第137話:軍功会議
翌日、兀突骨配下の将で軍功会議が行われた。一応馬騰と韓遂も参加しているが、これは呂布の処罰の話があるからである。ちなみに当の呂布は昨日一日王允と蔡邕を探して長安を駆けずり回っていたようだが、未だ見つけられずにいるようだ。
「ではこれより、軍功会議を始めます」
「「「「「「「「「はっ」」」」」」」」」
これだけの将の声が全員合わさると壮観である。出席しているのは呂布、甘寧、馬超、張遼、龐徳、高順、賈詡、馬騰、韓遂の計九人。そう言えば馬岱についても触れておくとまだ成人、つまり元服していないので出陣させていない。多分成都で妻たちと過ごしているんじゃないかな? この前馬雲録に聞いたら可愛い弟分的なポジションに収まっているとのことだった。俺も妻たちと過ごしたいな……。
「では一先ず、此度の軍功一位を発表します」
気を取り直して軍功順位の発表に移る。今まで中々将の全員を集めてこういう事はして来なかった為、今回が最初になる。少し前に兀突骨は越州の刺史に成れているので、これまでの功績も鑑みて制圧した場所の太守にそれぞれの将を任命していくことが今回の目的だ。
「今回は今までの功労に報いて皆に所領を与えようと思います。ほらそこ! 所領? みたいな顔をしない!」
所領ってなんだ? と言いたげな馬超を指して黙らせる。
「一応俺だって越州刺史になってるんだからね? 太守位ならちょっと報告するだけでこっちで決められるんですよ」
「まぁ実際は推薦して駄目って言われたら決めれませんけどね」
「賈詡も水差すのやめてもらっていいかなぁ!?」
呆れたように声を上げる賈詡も指す。駄目って言われること基本無いから! 今の朝廷でそれは有名無実化してるから! 駄目って言われても袁家とか袁家とか袁家とかは勝手に太守立ててるから!
「ゴホンッ! で、取り敢えず軍功一位なんだけど、軍功一位には馬超殿を挙げます! 今回の長安奪還作戦で馬騰殿と連携して作戦を成功させたのと、最古参であることが理由です。牂牁郡太守に任命します。且蘭(貴陽)を任せると考えて下さい」
パチパチと拍手が鳴る。もうちょっと情熱的なのを期待してたんだけど何か違う……。が、気にしても話が進まないので次の発表をする。
「次に軍功二位には甘寧殿とします。度重なる水軍での活躍や、作戦の要所での柔軟な対応を以て様々な作戦を成功に導いたことが理由です。甘寧殿は元林邑首都のチャキュウ(ダナン)郡太守とします。チャキュウ(ダナン)郡は仮称でまだ正式な郡名は決まっていませんが取り敢えずチャキュウ(ダナン)を任せます」
「……兀突骨殿。俺よりかは呂兄の方が活躍してると思うんだが」
「呂布殿は郭汜殺害の罰で一時的に恩賞無しとしています。ここから功を上げれば行く行く重要な城を預けようと考えていますので」
「……なるほど分かった」
「では軍功三位の発表に行きましょう。軍功三位には張遼殿、南蛮での戦いの軍功や此度の戦いでの作戦遂行を評してです。日南郡太守に任命します」
「はっ」
「また、龐徳殿、高順殿の両名なのですが、両名は騎兵と歩兵の差を鑑みれば張遼殿と同じ程の功績を挙げています。が、それでも張遼殿と功績に差はありますので、張遼殿より一段下の軍功四位とします。龐徳殿と高順殿には殆ど一緒に動いてもらっているので序列は付けられないのですが、一先ず龐徳殿をパクセー郡太守、高順殿を九真郡太守とします。勿論パクセー郡の名称も仮称なので把握しておいて下さい」
「承りました」
「御意」
「では最後に、先程も触れましたが呂布殿の処遇についてです。槐里の戦いにて軍令を無視して郭汜を殺害したことを問い、軍功一位でもおかしくない働きを帳消し、更に欠けた分の情報の埋め合わせとして長安内にて蔡邕殿と王允殿の居場所を探すことを命じます」
「了解だ」
「これを以て呂布殿への罰とします。馬騰殿、韓遂殿、それでよろしいですか? 迷惑をかけてすみません」
「いえ、私は大丈夫です」
「……俺も異論は無い」
「ありがとうございます。なお、賈詡については軍師のような扱いにします。お願いします」
「有り難き幸せ」
「では、これにて軍功会議は解散とします。皆さんありがとうございました」
「「「「「「「「「はっ」」」」」」」」」
ちなみに軍功会議では触れていないがヴァンと土安、泥奚、そして木鹿大王は既に国相や郡丞になっている。勿論ヴァンは月都郡国相、土安と奚泥はそれぞれ興古郡の国相と郡丞、木鹿大王は雲南郡国相である。実は兀突骨が任命した郡の中には元々益州の範囲だったが越州に切り離された郡も結構入っており、漢名がしっかりと有るのだ。それこそ採り上げた中でチャキュウや月都、パクセー位しか名前が決まっていない郡は無い。なお、雲南郡は木鹿大王の為に兀突骨が新設した郡だ。史実でも諸葛亮が同じ事をしていたのを知った兀突骨が真似しただけの事である。
何はともあれ、こうして兀突骨軍の正式な官職を割り振った軍功会議はつつがなく終わり、それぞれがそれぞれの仕事に戻って行ったのであった。
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