62.群軽折軸(ぐんけいせつじく)
グノルスス洞穴から戻ってきて数日、一見するといつもののんびりとした日常が戻ってきたように思える。しかしそれはあえてそう振舞っているところもある。なんと言っても未解決な事象がそのままになっているのだから。
これはどうにも理解しがたい出来事と言うほかないのだが、あの日以来シェルドンとカミリガンは行方をくらましたままだった。先に王都へ帰ってしまったとしても、何の連絡もせずにニクロマを置いてきぼりにすることは考えづらい。
かと言って事件性があるかと言われればその可能性は低いだろう。いくら不意をつかれようが仮にも正真正銘SSSSランクの冒険者である。並みの相手では太刀打ちできるはずがないのだ。
一番可能性が高いのはカミリガンとしけこんで勢いづき、そのままこんなぬるい仕事からおさらばだと王都へ戻ったのだろうとニクロマは結論付けた。というよりそうでもしなければ自分が引き上げることが出来ないからである。
「真剣に心配してるかというとまったくそんなことはねえんだが、まったく心配してねえって言ったら嘘になるってとこか。できることなら、あのバカも情婦もどうなろうとオレの知ったこっちゃねえと言い切りたいところだけどなあ。さすがに放置して知らんぷりするのは夢見が悪いから、暇見て気にはしておくぜ」
「オイラにはオマエがわからないぜ。パーティーを追い出されたんだからそこらへんでのたれ死んでてもザマアミロって程度でもおかしくねえだろうによ。なのに行方を気にしてくれるのか? お人よしと言うか器がでかいと言うか」
「それはそれ、アレはアレだ。おかげでハイヤーンが来てくれたってのもあるし、アイツも少しは引け目を感じてるからハイヤーンが抜けるのをあっさり容認したんだろうよ。もし王都へ向かってるなら途中で見つけられるかもしれねえし、あんまり心配しすぎねえこった」
「いやあ、オイラは心配してるってより、アイツがいねえとギルドから報酬が貰えんから気にしてるだけだぜ。第一ドラゴンでも出てこない限りあのバカが危険に陥ることなんてないさ」
「まあ殺しても死ななそうだからな。王都の現役で一二を争うってのは伊達じゃねえってことだろう」エンタクにとっては恨むべき相手でも、追放劇が些細なことだと感じるほどの出来事に巡り合い人生最高の幸福感に満たされている今は、過去の軋轢なぞどうでもいい事だった。
だからこその余裕の態度だったのだが、それがニクロマには不思議に映ったのだろう。彼自身はシェルドンに劣るとはいえいっぱしの高ランク冒険者である。そのためか『回廊の冥王』の中では仲間意識が低く、あくまで利害関係だと割り切った態度や言動が目立つ。それでも手を抜いたり身勝手な真似をしたりすることは無い。
だからこそ自分と同じように仕事はきっちりこなすシェルドンが、何も言わずに黙って消えたことを憤るのではなく残念だと感じているし、口には出さないものの一応心配もしているのだ。エンタクのことをお人よしだと言うニクロマも、実は仲間思いであり、そこそこお人よしなのである。
そんなニクロマも、調査員たちが王都へ戻るならついていくしかない。道中の護衛も大切な仕事なのだから当然だ。こうして調査員たちは近いうちに再び来ると言い残し、ニクロマを伴って帰って行った。
本当にシェルドンとカミリガンが帰路についているとは思えないが、もし途中で出会えたなら手紙くらい寄こすだろう。エンタクはそう考え、しばらくこの件は忘れようと決めた。
大体、シェルドンの身に何かが起きているとしてもエンタクの実力では助けだすことは難しい。そして何も起きておらず自らの意志で姿を消しているのだとしたら、それこそ余計なお世話にしかならないだろう。
振り返ってみれば、エンタクもハイヤーンも誰かに告げることなく、元いた王都から姿を消したわけである。定住しておらず定職についているとも言えない冒険者がおかしな行動をとったからと言って、その真意を深刻に考える義理も必要性も何もないのだ。
つまり、今まで冒険者として生きてきた二人の頭の中が切り替わるのに時間はかからないと言うわけである。こうしてシェルドンたちの行方についての懸念はあっさりと消え去り、いつしか今までと変わらない日常へと戻っていた。
そもそもエンタク一家はそれほど暇ではない。ダンジョン調査へおもむくより前に観光案内の予約が入っており、黙っていてもその日はやって来るのだ。だが変に嫌なことに囚われ日々過ごすよりも、忙しさにかまけて忘れたことにしておけるのは悪いことでもない。
そんな日常でも多少の変化はあるものだ。作業を始めてからどれくらい経ったか振り返ると、実に四十四晩が過ぎていたことに驚くしかないし、それだけ長きにわたり毎日作業を続けてくれた職人たちにも礼を述べるだけでは不足だろう。
「おおお! ようやく水が出たぞおお! あともう少しだぜええ!」
深い深い竪穴の奥から反響して響いてきた声は、掃除が終わり屋内で暇を持て余していたハイヤーンにも届いた。もちろん大急ぎで庭へと駆けつけると、泥にまみれた職人たちが大騒ぎを始めているところだった。
「アンタたち大したもんだよ! こりゃ夜は宴会を開いて明日は休みにしないといけないさね。さあさあ、今日はもう店じまいにして一杯やっておくれ。今樽を持ってくるから身体を流しておくんだよ?」興奮したハイヤーンは大喜びで酒樽を取りに向かった。もちろんミチュリが水の中へ飛びこまないよう、その小さな手をしっかりと握りしめてから、だ。
夕方になりエンタクが帰って来た時にはもちろん更なる大騒ぎとなり、観光客まで一緒になって酒場での大騒ぎが始まった。呆気にとられる観光客へ、あと十か二十かそれくらいの晩が過ぎたころには宿に風呂が出来ているはずだと説明すると、それならまた来なければいけないと一緒に喜んでくれた。
「いやあ『パン屑が城を建てる』なんて言葉もあるけどよ、毎日の積み重ねってやつの凄さを改めて感じるねえ。なになに、そんなに謙遜するもんじゃねえよ。ほらもっと喰って呑んでくれ」エンタクもご機嫌で職人たちのテーブル脇で飲食を勧めている。
その姿を見ながらハイヤーンは、冒険者として一線から退いたことは正解だったと考えていた。こうして毎日コツコツと同じようなことを繰り返して生きて行くことこそが、人が生きる上で本来あるべき姿ではないかと感じているところなのだ。
職人たちを褒めちぎって接待しているエンタクにしたって、冒険者の誰もが大した価値を見出さないような地図描きに精を出していたし、今だって日に数エント稼ぐためにあくせくと働いている。
それに引き替え自分はどうだったか。シェルドンたちに身を守られながらちょっと魔法を唱えているだけで一度に数百数千と稼ぎ、今度はそれを宝石や装飾品、高級料理にと相当な散在を繰り返してきた。それら全てが無駄だったとは言い切れないものの、もっとまっとうな使い方があっただろうと反省すべきところだ。
『まあそれはそれとして、これからはこの子たちの幸せのために頑張って稼いでいこうかね』新妻はその行為のかけらすら体験していないと言うのに、まだ見ぬ者を含んだ我が子たちへの愛をあふれさせていた。
それは井戸掘り職人たちと同じように、きっと日々コツコツと積み上げていくものである。対価として得られるものは金銭ではなく、そもそもなにも得られないかもしれないが、人生の最後には百点に近い点数を墓石に刻みたいものである。
ハイヤーンはそんなことまで考えながら娘の肩を優しく抱きよせた。
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ぐんけい-せつじく【群軽折軸】
微細なものでも数多く集まれば大きなものになるたとえ。小さい力もこれを合わせ集めれば大きな力となるたとえ。きわめて軽いものでも多く積めば重くなって、それを載せた車の軸が折れてしまう意から。




