第102話:劉焉危篤
興平元年(西暦194年)9月
凱旋を終えて2ヶ月経ち、益州の情勢は比較的落ち着いていた。噂として流れていた劉焉皇帝即位説も無くなり、献帝と劉焉の両者が協力し合う体制が取られていた。恐らく献帝が劉焉の意に沿わなかった時に禅譲させる為の布石として噂を流していたのだろう。うーわ、黒いな。流石は劉焉、政治に関しては一層黒い。だがまぁ禅譲が無くなった為に大きな騒動も起きず、益州では緩慢な雰囲気が流れている。しかしそんな中、兀突骨は突如政庁に呼び出されることとなった。
「興古郡国相烏戈国国王兀突骨、ここに参上しました」
「……ありがとう」
部屋には劉璋が居り、幾らか窶れた様子で兀突骨を出迎えた。
「これは劉璋様、如何いたしました?」
「お主は前に臣従についての話をしていただろう? それを今果たしてほしいのだ」
劉璋が言った前とは宴会の時のことだ。兀突骨はその後に劉焉と劉璋を交えて会談し、何かあったときには協力することと益州では劉焉勢力を支持することを決めたのである。一応その協定に従って大量の援軍を出してもらっているので、兀突骨は劉焉らに借りを作っていることになる。
「……分かりました」
「数ヶ月前に長安が陥落したことは知っているか?」
「はい」
「その時に私の兄弟達が皆李傕軍に殺されたようなのだ。父上はそのことを酷く気に病んでいてな。食事も喉を通らず、とうとう今朝倒れてしまわれた」
「なっ!?」
そう言えば謁見した時もかなり容態が悪そうだったなと思い出す兀突骨。驚いたものの、不思議と何か腑に落ちたような感覚もあった。
「数ヶ月前までは兄上や弟の行方が分からなかったからそこまで気に病んでいなかったのだが、5月辺りに兄弟達の最期を聞いてしまったようでな。私が付いていたのだが少しずつ体調を崩すようになってしまわれたのだ……」
史実でも似たような理由で劉焉は病にかかり、この年に倒れている。長安陥落が遅れた分多少病の進行も遅れたようではあるが、結局こうなってしまうのか。劉璋には悪いが寧ろ兀突骨はそのことを残念に思っていた。
「それは……」
「そこでなんだが、私を益州の正当な後継者として推す立場を士燮殿と一緒に明言してもらいたい。父上曰く、交州を治める士燮殿の支持が有れば問題は起きないだろうとのことだった」
なるほど、支持基盤が不安だから作って欲しいということか。劉焉らしく凄い嫌な接触の仕方をされるものの、劉璋を支持すること自体は計画通りであるため問題はない。というかここで変な人が益州牧になっちゃったらこの後の情勢読めないもん。劉備とか言う人への対策とかが一気に難しくなっちゃう。
「どうだ、頼まれてくれるか?」
「ええ、勿論です」
一も二もなく頷く。劉璋が益州を治めるというなら願ったり叶ったりである。というか史実では劉備が来るまで劉璋が実際に治めたのだから、これに付けば勝ち馬確定である。いや、献帝とかも居るから勝ち馬とは言い切れないのか……? そんなことないよね……?
「では劉璋様、劉璋様が益州を治めるにあたって留意する点を幾つかお話しさせて下さい」
「……とは?」
「まず益州牧を継ぐことに献帝陛下のお墨付きを得ること、そして漢中の張魯への姿勢についてです」
「ふむ……なるほど?」
「特に張魯殿の治めている漢中は出来るだけ支配下に収めるべきです。そもそも益州の一部である上、現在都と益州の道を封じる理由は無く、漢中を制すれば涼州からの助けも得れますのにこれをしない理由が有りましょうか」
「涼州からの助けとは?」
「私の妻は馬雲騄と申す者、涼州にいるかの馬騰の娘です。漢中を抑えて一度誼を通ずることが出来たならば必ずや心強い味方となってくれるでしょう」
「おぉ! あの西涼鉄騎のな? そうであったな!」
驚いたように劉璋が言う。というか実際に西涼鉄騎とか呼ばれてんのかよ。てっきりスキル名だけかと思ってたわ。
「だが涼州の馬騰は未だ韓遂と争い合っていると聞くが?」
「いえ、間者の話によりますと和解して長安を攻める準備を進めているとのことです。どうやら元々が長安に攻め込みたい涼州閥と皇帝への忠誠を誓う皇帝閥の争いだったらしく……。長安が李傕らの手によって陥落したことで、却って和解したようです」
「そんなことがあるのか……」
天を仰ぐ劉璋。本当に俺もそう思うよ。そんな馬鹿な話があるかって何回か布岳に聞き返したもん。
そんなことはともかく、問題はこの長安遠征である。史実通りならこれは間違いなく失敗する。李傕らに撃退されて終わるのだ。更に言えば今の涼州軍には馬超が居ない。まず勝てないだろう。
「とはいえ和解したばかりの涼州軍は弱いです。また、今回の事で亀裂が表面化したとも言えるでしょう。李傕らの軍も元はと言えば涼州軍ですし、今の涼州軍は精鋭兵と新兵しか居ないことになります。軍の質にも大きな差があり、このままでは必ず瓦解します」
「なんと……」
「そこで現在、そちら側に休戦工作を仕掛けているのです。劉璋様が漢中を従えさせるように動けば、彼らの矛先を変えさせることが出来るでしょう」
「それはまさか……」
「えぇ。彼らにはそのまま張魯を討伐してもらいましょう。張魯の兵は元が五斗米道という宗教組織の民兵。間違っても涼州の騎兵が後れを取ることは無いでしょうな」
片や正規兵を南蛮制圧に動員した上で献帝を迎え入れることとなり、東州兵の勢力が史実より増強して不安定化した益州。片や史実より皇帝閥の力が弱いために内紛が早くも表面化してしまった涼州。嵐の予感がする地に、嵐のような男が手を掛けた。