lim11:New Term
始業式の朝。部屋の扉が叩かれる音で目を覚ました。
こんな朝っぱらから、一体誰だと言うのだろうか。
「どちら~?」
「八木だけど」
「……え?」
また予想外な人物だった。
それは何なのだ?あいつは俺の幼馴染みなんて設定は持ってないハズだし、それ以外にも朝起こしに来てくれる要素なんて一切……
「あ──」
あった。
春休みの間に忘れてしまっていたが、きっと制服だ。……いや、始業式の朝になるまで忘れてる、ってのもどうかとは思ったが。
「とりあえず、開けてー」
言われるがまま、ノロノロと起き上がり扉へと向かう。
……まったく、少しは男の寝起き、ってものに気を遣ってもらいたいものだ。
「貴方達、まだ寝てたんだ……」
こいつに直接会うのは、終業式以来──ざっと二週間ぶりだ。勿論、紅花さんとも。
そんな久々の再開に、開口一番こう言われては情けない。情けないとは思うものの、実際そうだったんだから何も言い返せず、尚更情けないのだが。……いつか見返してやる。
ジト目を向けられつつ、手に抱えていた制服を受け取り、軽く礼を言う。
あの翌日、八木カナから電話があった。
──制服、学校の予備から貰えるかも。
そう言われたので、結局新しいのは買いに行かなかった。まぁ、小遣いが減らずに済んだのだから、本当に良かった。
「はぁ~……外で待っててあげるから、さっさと準備しちゃって」
「え?」
そんな風に言われたものだから、もうかなりヤバイ時間なんじゃないかと思い、目覚まし時計を覗き込んでみた。──って、まだ六時過ぎじゃないかよっ!
どおりでまだ目覚ましも鳴ってないハズだ。
「全然、そんな急ぐ時間じゃないだろう?食堂だってまだガラガラだし」
「私はいつもこの時間だけど?」
建物が違うとは言え、こいつに会わなかったのはそれが原因だったようだ。因みに食堂は平日、朝は七時半まで開いている。八木カナとはいつも、約一時間ズレていた、って訳だ。
それにしても、朝はともかく夕飯に出くわさなかったのは、どうしてなのだろうか?俺だってかなり時間帯はまちまちなのだが……
それはともかくとして、あの八木カナの事だ。どーせ、律儀にも食堂辺りで待っているんだろう。……ぶつくさと言いながら、なのが容易に想像つくが。
早速受け取った制服に腕を通してみる。やけにブカブカとしていたが、学園にあった予備らしいし、貰えただけも文句は言わないでおこう。……ここ一年、身長は一センチしか伸びてないんだけど。
ショージは……ま、その内起きて来るだろう。
「あっ──!レオセンパイっ!」
部屋を出ようとした時、髪の毛を二つのお団子に纏めた、眼鏡の女の子が小走りで此方へと向かってきた。この娘は、確か──
「えっと……真葵ちゃん、だっけ?」
「──っ!"真葵ちゃん"、だなんて……っ!
あ、そうそうお久しぶりですっ、レオセンパイっ!」
呼び方がまずかったのだろうか、一瞬顔を赤らめたのだが、直ぐに話題を転換されてしまう。
まぁ、嫌がった素振りは無かったし、このままでもいいだろう。
「うん、お久しぶり。それより、その制服──」
「はい!アタシ、明日からこの学校の一年生なんですっ!レオセンパイのコーハイですよっ♪宜しくお願いしますねっ!
で、どうです?似合ってます?」
忙しく話してくるものだから、真葵ちゃんがポーズを決めるまで、一体何のことだか反応できなかった。
「え?あー、うん、似合ってるよ」
「良かったー!中学の時と違ってスカート短めだから、ちょっと心配だったんですよ~。
あ、そうだ。お兄って、もう起きてます?」
「いや、まだ──」
「もー!お兄っ!まだ寝てたのっ?さっさと起きてっ!」
と、俺が言い終わる前に、寝てるショージを確認してか真葵ちゃんはズカズカと室内へと入って行き、あろうことか襟元を掴み、激しく揺さぶったのだ。……俺だって、そんな起こし方をしたことはないぞ。
「○◇▼☆※□△◎!!」
「やーっと起きた。ほーら、もう七時過ぎてるんだからっ!さっさと支度しなくちゃ、遅刻しちゃうよっ!」
いや、まだ六時過ぎなんだけど……。
「え、ま、真葵っ!?何でお前が?!」
「寝惚けてないで、早く着替えてっ!レオセンパイももう、準備万端なんだよっ!?」
寝ぼけてるのは、真葵ちゃんの方なんじゃないだろうか?
「アタシは明日からだけど、お兄は今日からなんだから、急いで仕度しておくことっ!
──それじゃレオセンパイっ、また後で♪」
起こすだけ起こして、出会った時と同じようにさっさと出ていってしまう。
暫く二人で唖然としてしまったが、ふと思い出して、ポケットに突っ込んだケータイを開いてみる。──六時十八分だった。
「……嵐が…………来た……っ!!」
「今回だけは、同意しておくよ」
朝から青ざめたショージと、同意せざるをえなかった俺だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おいレオ、これはどうゆうことなんだ……!」
本人は至って小声のつもりなのだろう。俺の耳とショージの口許は、手のひら一つ分程の距離しかないからだ。
だが、コイツには自分の声量がどれだけなのかは解っていないらしい。多分、目の前の人物には隠せていないだろう。
「むしろ私がどうゆうことだか聞きたいくらいなんだけど……。多々良、絶対に寝起き悪いと思ってたもん」
ほら、聞こえてた。
しかし今朝のことに関しては、ショージも、俺も、苦笑──と言うか、単に苦い顔をせざるを得なかった。あんな起こされ方したら、いくらショージだって、ねぇ……。
それと今気付いたのだが、八木カナはショージに対しては『君』とかは付けてないみたいだ。ま、コイツに関しては過去一年間の実績があるからだろうけど。
「……何かあったの?」
「ちょっと、ね」
俺達の反応が悪かったからか、聞き返されてしまった。だがとても言えない。
「──そう言えば、真葵ちゃんは?」
その元凶は、回りには見当たらなかった。先に済ませたにしては早すぎるだろうに。
「アイツ、昔から朝飯は食わないからな。
……で、なんでヤギがいるんだよっ!」
耐えられず、結局直接捲し立てるんだから、最初っからそうしておけばいいのに。……どーせ、ショージには小声なんてムリなんだろうし。
「気分。……と言うか、多々良を誘った覚えはないんだけど?」
「だ、そうだ」
納得できないのか、ブツブツと何かを言い始める。小声(のつもりの発言)の方が大きい気がしたのは、きっと気のせいではないはず。
因みにショージを誘ったのは俺だ。
「そうそう、話は変わるんだけど。今日の放課後、入学式の準備があるから、手伝って」
また随分といきなりだ。
「は?何で俺が……」
「制服」
「うっ……」
それは卑怯だろ。
思わず持っていたお茶を溢しそうになった。
「まぁ安心して。ちゃんとコウも来るから」
だからって、何を安心しろと言うのだ。
「──それと、今年度はよろしくねっ」
「よろしく、って……今度は、何が?」
「同じクラス」
「……誰が?」
恐る恐る聞いてみると、八木カナが持ってる箸は俺を指した。
「……誰と?」
今度は反対の手で、当然だが自分を指差した。
「何で?」
「職員会議で決まったから」
いやいやいやっ!
「そういうことじゃなくてさ!何で八木がそんなこと知ってるんだよ?」
「私、生徒会でしょ?色々やってたから知ってるの。クラス表の設置とかね」
なるほど、そういうことだったのか。それなら、残念ながら出任せってことじゃなさそうだが。
「と言うわけで、よろしくね、峰渡君」
「えー……」
「えー、って何よえーって!?」
こいつも、決して悪い奴じゃない。今までだって何だかんだお世話になってる訳だし、多分、これからも協力関係が続くんだろう。
けど、それとこれとは、別だ。前みたいなイメージは無くなったとは言っても、主に私生活的な面で、苦手なのは変わらない。……ちょっとでも何かしようものなら、絶対最初に指摘されそうだし。
「それと多々良。貴方の後ろの席、コウだから」
「な、ナニぃぃいい──!!」
こらこら、ご飯つぶ飛んでるぞ。
「悪さ、しないようにねっ」
朝っぱらからカナフェイス全開なのは分かったが、ショージのことだ。"悪さ"なんて、紅花さんにはできないだろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そうと聞いてはいても、実際にクラス分け発表を見ると、やさり印象が違うものだ。
クラス分け表は各学年、各クラス毎に五十音順、男女混合で書かれ、校舎前に張り出されている。
昨年度の俺のクラスみたいに、教師の気まぐれでも起きない限りは、その順番がその一年間の席順ともなる。
そんな俺の前後はどうやら、去年と変わらなかったようだ。
二人とも、それなりに可愛い女子なのだが、席替えを直ぐにしたこと、ショージとばっかり絡んでいたのもあって、あまり面識はない。後は担任次第か。
「なんだ、ショージは別のクラスだったんだな。てっきりまた一緒かと──」
「俺の……後ろに…………こ、紅花様、が──っ!」
駄目だ、聞いちゃいない。
「ご一緒できなくて残念です」
その代わりに反対側から、いつの間にか隣に並んでいた紅花さんが語りかけてきた。
正直驚いたが、ここは経験を生かして、特に驚かなかった素振りをしてみる。
「おはようございます、礼於さん。今朝は、随分と早いんですね」
「おはよ、紅花さん。──八木に起こされたからさ」
「え、カナちゃんに?」
これ、と自分の制服をつまんで示唆する。
流石に紅花さんは、それだけで理解してくれたようだ。
「で、そのついでにここまで一緒に来たんだけどね」
「そうゆうカナちゃんは、どうしたんですか?」
「生徒会だって。来て直ぐに中へ入って行ったよ」
すると、紅花さんは顔色を暗くしてしまう。
「カナちゃんとも一緒じゃなくて、ちょっと寂しいな……」
それは多分、この場にいないことではなく、クラスが違うことに対してなんだろう。二人とも親友みたいだし、ちょっと気の毒だ。
「ま、まぁ、クラスも隣だし、暇だったら遊びに来なよ!八木も歓迎すると思うし」
「そうですね、そう、させてもらいます」
そう言って苦笑いを浮かべる。そこまで落ち込むことなのかな、と思いながらも、そんなものなのかもと思うことにした。
「それに、そっちのクラスにはショージだっているんだし」
「はい──」
何となく、妙に気まずい空気になったのを払うように、その場から動き出して、早足気味で新しい教室へと向かったのだ。
新しい教室、と言っても、登る階段が一回分増えただけだ。下から三年、一年、二年の階になっているんだから当然だが。
それよりも、四階まで登るのはやけに疲れる上、教室自体は階を上げるにつれて妙にボロっちくなってくのだ。
モチベーションを上げろ、と言われても、この学園に関して言ってしまえば無理なんじゃないだろうか?
「じゃ、俺はここで」
紅花さん達の教室は俺達の教室より奥に位置する。
結局ここまで、これといった会話もなく、俺の半歩後ろを歩くようにして紅花さんが着いてきただけだった。
「また後で」
「はい、また後程に」
綺麗なお辞儀をして隣の教室へ向かって行った。やはり、その背中は寂しそに見えて心配──いや、彼女にそれは失礼だろう。
「あ、峰渡くーん、こっちこっちー」
「ん?」
教室に入ると直ぐに、八木カナに呼ばれた。隣の席を指差してるのは、そこが俺の席、と言うことでいいのだろう。黒板にも座席表が書かれていた。
「隣だね。よろしくー」
「えー……」
「だから、えーって何?!そんなに私が嫌なの、ねぇ?!」
別に、こいつ自身に対しての嫌気はない。ショージだっていないし、何かアクシデントが起こるとも思えない。……思いたくない。
要するに、反射的な様なものだ。
「まー、いいけど。
それより、コウと会ってたんだ?」
「八木が入っていって、結構直ぐにな。──ってお前、生徒会があるんじゃないのか?」
てっきり、直接生徒会室にでも向かったと思ったのだが。
「あー……、うん。集合時間、三十分後らしいんだよねー」
あははははー、なんて笑ってるが、巻き添えを食らった身としては実に納得がいかない。
要するに、だ。八木カナが部屋に来るまで、三十分は余裕があった、と言うことなんじゃないのか?
「いや。そんな訳無かったな」
「え、何が?」
「こっちの話だよ」
どちらにせよ、直ぐに真葵ちゃんが来ていただろう。
それに思い出したが、こいつはいつもこの時間だ、って言ってたし、結果として六時起きだったのだろう。
なんだか、今日はとことん、朝から巻き込まれてる気がしてならない。
……いや、ちょっと待てよ?
真葵ちゃんがショージの事を起こしに来たと言うなら、もしかして、毎日あの時間に来るのか?
おいおい冗談じゃないぞ。誰か、否定してくれる人はいないのか……?!
「なーに一人で百面相してんの?」
思わず、そうしていたようだ。
「ところで、百面相はどうやれば二人以上でできるんだ?」
「さぁ?内容が詰まってる会話をすればいいんじゃない?」
起床時間についての問題は、先送りにすることにした。
そもそも、真葵ちゃんが一時間時計を間違えていたことには、この時は忘れていたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
勿論だが、今日は新しい学年・教室の確認と、その担任の発表だけだ。授業は無い。
そしてもう一つ、この学園ならではの特長がある。
「はう、これで解散。アンタら、路草食ってないでさっさと帰んなよー」
覇気のまるで込もってない返事を、またクラスの皆がバラバラに言いながら立ち上がる。
勝手知ったる、と言うか、この担任に対しては、これぐらいテキトーで丁度良いのだ。だいたい本人がかなりテキトーな性格なのだ。
誰か、って、シイナ先生の他無いだろう?
──そう、つまるところは、全体で集まる様な始業式は無いのだ。
軽い校内放送での連絡と、担任の長い、ありがた迷惑な話だけだ。それも我らが担任に関しては、ほんの五分ほどで終わってしまう。
体育館での全体集会は、明日の入学でまとめてやるらしい。"らしい"ってのは、去年は俺達が入学生だったからなのだが。
それならいっそ、今日は集まらなくてもいいんじゃないか?……って思わなくもないが、少ないとは言え宿題があったり、人によっては他にもやることがあったりと、それなりに集まる意義はあるようだ。
「それと、カナ。分かってるな~」
「はい、大丈夫です」
「それじゃ、解散!」
八木カナに何かを確認すると直ぐに解散する。勿論、一番に教室を出ていったのはシイナ先生だ。それも軽い足取りで。
「それじゃ、私たちも行きましょ」
「……何処へだ?」
新学期早々、再びのカナフェイスと共に、今度はため息までついてきた。
「峰渡君、今朝言ったことも忘れたの?」
「今朝?」
何か約束などしていただろうか?
「入学式の準備っ!今朝、放課後にあるからって言ったんだけど」
「あー、……?」
そんなこと、言われていただろうか?いや、きっと言われていたのだろうが、聞き逃したんだろう。
「……制服」
「あ」
た、確かに、これを渡してもらったことを理由に脅されていた。
「はぁ、そんなことだろうとは思ってたけど、ホントに忘れるなんてね」
何も言い返せなかった。
「ま、いいから着いてきて」
そっけなく、と言うよりは呆れているのだろう、スタスタと先に行ってしまう。
これ以上何か言われるのも嫌だし、遅れないように着いていくことにした。
二年A組は、体育館から一番遠い。当に正反対の位置にあるのだ。
教室のすぐ近くにある階段を使うのが楽ではあるが、これから室内体育や全校集会、行事の旅に向こうまで行かなければ、と思うと、やけに面倒に感じてしまった。
「なぁ八木。妙に焦げ臭くないか?」
その途中、階段を降りきった辺りで、妙な臭いが漂ってきているのに気付く。
「焼却炉近いし、それでじゃない?今日はゴミも沢山あったみたいだし」
「沢山って?」
「昨年度の資料や廃材とかね。生徒会や教職員で回収してたし、それ──」
『おいおい、向こうで火事だってよ!』
「「────!?」」
ふと聞こえてきた言葉。
丁度、そんな会話をしていただけに、偶然とは思えなかった。声の聞こえた方を振り返ってみれば、既に何人かの野次馬らしき人が集まってきていた。
「まさか、焼却炉の方で?」
「い、行きましょっ!」
「ちょっ──!」
俺自身気になっていたし、何より、あんな切羽詰まった顔で言われたなら、俺達が行っても意味無い、先生を呼ぼう、なんて綺麗事は言えなかった。
俺も小走りに行ってみると、現場には数人の教師と、八木カナと生徒会の先輩らしき人が道を封鎖していた。なるほど、確かにあれは八木カナの仕事だ。
それにしても、ここからは十メートルは離れているだろう所から、炎の壁、と言っても過言ではないモノが出来上がっていたのは、流石にビックリした。
大量に資材があった、とは聞いていたけど、こんな炎は映画くらいしか見たことがない。
「あ、峰渡君っ!ちょっと来てっ!」
「え?」
野次馬に混ざって現場に見惚れていると、俺を発見した八木カナから呼び出された。
「早くっ!!」
「あ、お、おう」
指示をもらい、消火器を幾つか運んで来てくれた教師から、それを受け取る。
実際に使うのは初めてだが、見よう見まねでピンを抜き、レバーを握りながら消火薬を炎へと吹き掛ける。意外と勢いがあり、ホースから手が抜けそうになってしまう。
俺がやりだしたのを見ていた数人も、消火器を受け取りに行き助っ人してくれる。たかだか校舎の一角なのに、八人で、ってのは少し大袈裟すぎやしないだろうか?
「おい!こっち切れたぞ!」
「こっちもだ……。チクショウ、何で消えないんだよ!」
しかし、何故だか火は消えなかった。
俺の使っている消火器も、殆ど無くなってきているのに、勢いは弱まるどころか、逆に強まってきている。
この消火器、期限切れなんじゃないだろうな?
「い、急げ!向こうに火織がいるそうだぞ!」
その一言で場が凍りつく。
見ると、八木カナのすぐ隣で踞っている男子生徒が、「火織先輩が、火織先輩が」と、顔を真っ青にしながら呟いている様だった。
と言うか、"カオリセンパイ"って誰だっけ?何処かで聞いた名前だが──
「生徒会長ーっ!ご無事ですかーっ?!」
一人の女子が火の中に叫ぶ。あぁ、生徒会長か。──……じゃなくてっ!
「大変じゃないか!早く助けないとっ!」
近くにいた教師に問い詰める。
「それが出来ないからこうしてるんだ!……くそっ!消防はまだ──」
もうかれこれ十分近く経っている。消防なんて待っていられないじゃないか。
この先は焼却炉だよな、なら、
「ちっ!」
「お、おい、君?!」
消火器を投げ出して走り出す。
教師が俺を止めようと手を伸ばすが、それを避けて前へ進む。自分でも不思議なほどに、カラダが前に出ていた。
──が、炎の壁への一歩を踏まずして、俺の体は後から、引っ張られるようにして押し倒されていた。隣を紅い波が過ぎる。
「い、今誰が行ったんだ?!」
あれは、紅花さんだった。
直ぐに、さっき俺を止めようとした教師と、八木カナが隣へと走ってくる。
「ちょっと峰渡君!後先考えないで変なコトしようとしないで!
──それより、今のって」
「あぁ、紅花さんだと思う」
教師に聞こえないよう、小声で八木カナに耳打ちする。
今のを見て、この状況をより不安がっているのか、周りも更にざわついてしまう。あの状態の紅花さんなら大丈夫だと解ってはいたので、寧ろ、会長の方が心配だった。
しかし数秒もすると、数人が炎を指差して叫び出す。そこからは生徒会長を抱えた紅花さんが飛び出してきた。
二人とも服のあちらこちらが焦げている割に、身体の方は無傷のようだった。流石、と言うべきか。
紅花さんは生徒会長を地面に寝かせると、そのまま走り去ってゆく。
だからって、壁を走り、そのまま飛び上がって行くのはやり過ぎだ。皆、唖然と見上げるだけだった。
「おい、夏織!しっかりしろっ!」
側にいた教師の叫びで皆が振り向く。一斉に此方に向かって駆け出す辺りに、生徒会長の人望が伺えた。
「峰渡君、私たちはコウを追いかけよ」
「そうだね」
人並みを掻き分け、屋上へと急いだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
紅花さんは、屋上の隅に隠れていた。鍵は彼女が予め開けていたらしく、あっさりと扉は開いた。
「もおっ!コウも無理しないで!」
「ごめんなさい、カナちゃん……」
LIM化はまだ解けていないのか、髪はまだ真っ紅なままだった。
その割に、いつもの凛々しい姿ではなく、八木カナに叱られて小さくなっているんだから、なんだか可笑しく思えてしまった。
「でも、私が行くのが一番かな、って」
「はぁ……。峰渡君もだけど、あんまり無茶しないでよホント。心臓に悪いんだから」
ぶつくさと文句を言っているかのようだが、俺にはもう分かる。こいつなりの心配の仕方なのだろう。
だから、此方も努めて礼を言うことにする。
「ありがとな、心配してくれて」
「別に、心配なんてしてないっ!」
赤く膨れ上がる八木カナのほっぺたを見て、素直じゃないんだからと、俺と紅花さんは、顔を見合せ笑っていた。
俺達が上に来ている最中に火が消されたらしく、今では白い、薄い煙が軽く昇っているだけだった。一先ず安心、と言ったところか。
後は会長の容態だが──
「そう言えばカナちゃん、変なコト聞くけど、生徒会長さんって男性、だよね?」
「そうだよ?まぁ、名前はどっちも女っぽいけどね。夏織蛍って」
「そう、だよね……」
こんなことを聞くなんて、何かあったのだろうか?
俺からしてみても、生徒会長はとても格好よく、憧れているほどなのだが。
「ううん、何でもない。二人とも、今のは気にしないで」
「別に気にするほどじゃないよ。
それより八木、そろそろ体育会の方へ行かなくてもいいのか?」
騒動も収まってきて、消防も来たところで、準備のことを思い出した。
「そうだね、行きましょ。──あ、コウはさっさと帰りなさいね?」
「え?どうして?」
「その服」
先程の件で、制服はかなり汚れていた。スカートの端なんて焦げてしまってボロボロだ。
「後で私の──じゃ小さいだろうから、お姉ちゃんが使ってた予備の、持ってくから」
「うん、ありがとう、カナちゃん」
小さいと聞いて、思わず視線は二人の身長差を確かめてしまった。……15センチ、といったところか。
そのまま視線を、天辺から下の方へ持っていく。そちらは……大差無い、といったところだった。
「いでっ!」
「失礼だよっ!!」
八木カナに殴られた。
いつも思うのだが、俺はそんなに分かりやすい表情をしているのだろうか?
「────っ!?」
見れば、次には鳩尾に正拳がクリーンヒットしていた。え?紅花、さん……?
「少しだけ、反省していて下さいっ!」
「ちょっ…──」
全身から力が抜ける。そこで暫らく、俺の意識は遮断されたみたいだ。
この後遅れて体育会に行った俺が、二つの意味で八木カナに怒られたのは言うまでもない。
気絶させられて、置いてけぼりにされた挙げ句ソレなんだから、正直理不尽さを隠せなかった。
……あと、どっちに失礼だったのかは、個人的に聞いてみたかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
礼於達がその場を離れ、蛍が保健室へと運ばれた後。校舎の隅、ある水道前にて。
「仕方ないなー。……うん、アタシの出番だよねっ!」
おもむろに眼鏡を外し、スカートのポケットへとそれを突っ込む一人の少女。
すると、頭の上で尹でいる二つの団子結が自然とほどける。その時、髪の緑色がより鮮やかになったのに気付ける人は、あまり多くないだろう。
それは、そんな些細な変化より、他の、明らかな変化──結い目だった場所から生える猫の様な耳、そして、スカートを持ち上げるようにして伸びてきた尻尾に、気を取られてしまうからに違いないだろう。
「うーっ!やっぱこの格好、外だと恥ずかしいっ!……にゃん♪なんちて」
一人でポーズを決めたり、恥ずかしがったり、一体何がしたいのか。そう言いたいのは最もだが、今から彼女がしようとしてるのは"ボランティア"だ。勿論、如何わしい意味ではなく、正真正銘の、だ。
蛇口を順々に捻ってゆき、全てから水を勢いよく出す。
端から走り始め、ハープでも奏でるようにそれに触れてくと、蛇口から作り出された線は、まるで魔法でもかかったかのように起動を曲線に変え、彼女の真上、一ヶ所へと集まってゆく。そしてそれは、巨大な縦長の楕円となり、静止していた。
「よーし……────イっちゃえぇぇぇええええっ!!」
掛け声一閃、それは鋭い無数の水流となり、火の壁へと直進してゆく
「な、何だ?!」
「ヤバっ!逃げろ!」
突然襲い掛かってくる水流に、その場にいる全員が驚き、避難する。
炎の中を縦横無尽に、まるで生きている龍の様に駆け回った水流は、あろうことか、いくら消火器を使っても弱まらなかった炎を、一瞬で覆いつくし、消してしまったのだ。
その一方で、それを産み出した当の本人は、それこそ猫の様に、その場から去っていったのだった。