帰れない帰り道
その日はなんてことのない1日だったはずだった。
いつものようにコンビニに寄っていつものように缶ビールとツマミを買って、いつものようにコンビニの前の道を左に曲がる。
そしていつものようにまっすぐ歩いていたはずだった。
「今日は疲れたな。あんな残業、やってられないっつーの」
一人言を呟きながら、ふと顔を上げる。
「あれ」
なぜか家とは逆方向に向かっている。
「おかしいな」
後ろを振り返ると、左手にコンビニが見える。手にはさっき買った缶ビールとツマミが入ったコンビニ袋。まだ缶ビールは冷たいままだ。振り返って下を向いたまま歩き出す。
「おいおい」
コンビニを通り過ぎて暗い夜道をとぼとぼ歩いていたかと思ったら、左手に見慣れた物が見えた。
さっきのコンビニ。
「なんだかおかしい。気味が悪いぞ」
コンビニの光が煌々と見える。手には冷えた缶ビールの入った袋。少し気味が悪くなってそのままコンビニに入る。
「イラッシャイマセ」
いつものようにいつものコンビニ店員がいつもの挨拶。目も合わせずに雑誌コーナーに行き、雑誌を手に取って窓ガラス越しで外の様子を窺う。変わった様子は無さそうだ。
「しかし気味が悪い」
左手の家への道を歩いていたはずだったのに、右へ向かっていた。それが何故だかわからない。しばらく外の様子を窺っていたが何の変哲も無さそうな様子に意を決して外に出てみる。
「アリガトウゴザイマシタ」
何も買ってないが店員が挨拶で見送る。今度は顔を上げて左に曲がってみる。確かに左手の道は家への帰り道だった。
「なんだよ、いつも通りじゃないか」
とぼとぼと歩き出す。気味が悪いが顔を上げて歩く。普通に左に曲がってまっすぐ。まっすぐ行って突き当たりを左に曲がれば自宅のあるアパートは右手に見える。
「疲れてたのかな」
一人言を呟いて息を吐き出した。いつもの見慣れた帰り道。月が出ていない夜道は街灯も少ないせいか暗くて先が見づらい。しかし光景はいつもの通りだった。
「明日は早出か。早く寝なくちゃな」
明日のことを思い浮かべながらふと右前方の高層マンションに目をやる。突き当たりの右手に立っている高層マンション。高層マンションの住人たちの灯りの数が深夜であることを示していた。
「なんだこれ」
T字路の突き当たりに着いているはずだった。少なくとも数秒前はそうだ。右前方の高層マンションに目をやった僅か数秒の間にいつもの見慣れた帰り道は忽然と消えていた。
真正面に見えるのは左前方のコンビニの煌々とした光だった。
明らかにおかしい。何かが狂ってしまっているような言い知れぬ恐怖がこみ上げてくる。携帯を見る。1:32。走り出してコンビニに駆け込んだ。
「イラッシャイマセ」
「おい、俺はさっきここに来たよな。家に帰れないんだ」
かなり取り乱し気味に店員に声をかける。店員は愛想笑いを浮かべて何を言ってるのか解らない様子だった。
「さっきから家に帰る道がおかしいんだ。なぜかここに戻って来てしまうんだよ」
コンビニ店員は何が何やら訳が解らないという表情を浮かべて困惑している。
「警察、いや携帯で助けを呼ぼう」
携帯を取り出す。時間が時間だが気にも留めず電話をかける。呼び出し音が響くが出ない。
「おい、どういうことなんだよ。誰も出ない」
普段なら誰か起きていて出そうなものなのに誰もでない。
「警察。警察だ」
慌てて110を押す。呼び出し音が幾度となく鳴ってつながった。
『はい。警察ですがどうされました』
「おかしいんです。なんか狂ってるんですよ」
『落ち着いてください。どうしました』
「とにかく来てください。なんかおかしいんです」
『とにかく落ち着いて。誰か他の人はいますか』
「コンビニの人がいます。代わりますか」
『そうしてください。とにかく落ち着いて』
訳を言って無理やり店員に携帯を押し付ける。コンビニ店員は携帯を持ってコンビニの出口に向かって行く。外の様子を窺うのだろう。後ろ姿を見送りながら恐怖と戦っていた。
数十秒で店員は戻ってきた。
「ダイジョウブデスヨ」
「大丈夫って何が。さっきから何度も帰って来てしまうんだよ。大丈夫な訳ないじゃないか」
「トニカクオチツイテ」
「落ち着けって、落ち着いてるさ。家に帰れないんだよ」
コンビニ店員は困惑した表情でじっと見つめている。
「警察は。警察はどうした」
「ヨッパライカナニカダロウッテキラレマシタ」
「貸せ。かける。酔っ払いなんかじゃない」
店員から引ったくるように携帯を取り、再び110を押す。
『はい、警察ですがどうされました』
「さっきの者だけど家に帰れないんだよ」
『ああ、さっきの。あんたね、ここは忙しいんだよ。酔っ払って電話してきちゃ困るのよ』
「酔っ払いなんかじゃない。何度も帰り道を帰ろうとしてるんだがなぜか帰れないんだ」
『あんたね、そんなことでいちいち電話されちゃ困るんだよ』
「そんなことって。帰れないんだぜ。何度も同じ道を帰って着ちゃうんだ」
『ほんとふざけてるならいい加減にしなよ。とりあえず名前と住所聞いておくぞ』
名前と住所を矢継ぎ早に言う。少し落ち着いてきたようだ。
『はいはい、わかった。最寄りの署に連絡しとくから、もう電話かけてくるなよ』
電話を切って、周りを見渡す。いつものコンビニ。店員はいつの間にか自分の作業に戻っていた。
「ふぅ」
息を吸って吐き出す。少し落ち着いて手に持っていたコンビニの袋を確かめてみる。缶ビールは変わらず冷たいままで、何も変わったところはない。なんとなく落ち着いてきた自分を奮い立たせてコンビニ出口に向かっていく。
「アリガトウゴザイマシタ」
店員がいつもの挨拶を言う。こんな場合でも同じ挨拶を返すコンビニ店員に少し腹が立ったが出口で外の様子を窺ってみた。
いつもの光景。何も変わったところはない。
「警察は来るんだろうか」
なんとなく警察は来ない気がしていたがこのままでは埒があかない。冷静になろうと努めているが気味の悪さは残ったまま。喉が渇いてくる。
「缶ビールをあおって一気にいくか」
袋から缶ビールを取り出す。缶ビールは冷えたままだ。プルタブを引いて一気に喉に流し込んだ。
「味なんてわかんねぇ」
声にならない独り言を呟いてどうするか考えてみる。とりあえず左の道に間違いなく向かって、まっすぐ。意を決して少し小走りで走り出した。
「顔を上げてまっすぐ走ろう」
久々のランニングはすぐ息が切れる。見慣れた帰り道の光景が目に飛び込んでくる。今度は何があっても視線を他に向けるつもりはない。まっすぐ見据えたまま一刻も早く帰ることだけを念じて走っていた。
ふと遠くからパトカーの音が聞こえてくる。だんだん後ろから近づいているようだ。
「なんだよ。警察来てくれたのか。もう少し待てば良かった」
間もなくT字路の突き当たりに到着するかというときだった。警察を待てば良かったと少し後悔しつつ、もう少しで家に着くという安堵感とまたコンビニに戻されてしまうかもしれないという恐怖感を感じていた。
「もう少しだ」
突き当たりを左に曲がる。曲がればすぐ右手に見えるはずだ。
息を切らせながら左に曲がった先に見えた光景は
左前方で煌々と光るコンビニだった。
「いきなり飛び出してきたんですか」
「そうなんです。いきなりT字路の左から・・」
「避けれなかった?」
「無理ですよ。こちらも深夜で少し飛ばしてましたし」
「酔っ払いが酔って飛び出したんだろう。何時頃でした?」
「1時30分くらいだったと思います」
「高層マンションの住人も大きい音を聞いたっていうのが1時32,3分っていうから、その時間で間違いないな。缶ビール飲んでいい気分になっちゃったんだろう」
「すぐ救急車と警察を呼んだんですが」
「まぁとりあえず署に来てもらえるかな」
「あの人助かりますか?」
「だといいがね」
誰が置いたか知れない花束と缶ビールがT字路に供えてある。その先にはコンビニがいつものようにいつもの常連客を待っていた。
「イラッシャイマセ」




