落日の零戦(上)
1941年12月8日、ハワイ近海に日本海軍、南雲艦隊がいた。現在、この艦隊の空母「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」の飛行甲板には何十機もの航空機が暖機運転をしている。この「赤城」もその1隻である。
「佐藤少尉、御武運を祈ります。」
20歳後半あたりの整備員が、零式艦上戦闘機の操縦席に入り出撃準備をしていた男 佐藤佐之助に言った。
「ああ。帰ってきたら一緒酒でも飲もう。」
「もちろんです!必ず戦艦を沈めてきてください!」
「おいおい、沈めるのは攻撃隊の奴だぞ。俺達は敵機の撃滅だ。」
少し呆れて言った。無理も無い、と佐藤は思った。何せ、今回の攻撃目標は亜米利加合衆国太平洋艦隊の根拠地、ハワイの真珠湾なのだから。
「すみません。では。」
整備員が敬礼をした。佐藤も敬礼を返す。そして零戦の操縦席に座りなおした。既に数機の零戦が上がっている。前の零戦が進み始め、その優美な機体が空に飛んでいく。佐藤は、「栄」エンジンの出力を上げていった。今日のエンジンの調子は良好。ブオンという聞きなれた音にも異常は無かった。佐藤の乗る零戦が進み始めた。
同時刻 オアフ島真珠湾 ヒッカム飛行場
「ヘイ、サム!こんなとこで何してるんだ?」
飛行場の片隅にある格納庫のF2Aバッファローを眺めていたサム・マケイン中尉は同階級の男に呼ばれた。
「・・なんか嫌な予感がするんだ。」
「嫌な予感?なんだそれ。そんな事より、聞いたかあの噂聞いたか?」
「噂?なんの?」
「中国の戦線でたびたび進出しているジャップの戦闘機の噂だ。ジャップの3倍の数の戦闘機で攻撃したら、全機がジャップに落とされたらしいぞ。」
またこの噂か・・とサムは思った。この噂ならこの飛行場中に蔓延している。いい加減呆れるほど聞いてきた。
「その噂、前に聞いた。でもそんなの戦場伝説だろ?ただ単に中国の奴らが弱かっただけだ。あのジャップに強い飛行機なんていない。せいぜい、固定脚の戦闘機が限界だろ。」
「・・・一応、用心しておいたほうがいいぞ。戦場伝説でもな。」
一方、零戦の佐藤はハワイの島影が見えてきた位置に居た。高度3000m、速度時速125キロで飛行中の零戦43機は攻撃隊と離れ、一路真珠湾に向かっていた。360度に敵機の姿は無い。
(奇襲は成功したみたいだな。)
少し安心した佐藤は、近くの零戦に向かって親指を立てた。その零戦のパイロットも佐藤に気付き、親指を立てた。しかし、油断は禁物だ、とも思った
ハワイの上空に入り、零戦は3群に散開してそれぞれ攻撃目標に向かって行った。佐藤は真珠湾の制空の任務だった。
ヒッカム飛行場の格納庫に居たサムは、遠くから聞こえてくる雷鳴のような音を聞いた。
(なんだ?今日は演習の予定なんて無かったはずだが・・・)
「なあサム。何か聞こえないか。」
同階級の男が聞いてきた。
「何の音だと思う?まるでエンジン音・・しかも、かなりの量だ。」
「さあ?Bー17の編隊でも来るのかな?」
そうではない、とサムは思った。根拠は無かったが、確実にそれが言えた。
佐藤の零戦は真珠湾が見える距離まで来た。敵機は1機も上っていない。
「よし!奇襲は成功だ!」
佐藤は操縦席内で叫んだ。それと同時に無線から「トトトトトト・・」という音が聞こえた。全機攻撃開始の合図である。佐藤は機体を真珠湾に急降下させた。回りの機体も同じく急降下させて行く。その時、真珠湾上空に4機の大きなタルの様な戦闘機が上がっていた。
「ジャップの戦闘機だ!」
F2Aバッファローに乗り、迎撃に向かっていたサムは20機ほどの戦闘機を発見した。どの機体の翼にも日の丸が描かれていた。
「ジャップめ!不意打ちか!」
サムは上空にいる敵機を見た。どの機体にも脚が付いていない。
(まさか・・あの島国の小国家が引き込み脚の戦闘機を持っているだと!?)
サムは憎しみと驚愕の混じった感情となった。
(だが、搭乗員の質はこちらの方が上だ!)
バッファローのエンジンをフルスロットルにし、敵編隊に突っ込んでいった。その編隊から数機がこちらに向かっていった。
佐藤は近くの零戦に手で信号を送った。そして、機体を敵機に向けた。2機が後ろについて来た。
(おもしろい!新型機か!?)
このとき、日本側にはバッファローが新鋭戦闘機として知られていた。
(来るなら来い!叩き落してやる!)
そしてバッファローの機銃が火を吹いたと同時に、機銃のレバーを引いた。
仲間の1機が打ち落とされ、サムはますます憎しみを感じた。
(何が何でも打ち落としてやる!)
敵機とすれ違ったあと、機体を反転させた。敵も逆側に反転した。巴戦が始まった。しかし、速度も旋回半径も向こうの方が上だった。2,3回旋回すると、すぐに後ろに付かれた。
(なに!?なんだこの性能は!?ドイツの戦闘機か!?)
このとき、米兵の多くは零戦をドイツ機だと思っていたらしい。
(く!負けてたまるか!)
サムは、失速覚悟で機体を反転、何とか敵機の後ろについた。そして、機銃レバーを引いた。しかし、急に敵機の姿が見えなくなった。
(なんだ!?急降下したのか!?)
急いで下を覗き込んだ。が、そこにも敵機は見えない。その時、急に後ろから強い殺気がし、振り返った所にさっきの敵機がいた。
(零戦を舐めるな!)
佐藤は零戦を斜め左上方に宙返りさせ、操縦桿を右側に倒し、フットバーを左側に踏み込んだ。いわゆる、零戦の特技「左捻り込み」である。バッファローの後ろを取った佐藤は、機銃のレバーを引いた。重々しい発射音がし、曳航弾がバッファローの翼にめり込んだ。
かなりの振動がし、機体が打ち落とされた事が分かるまでに時間が掛かった。
(早く脱出しないと・・・)
そう思い、風防をあけて飛び降りた。そしてパラシュートを開いた。サムのすぐ隣を零戦が通っていく。そのとき、零戦のパイロットと目が合った。一瞬の事だったが、相手が敬礼している事が分かった。そして、零戦が通りすぎた後の光景は、まさに地獄だった。炎上する戦艦、工場群、青い空には1機たりと星の付いた戦闘機はおらず、黒いシミが何本も立っていた。
「・・くそ!ちくしょう!俺は、何もできなかった・・・」
そこには、中国での噂が本当だった事が分かり、泣く事しかできない男が一人いた。
後の世で、不意打ちと非難される真珠湾攻撃を終えた零戦隊が「赤城」他6隻に帰還した。乗組員に歓迎されたパイロットであるが、喜びもあれば悲しみもある。「赤城」から出た零戦が1機やられたのだ。戦艦6隻の戦果はうれしいが、仲間を失う悲しさもあった。その日、南雲艦隊はハワイから離れ一路日本に向かった。佐藤は「赤城」の甲板でハワイの方向を向いて敬礼していた。そこに、発進する時に声をかけた整備員が隣に来た。
「・・・戦死した人にですか?」
整備員が聞いた。
「・・・ああ。敵だろうと味方だろうと同じ軍人だ。尊敬してもいいだろう?」
「そうですね。そういえば、発進するときのこと覚えてますか?」
そう言って、右手を上げた。そこには酒の入った1升瓶と2個のコップがあった。
「覚えてるとも。いただこうか。」
コップを取って、酒を入れてもらいつつ言った。
「中尉、飲み比べしません?負けたほうは、日本に帰って陸に上がったときにお土産として何か買ってくる、という事で。」
「いいぞ。ただし、負けた後に後悔しないようにしろよ。」
2人は笑った。太平洋戦争が泥沼化し、日本の負けで終わるとは知らずに・・・・・。
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