第二話『胡蝶』
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わたしの義手はいわゆるワンオフだ。完全にわたし専用に作られた、わたしだけの兵器だった。同じものはないし、今更作ってもらえるとも思えない。代わりになるものが必要になるだろう。無事な右腕だけでは、ただ自殺しに行くだけだ。どうせなら、わたしは生きてやろうと考えていた。
「そんで、おれっちの所にきたってわけかい」
酒瓶の底に揺れるウォッカと、酒でできているような息を吐きながら、ドクトル・エドワードは怪訝そうな目を向けた。ドクトル・エドワードは闇医者であり、情報屋でもある。情報屋は、情報を売買する。思想も人種も関係なく、金さえ絡めばどんな情報をも流す。ドクトル。エドワードは、身体を治す代わりに情報を得て、その情報で金を得ている。逆もしかりだ。
「少佐どの、こんなじじいに……」
「あのなァ、坊主。じじいたあなんだじじいたあ。事実にゃちげえねえけどよォ」
「君は黙っていろ。……ドクトル。頼みがある」
私は左腕に下げたマントを外すと、エドワードに見せた。接合部は完全に残ってはいる。ただ、それだけだ。なんとか、義手が欲しいのだということを告げると、エドワードは歯の抜けた口をにやりと歪めた。
「義手ねえ。あてはあるぜ。ただ、あんたにはいくら積ませても文句はなさそうだなァ」
空気を切り裂くような音がしたかと思うと、ミッターマイヤーの手元に光がちらついた。どこから飛び出したのやら、短剣を持っている。鈍く光る刃には、『忠誠こそ我が名誉』の文字。武装親衛隊の短剣。大総統閣下からもらったのだろうか。
「おい、てめえ……いい加減にしろよ。少佐殿が下手に出ていただいてるからって、てめえがこれ以上無事だって保証はねえぞ」
「やめろ」
ミッターマイヤーは不満そうな顔を今度はこちらに向けた。エドワードに見せたものとは随分違うようだった。それでも、わたしには不快に違いなかった。余計なお世話というやつは嫌いだ。
「すまないドクトル、機嫌を悪くしたのなら謝る。……こればかりは背に腹は代えられないからな。だが、わたしにはこれくらいしか残っていないのだ」
襟元につけている鉄十字勲章を引きちぎると、エドワードの震える手に差し出した。別に価値が分かっているからではないだろう。エドワードが震えているのは酒のせいだ。
「鉄十字勲章ねえ」
「総統閣下がくださったものだ。言っておくが、1957年製のものじゃないぞ。黄金宝剣付柏葉騎士鉄十字だ」
「黄金……なんだって?」
「黄金宝剣付騎士鉄十字。ドイツ空軍伝説のエース、ハンス・ウルリッヒ・ルーデル大佐、そして我らが大総統閣下のみが持っている勲章だ。十二個あるそうだが、実際には三つしか現存していない」
鉄十字勲章は、ドイツでもポピュラーな勲章だ。ただの従軍勲章から、たった一人にしか与えられなかったものまで、その種類は幅広い。わたしがもらったのは、総統閣下の存命中だったから、ただの戯れにすぎなかったのかもしれない。その時わたしはまだ子供で、総統閣下のことも少しばかり気難しい老人くらいにしか思っていなかった。
「こりゃあすげェ値で売れそうだなァ。分かった、これなら上等のもんを引っ張ってこれるぜ。……ところで、どんな義手がいいんだ?」
「義手に種類があるのか」
「あたりめえだぜ、姉ちゃん。最近の技術の進歩ってのは大したもんだ。人工皮膚を使った見かけは本物同然のもんだってある。脳波を飛ばしてリンクさせるもんから、昔ながらの直接ケーブルを繋ぐもんまで、ピンきりだぜ」
わたしはとりあえず、時間をとることにした。国宝級の一品をくれるのだから、いくつかサンプルを持ってくるとのことだった。エドワードは闇医者なので、義手を接続する手術も出来るという。どうせ、時間はかかるのだ。組織も私が生きていることなど、どうせ望んでいない。 ミッターマイヤーは、エドワードの汚い診療所を出た後もあからさまに不機嫌な顔をしていた。
「まだ不満か、君は」
「少佐殿にふざけた口を」
「そんなものだ。軍人であれば偉いなどというのは幻想だ。実際には我々は嫌われ者だ。それも、SSなどときたら世界最悪の嫌われ者だよ」
ミッターマイヤーはそう諭してもまだ不機嫌な顔をぶら下げていた。それはわたしがどう言おうと変わりそうに無かった。彼にはあらゆるものが足りない。若いのだから仕方がないが、足りなすぎる。任務が、思慮が、目的が、敬意が、落ち着きが、冷静さが、とにかく足りない。足りないばかりの彼を、わたしは引っ張っていかなくてはいけない。ただの重しならまだマシだが、彼は口を聞き、不満を垂れ流す。最悪のお荷物だった。
かつて、第四帝国地下秘密基地『鉄狼の巣』があったサンタ=マキア記念博物館は、単なる瓦礫の山になっていた。わたしが鉄腕相手に大暴れしたせいだった。もちろん、博物館ごと基地もなくなってしまった。いまさら来ても仕方がないことは分かっている。基地も根こそぎ捜査の手が入り、念入りに入り口も潰されている。宛所もなくブラブラとたどり着いたにすぎない。
「少佐殿、一体ここは?」
「かつて、ここには基地があった。今は何もないがな」
見回す限りの瓦礫の山。黄色いテープで封鎖されてはいるが、人の気配はない。わたしは右腕で黄色いテープを引きちぎると、何かに引きずられるようにそこへ入った。慌ててわたしを追いかけるミッターマイヤーが、瓦礫に足をぶつけて小さな悲鳴を挙げた。
「しかし、ここで何をやろうと言うんです」
「気付かないのか。……さっきから付けられている」
風が砂利を巻き上げ、ぱらぱらと乾いた音を鳴らす。ミッターマイヤーには気配は感じなかったようだ。わたしも、一応少佐と呼ばれるからには、それなりの戦闘訓練は受けている。コーヒーショップを出た頃から、ずっとつけられているのだ。こんな何も無いところまでついてくるのだから、目的はわたしたちに違いなかった。
「はあい」
ひらひらと手を振っていたのは、女だった。髪は長く、染めているのか燃えるように赤い。同じように赤いスーツを着ていて、その中には女性的なラインが無理矢理詰め込まれている。はちきれそうだ、とも思った。スリットの入った短いスカートは、男女構わず挑発しているようにさえ見えた。
「誰だ、てめーは!」
ミッターマイヤーの手がきらめく。短剣が飛び出す。わたしはそれを手で制すると、女に向き直った。赤いルージュが印象的で、艶っぽいとわたしは感じた。そういえばあの鉄腕は自分も女のくせに女が好きだった。やつなら誘われれば飛びつくだろう。
「ああん。あんまり乱暴な言葉はやめてよ? 私乱暴にされるのは嫌いじゃないけど、乱暴な人間は嫌いよ」
「彼の非礼はわたしが謝ろう。──だが、何者であるかは名乗ってもらおう。目的があって我々に着いて来ていることくらい、既に分かっている」
女は暴力的なほど赤い唇に指を当てると、あからさまに芝居がかった表情で悩んでいた。
「どうしようかしら。素直に名乗ってもいいんだけど……」
「ミッターマイヤー、銃をよこせ」
「分かったわよ、分かった! 悪かったわ。自己紹介くらいはマナーよね,、当然だわ。私の名前は胡蝶。見ての通りいい女よ」
自分で言うことかよ、と至極当然な毒がミッターマイヤーから漏れていた。わたしも珍しく彼に同意すると、少し気が抜けてしまったようにこめかみをかいた。
「それで、フロイライン胡蝶。君は一体どこの誰で、我々に何の用なんだ? 場合によっては、タダで返すわけにはいかん」
ミッターマイヤーに右手を差し出すが、一向に動かない。銃を出せと言ってから何分も経つ。気も利かないとは、一体何のためにいるのやら。
「簡単に言えば、取引をしたいの。私はあなた達にとって有益な情報を持っている。その代わりにお金が欲しい。他意なくそういうことなの」
「信用できんな。情報は欲しいが、どんな情報なのか、要求額はいくらか。……そして、君は一体何者なのか。情報が不確定すぎる。信用するに値しない」
身体をくねらせると、胡蝶は出来立ての切り傷のような鮮やかな眉を潜めた。
「私はあなたに損をさせる気は無いわ。もちろん、私を信用してとも言わない。でもこの情報は確実よ。なんてったって、UFOの所在に関するものなんだから」
ようやくミッターマイヤーは懐から銃を出した。ワルサーP38。ドイツで最も有名なオートマチック式拳銃。私はそれを奪い取ると、胡蝶に狙いを定めた。胡蝶はまるで陽炎のように、地面から燃え上がっているようにすら感じた。同時に、すぐに掻き消えてしまいそうな印象をも与えた。
「ボロを出したな。私はこのミッターマイヤーからその情報を聞いたばかりだ。では君は一体どこからこの話を聞いたんだ?」
「風の噂とか、虫の知らせじゃ納得してくれなさそうね」
「本で読んだ、テレビで見た、友達から聞いた。いずれもわたしは納得しないつもりだ、フロイライン。君は一体何者だ?」
その時、一迅の風が踊り抜けた。埃が舞い上がり、乾いた空気がごろりと動く。私は既に無いはずの左腕でそれを防ごうと試み、もろに失敗した。砂塵がわたしの眼を容赦なく襲い、視界が黒く塗りつぶされた。反射的に眼をつぶってしまったのだ。右手でごしごし眼をこすり、顔を上げると、胡蝶の姿はもうなくなっていた。ただっぴろい空き地だけが、ぽっかりとそこに存在している。ミッターマイヤーも眼を丸くしたまま、わたしと何秒か見つめ合った。ミッターマイヤーの色素の薄い肌に朱が差したような気がしたが、わたしは無視することにした。