第一話『覚醒』
世の中には、得る人と失う人がいる。わたしはそれを充分に理解していたはずだった。今となっては愚かなその認識で、わたしは何かを得ようとしていた。つま りわたしは、自分を得る者だと考えていたのだ。ばかばかしいことだ。勘違いも甚だしい。わたしはただただ失う者であって、何かを得たことなど一度もありは しないのだ。
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まどろむ視界の先に、揺らめく影が見える。声にならないうめきをあげる。身体は動きづらい。もうこんな状態が半年も続いている。
その日、目を覚ましたわたしが見たのは、冷たい目をした同胞と、少年だった。スーツに身を包んだ彼らは、本部から来た、と短く宣告した。外は暑く、わたしは病床着が汗で湿っているので不快なのに、彼らはそんな素振りも見せなかった。
「残念な報告をしなくてはならないのだ、ミリィ・ハーネ少佐」
「手短に言わせてもらうなら、南米での作戦は全て失敗に終わった。君の南米地区での任を解き、このまま本部に移送になる」
耳にありったけの針を流し込まれたような言葉だった。今すぐ毛布を被ってしまいたい気分だったが、そういう訳にはいかないだろう。わたしはそういう意味では、どこまでも軍人だった。カゴの中の鳥と言っても良かった。
「その前に、君には南米での最後の任務にあたってもらう。優秀な副官もつけておいた。概要は彼から聞いてくれたまえ。では、私はこれで」
スーツの将校は名乗りもせず、風のように病室から去っていった。まるで、一秒でも早くここから出ていきたいというようであった。
「どうも」
わたしは残った少年を見る。やせっぽちの金髪で、背は百五十八のわたしより頭一つ大きいくらいか。目は垂れていて、こめかみにピアスが入っていた。寝不足なのかは分からなかったがクマができている。形の整った唇にもピアスは入っていた。
「君が副官ということか」
「そうです。自分はマルク・ミッターマイヤー准尉と言います」
変わった容貌の割には、随分と普通の名前だった。奇抜を気取っているのが良く分かった。顔から少年のイメージが抜けきっていないのも原因なのだろう。
「もうわたしの名前は知っているだろう」
「もちろんです、ミリィ・ハーネSS(武装親衛隊)少佐どの。はっきり言って自分は少佐どののファンであります」
くだらない内容だと思った。もともと、ビジュアル先行気味であったWW2時のドイツ軍には、得てしてこういうミーハーが多いのだ。わたしも何度か第四帝国の広報任務の一部として広報誌にも出たからこういう人間も出てくるのだろう。
「しかし、聞く限りでは君は正規兵待遇のようじゃないか。随分と若いようだが」
ミッターマイヤーは少し得意気な顔になって、くるくると舌を回した。
「自分は特別です。ゆくゆくは幹部にもなれるだろうとも言われております。大総統閣下にもお墨付きを頂いているんです」
「大総統閣下にお墨付きね……」
わたしはどうもおかしな感じがして、かりかりと頭をかいた。頬を触ると、なんだが自分の肌ではないような気がした。それもそのはず、わたしの肌の殆どは人口皮膚になってしまったのだ。忌々しいあの鉄腕によって、わたしは砲弾の直撃を受けた。運よく左義手で受けることが出来たため(わたしは病気で 左腕を失っている)、バラバラにならずにはすんだが、全身に大やけどを負った上、骨折箇所多数・内蔵損傷、極めつけに右目を失明した。生きているのが不思議なくらいだ。
「大総統閣下は、『南米の』閣下に対して何かおっしゃられていたか?」
総統閣下は、数人いる。私はその中の南米の閣下に仕えていた。彼は私を必要としていて、わたしも彼を必要としていた。今はもうこの世にはいない。
「自分は特に何も聞いていません」
「……そうか」
自分が死んだことに、コメントなどしたくないという事なのだろうか。わたしは一抹の寂しさを覚え、涙は失明しても流れるのだろうかと考えた。わたしはベッドから立ち上がった。かごの鳥には違いない。それも、どこへ飛んでいけばいいのかもわからないのだ。それでもわたしは行動を起こさなくてはならなかった。身体のリハビリはもう終わっている。なら、やるしかない。
「ここでは何だ。わたしも退院はできるようだし、外で話をしよう」
我々第四帝国を支援する企業は多い。ドイツ系の外資企業はもちろん、帝国の持つ特殊技術や情報を頼りにする連中もいる。簡単には渡さない。渡すつもりもな かったこともある。この病院は、コロンビアでは珍しく先進医療を売りにしていて、帝国の流通ルートを使って、ガンに効くという最新の装置を手に入れた。彼らに とってみれば大きな収穫かもしれないが、帝国に大きな借りを作ったことになる。現に、院長は帝国の支持者だ。南米の総統は、姿が無くてもいいと言った。院 長は、支持者としての姿をおくびにも出さない。わたしがアカどもから追求されずにここで過ごすことができたのも、この病院のお陰だ。
「少佐は帝国の本部が移ってからも、南米に残られていたわけですよね」
南米コロンビアの 歓楽街、サンタ=マキアの空気は、どことなく緊迫していた。いつも以上に、住人がピリピリしている。ここは、チリ=カルテルというマフィアどもとFARCという共産ゲリラが強く結びついた暴虐の街だ。きらびやかな観光都市はただのハリボテに過ぎず、薄皮を剥いでしまえば、薄汚いヘドロのうずまくカスどもの 潜む下水道。わたしは、そういう都市に最後まで残っていた。南米の閣下をお守りすることがわたしの役目だったのに。
「少佐どの」
「すまない、考え事をしていた。たしかにその通りだ。ウェブを使って支持者を増やす。機を見て都市ごと乗っ取りをかける。それが南米支部の実験だったからな。わたしも最後まで残る義務があった」
ミッターマイヤーはカフェオレを二つ注文していたようで、わたしにそれを薦めた。彼はつまらなそうにわたしの話を聞いている。本部でさんざん聞いたのかもしれない。しきりに自分の唇に入っているピアスを撫でていた。
「少佐どのは、宇宙人の存在を信じますか」
「宇宙人?」
素っ頓狂な声が漏れる。何を言っているんだ、こいつは。わたしは黒皮でできた眼帯で覆われたもう見えない眼を撫でた。
「ちなみに自分はいると思います。浪漫があって面白いじゃないですか」
「ミッターマイヤー。君はまさか、そんなオカルトじみた世間話をしにきたわけじゃないんだろうな」
左腕が痛い。無いものが痛む感覚。最悪の気分だ。
「もちろんです。少佐どの。……意外とお固いんですね」
「上官に対する口の聞き方くらい学んでこい、ミッターマイヤー」
わたしは気分を悪くしたので、立ち上がった。帰る場所などありはしない。私にできるささやかな反抗。みじめな反逆。そんな私を引き止めるように、ミッターマイヤーは慌てて頭を下げた。
「すいません。自分、誰かに付くのは初めてなもんですから。……それに、この話は案外関係のない与太話ってわけでもないんですよ」
「どういうことだ」
カフェオレをのむ。甘い。わたしはまるで、悪意が糖分の姿をとって入り込もうとしているのではないかと、訳のわからない錯覚に陥った。
「六十年以上前、我が帝国で新型航空兵器が開発されていたこと、ご存知でしょうか?」
「新型航空兵器だと?」
「ええ。現在のVTOL戦闘機のように、どんな局面局地でも、垂直離発着可能なものだったそうです」
VTOL戦闘機とは、垂直で離着陸が可能な戦闘機のことだ。WW2時にも同様のコンセプトで開発が進んでいたが、とうとう実現しなかった。開発速度が追いつかず、終戦を迎えてしまったからだ。
「しかし、VTOLなど今は珍しくもなんともないだろう」
「ええ。まあ、それなりの予算を組めばこの国のアカどもでも買えるでしょうね。しかし、それが高速飛行・宇宙空間への突入まで可能だとしたら?」
「そんなものあるわけない」
わたしはこつこつと指で机を叩いた。くるみが床を転がるような音が、リズミカルに続いていく。
「第一、その新型航空兵器とやらと、さっきの宇宙人にどう関係してくるんだ?」
「実は、大総統閣下が南米に避難された際、技術者が大量にアメリカに引き抜かれる事件があったのです。それが、終戦後すぐでした。恐らく、戦後のドタバタで亡命をそそのかされたのでしょう。そして、終戦後二年経ってから起こったのが……」
「……ロズウェル事件か」
アメリカのロズウェル発着基地付近に、謎の構造物と、後にグレイと呼称される宇宙人のような遺体が発見された事件。アメリカの闇。くだらないゴシップ。そんなもの、頼まれたって覗きたくない。
「しかし、あれは確か『宇宙人のようなもの』が発見された事件に収まっているはずだ」
「その際に墜落していたのが、我々が開発していた新型航空兵器に酷似していました。……アメリカは恐らく、完成させたのでしょう。『UFO』をね」
墜落していたUFOから発見された、宇宙人のような遺体。墜落していたUFOが我々帝国のものであるというのなら、アメリカはとんでもない航空兵器を手に入れたということになる。しかし、わたしにはそれが今帝国が懸念している問題にどうも結びつかないように感じた。昔の話を蒸し返しても、結果は変わらないのだ。
「それで、そのUFOと今回の作戦がどのようにかかわってくるんだ? まさか、今更アメリカの保有するUFOを全て破壊しろ、というわけではあるまい」
ミッターマイヤーは整った唇からカフェオレを流し込むと、ゆっくりとテーブルに置いた。若干、芝居がかっているような感じがした。彼は、軍人になろうとしている。背伸びしている。
「……イスラエルは、ユダヤ系の企業を通してアメリカ政府に圧力をかけ、ある取引をしたんです。FARCにUFOを払い下げる。その代わり、南米で新たに発見されたレアメタルの鉱床の採掘権を譲るとね。恐らく、南米支部の壊滅を確認して、我々を完全に追い出すために、共産主義国家の建設すら容認するつもりなのでしょう」
「無茶苦茶だ」
「ですが事実です。これは総統閣下直々の特命です。我々が疑う余地はありません」
ミッターマイヤーは時代錯誤も甚だしい羊皮紙を、懐からうやうやしく取り出すとわたしに見せる。大総統特命。絶対権力者からの囁き。組織に所属している以上、逃れられない運命とも言える。逆らうことなど考えられない。以前のわたしなら。
「FARCの基地にある二機のUFOの破壊ね。玉砕覚悟といったところだな」
「自分と少佐殿ならやれますよ! 大総統閣下からもお墨付きを頂いているんです。大丈夫ですよ」
「お気楽だな、君は。いいか、わたしは左腕がない。君も知ってるかもしれないが、わたしが無茶苦茶をやれたのは左腕が機械化されていたからだ。今はそれがない。君は自分がヒーローか何かになったように感じているようだが、くだらん勘違いだ」
そんなことはありません、と不満の表情をミッターマイヤーは浮かべた。どこまでもお気楽な新兵だった。わたしはこんな新兵と共に、敵の懐に飛び込めと言われているのだった。確実に、死ねと言われているのと同じ事だ。
事実、私は死ねと言われているのだろうと思った。自分を見捨てて生き延びた部下を、あの大総統閣下が許すはずもない。ただ、私もいっそのこと死んでやろうかという鬱屈とした気持ちと、どう生きていけばいいのか途方にくれるという感情が同時に混じり合い、わたしは胃の中のカフェオレをもどしそうになった。