44.五里霧中(ごりむちゅう)
エンタクがミチュリを追って滝壺へ飛び込んでからもうずいぶん経った。なんと言っても朝方の出来事だったわけで、今はもうそろそろ陽が落ちるころを迎え夕方を過ぎようかと言う時間である。
「エンタク…… 一体どこへ行っちまったのさ。まさかとは思うけど…… いやいや、アイツに限ってそんなはずはないさね。せっかくミチュリを助けに飛び込んでくれたのになあ。実はすいすい泳いで魚を獲って来たなんて知ったら倒れちまうんじゃないかと心配だよ。ミチュリもそう思うだろ?」
そう話しかけても返事は無く、相変わらずハイヤーンの袖口を掴んで表情を硬くしたままのミチュリである。あの時、魚を持って岸へ上がって来た時には確かに笑顔を見せたと思ったのは気のせいだったのだろうかとハイヤーンはいぶかしんだ。
さらに今さら気が付いてみるとクプルもいなくなっている。おそらくは飛び込みに付き合わされてしまったのだろう。だがこれは幸いだとハイヤーンは少しだけ安堵していた。なんと言っても妖精の魔法力があれば溺れ死ぬようなことは無いはずだ。
しかもリンリクプルは空間系魔法を得意としている。つまり一緒に飛び込んでしまったとしてもエンタクを浮かせて岸へ上げることもできたはず。だがそれならなぜこんなに長い時間戻ってこないのか。
ハイヤーンの頭の中では楽観と悲観が入れ代わり立ち代わり渦を巻いている。どうしていいかもわからないまま、いつ戻って来ても良いようにと火を焚き、見様見真似で野営場を設営していた。
やがてミチュリのまぶたが閉じている時間が長くなり、それにつられてハイヤーンにも眠気が襲ってくる。二人で抱き合うようにして人力車の中へ横になるのだが、目を閉じると恐ろしい考えが頭の中を占有していく。
「ミチュリ…… アンタがなにか知っているなら教えておくれよ。アイツは一体どこに行ってしまったってんだい? アンタが無事に戻ってきたのはもちろんうれしいさ。でもアタイは一緒に戻ってきてほしかったんだよ……」
だがミチュリはやはり何も言わないし、そもそもすでに寝ているのだから無駄な問いかけだった。それでもただただハイヤーンにしがみついている。その小さな頭をなでながら涙を浮かべたスピルマンも、やがて闇の中へと吸い込まれていった。
翌朝、すでに焚火は消えてしまっていたため、不慣れな薪拾いへ向かった。もちろんミチュリはその間もずっと袖口を掴んだままなので、片手で拾いもう片方の腕で作った輪の中へと差し込んでいくという効率の悪さである。
「ミチュリ? そんなにずっと掴んでいなくなってアタイはどこへも行ったりしないさ。そんなことよりも、そうやってずっと不安を感じ続けている何かが、今でもアンタに憑りついてるのが不憫で仕方ないよ」
その言葉にも無反応なのだが、掴んでいなくてもどこへ行くこともないと言う言葉は通じたようで、始めて自分から手を離しピタリと寄り添いながらついていく。正確には滝へ飛び込んだ時と合わせ二度目だが。
薪を集め終って野営場へ戻った二人は再び薪を焚べ相棒の帰りを待った。その間にミチュリへスープを作ってやったのだが、口に合わないようでひと口ふた口飲んでからそのまま足元へ置かれてしまいさらに落ち込むハイヤーンである。
「まったく何をしてもうまくいかないねえ。アタイだって出来もしないことを適当にやってるだけじゃダメなことくらいわかってるさ。でも何かしていないと落ち着いていられないよ」またもや誰に聞かせるでもなく愚痴をこぼすハイヤーンである。
空を見上げてぼーっとしながら雲が流れて行くのを見ていると、また涙が浮かんできてしまう。ついさっき掴んだままでいなくていいと言って手を離してくれたミチュリを、今度は自分から引き寄せて抱きしめてしまうくらいには不安で寂しかった。
このままではまた涙が溢れてしまう、ミチュリの前で何度も泣いていたら、戻るかもしれない感情の欠落が遠のいてしまうかもしれない。そんなことを危惧したハイヤーンは、しっかりと正気を保つのだと自分に言い聞かせていた。
そんな時、視界の端に何かが横切った。もしかしてクプルではないかと慌ててその方向へ目をやると、そこには確かに妖精がいた。しかし飛んできたのは見慣れたあのチビ助ではなく全く別の小さな姿である。
『ちょっとアンタ! もしかしてクプルのこと知ってるのかい? もしそうならアイツらが今どこで何しているか教えておくれよ。せめてアタイが心配してここで待ってることを伝えてくれないかい?』ハイヤーンはつたない妖精語で話しかけた。
『ああやっぱり、あなたが妖精語がわかる女性なのね。アチはリンリクプルに頼まれて伝言を伝えに来たのんさ。あのねあのね、おっきなオジサンが動けなくなってるのんさ。びしょぬれで冷たくて熱くなってて大変だって伝えればわかるんだって。わかる?』
『そりゃ大変だ! アンタはアチっていうのかい? 伝えてくれてありがとうよ。それでヤツラはどこにいるんだい? 早く案内しておくれ』ハイヤーンははやる心を抑えながら妖精へと尋ねた。
『アチはルーリーローリリイなのさ。あのねあのね、二人は川がずっと流れて行った先にあるアチたちのいる泉の中で泳いでたのさ。でも下向いて浮いてるだけだったけどね。あははは。そのオジサンの上にクプルがいて引き上げてって言われたから地面に寝かせてあるのさ』
『ずっと下流まで流されてたってことかい? とにかく迎えに行こうじゃないか。ミチュリ、ちょっと遠いかもしれないけど頑張って歩いておくれよ?』相変わらず返事はないが、それでも話しかける相手がいるだけで気がまぎれるものだ。
完全に安心できるわけではないものの、なんとか無事でありそうな報告を受けたハイヤーンは、さっきまで頭の中を覆っていた靄が晴れて来たと感じていた。すなわちこれでようやく明るい先行きが考えられるようになったと言えよう。
ともあれ、さっそくルーリーローリリイの後について二人の元へと向かった。
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ごりむ-ちゅう【五里霧中】
物事の様子や手掛かりがつかめず、方針や見込みが立たず困ること。また、そうした状態。




