも死んでしまうかもしれない。君が女を知らんとは思わないが、その前にちょっとくらい良い思いをしてもバチは当たらないさ」

 尤も、片腕に片目の女を抱いて良い思いを感じるかなんてわからないが、とわたしは付け加えた。ミッターマイヤーは再び黙りこくっていた。わたしはもぞもぞと彼の元ににじり寄る。向こう側を向いている彼の身体をこちらに無理矢理向かせ、顔を近づかせた。ミッターマイヤーの肌は女と見紛うほど白く、キメが細かった。

「胡蝶の言葉を借りるのは癪だが、女に恥をかかすな、ミッターマイヤー」

「いや、その、いきなりそんな……」

「嫌なら別にかま……」

 わたしの言葉は最後まで続かなかった。ミッターマイヤーが無理矢理わたしの唇を塞いだからだった。それで良かった。わたしはこのマイナスの想いばかりが詰まった身体を、誰かに抱きとめてもらいたかったのだから。ひとりよがりの想いをミッターマイヤーで解消しようとしている自分に気づいて、わたしは酷い自己嫌悪に陥った。彼の暖かい身体を、わたしは都合のいい逃げ場に使っているにすぎないのだ。


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