就活と内定
四十二社目の不採用通知は、帰りの電車の中で届いた。
件名を見た瞬間に分かった。
『選考結果のご連絡_日紫喜 直仁様』
企業というものは、不採用のときほど丁寧な日本語を使う。
慎重に検討を重ねた結果。
誠に残念ながら。
今後のご活躍を心よりお祈り申し上げます。
祈られすぎて、そろそろ何かしら御利益があってもいい頃だと思う。
機械的な半角カタカナにも嫌気がさして、
スマートフォンの画面を閉じた。
向かいの席に座っている高校生が笑った。
もちろん、俺を見て笑ったわけじゃない。
三人で一つのスマホを覗き込んで、何かの動画を見ているだけだった。
分かっている。
それでも、妙に腹が立った。
窓の外へ視線を逃がす。
夕方を過ぎたガラスには、景色より俺の顔の方がよく映った。
少し曲がったネクタイ。
朝より皺の増えたワイシャツ。
似合っているのかどうかも分からない安物のスーツ。
大学四年。
十一月。
内定、ゼロ。
俺の通っている大学は、世間でいうところのFラン大学だった。
誰でも入れる、とまでは言わない。
ただ、大学名を口にしたところで「ああ、あそこね」と相手が頷くことはほとんどない。
就職活動が始まるまでは、それを恥ずかしいと思ったことはなかった。
入ってしまえばどこの大学も似たようなものだと思っていたし、実際、四年間はそれなりに楽しかった。
サークルに入った。
居酒屋でバイトした。
友達もできた。
単位も一応取った。
留年もしない。
それで十分だと思っていた。
企業説明会へ行くまでは。
周りの学生の大学名を聞いたとき、初めて自分の立っている場所が見えた。
早慶。
MARCH。
国立。
グループディスカッションが始まれば、自然に司会をやる奴がいる。
企業研究について聞かれれば、売上や市場規模を数字で答える奴がいる。
学生時代に力を入れたことを聞かれれば、海外インターン、学生団体、長期プロジェクト。
俺には何もなかった。
居酒屋で三年間働いた。
遅刻は少なかった。
繁忙期は多めにシフトへ入った。
新人に仕事も教えた。
面接官はそれを聞きながら、優しく頷く。
「…いい経験ですね」
そして落とす。
最初の十社くらいは、まだちゃんと反省した。
自己分析をやり直した。
エントリーシートを書き直した。
大学のキャリアセンターで模擬面接も受けた。
二十社を超えたあたりから、何が悪いのか分からなくなった。
三十社を超える頃には、もうなるべく考えないようにしていた。
電車を降りる。
最寄駅から家まで歩いている途中で、大学のグループLINEに通知が入った。
『卒業旅行どうする?』
北海道。
沖縄。
台湾。
楽しそうに候補が並んでいく。
俺は既読をつけず、スマートフォンをポケットに戻した。
卒業旅行の前に。
俺には卒業後の行き先を決める必要があった。
__________
「今日どうだったの?直仁」
夕食のとき、母親に聞かれた。
「普通」
「普通って?」
「普通は普通」
味噌汁の豆腐を箸で崩した。
向かいに座っている父親はテレビを見ていたが、こちらの会話は聞いていたらしい。
「結果はいつなんだ」
「来週」
「そうか」
それだけだった。
何も言わないことが、一番きつい。
九月頃まで、父親は言っていた。
「まあ、焦るな」
十月になると、
「数受けりゃ、どっか引っかかるだろ」
になった。
十一月に入ってからは、ほとんど何も言わなくなった。
たぶん父親なりに気を遣っている。
分かっている。
だから余計に惨めだった。
「大学の就職課には行ってるの?」
「行ってる」
「先生は何て?」
「受け続けるしかないって」
少しだけ嘘だった。
昨日、キャリアセンターの職員から言われたのは、
「もう少し業界を広げてみようか」
だった。
その意味くらい分かる。
やりたい仕事ではなく。
受かる仕事を探せ。
そういうことだ。
__________
キャリアセンターの一角には、過去の卒業生の就職先をまとめたファイルが置いてあった。
俺は前に、一度それを端から見たことがある。
知らない会社ばかりだった。
最初のうちは、有名企業の名前を探していた。
メーカー。
商社。
鉄道。
IT。
たまに聞いたことのある会社を見つけると、
「お、いるじゃん」
と少し安心した。
そのうち俺は、見覚えのない社名を一つずつスマートフォンで検索し始めた。
会社概要。
採用情報。
口コミ。
初任給、十八万五千円。
年間休日、九十六日。
昇給、業績による。
賞与、実績による。
「……マジか」
小さく呟いた。
別の会社を見る。
十九万二千円。
年間休日百日。
また別の会社。
二十万円。
隔週土曜出勤。
もちろん、それだけで仕事の価値が決まるわけではない。
十八万円でも、誇りを持って働いている人間はいる。
休みが少なくても、その仕事を選んだ理由がある人間もいる。
頭では分かっていた。
だから、こんなことを思う自分が嫌だった。
それでも。
四年間、大学に通って。
何百万も学費を払ってもらって。
卒業して。
俺の行き先が、ここなのか。
そんな考えが浮かんでしまった。
俺は何者でもない。
有名大学でもない。
資格もない。
何かを成し遂げたわけでもない。
四十二社に落とされている。
それなのに。
初任給十八万円は嫌だ。
年間休日九十六日も嫌だ。
土曜日に仕事をするのも嫌だ。
知らない会社も嫌だ。
何様なんだと思う。
選べる立場でもない。
分かっている。
それでも嫌だった。
何より怖かったのは、その会社で働くことそのものではない。
そこに入った瞬間。
自分はその程度だったのだと、確定してしまうことだった。
まだ内定がない今なら、言い訳ができる。
たまたま相性が悪かった。
面接が上手くいかなかった。
応募先が悪かった。
もう少しちゃんとやれば。
本気を出せば。
いくらでも逃げ道がある。
けれど就職先が決まったら、もう逃げられない。
求人票に書かれた数字が、そのまま自分につけられた値札になるような気がした。
だから俺は、まだ選んでいた。
選べる立場でもないくせに。
__________
夕食を終えて、自室へ戻る。
パソコンを開いた。
就活サイト。
もう何度見たか分からない検索画面。
新着求人。
学歴不問。
未経験歓迎。
既卒可。
条件を緩めるたび、検索結果は増えた。
なのに、クリックしたくなる会社は減っていった。
給与。
休日。
勤務地。
仕事内容。
一つ見ては戻る。
また一つ見ては閉じる。
何でもいいから、一つくらい。
自分から選んだと言える条件が欲しかった。
「……ないな」
独り言が漏れた。
ページを閉じようとした、そのときだった。
一件の求人が目に止まった。
聞いたことのない会社だった。
株式会社クラウン・ソリューションズ。
社名の横に、小さな金色の王冠のロゴがついている。
事業内容。
『各種イベント企画・運営業務』
曖昧だった。
従業員数は百名ほど。
本社は都内。
設立十五年。
そして給与。
「……は?」
思わず画面に顔を近づけた。
初任給、三十八万円。
見間違いだと思った。
もう一度見る。
三十八万円。
固定残業代込みではない。
賞与年二回。
住宅手当。
社宅制度。
資格取得支援。
年間休日百二十五日。
完全週休二日制。
「絶対怪しいだろ」
一人で笑った。
さっきまで、十八万円だの、十九万円だのを見ていた。
休日九十六日。
百日。
隔週土曜出勤。
その直後に。
三十八万円。
年間休日百二十五日。
数字が違いすぎる。
仕事内容を見る。
『各種イベントの企画立案、運営管理、参加者対応および関連業務』
何のイベントだ。
企業サイトを開く。
綺麗だった。
白を基調にしたデザイン。
トップページには、例の王冠のロゴが大きく表示されている。
社員紹介もあった。
二十代の社員が笑顔で、
『若いうちから裁量のある仕事を任せてもらえます』
と語っている。
採用ページには、
『人の心を動かす仕事を』
と書かれていた。
普通だった。
普通すぎた。
だから余計に怪しい。
口コミサイトで会社名を検索する。
情報はほとんど出てこなかった。
従業員百人規模なら、何かしら書き込みがあってもよさそうなものなのに。
「零細でもないのにな」
もう一度、求人票に戻る。
三十八万円。
その数字には、不信感を押し流すだけの力があった。
もしここに受かったら。
友達に会社名を知らなくても、恥ずかしくない。
「給料いくら?」
と聞かれたら、三十八万円と言える。
父親にも言える。
母親にも安心してもらえる。
四十二社落ちたことだって、
「結果的にいい会社に入れたから」
と笑い話にできる。
俺が欲しかったのは、金だけではなかった。
四年間。
四十二回の不採用。
周りに置いていかれた時間。
全部を、
無駄ではなかったことにしてくれる数字だった。
一度見た内容を反芻するように、俺は募集要項を右から左へ、もう一度目でなぞった。
給与。
休日。
勤務地。
福利厚生。
何度見ても条件は変わらない。
ページの一番下。
『応募する』
というボタンがある。
どうせ受からない。
そう思った。
四十二社落ちた。
次が四十三社目になるだけだ。
俺は応募ボタンを押した。
__________
三日後。
書類選考通過。
その翌週。
一次面接。
さらに、その場で最終面接の日程まで案内された。
話が早すぎる。
それが少し怖かった。
最終面接は本社だった。
都心のオフィスビル。
受付の壁にも、金色の王冠があった。
想像していたより、ずっとまともな会社に見えた。
受付を済ませると、黒いスーツを着た女性が会議室まで案内してくれた。
女性は机に置かれていた書類を、右から左へと揃えてから言った。
「こちらで少々お待ちください」
「はい」
しばらくして、五十代くらいの男が入ってきた。
「お待たせしました」
柔らかい声だった。
「どうぞ、楽にしてください」
面接は普通だった。
志望動機。
大学で何を学んだか。
アルバイト経験。
失敗した経験。
仕事で大切にしたいこと。
何度も練習した答えを並べた。
男は時折頷きながら、手元の紙に何かを書いていた。
三十分ほど経った頃。
男がペンを置いた。
「最後に一つだけ、少し変わった質問をしてもいいですか」
「はい」
男は俺を見る。
「あなたは、人の人生に責任を持てますか?」
一瞬、意味が分からなかった。
「……人の人生、ですか?」
「ええ」
就活対策本には載っていない質問だった。
けれど、ここまで何十回も面接を受けてきた。
こういうとき企業が何を求めているかくらいは、何となく分かる。
少し考えるふりをした。
「簡単なことではないと思います」
男は黙っている。
「ただ、仕事というのは、少なからず誰かの人生に関わるものだと思っています。お客様だったり、一緒に働く人だったり」
自分でも薄っぺらいと思った。
でも、止めない。
「だから責任から逃げるんじゃなくて、自分にできることを最後までやり切れる人間になりたいです」
言い終える。
男は少しの間、俺を見ていた。
それから、ほんのわずかに笑った。
「分かりました」
面接は、それで終わった。
__________
二日後。
大学の講義中にメールが届いた。
いつもの件名だった。
『選考結果のご連絡』
心臓が嫌な音を立てる。
どうせまた、
慎重に検討を重ねた結果。
だと思った。
授業中だったが、我慢できずに開いた。
『この度は弊社採用選考にご参加いただき、誠にありがとうございました』
そこまで読んで、一度画面を閉じた。
怖かった。
数秒して、もう一度開く。
『選考の結果、あなたを弊社社員としてお迎えしたく、内定のご連絡を差し上げます』
何度も読んだ。
意味が頭に入ってくるまで、少し時間がかかった。
「……え」
声が出た。
隣の学生がこちらを見る。
俺は慌てて口元を押さえた。
もう一度読む。
内定。
間違いない。
四十三社目。
初めてだった。
手が震えた。
すぐに母親へLINEを送る。
『内定出た』
既読はすぐについた。
『ほんと!?』
『おめでとう!!!』
その直後に、普段ほとんど使わない派手なスタンプが三つ届いた。
笑ってしまった。
少しだけ涙が出た。
前では教授が何かを話している。
内容は一つも頭に入らなかった。
帰りの電車で、改めて雇用条件を確認した。
月給三十八万円。
賞与あり。
住宅手当。
年間休日百二十五日。
画面を見ながら、キャリアセンターで開いた就職実績のファイルを思い出した。
十八万五千円。
九十六日。
あの数字を見たとき。
自分は、そこへ行きたくないと思った。
そして今。
自分の画面には三十八万円と書いてある。
四十二回落とされたことが、急にどうでもよくなった。
むしろ。
四十二社に落ちたから、ここを見つけた。
そんなふうにすら思えた。
怪しいと思っていたことは、もうほとんど頭から消えていた。
ただ一つ。
最終面接で聞かれた質問だけが残っていた。
人の人生に、責任を持てますか。
変な質問だった。
でもイベント会社なら。
誰かの大切な一日を預かる、という意味なのかもしれない。
結婚式。
企業イベント。
展示会。
そういうものだろう。
俺はスマートフォンを閉じた。
窓には、少し笑っている自分の顔が映っていた。
ようやく終わった。
これで普通になれる。
そう思った。
少なくとも、そのときは。




