23.マニガレント岬
アニオはこの町が死んだ原因が自分にあると考えていた。自分の心無い言葉が兄のドミニクの失踪に繋がった事に心を痛めていた。
「ボウイー、お前はやはり兄さんによく似ている。兄さんがもし大きくなっていたらお前のような青年になっていただろうな。あの日俺はドミニク兄さんが親しくしている人との会話を盗み聞きしたんだ。それはこうだった」
〜
「ねえ、おじさん。その廃墟の町に連れて行ってほしいと言ったら連れて行ってくれるかな?」
「君のような子供を連れてかい?旅は過酷だよ。脚も疲れるし腹が減っても食べ物にありつけない事もあるんだ。それに行った先は廃墟なんだよ?何もありゃあしないさ」
「でもね、着けば何とかなるってアレキサンドルが言ってたんだ。食べ物はあるってさ」
「食べ物があるってかい?まさか?」
「人も一人だけだけど住んでいるはずだってさ」
画家はそれを聞いて、その嘘のような話に興味を持った。「ドミニク、そのアレキサンドルと言う人は廃墟の町に行ったことがあるってのか?」
「うん、何十年も前にロボットに連れられて行ったと言っていたよ。そのロボットはアンジーと言って、元お医者さんだったらしいよ」
「元?それはどういう意味なのかな。まるで飲み込めない話だな」
「多分、ロボット三等兵に助けられたお医者さんなんだと思う。そのロボット三等兵も元々は人間で、そのお医者さんの仲間だったんだって」
「何だ、その物語の様な話は。じゃあ、ここの横たわっているこのでかいのも元は人間だったと言うのかい?」
「違うよ。機械は機械なんだ。でもその中に入ってる部品が人間だったんだよ」
「ますます意味がわからないな。でも面白い話だよ、それ」
絵描きは少年の話す荒唐無稽な物語のようなものを思わず聴き入ってしまっていた。
「僕はこの機械の中から三つの部品を手に入れたんだ。そして目と耳と口もね。それを動かしたいんだけど、ここでは動かないんだ。そこに行けば動くかもしれないってアレクは言うんだけどね」
妄想に取り憑かれ始めた絵描きは少年と約束をした。三日後の早朝に、ここでもし出会えれば一緒に廃墟の町に行こうと。アニオは大きな岩の後ろで兄の冒険話を聞いてしまった。彼は一体どうしたら良いか分からなくなってしまい、足音を立てぬように岩から遠ざかり、随分と離れた所まで後ずさりした。そして家まで駆けて帰った。
〜その夜〜
「ドミニク、アニオ、ミリ。さあご飯だよ。一緒に食べな」
真ん中の兄弟のアニオが言った。
「お父さんは、ご飯は食べないの?」
「いいのさ。飲んだくれて寝てるから起こすと機嫌が悪くなるだろ。朝まで寝てりゃあいいんだ。どうせご飯を食べたかどうかさえ覚えちゃいないんだからね」
そう聞いて兄妹達は思い思いに皿に手を出してパンを食べだした。
「あたしゃ台所でまだやることがあるから、兄妹で仲良く食べとくんだよ」
台所に行った母親を見送った三人はくすくすと笑いあった。
そしてじゃれ合い、頭をこすり合い、また大きな声で笑うのだった。
暫くしてドミニクが話しだした。
「アニオ、僕がもし居なくなったらどうする?と言っても少しの間なんだけどね」
「兄さん、どこに行こうってんだ?やめてよ、そんな冗談は。兄さんは僕達ふたりが一緒に居ないと今の兄さんじゃなくなる。だから駄目だよ」
くすっと笑いドミニクは言う。「前の僕は表には出なくなったろ?だから大丈夫だよ」
そう言い、首を縦にニ回振りパンを口にした。
ドミニクが居なくなったのはその三日後だった。
家の中のパン十三個と新しい靴と共に。
朝から長男が居なくなった家は大騒ぎで、昨晩から酔いつぶれていた父親も叩き起こされた。
「アーニオ!海を見といで!私は丘の上に行くから、ああ、あんたはミリとそこに居てな。起きているだけでいい」
アニオは先日盗み聞きをした岩のところに行った。岩の後ろの浅瀬に大きな機械が横たわっていた。
「兄さん!兄さん!」
後ろに回ると機械の脚の上に大人の男が一人座っていた。
「あ!おじさん!おじさん!ドミニクを見なかった?」
画家の男はばつが悪そうな顔で答えた。
「ドミニクは毎日ここに来ていたけど、今日は来ないね」
「お、おじさん。僕は聞いたんだ。あなたとドミニクが約束したこと。どこかに二人で行くんだろ?ここで待ちあわせをしてるって」
画家は頭を掻きながら困った顔をした。
「なんだ。そこまで知ってたのかい。そうだ、約束してた。僕はあの子が言う荒唐無稽な話しに興味を持ってしまったからね。でも彼は現れなかった。だから僕は諦めていたところさ。次の町へ行くことにするよ。そこで最後かな。そろそろ僕の旅も終わりにする頃合いだしね。兄さんが見つかるといいね」
そう言って画家は立ち上がり、そこいらにあった絵の道具をしまった箱を肩に掛けて歩きだそうとした。
「あ、そうそう。昨日だったかな。昼頃にお爺さんがここに来てね。僕にこう言うんだ。『この岬の見える風景を返してやらなければならない』ってね。誰に返すんですかと訊いたら、離れ離れになった二人にだ。なんだか分からないだろ?そのお爺さんは子供を探しに海に来たらしいんだ。もしかしてドミニクの事なのかなって、今思ったんだ」
アニオはそれを聞いて岬から繫がる稜線のなだらかな坂を目指して走った。そこには母親が既に到着していて、小屋の扉を叩いていた。
「アレキサンドル!居るなら出てきて!ドミニクが来てない?ねえ!アレキサンドル!」
奥の方から声がした。
「なんだ、騒々しい」
戸を開け老人はその前に立つ女性と子供の悲痛な顔を見た。
「ドミニクがいなくなったの。ここに来てない?」
「いや、ここ何日もここに来てないぞ。ここには居ない。帰ってくれ」
白いひげのはげじじいは、少々不機嫌な感じで戸を締めた。
〜
戸を締めた後、台所に戻ったアレキサンドルはテーブルの椅子に座っていた少年に改めて訊いた。
「本当にこれで良かったのか?・・・・ドミニク」
「うん、あの町には絵描きのおじさんとではなくアレクと行く方がいいと思うからね・・」
「そうか、さあ行こう」
〜数時間後〜
「ねえ、アレク。前にあそこには二度と行きたくないって言ってたのに、どうして行く気になったの?」
アレキサンドルは背筋をぴんと伸ばしながら歩く。それは決まった歩幅で疲れを呼ばぬように。
「そうだな。お前の変わりようにももう慣れてしまった。何がどうなっても驚いたりはしないだろうからさ。それはそうと絵描きの青年との約束は良かったのか?」
「そうだね。少し悪いことした気がするよ」
暫らく林の中の道を南に進んでいた時だった。
後ろから誰かの声が聞こえてきた。次第に大きく聞こえるそれは、それが段々と近づいて来ている証だった。
「おうい、ドミニク!待ってくれ」
振り向いたドミニクはアレキサンドルに言った。
「あ、あれは絵描きのおじさんだ。追いかけてきたんだ」
少し息を切らせながら小走りに来た絵描きは、ようやく追いついた二人に止まってくれと頼んだ。
「ド、ドミニク。酷いじゃないか。君は僕と待ち合わせをしてたはずだろ?」
「ごめんよ、おじさん。騙すつもりはなかったんだけど、考えたらあなたを巻き込むのは良くないって思ったんだよ」
「まあ、いいさ。僕は君の物語に興味を持った。それを絵に描いてみたい衝動に駆られたんだよ。僕も一緒に行くよ。良いかい?」
ドミニクはアレキサンドルの方を向いて同意を求めようとした。しかし、丘の上のはげじじいは頷きはしなかった。
「君は行かぬ方がいいと思うぞ。見てはならぬものを見てしまう可能性もあるからな」
絵描きは尚も食い下がりアレキサンドルに頼み込んだ。「貴方はあの景色をふたりに返してやると言った。その言葉にも僕は惹かれたんだ。ふたりとは誰だ?その事ばかりが頭を離れないんだ。一体どうしてくれるんだ。僕の頭は謎掛けの組み合わないピースで一杯になっているんだ!」
はげ頭を撫でながらアレキサンドルは青年を見つめた。
「覚悟はしておけ。あそこに行ったあと、君は絵を描くことが一生出来なくなるかもしれんぞ。それでも良いなら付いてこい。あそこには長い間棲み着いた怨霊が住んでいるんだからな」