どうしてくれるんだ、クソ親父!! ~異世界で親父が世界を救うたび、なぜか日本がファンタジー化していく~
親父が異世界へ行ったのは、俺が六歳のときだった。
朝だった。
母さんが味噌汁をよそい、俺は食パンに苺ジャムを塗っていた。
親父はネクタイを締めながら玄関へ向かい、まるで「会社行ってくる」とでも言うような調子で言った。
「じゃ、ちょっと異世界、行ってくる」
母さんは鍋から顔も上げなかった。
「帰りに牛乳」
「向こうにあったらな」
「コンビニで買え」
「はいはい」
俺は笑った。
親父は昔からそういう人だった。
ゴミ捨てへ行くときは「魔王倒してくる」。
町内会へ行くときは「王国会議に呼ばれた」。
ホームセンターへ行くだけなのに「聖剣の材料を探してくる」。
だから俺も、
「おみやげ!」
と叫んだ。
親父は靴を履きながら振り返った。
「ドラゴンの牙でいいか?」
「ゲーム!」
「異世界にゲームあったらな」
「ないじゃん!」
「じゃあ作ってくる」
そう言って、俺の頭をぐしゃぐしゃ撫でた。
「留守頼んだぞ」
「やだ」
「頼んだ」
親父がドアを開ける。
一瞬。
廊下の向こうが真っ白になった。
朝日だと思った。
少なくとも、そのときは。
ドアが閉まった。
二秒後。
母さんが言った。
「あの人、お弁当忘れてる」
俺は弁当箱を持って玄関を飛び出した。
「パパー!」
誰もいなかった。
廊下にも。
階段にも。
エレベーターにも。
防犯カメラには、親父が部屋を出るところまでは映っていた。
だが、その先がない。
五階の廊下を歩き、カメラの死角へ入る。
そこから先。
親父はこの世界から消えていた。
残っていたのは、
片方の革靴だけだった。
◇
一年探した。
二年探した。
三年目には、親戚も親父の話をしなくなった。
警察は失踪事件として扱い続けたが、手掛かりは一つも出なかった。
母さんは死亡届を出さなかった。
「だって、あの人が本当に異世界から帰ってきたとき、戸籍まで死んでたら面倒でしょ」
冗談だったのだと思う。
そう言って笑ったあと、母さんはいつも少しだけ黙った。
最初の手紙が届いたのは、親父が消れて一年と三ヶ月後だった。
切手もない。
消印もない。
紙は黄色くて、ごわごわしていた。
宛名は、
『浩太へ』
親父の字だった。
中には一枚。
『浩太へ。
元気か。
本当に異世界だった。
父さんもびっくりしている。』
俺と母さんは、食卓でそれを読んだ。
一度読み終えて。
二人でもう一度読んだ。
『言葉はなぜか通じる。
剣と魔法がある。
ドラゴンも見た。
ゲームはない。
約束したので作れないか考えている。
こっちの飯はびっくりするくらいまずい。
昨日、卵と油と酢があったからマヨネーズを作った。
村中で大騒ぎになった。
領主まで買いに来た。
ひょっとすると父さん、商売できるかもしれない。
母さんに、牛乳はまだ見つからないと伝えてくれ。
父より』
母さんは手紙を机へ置いた。
「あの馬鹿」
笑った。
そのあと、泣いた。
俺も泣いた。
親父は生きていた。
異世界で。
何をどうしたらそうなるのかは知らない。
だが生きていた。
その夜は、それだけでよかった。
翌日の夕方までは。
◇
学校帰り。
母さんに頼まれてスーパーへ卵を買いに行った。
調味料売り場を通りかかって、足が止まった。
棚一面に、見たことのない白いボトルが並んでいた。
《白月ソース》
月を抱いた妖精の絵。
《発売四十三周年》
《日本の食卓に、いつもの味》
一本取る。
原材料。
食用油脂。
卵黄。
醸造酢。
塩。
香辛料。
どう見てもマヨネーズだった。
「……なんだこれ」
隣で買い物をしていた母さんが振り返った。
「何って、白月ソース」
「知らない」
「は?」
「こんなの昨日なかった」
母さんは怪訝な顔をした。
「昔からあるじゃない」
「ないよ」
「浩太、好きでしょう」
「好きじゃない」
「朝もパンにつけてたじゃない」
「苺ジャムだった!」
母さんが笑う。
「何言ってんの」
家へ帰るとテレビでCMが流れた。
『し~ろいお月さま~、お料理に~♪』
母さんが普通に口ずさんだ。
俺はテレビを見た。
母さんを見た。
親父の手紙を見た。
『昨日、卵と油と酢があったからマヨネーズを作った。』
翌朝。
母さんは台所で白月ソースを使っていた。
「母さん」
「ん?」
「昨日のこと覚えてる?」
「何?」
「白月ソース」
母さんの手が止まった。
数秒。
目の奥に何かが戻ってきた。
「……あ」
それだけ言った。
冷蔵庫の白いボトルを見る。
「なかった」
「だよね」
「昨日まで、こんなのなかった」
俺たちは顔を見合わせた。
この日から、我が家には一つの決まりができた。
親父から手紙が来たら、
翌日は世界を疑え。
◇
三年後。
『こっちは衛生状態が悪い。
石鹸を大量に作れるようにした。
手洗いも教えている。
最初は水がもったいないと怒られたけど、最近はみんなやるようになった。
浩太もちゃんと手洗えよ。
父より』
翌朝。
ドラッグストアの棚に、
《初級治癒液》
が並んでいた。
青い小瓶。
三百九十八円。
擦り傷。
切り傷。
軽度の火傷。
俺は店員に訊いた。
「これ何ですか」
「ポーションです」
「薬じゃなくて?」
「医薬部外品ですね」
「いつから売ってます?」
「え?」
「ポーションです」
「昔からありますよ」
店員は真顔だった。
俺は家へ帰って母さんへ報告した。
母さんは頭を抱えた。
「あの人、人助けするたびにこっちがおかしくなってない?」
「たぶん」
「もう何もするなって言えないの?」
「こっちから手紙送れない」
「役に立たない異世界通信ね」
次。
『村の子供たちに字と計算を教えていたら学校みたいになった。
王都の役人が真似したいと言っている。』
翌年。
小学校の時間割に、
国語。
算数。
理科。
社会。
魔法基礎。
が並んだ。
「はい、二人組作って。今日は初級魔力球の受け渡しね」
先生が言った。
隣の田中が手のひらに青い球を浮かべる。
「浩太、やろうぜ」
「お前、それいつからできるんだ」
「三年から」
「今三年だろ」
「だから今年から」
「昨日まで魔法という科目そのものがなかった!」
田中は黙った。
それから少し席を離した。
俺はその年、
《現実改変妄想傾向あり》
という理由でスクールカウンセラーと話すことになった。
当然、そのカウンセラーは、
「魔法教育は明治時代から段階的に制度化されてきたんだよ」
と優しく教えてくれた。
お前の明治はどうなってるんだ。
◇
親父は止まらなかった。
『輪作を教えた。飢えが減りそうだ。』
翌日。
スーパーにマンドラゴラが並んだ。
《長野県産》
《一本198円》
《調理前に必ず気絶させてください》
『魔物退治する奴らがバラバラだから、組合を作った。依頼を掲示板に貼って、危険度別にランクをつけた。』
翌日。
駅前の銀行が、
《日本冒険者協会 厚木支部》
になった。
受付嬢が笑顔で訊く。
「登録ですか? ご依頼ですか?」
「昨日まで銀行でしたよね」
「いいえ」
「昭和から?」
「はい」
「昭和に冒険者ギルド作るなよ……」
『遠距離連絡が大変なので、魔石を使って通信できないか試している。』
翌朝。
スマホの右上に、
《魔力残量 73%》
という表示が増えた。
『鉄道っぽいものが作れそうだ。』
JRの路線図に《竜骨線》が増えた。
『下水設備を整えた。』
東京都が衛生スライムを導入した。
このあたりまで来ると、もう慣れた。
正確には、諦めた。
ゴブリン駆除は自治体の仕事。
飛竜事故には専用保険。
スライムは自治体によって燃えるゴミか燃えないゴミか違う。
国税庁には《魔石所得税Q&A》がある。
世界はどれだけおかしくなっても、
翌朝には、
「昔からこうでしたけど?」
という顔をする。
俺と母さんだけが、毎回取り残された。
それでも、そのころはまだ笑えた。
「次は何だと思う?」
母さんが親父の手紙を持ちながら訊く。
「活版印刷」
「こっちに妖精新聞が来る」
「農機具」
「ケンタウロス宅配便」
「上下水道」
「下水スライム」
「それ嫌ね」
本当に来た。
母さんは腹を抱えて笑った。
「あなたのお父さん、本当にろくなことしないわね」
「全部善意なんだけどな」
「だからたちが悪いのよ」
そう言って。
笑った。
◇
母さんが死んだのは、俺が二十三歳のときだった。
病気だった。
異世界とは関係ない。
たぶん。
最後のころ、母さんは世界が変わる前のことを、少しずつ忘れ始めていた。
「昔って、魔法なかったっけ?」
病室でそう訊かれたことがある。
「なかったよ」
「そうだっけ」
「なかった」
「じゃあ、私も変わってきちゃったのかな」
少し笑った。
枕元には親父の手紙を束ねた箱があった。
「お父さん、まだ帰ってこないね」
「うん」
「ほんと、ちょっとの長い人」
それが最後に聞いた、親父についての言葉だった。
母さんの葬式から半年後。
親父から手紙が届いた。
『浩太へ。
返事がないから少し心配している。
母さんは元気か。
こっちは大変だった。
南の街にドラゴンが来た。
でかかった。
もう少しで死ぬところだったが、みんなで倒した。
お前にも見せたかったよ。
子供のころ、ドラゴン好きだっただろ。
父より』
仏壇の前で読んだ。
「親父」
声が出なかった。
母さんが死んだことを、伝える方法がない。
手紙を仏壇に置いた。
その翌朝。
東京湾上空にドラゴンが現れた。
◇
全長百二十メートル。
民間機一機が回避中に着陸事故。
死者三名。
負傷者四十七名。
ニュースキャスターは、
「今年三件目となる大型飛竜による航空障害です」
と淡々と伝えた。
「今年三件目……」
俺はテレビの前で呟いた。
昨日まで。
この世界には、
ドラゴンなんていなかった。
手元には親父の手紙。
『みんなで倒した。』
向こうで一匹死ぬ。
こっちで一匹現れる。
三人死ぬ。
「ふざけんな」
初めてだった。
親父の手紙を握り潰したのは。
「ふざけんなよ」
画面に、煙を上げる機体。
「何人死んだと思ってんだよ!」
手紙を床へ叩きつけた。
裏返った。
まだ続きがあった。
『あれを止めなければ、街ひとつ焼かれていた。
避難が間に合わなかった。
怖かった。
逃げたかった。
でも、逃げるわけにはいかなかった。
父さん、英雄なんて柄じゃないんだけどな。』
俺は、その場に座った。
何も言えなくなった。
三人死んだ。
向こうでは何千人かが生きた。
だから仕方ない?
そんな計算をしていいのか?
異世界の命と、日本の命。
どっちが重い?
同じに決まっている。
だったら。
どっちを選べばいい?
わからなかった。
◇
俺は、親父の手紙を全部並べた。
日付。
出来事。
翌日に起きた改変。
白月ソース。
ポーション。
魔法教育。
冒険者協会。
ドラゴン。
法則は明らかだった。
親父が向こうへ何かを与える。
こちらへ異世界由来の何かが流れ込む。
ただし。
単純な物量ではない。
それがはっきりしたのは、二十五歳の冬だった。
『魔王軍が山を丸ごと要塞化した。
あそこを残せば、山向こうの三つの村が砲撃される。
仲間に頼んで、山ごと吹き飛ばした。
やりすぎた。
母さんに怒られそうだ。』
その夜。
新宿の高層ビル一棟が崩壊した。
爆弾でも地震でもない。
建物の構造そのものが、一瞬で破綻した。
死者十四人。
山一つ。
高層ビル一棟。
質量は釣り合っていない。
材質も違う。
なのに。
どちらも、
《巨大な構造物の消失》
だった。
そこで初めてわかった。
「質量じゃない」
向こうで起こした変化。
世界に与えた影響。
こっちへ返ってくるのは、
それと釣り合うだけの、
《意味のある変化》。
物ではない。
出来事だ。
結果だ。
因果だ。
俺はノートに、
《因果の質量》
と書いた。
その下。
《世界間等価保存則》
と書いた。
親父が世界を救えば。
こちらは、その分だけ世界を壊される。
そう考えれば、全部説明できた。
説明できてしまった。
そして三日後。
最悪の手紙が届いた。
◇
『浩太へ。
長かったけど、ようやく終わりそうだ。
魔王城が見えた。』
読み進める手が止まった。
『こいつを倒せば、たぶんこの世界は平和になる。
王都まであと百キロ。
これが最後の大仕事になると思う。
終わったら日本へ帰りたい。
お前ももう大人だろ。
一杯くらい付き合え。』
「やめろ」
口から出た。
「それは、やめろ」
魔王。
ただの生物ではない。
一つの世界最大の敵。
国家を滅ぼす。
文明を脅かす。
世界全体が共有する災厄。
《倒されるべき存在》。
もし、それが消えるなら。
こちらへ何が来る?
魔王一人?
違う。
ここまで来ればわかる。
やって来るのは、
肉体ではない。
**役割だ。**
「魔王が、こっちに来る」
喉が乾いた。
もっと正確には。
《魔王という因果》が来る。
◇
俺は初めて、親父へ手紙を書いた。
『親父へ。
魔王を倒すな。
お前が向こうで何かするたび、こっちの世界が変わっている。
マヨネーズも。
ポーションも。
魔法も。
ドラゴンも。
全部、お前だ。
山を消したとき、こっちではビルが消えた。
人が死んだ。
魔王を倒したら、
たぶんこっちに魔王が来る。
絶対に倒すな。
浩太』
親父の手紙が届く郵便受けへ入れた。
朝。
なくなっていた。
二日後。
返事。
『浩太へ。
マジか。』
「軽いな!」
思わず叫んだ。
『というか返信できたのか。
二十年ずっと一方的に近況報告してた俺、ちょっと恥ずかしい。』
「そこじゃねえ!」
『事情はわかった。
でも困った。
魔王軍がもう王都の近くまで来ている。
今やめれば、俺は生きて帰れるかもしれない。
ただ、王都は落ちる。
避難民を含めて五十万人くらいいる。
その先にも街がある。
たぶん魔王は止まらない。
浩太。
お前なら、どうする?』
俺は何度も読んだ。
五十万人。
知らない人間。
知らない世界。
だから見捨てろ。
そう書けばいい。
こっちの世界を守るために。
でも。
親父の二十年間の手紙には、名前があった。
鍛冶屋のガラン。
女騎士エレナ。
弟子のリック。
マヨネーズを食って吐いた領主。
字を覚えた村の子供。
ドラゴンとの戦いで死んだ仲間。
俺は、会ったことがない。
でも。
もう知らない人間ではなかった。
◇
その夜。
仏壇の前に座った。
「母さん」
写真は笑っている。
「あの馬鹿、どうすると思う?」
答えなんてわかっていた。
親父なら戦う。
困ってる人間がいるなら、戦う。
昔からそうだった。
知らない子供が川へ落ちれば、スーツのまま飛び込んだ。
倒れた酔っ払いを介抱して終電を逃した。
台風の日に、隣家の屋根へブルーシートを張りに行った。
そのたび母さんは怒った。
「あなたは家族より他人が大事なの?」
親父は困った顔で言った。
「そうじゃないけど」
「じゃあ行かないで」
「でも困ってるし」
母さんは最後には、
びしょ濡れの親父へタオルを投げた。
「そういうところが嫌い」
そして。
たぶん。
そういうところが好きだった。
俺は便箋を出した。
『倒せ。』
一行書いた。
怖かった。
それでも続きを書いた。
『そっちの世界は親父が救え。
こっちは、こっちで何とかする。
母さんは三年前に死んだ。
病気だった。
最後まで親父を待ってた。
帰ってきたら一発殴る。
だから絶対帰ってこい。
浩太』
最後に書き足した。
『魔王以外、持って帰ってくんな。』
郵便受けへ入れた。
翌朝、なくなっていた。
◇
その夜。
空が割れた。
午後十一時三十七分。
東京上空に黒い亀裂。
スマートフォンがけたたましく鳴る。
《最高位魔災警報》
昨日までなかった警報だ。
いや。
もう違う。
ニュースでは、
「魔王級災害が首都圏で発生するのは慶長十二年以来――」
専門家が説明している。
「慶長に魔王はいねえよ」
窓の外を見る。
空は赤い。
月が二つある。
新宿の向こうに、
巨大な黒い城。
尖塔。
城壁。
炎。
《魔王城、出現》
速報の字幕。
「名前そのままかよ」
道路を装甲車が走る。
《警視庁魔術機動隊》
《陸上自衛隊魔導即応群》
人々は避難している。
誰も、
「魔王って何?」
とは訊かない。
世界はもう、
魔王が昔から存在したことに変わり始めている。
俺だけが知っている。
昨日まで。
地球に魔王はいなかった。
午前零時。
世界が、
白く光った。
音はない。
ただ、一瞬。
全部が止まった。
時計。
車。
風。
テレビ画面。
そして。
再び動き出す。
《魔王反応、消失》
俺は立ち上がった。
「倒した……?」
魔王城は残っている。
魔物もいる。
でも。
魔王だけがいない。
「どこだ」
テレビ。
東京。
大阪。
海外。
「どこに来た」
ドクン。
心臓が跳ねた。
「……え?」
もう一度。
ドクン。
身体が熱い。
頭の奥が焼ける。
洗面所へ走る。
鏡を見る。
額から、
黒い角が伸びていた。
「…………」
触る。
硬い。
「いや」
もう一本。
「いやいやいや」
瞳が金色に変わる。
背中に黒い紋章。
頭の中へ流れ込んでくる。
古代呪文。
魔族語。
召喚術。
何万という魔物の気配。
魔王軍の指揮権。
そこで理解した。
なぜ俺だけが、
最後まで改変前を覚えていたのか。
親父が向こう側の錨。
俺がこちら側の錨。
世界間で、
最も強く結ばれていた。
魔王という巨大な因果を受け取るなら。
最も都合のいい器は。
「俺かよ……」
笑うしかなかった。
「俺なのかよ!」
玄関のチャイムが鳴った。
モニター。
二メートルを超える黒鎧。
青白い肌の女。
巨大な狼。
『魔王様』
「違います」
『お迎えに上がりました』
「人違いです」
『魔王様』
「帰れ」
『四天王一同――』
「夜中に全員で来るな!」
廊下から、
『魔王様がお怒りだ!』
『当然だ!』
『首を差し出すか!』
「近所迷惑だから静かにしろ!」
『はっ!』
「返事もでかい!」
頭を抱えた。
角が邪魔だった。
そのとき。
郵便受け。
紙が落ちる音。
◇
『浩太へ。
倒した。』
俺は床へ座った。
『こっちは朝になった。
魔王軍は止まった。
王都も無事。
みんな生きてる。
世界、救えたみたいだ。』
窓の外。
東京に魔王城。
上空にドラゴン。
玄関に四天王。
額に角。
それでも。
「……よかったな」
口から出た。
本当に、
そう思った。
『母さんのこと読んだ。
遅くなって悪かった。
帰ったら墓参りしたい。』
字が少し滲んでいた。
『浩太。
ありがとう。
お前が倒せと言わなかったら、
俺はたぶん迷っていた。
お前に決めさせた。
すまん。』
「今さら謝んな」
『それから、いい知らせがある。』
「嫌な予感しかしない」
『魔王を倒したら、
帰還用らしい転移陣が動いた。』
「…………」
『日本に帰れそうだ。』
「待て」
『今から行く。』
「待て親父」
『一杯やろう。』
「来るな!」
『あと牛乳買って帰る。』
「そこ覚えてんのかよ!」
手紙は終わった。
俺は立ち上がった。
魔王を倒した勇者。
魔王になった息子。
同じ世界。
因果。
等価交換。
「絶対ろくなことにならねえ!」
ピンポーン。
チャイム。
四天王が武器を構えた。
『何者だ!』
玄関の向こうから。
「おーい」
俺の身体が止まった。
二十年前。
六歳の朝。
最後に聞いた声。
「浩太ー」
「……」
「ただいまー」
「帰ってくんなああああああ!!」
ドアが開く。
白い光。
そこから一人の男が出てきた。
白髪交じり。
傷だらけ。
使い込まれた鎧。
腰には光る剣。
左手にはスーパーの袋。
牛乳が一本。
「お」
親父が俺を見た。
「でかくなったな」
二十年前と同じ笑い方だった。
俺も親父を見る。
親父の目が、
俺の額へ。
角。
胸元。
魔王の紋章。
背後。
跪く四天王。
沈黙。
親父が首を傾げる。
「…………なんで魔王になってんの?」
俺は拳を握った。
二十年。
言いたかったことがある。
母さんのこと。
俺のこと。
どうして帰ってこなかった。
どうして手紙だけだった。
どんな世界だった。
寂しくなかったのか。
怖くなかったのか。
全部あった。
全部あったのに。
口から出たのは。
「誰のせいだと思ってんだ!!」
「え、俺?」
「お前以外に誰がいる!」
「いや、父さん魔王倒しただけだけど」
「だからそれがこっちに来たんだよ!」
親父は俺を見る。
四天王を見る。
また俺を見る。
「……質量保存?」
「概念まで保存すんな!!」
「なるほどな」
「納得するな!」
「でも似合ってるぞ」
「褒めんな!」
親父が手を伸ばした。
俺の頭を撫でようとする。
六歳の朝と同じように。
俺はその手を払った。
「触んな」
「あ、ごめん」
親父の手が止まる。
少しだけ。
困った顔をした。
それも。
二十年前と同じだった。
俺は親父を見る。
老けた。
傷だらけだ。
でも。
帰ってきた。
本当に。
帰ってきた。
「一発殴るって書いたよな」
「ああ」
「母さんの分」
殴った。
「痛っ!」
「俺の分」
「二発目!?」
「世界の分!」
「それは多くない!?」
玄関で勇者と魔王が殴り合う。
四天王が慌てる。
『魔王様!』
『勇者を殺せ!』
「やめろ! 親子喧嘩だ!」
「そうそう、家族の問題!」
「お前が言うな!」
しばらくして。
俺たちは息を切らして玄関へ座り込んだ。
親父がスーパーの袋から牛乳を出した。
「ちゃんと買ってきた」
俺はそれを見る。
「二十年遅えよ」
「賞味期限は今日から十日ある」
「そういう意味じゃねえ」
親父は少し黙った。
「母さん」
「うん」
「最後まで待ってた」
「……うん」
「怒ってたぞ」
「だろうな」
「帰ってきたら、まず殴るって」
「お前より多そうだな」
「当たり前だ」
親父は牛乳を見た。
「墓に持ってくか」
「腐るだろ」
「じゃあ花にする」
「最初からそうしろ」
「向こうじゃ牛乳、けっこう高級品だったんだぞ」
「知らねえよ」
俺は笑った。
親父も笑った。
窓の外では、
ドラゴンが飛んでいた。
遠くに魔王城がある。
道路標識には、
《魔獣横断注意》
が増えている。
俺の知っていた日本は、
もうほとんど残っていない。
明日になれば、
また何かが変わるかもしれない。
いや。
たぶん変わる。
なぜなら。
親父が帰ってきたからだ。
世界を救った勇者が。
魔王のいる世界へ。
そして俺は、
嫌になるほど理解していた。
もし今後、
この世界で誰かが困っていたら。
親父はきっと、
また助けに行く。
「なあ、浩太」
「何」
「魔王って、具体的に何すんの?」
「知らねえよ」
「世界征服?」
「するか」
「じゃあ困ってる魔族まとめて面倒見るとか?」
「……」
「仕事探したり」
「……」
「住む場所とか」
「黙れ」
「ん?」
俺は額の角を押さえた。
最悪だった。
たぶん俺も。
親父と同じだった。
困ってる奴を放っておけない。
だから俺は、
向こうの世界を救えと言った。
その代償を、
自分で引き受けた。
結局。
俺は親父の息子だった。
認めたくない。
絶対に認めたくない。
だから。
二十年分の恨みと、
ほんの少しの安堵を全部まとめて。
俺は叫んだ。
「どうしてくれるんだ、クソ親父!!」
おしまい。




