第三話『取引』
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FARCは、あくまでも共産主義を掲げるゲリラに過ぎない。ただ、マフィアとの麻薬取引による潤沢な資金によって、歓楽都市サンタ=マキア郊外に、広い敷地を持っていた。主張する政治的理念が国と相反する以上、保有しなければならない軍事力は比例して大きくあらねばならない。そんな彼らの理念が見え隠れするこの場所こそ、FARCサンタ=マキア方面基地だった。その敷地では、半年前の戦闘で失われた軍事車両がようやく回復しつつあり、にわかに活気づいていた。
「先生はどうした」
浅黒い肌の筋骨たくましい男が、傷だらけの顔を撫でながら直立不動の兵士に話しかける。絶叫するようにわかりませんと答えた兵士に、男は行ってよしと告げた。男はこの基地に駐留する中隊の責任者であった。同時に今は、『先生』の接待役でもある。
「私はここだ」
男が振り返ると、『先生』が立っていた。背が高い。男も軍人として、長く前線に立ってきた古強者を自負しているが、そんな彼を見下ろすくらい先生の背は高かった。もしかすれば、二メートルを超えているのかもしれない。眼光は猛禽類を思わせる程鋭く、彼に敵対する何者をも逃がさない意思を湛えていた。
だが、彼は老人だった。顔にはあらゆる皺が切り株の年輪のごとく刻まれ、細長いその顔には白い髭で覆われている。男がもしも『仙人』という言葉を知っていたのなら、『先生』などとは呼ばなかっただろう。
「先生、一体どこへ行っていたのです。任務に支障をきたすような行動は謹んでいただきたい」
「私は単なるオブザーバーだ。君たちが任務を遂行する瞬間を見届けるのが仕事だ。それ以外の干渉はしないよ、パウル大佐」
パウルは眉を潜めたが、先生──ミハイルと名乗っている──は、今回の作戦にあたって招聘された特別軍事顧問だ。共産主義に敵する国に対して戦いを続けてきたと語る彼は、ソ連崩壊にあたって国を捨て、ただ戦いを求めてさすらってきたらしい。
「では、先程まではどちらに? オブザーバーなら尚更、現場を離れてもらっては困ります」
「街まで同志を迎えにな。……何か私に用事かね、大佐」
パウルは自身の応接室に彼を招き入れると、ガラス細工の水差しからミネラルウォーターを入れた。この暑い国で、冷えたミネラルウォーターは最高の贅沢と言ってもよかった。ミハイルはそんな施しにも、ほとんど表情を変えなかった。
「先生の言うとおりでした。第四帝国の生き残り──折れた狼の牙──一騎当千とも称される、第四帝国南米地区の最終兵器は生きています」
「ミリィ・ハーネSS少佐。諸君らとの戦闘でも、たった一人で軍を圧倒し、結果として講和を申し入れる事になったそうだな。クソナチどもに、我が祖国の遺志を汲み取る諸君らが」
ミハイルは口に出すのも嫌だというように、白い髭の下で苦々しい表情を浮かべた。
「しかし今は違います。第四帝国南米地区は崩壊し、今こそ我々FARCの主権を取り戻す時です」
「そう考えているのならいい。何のために、アメリカと取引までして今回の戦力増強に務めたと思っている。諸君らは頭がどうかしているのではないのかと私は勘ぐったくらいだが」
正直なところ、ミハイルはFARCに期待などしていない。彼が考えるような共産主義国家の創立が、この国にあるわけがないのだ。結局のところ、今まで第四帝国に侵食されていた既得権益の横取りを考えているにすぎない。誰も本気で革命など考えてはいないのだ。
「ミリィ少佐だが、何人使っても構わん。確実に仕留めたまえ。折れた牙が我々に突き刺さって、思わぬ病気を移されるやもわからん」
ミハイルはパウルの制止も聞かずに、 その場を後にした。
「国に帰れ、ミッターマイヤー」
適当に入ったそこそこに繁盛している食堂で、わたしはミッターマイヤーを突き放した。理由は簡単である。部下として足手まといだからだ。ミッターマイヤーは頬張っていたチキンステーキを詰まらせながら、無理矢理水でそれを流し込んだ。少年らしく食い意地が張っているようだった。
「給金もそれなりに出ているんだろう。悪いことは言わない、帰れ。でなければ君は死ぬぞ」
「しかし」
「しかしもだってもない。わたしも人を見る眼がないわけじゃない。君がただの素人だということくらいよく分かっている。大総統閣下の思惑ももう読めてる」
ショックだと思うと同時に、まあ仕方のない事だろうという諦めもわたしの中には存在した。要は、大総統閣下はわたしに死んでもらいたいのだ。年齢が一桁の頃から第四帝国南米支部の幹部候補として育てられ、事実それに恥じぬよう行動してきた。第四帝国の技術の粋を集めた義腕を与えられ、第四帝国が開発した擬似的に不死を実現する技術の正体も知っている。だが、わたしは総統閣下を救えなかった。それは大総統閣下にとって、裏切りに違いない。絶対に許されざること。なら、そんな功績があるわたしに大総統閣下が望むのは、死以外に無いだろう。そうすれば、わたしの知りうる秘密は闇に葬られるし、わたしは英雄として他の人間の士気を上げる元になる。何より、大総統閣下の気も晴れるのだろう。
「……わたしも、そろそろ君のことがわかってきた。君もまた、大総統閣下にとって死んでもらいたい人間の一人なんじゃないか」
「そんなことは!」
「無いというのか? そんな保証がどこにある。そもそも、任務だっておかしいと思わないのか? UFOと言ったら、この星の航空兵器の常識を全てひっくり返すような存在だ。いくらわたしの捲土重来のためと言って、君みたいな素人を一人よこしただけで何とかなると思うのか? 君を連れてきた将官はどこへ行った? 本部からの応援は? バカにするのもいい加減にしたらどうだ、ミッターマイヤー」
ミッターマイヤーの眼はあちこちに泳いでいた。泣きそうでなかっただけ男の子なのだ、とわたしは妙に彼のことを納得したような気がした。だが、そんなわたしがひどく矮小な存在に感じられて、わたしはあわてて謝罪をした。
「……すいません。でも、自分は国に帰るわけにはいかないんです」
「何故だ。わたしの死ぬところをきちんと見てこいと大総統閣下にいわれたか?」
「違います。……自分は、帰りたくても、帰れないんです」
ミッターマイヤーはフォークでこつこつ皿を叩きながら、ポロポロと話を始めた。もともとミッターマイヤーは、ただの不良だったのだという。第四帝国に入ったのも、ネオナチという反体制的なものに思春期特有な憧れを感じたのだろう。
「俺は調子に乗ってたんです。で、俺はどうしても誰かに認めてもらいたくて……」
「ありがちだな。何をしたんだ。国に帰れないということは、生半可な理由じゃあるまい」
「人を……刺したんです」
ミッターマイヤーは今も着ている鉤十字のマークの入ったコートを着て、反体制組織撲滅を図る政治家を刺したのだという。後で聞くと、その政治家はいわゆる『スケープ・ゴート』であり、第四帝国の本国での活動の妨げにならないよう、政治の世界で撹乱を行なっていた協力者だったのだ。
「なるほど。人の命は還らん。ましてや、政治家の協力者なぞなかなか代用できない」
コートの持ち主であることがバレたミッターマイヤーは、本部に軟禁されることになった。末端の構成員とはいえ、反体制組織撲滅を叫ぶ政治家を刺したとなれば、第四帝国がその急先鋒であると見られても反論できない。この南米に送られてきたのは、言わば高飛びも兼ねているということだろう。ミッターマイヤーはその事実を優秀だからというオブラートに包まれてやってきたということになる。誰かに認められること、それは若者にとってどれだけ素晴らしいことだろう。ましてや彼のように社会に背を向けて生きてきた人間ならなおさらだ。
「帰れないのは分かった。わたしだって鬼じゃない。面倒をみてやらんこともない。だが、今のままの君では使えなさすぎる」
わたしはかちかちと皿を叩いていたミッターマイヤーのナイフを取ると、金を置いた。どうせ明日をも知れぬ運命ならば、彼のような未熟者を導いてやってもいいだろう。ましてや、彼はわたしに与えられた最後の部下なのだ。認めるに値しないなら、認められるようにすることもわたしの使命とも言えた。いや、それよりも、彼の行く末がどうなってしまうのか不安になったからというのも大きかった。わたしが死ねば、それで終わりだ。だが、組織にとっての重要人物を刺し殺した彼に、良い未来があるとは思えない。
「どこへ行くんです」
「君にレッスンをしてやろうと思ってね」
夕日の茜色が差す街を、わたしとミッターマイヤーは連れ立って歩いた。そういえば、年の近い異性と歩くのは久しぶりだった。わたしも、普通の人生を過ごしていれば不思議なことでもなかったのだろうが、それは今更高望みやないものねだりと同じ事だ。
「見ろ。あそこに三人いるな」
「いますね」
いかにもガラの悪い三人組だった。タンクトップからは筋肉隆々の腕が覗いており、悪趣味なタトゥーがそれを覆っている。彼らは道端で酒の瓶を煽りながら、大声で何かわめいていた。
「今から奴らを制圧する。よく見ておけ」
ミッターマイヤーは驚愕のあまり、何かまぬけな言葉をこぼしたが、わたしは気にもとめなかった。
「随分元気だな。君等は暇なのか?」
「なんだぁ、姉ちゃん」
「ひょっとして俺達と遊んでくれるのかい」
「片目に片腕かよ。三人同時にゃ、ちょっとモノ足りねえな。後ろはちゃんと使えるようにしてあるだろうな?」
男たちはげらげらと下卑た笑い声を挙げた。別に否定はしない。それに、馬鹿にされたほうがやる気も出るというものだった。わたしは地面を蹴り、まずナイフを渾身の力を込めて投げる。男の眼に突き刺さり、情けない叫びを挙げた。
「何か言ったか、諸君」
「なんだてめえは!」
「何か言ったか、とわたしは聞いたんだ」
叫びを挙げた男は丸太のような太い腕をめちゃくちゃに振り回す。わたしは大ぶりのパンチを残った眼で注視し、上手く避けると手首を掴み、そのまま地面に引き倒した。振り回した勢いを利用し、さらに同ベクトルにエネルギーを加速させるだけで、人間は意図も簡単に振り回されてしまう。元々片腕というハンディがあるわたしには、このような相手を翻弄する格闘術が一番似合っている。最近まで義腕に頼りっぱなしだったが、身体に染み付いた技術はなかなか抜けないものだ。男の腕はねじれたまま倒れ伏していた。背中に体重をかけてやれば、そのまま折れてしまうことだろう。
「凄い……」
ミッターマイヤーが呟く。残った男達が酒瓶を砕き、即席の刃物のつもりなのか突き刺しにかかる。ナイフの動きは、プロでも無い限りは直線的な点の動きである。上下左右、逃げる場所はいくらでも存在するが、わたしが選んだのは上空だった。助走をつけ空中で足を投げ出し、男の首を足で絞めにかかる。頭に重点をかけつつ首を絞めることで男の上半身は前のめりになり、まるでハンマーを叩くように地面に頭を激突させた。
「腹ごなしにもならん。……もっと粘ってくれるものと思っていたのだがな」
残りの一人は仲間も酒瓶も放り出しながら、まさに這々の体で情けない悲鳴をその場に残していった。
「わたしたちは野蛮人じゃない。だが、君に何かを貫こうという意思があるなら、強くなければならない」
「少佐殿はそうした強さを持って戦ってきたんですね」
「否定はしない。今はたった一人になってしまった。昔は違ったのにな」
「そして今後も一人でいるつもり?」
陽炎のような赤がそこにあった。いつの間にか、胡蝶が立っている。細く白い指にはキセルが収まっていて、ついさっき火をつけたようにそこから煙が立ち上っていた。
「また君か、フロイライン。今度は何の用だ?」
「別に。それより、貴女一人でいる必要はないんじゃないのかしら」
「どういう意味だ」
「そのままの意味よ。そこの坊やでもたらしこめば一人じゃなくなるわ」
わたしは二の次を言わせないつもりで殴りかかったが、胡蝶はするりと避けると、いつの間にかミッターマイヤーによりかかっていた。只者ではない。彼女が移動するその気配すら読めなかった。
「ねえ、坊や。男は女に恥をかかせちゃいけないわ。坊やが頑張らないと、未来なんて無い……そこで、わたしのUFOの情報を買って欲しいのだけど」
ミッターマイヤーの行動は早かった。右腕を振り、短剣を出そうとするモーションを取る。が、出てこない。ピタピタとミッターマイヤーの頬に触れていたものは、紛れも無く目的の短剣だ。胡蝶が持っている。
「なあに? こんなもので私を刺そうっていうのかしら。お粗末なものね。坊やみたいな可愛い子ならまあ、我慢はできるけど」
「ミッターマイヤーから離れろ」
私は彼女にワルサーを向け、威嚇のつもりでトリガーを絞った。ミッターマイヤーの白い肌がさらに青白くなるのが良く分かる。だが、胡蝶はまたも消えていた。消えていたのだ。わたしは彼女を注視していた。人間は、片方の器官が無くなると、もう片方の器官がそれを補う。右目を無くしてから、左目で、モノを捉える訓練をしてきた。はっきり言って、満身創痍での入院生活ではそれ以外やることなど無いのだ。訓練の成果はある程度あったようで、ボクサーが通りすぎる電車の中の乗客の顔を見分けられるように、わたしもそういった能力を身につけるに至った。そういう下敷きからして、胡蝶の動きは異常だった。まるでフィルムを切り取って編集したように、彼女が動き、止まるまでの一連の行動が全く捉えられない。拳銃の弾丸がどう動くかすらある程度捕捉できるわたしにとって、彼女の動きは異能と言っても差し支えないだろう。
「何が目的だ」
「だから、何度も言ってるじゃないの。私は貴女にUFOの情報を買って欲しいの。それ以外に他意は無いわ」
「その情報を買うこと事態に他意は無いとしても、買ったことで起こる結果に他意があると困る」
「よほど相手を信用しないのね」
「わたしが思うに、君もそういう人間のような気がするが」
胡蝶は自身の秘密をはぐらかすように曖昧に笑みを浮かべ、ミッターマイヤーから離れ、手をゆっくりと挙げた。敵意は無いということのようだが、油断はできない。どういう原理か知らないが、彼女はわたしが感知できないくらいの速度で動けるのだ。もしくは、感知できない方法で動いている。変な気を起こされても、今のわたしには彼女を完全に止める方法が思いつかなかった。
「でも、情報ってそんなものよ。あくまで私はビジネスでやっているけど、正直なところこの情報を生かせそうな人物のほうが高く買ってくれるってだけで、あなた達がどこでどんなことに巻き込まれても関係ないもの」
「自己責任ということか」
「そんな御大層なものじゃないわ。私が責任を持たないってだけよ。相手に責任なんか求めないってだけ」
ミッターマイヤーが目線でどうするのかと訴えかけていた。はっきり言って、胡蝶は全く信用出来ない。人物でさえそうなのに、その口から出る情報にどれだけの価値があるかもわからないのだ。ただ、わたしたち自身も完全に手詰まりであることも、また確かなことだった。
「分かった。信用するかしないかは別として、情報の値段を聞こうじゃないか」
「あら、嬉しい。それじゃあこの手を下ろしてもいいかしら?」
「それはダメだ。壁に手を付いて背中を向けるんだ」
「いやだわ、こんなところで……貴女意外と部下に大胆な事をやらせるのね」
「何の話だ」
胡蝶には壁に手をつかせ、ミッターマイヤーを見張りに立たせると、わたしは胡蝶に話を続けさせた。とにかく情報が欲しい。この理由の分からない任務への確信のようなものが欲しかった。
「坊やからどこまで話は聞いているの?」
「それは言えない。君が持っているものとわたしが持っているものが違えば、情報をリークするのと同じだ。君が知っていることを言え」
「そう。値段なんだけど百万でどう?」
「ドルか」
「円やペソじゃ安いわ」
高い。払えないわけではない。ただこの任務がどうなろうと、わたしは恐らくお払い箱になる。悲しい事だが、金がなければ何もできない。いたずらに今後の資金を使うことは、躊躇われた。
「少佐殿」
「どうした、誰か来たのか?」
「違います。自分の金で良ければ使ってください」
「あのな、小遣いとはわけが違うんだぞ。百万ドルもあれば、切り詰めれば四人家族が二十年は暮らせる金だ。この国なら、一生遊んで暮らせる。君がそんな金……」
「持ってますよ」
ミッターマイヤーはことも無げに短冊型の紙を投げた。わたしはそれを手に取ると、値踏みをするようにじろじろと眺めた。確かに百万ドルと書いてある。小切手のようだ。スイス銀行の組合に加盟している、正式な銀行のサインと、大総統閣下の偽名のサインも入っている。わたしも南米基地では小切手の決済も担当していたから、活動資金を捻出するために扱った経験はある。
「なんだ、この小切手は」
「活動資金です。大総統閣下も手ぶらでは無理だろうということで、小切手を持たせてくれたんです」
小切手は知っての通り、銀行に出せば金を指定した口座から引き出せるようになる証券に過ぎない。ミッターマイヤーに現金を持たせる気がなかったのだろう。よっぽど彼の失策を狙っているに違いない、とわたしはあたりをつけた。
「では、ありがたく使わせてもらおう。フロイライン胡蝶、小切手でいいだろうか」
「ふざけないでよ。現金じゃないとダメよ。遊びでやってんじゃないのよ?」
「ふざけるなだと? こちらのセリフだフロイライン」
わたしは胡蝶に後ろから覆いかぶさると、腰に下げていたワルサーを抜き、細いバレルを無理矢理胡蝶の口に突っ込んだ。少し暴れれば、すぐに振りほどける程度でしかなかったが、とにかく逃がすわけにはいかなかった。
「こちらもお遊びじゃないんだ。君だけ大人の女のつもりか? わたしとて生娘じゃないんだ。指はもうトリガーにかかってるんだぜ」
胡蝶は意外にも騒がなかった。彼女もくぐった修羅場がひとつやふたつではないのだろう。唾液でべとついたバレルをむりやりどかすと、胡蝶は手を差し出した。小切手をよこせというのだろう。わたしは目の前に小切手を持って行くと、彼女はそれを奪い取り、胸の内側へねじ込んだ。
「じゃあ、一度しか言わないからよく聞いてよね。アメリカから払い下げを受けたUFOは、この街サンタ=マキアの郊外にあるFARCの基地にあるわ。動作テストはもう済んでる。輸送を兼ねて、一週間後FARCの本部まで飛ぶそうよ」
「本部か……サンタ=マキア基地は復旧したばかりで手薄のはずだ。今のうちに叩いておかないとまずいな」
「だけど、それも難しいかもね……今のサンタ=マキア基地には、本部が雇った傭兵がいるわ」
「何者だ」
「冷戦時代、米ソの水面下での抗争全てに参加し、そのことごとくで生還したソ連伝説の傭兵、ミハイル・ソロコフ。……あの基地では、先生と呼ばれているわ」
その名前だけなら、わたしも知っていた。総統閣下のお話にも何度か出てきたことがある。ただ、今はもう二十一世紀だ。その傭兵はすでに五十年近く戦い続けてきたことになる。よぼよぼの爺さんどころではない。
「なるほどな。ところで……」
眼を離したのがまずかった。胡蝶の姿は既に無く、消えていた。
「……ミッターマイヤー、胡蝶が逃げる瞬間を見たか」
「分かりません。通りには逃げて来ませんでしたけど」
分かった、とわたしは小さく返すと、ワルサーを彼に突っ返し、行動を起こすことにした。ドクトル・エドワードに発破をかける必要がありそうだった。